繋ぎ目の守役 一
「だいぶ大人数できてるな…………」
わたしたちは森の中にある小高い岩地へ回り込み、街道の先の方に目を凝らした。
大きな門、木の杭の壁、そして大勢の人間。それに詰所と思われる簡易的な小屋もあり、ここから見えるだけでも十人。
他にも別の街道から合流したと思われる旅人の姿もあった。
その光景はまるで、州の異なる土地へ入る時の関所のようだ。
街道の延びる先は、ちょうど岩山の隙間に出来たような路のため、そこを塞がられると回避するには大幅に迂回するしかない。
もしくは、そこのほぼ垂直にそびえている岩山を登るが、山登りをするにはこれは命懸けになるだろう。
「……アタシ、ルゥクの噂を聞いてあっちの町から来たんだけど、五日前はあんな関所、設けてなかったわ」
コウリンが呆れたようなため息をつく。
「もう向こうの町にはルゥクの話がいっているのか?」
「うん、少なくとも一部の貴族には情報が伝わってる。そこの御抱え医師からこっそり聞いたからね」
…………医者って、そういう患者やその周りの情報をやり取りしていいのか? もしかしたら、こうやって機密というものは漏れていくものなのかな……。
人の口には戸は立てられぬ。
さらに人の口伝というのは、尾ひれがついてあらぬ方向に噂が広がっていくのだ。
「ルゥク、どうする? こういう場合は迂回して、余計な戦いは避けるべきだろう?」
あの人数を相手にするのはあまり良くない。
「まぁ、本当は……ね。でも、この関所、少し間近で見てみようと思う。この辺の貴族が張ったものじゃないみたいだし」
「ここの領主じゃないのか?」
「うん。今、ホムラに調べてもらっているけど…………一番近くの町にいる貴族は僕の知り合いで、不死が簡単に手に入らないと分かっている人なんだよ。僕を捕まえるつもりなら、わざわざこんな方法とらなくても、町に普通に通せばいいはずなんだ」
「心変わりしたとか、他の貴族にお前の情報を売ったとかは?」
「ないね。彼は次、僕の命を狙うのは四回目だ。人生をやり直したくなったら来いって言ってある。領地を国に取られたくはないと思うし」
あー、つまり、その知り合いの貴族は、あとひとつで殺すとルゥクに徹底的に叩き込まれたわけだ。
「……この間の成金みたいに、役人につき出すようなこともなしか?」
ついこの間、わたしを誘拐しルゥクにちょっかいを出した成金は、どうやら裏でこそこそと悪事を働いていたらしい。ルゥクが事前に調べた悪事の一覧と共に、父上にしょっ引かれて行った。
「別に。僕を襲うのは罪にならないし、国からも危険人物とはされていなかったから。本当は僕だって、貴族とかと殺り合いたくないんだよ」
……そう、だよな。
別にルゥクは争いを楽しんでいる訳じゃない。
「でも、迂回しないで通れば捕まるのだろ? 様子を探るだけであれを通るのは危険では…………」
「大丈夫。変装すればいい」
「変装って…………」
ルゥクがにぃぃぃぃっこりと、企んだ笑顔で関所を見ている。
絶対、楽しんでいる。何か、嫌な予感が…………
「いや、待て。急がないなら、迂回して岩山登ってもいいと思…………」
わたしがルゥクに振り向くと、コウリンと二人で札から取り出した着物を広げて、キャッキャッと愉しげにしていた。
駄目だ。嫌な予感がもう用意されている。
「…………私は変装なしでお願いする。髪の毛とアザは見えないようにするから」
変装などという大仰なことをしなくても、ルゥクは見た目だけは普通の人間なんだから大丈夫だと思うのだが……。
しかし、二人は揃って不満そうに口を尖らせた。
「えー? せっかく、ケイランに似合いそうな衣装だしたのにぃ~」
「そ~だよ、こういうことは一蓮托生。規律を重んじる兵士が、一人だけ集団の和を乱して良いのかなぁ?」
「…………仲良いな、お前ら…………」
何だ、この二人の一体感。
似た者同士じゃないか、こいつら。
これは……バレないための変装というより、こいつらの娯楽ではないのか。それに付き合えと?
札の術師同士だし気も合うのかもしれないが、何だか無性に腹立つ顔に見えてきた。
「とにかく、最低限での服装で――――」
ぐぅわしっ!!
急に背後から、わたしは羽交い締めにされた。
「わっ! ちょっ……コウリン!?」
「はい、観念してちょうだい。バレなきゃ山越えよりずっと楽なんだから、変装は完璧にしないとね」
な、何を!? あ、やだ、抜け出せない!?
背後からがっしり押さえられているのだが、何故か兵士のわたしよりも、コウリンの方が力が強い。
「うっふっふっ。毎日、薬担いで旅した女の力と体力をなめるんじゃないわよ」
「は、放せ~~~っ!!」
「あ、ルゥク、サラシ取って。ケイラン暴れそうだし、一気に脱がせて巻いちゃおう!」
「んなっ!?」
今……脱がす……とか……?
え? 嘘だよ……ね…………
わたしがひきつりながら硬直していると、スッと正面から静かにルゥクが顔を近付けてきた。その顔はいつもの作り笑いのように見えたが、いつもよりも取り巻く空気が濃くしっとりしている。
「大人しくしててね…………痛くしないから……」
ルゥクの言い方がいつもと違う……。
「ひっ…………」
指先がわたしの首から鎖骨辺りをなぞった。
軍服の襟を掴み、指で裏地を撫でながらルゥクの手が下へ――――…………
ぎゃああああ――――――っっっ!!!!
「ま、待てっ……やめっ、止めろっ!!」
「…………ん? なんで?」
優しくアゴの下に手を添えられ、微笑んだ顔がさらに近付く。
ルゥクの動作のひとつひとつが淫猥に思えてしまう。わたしの身の危険を報せる本能が、心臓を全力で走った後のように働かせた。
「自分で……自分で着替えるから!! 大丈夫、ひとりででも着替えるからっっっ!!!!」
「……ほんと? 着替えられる?」
「うん! 大丈夫!」
「そう。いい子だねぇ、ケイラン」
にっこり。ルゥクのいつもの笑顔。
…………………………あ。
雰囲気が一変する。
気が抜けるくらいに急に軽くなった。
「じゃあケイラン、あっちで着替えてきましょうか。覗かないでよルゥク!」
「ハイハイ、化粧もするから早くねー」
コウリンに茂みの向こうへ引きずられるわたしを見て、ルゥクはヒラヒラと手を振っている。
「えっ!? ちょっと!」
「あら? だって、着替えるんでしょ?」
「……………………」
あああああっ!! こいつらぁぁぁっ!!
わたしから言質とったなぁぁぁぁっ!!!!
つまり、ルゥクとコウリンの二人の連携により、わたしはまんまと策に嵌まったというわけだ。
何でこの二日間でこんなに息が合うの?
こいつら、前世で兄妹だったとかないよな?
最早、観念するしかない。
わたしは半分、魂の抜け殻のようになりながら、渡された衣装に大人しく着替える。
一部の着替えをコウリンが手伝ってくれたのだが、その時、彼女は苦笑いをしながらこう言った。
「ルゥクって、あなたにはとことん甘いのねぇ」
「……………………」
甘い……? どこが?
ルゥクはわたしをとことん、からかっているだけだ。
反論をしようとも思ったのが、話すのも億劫になっている。わたしは黙って渡された着物に袖を通した。
一時間後。
わたしたち三人は、関所を正面に他の旅人たちと列に並んでいた。
「すごい人ですね。この先、何かあるんですか?」
「あぁ、何でも凶悪な犯罪者が逃げてるって、急遽関門を作ったらしいぞ」
「へ~、そうなんですかぁ……」
何食わぬ顔で、そこに並んでいた旅人のおじさんと話しているのは、ほとんど変装していないコウリンである。
彼女はわたしたちに同行したのがついさっき。しかも、もとから旅の薬売りという素性があるため、衣装に追加されたのは頭に被る笠くらいだ。
「ほら、もうちょっとこっちに来て! 迷子になるわよ、ランちゃん!」
「あ…………うん……」
コウリン…………いや、リンお姉ちゃんが、わたしの手をとって引っ張る。
わたしの格好は、完全に……子供だった。
大きな笠を頭に被って、その下は手拭いで髪をかくした。背中には麻の荷物入れを背負う。
体よりだいぶ大きい着物を無理矢理帯やたすきで押さえ、いかにも『お姉ちゃんのお下がりを着てます』という風体だ。
はぁ……ここでわたしの低身長が生かされるなんて……。
これは、しばらく思い出して落ち込みそうだ。後でルゥクに文句を言っておこう。
たぶん、今のわたしは他の人間から見れば10才くらい。
頬の術師のアザは化粧でキレイに消されている。ついでに胸はサラシを巻かれて、スッキリと平らになっていた。
コウリンと手を繋ぎながらボーッと立っていたが、少々暇になってきた。
暇ついでに、サラシが巻かれた自分の胸をポンポンと叩くと、案外しっかりしていて邪魔にならず動きやすい。
「意外にいいなコレ。いつもやってようかな……」
「は? 何言ってんの、ランちゃん?」
ボソリと小声で言ったのにもかかわらず、コウリンはわたしの呟きに即座に反応した。
しかも、何故か顔が怖い……。
「……サラシなんてわざわざ胸潰して締め付けてんのよ? 血流に悪いから、ここを過ぎたらすぐとりなさいよ……!」
「あ……うん……」
何を怒っているのか、小声なのに迫力がある。
コウリンは大きく息をつくと、列の正面に向き直った。
「…………ったく、何であんなに『ある』のよ……。一つ年下なのに不公平よ…………」
「…………?」
ぶつぶつと何かを呟きながら、前を見て怒っている。
何が『ある』って? あぁ、確かに列に人が並び過ぎだな。これはだいぶ時間が掛かるだろう。
「……しかし、あいつは水汲みにどれくらい掛かるんだ?」
「ランちゃん……あいつじゃなく『お姉様』でしょ?」
「あ、うん……」
わたしたちの『お姉様』とやらは、ここから少し離れた旅人共同の水汲み場に行っている。
そういう場所は、この辺を往き来をしている者から色々な話を聞けるものらしい。
「二人とも遅くなってごめんなさいね」
不意に横から女性の声がする。
わたしたちに近付いてくる人物が目に入った。
「もう、お姉様ったら遅いですよ!」
「ふふ……沢山人がいたから、つい話し込んでしまってね」
さらりとした黒髪、背が高く姿勢が良い細身の体。ひとつひとつが整った顔立ち。鈴を転がしたような声。
さらに、質素な着物が余計にその素材の良さを強調している。荷物はコウリンと同じ薬売りのものだ。
コウリンと和やかに会話をする美人。
お判りいただけるだろうか。
女装したルゥクである。
容姿はいいとして、声なんてどっから出しているのか。
どこからどう見ても、男の雰囲気はなく仕草も洗練されている。
「ランちゃん、疲れてない?」
「だ……大丈夫です。お姉様……」
うわぁ……間近の顔がキレイ……。
女から見てもくらくらするぞ。
そう思っていると、周りに並んでいる男や関所の兵士らしき奴らも、すっかりルゥクに見惚れて鼻の下を伸ばしていた。
ちょっと目立ち過ぎかと感じるが、ここまで徹底的に女性になっていれば、まずバレることはないだろうな。
だいたい半刻ほどして、わたしたちは詰め所の前まで進んだ。どうやら、建物の入り口の所で身元を調べるらしい。
詰め所は思ったよりも簡素で、平屋の仕切りのない家畜小屋のような作りだった。
入り口は開いていて、調べをする兵士二人ほどの他に後ろの詰め所の中に、十数人の男ばかりが座って待機しているのが見える。
怪しいと思われたら、控えている奴らも出て来るのか。
この人数の兵士、しかも他にも無関係の旅人がいる場所。わたしも少しばかり緊張する。
コウリンも平気なような顔をしているが、さっきから繋いでいる手が痛いくらいに力が入っていた。
「さて……もうそろそろ、アタシたちの番ね」
「そうね……」
「……………………」
わたしたちは受付らしき兵士の前に進み出た。
…………結果。
身元確認は簡単に行われ、わたしたちは何も問題なく通されることになった。
さすが『影』だと言えば良いのだろうか。
身分証などは、ルゥクが予め作っていた偽物だ。しかし、怪しい点を彼らは見付けられなかったらしい。
本来なら犯罪だが、今回は必要悪だと目を瞑る。こうでもしないと、ルゥクはすぐに捕まって殺されかねない。
「……行きましょう、お姉様!」
「そうね。では皆様、失礼します」
お姉様ルゥクに、にこやかに挨拶と軽い会釈をされて、兵士たちは嬉しそうに手を振っている。
なるほど……こうやって男は騙されるわけだ。
関所を背に歩きだすと自然にホッとする。
このまま、もう少し街道を進めば、いざというときの逃げ場は幾らでも見付かるはずだ。
やっと肩の力が抜けると思った時、背後から誰かが近付く足音が聞こえた。
「あー、ちょっと! 悪ぃんだけど、そこの三人ちょっと待って!」
「えっ?」
少し申し訳なさそうな声に振り向くと、わたしの背より頭三つはでかい人影が立っていたのだった。




