札の術師 二
弟子って……いや、ダメだろ?
わたしは地面に頭を付けんばかりに平伏している女性を、内心気の毒に思って見ていた。
ルゥクはたぶん……いや、絶対に断るだろうと思われる。死刑囚だし『影』だし、わたしたちの素性を一般人に知られるわけにはいかないからだ。
予想はついたがルゥクがどんな返事の仕方をするのか、わたしは再びルゥクの横顔をチラリと見た。
先ほどの面倒くさそうな顔から、無表情な冷ややかな視線を女性に向かって投げている。
「断る。男女関係なく、弟子はとらない」
いつもより低くはっきりと、そして怖いくらいに冷たく言い放った。完全に切り捨てる言い方だ。
実は今までも、何かと理由をつけてルゥクの旅のお供になろうと、下心有りで近付いてくる……特に女性が多くいたようで、ルゥクもこうした申し出はキツく断っているらしい。
まぁ、ルゥクはこの顔立ちだし、愛想良くしたら女の十人や二十人は引っ掛かるだろうな。中身知らなきゃ仕方ない。
「………………分かりました」
女性は少しの間を置いて、スゥと顔を上げた。
やはり歳はわたしとあまり変わらない、17、8才くらい。濃い茶色の長い髪を太い一本の三編みにしている。
顔が真剣なためか、黒い瞳は鋭くこちらを見ていた。たぶん笑顔ならそれなりに可愛い顔をしていると思う。
そう思っていたら、女性はニッと不敵な笑顔をルゥクに向けた。
「……アタシの名前は『杼 香琳』……覚えておいてくださいね。必ず、貴方の弟子になります」
「弟子を取る気はないよ」
「……出直します」
コウリンと名乗った女性はペコリと頭を下げる。
立ち上がるとすぐに後ろを向いて、颯爽と歩いて行ってしまった。ちなみに身長はわたしより高い。ルゥクより少し低いくらい。
いいなぁ、身長高いの……――――ん?
気のせいか向きを変える瞬間、わたしの方を見て笑った気がしたような……。
「ケイラン、行こう」
「え? あぁ……」
何となく女性を見送っているとルゥクが声を掛けてきた。
「どうしたの? 何かあった?」
「いや、特に何も……」
「よし、夕飯でも食べに行こうか?」
「うん……」
わたしとルゥクは役所を離れ、市街地へ歩きだした。
少し歩いて、町外れの小さな食事処でやっと落ち着いた。今日はもう、あれ以上の騒ぎは勘弁してほしい。
食事の席なので少し抵抗はあったが、わたしは頭を隠していた頭巾を取っている。最初は目立ったが、今日はルゥクがいるので変な輩に声を掛けられることはなかった。
もしかしたら、昼間の騒動を知っている人間もいたかも知れないが、遠巻きに見られるくらいなら平気だろう。
「…………今までも弟子にしろっていうのはいたけどね」
飯屋の席で注文したものを待ちながら、先ほどの女性のことを話していた。
ルゥクが言ったように“弟子入り”志願者はいたのだが……。
「大抵、弟子ってのは嘘で、僕の命やら体やら狙ってきたんだよ……どっちも、男女関係なく」
「それは……そうだろうな……。近付くための口実だろうし」
でも、体目当てでくるのは女だけにしてほしい。
「ま……本気で術や札を習いたいって人間も、僕が死刑囚になる前には、いることはいたんだけど……少し問題があって……」
「確か……ルゥクの札、難しいものじゃなかったか? 今は使う人間がいないって……」
「………………」
以前にわたしが恩人を探していた時に、他の札の術師から聞いたのは、ルゥクの札を使う術師の門派は大昔に絶えたということ。
実際はまだルゥクが残っているから、完全に途絶えたわけじゃない。だが、ルゥクが処刑されたら完全になくなる。
「うーん、貴重な札の術なんだから、弟子取って残すのもありだよな……純粋に技術を残すことは、良いことじゃないのか?」
世間では『最弱の術師』などと評価される札の術師だが、ルゥクの札に関してはその通りではないと思う。
普通の紙切れの札より頑丈だし、戦闘にも使いやすい。あと、荷物を札に収納できるという、旅にはうれしい機能もある。おかげで、わたしとルゥクはほぼ手ぶらで歩いていられるのだ。
「札を作るの……難しいんだよ……」
「几帳面な人間ならできるだろ。教えてみれば案外できるものだぞ?」
「うーん…………」
なんか……珍しくルゥクが渋っている。わたしが言っている事は特に難しいとは思わないのだが……。もしかすると、人が多いこの場所では言えない事かもしれない。
そう考えていると、注文したものが卓に運ばれてきた。
元気のいい店の中年女性が次々に器を置いていく。
「おまたせ。『山菜おろしなめこ蕎麦』四つね!」
……念のため言っておくが、わたしは一杯だけである。
自分の分の器ひとつを側に引き寄せた。
そういえば、ルゥクに初めて会った時も、こいつは蕎麦五杯を咀嚼していた。普段はそんなに食わないのに、体の何処に蕎麦が入ってんだ?
「…………お前、蕎麦好きだなぁ……」
「うん、蕎麦良いよねぇ。食べやすくて」
カチャン。
ルゥクは器をひとつ横に退かしながらニコニコとしている。
…………って、早いな一杯食い終わるの。わたしはまだ箸もつけてないぞ?
「…………ふぅ……」
なんか、こいつ見てたら食欲無くなりそうだな。
蕎麦をつつきながらため息をついていると、向かい側のルゥクが首を傾げながらじっとわたしの顔を見ていた。
「ねぇ、ケイラン。もしかして具合い悪い?」
「ん? いや、特に何ともないけど……」
「……ふぅん?」
何故か納得しないような返事をしつつ、ルゥクは二杯目の蕎麦をすすっている。
「…………いや、何かいつもより動きがないなぁ……て」
「そうかな? あんまり変わらないが…………もしかして、顔色、悪い?」
「ううん。顔色は普通なんだけど……」
そう言われると少し不安である。
まだ旅を始めて一ヶ月ほどしか経っていない。もしここで、わたしが何かの病気にでも掛かれば、強制的に王都の実家へ戻ることになるからだ。
それは嫌だ。
せっかく、ルゥクの処刑を止めさせる方法を探しているところなのに。
「いや、わたしは大丈――――」
「うん、熱はないなぁ……」
ん? 額がひんやりして気持ちいい……。
いつの間にかルゥクが体を乗り出して、わたしの額に自分の頬を当てていた。
懐かしいなぁ。昔、母が熱があるかどうか調べる時、手ではなく頬を当ててくれていたっけ。
思わず目を瞑ってしまう。これをされると、熱がなくてもちょっと落ち着くのだ。
…………………………いや、待て。
わたしがハッとして目を開けると、周りの席の客や給仕をしている店員が、固唾を呑んでこちらを見守っている。
「っ!? だ……大丈夫だっ!! 熱ないし、具合い悪くないし!!」
ぐいっと、ルゥクの肩を押して顔を離す。
久しぶりになんか心臓に悪いわっ!!
「うーん、やっぱりいつもより反応遅いなぁ。あまりにもじっとしているから、何かこれ以上を期待しているのかと思ったよ」
「するわけあるかっ!! まったく、何考えて……」
「あら、良いじゃない。絵面としては悪くなかったわよ?」
「そういう問題じゃ………………へ?」
不意に、すぐ横から自然に声が割り込んできた。
わたしがすぐに声のする方へ顔を向けると、同じ卓の席に先ほど役所の前で会った女性――――コウリンがニコニコと座っている。
いつの間にっ!?
わたしは思わず口を開けて固まってしまう。
「…………何か用?」
わたしとは対照的に、ルゥクは驚いた様子もなく、コウリンに冷たい目線を向けて低い声で尋ねた。
「もう、そんなに睨まなくてもいいじゃない。出直して来たのに」
確かに出直しだが、即日とは思わなかった。まだ半刻も経ってないぞ?
「もし、できたら弟子入りしたいのだけど」
「駄目」
ルゥクは一言言うだけで、不機嫌そうに席に戻る。
コウリンはそんなルゥクの様子に、少し首をすくめて見せたが、食卓に盆に乗った定食らしきものを置き、わたしたちの席に着き直した。
「だよねー。じゃあ、一緒にご飯食べるだけなら良いでしょ? それとも、二人の邪魔しちゃ悪かったかしら?」
「僕たちじゃなくても邪魔かな」
「あら、そう。でもあなたたち、今のやり取りで、どう見ても兄妹には見えないのよね」
「それが……何?」
ルゥクは本気で睨んでいるのだが、コウリンはまるで気にしないように自分の会話を進めている。
…………なんか……ルゥクが戦闘以外で、こんなに刺々しい言い方するの、わたしはあんまり見たことない。
出る幕は無いと判断して、わたしは自分の分の蕎麦をすすりながら状況を見守った。
無責任かなと思ってしまったが、よく見ると二人とも冷えきった会話をしながら、ちゃんと飯を食べている。
このコウリンって女性、なかなか強いな。
「――――ねぇ、あなたはどうして一緒にいるの?」
「へ?」
急にコウリンはルゥクではなく、わたしの顔を見てニッコリと微笑んだ。不意を突かれたわたしは、気の抜けた返事をしてしまう。
コウリンはぐいっとわたしに顔を近付けて、目線を上下させて口を開いた。
「あなた、この人の恋人か何か?」
「えっ!?」
「それとも、もう夫婦なの?」
「んなっ!?」
なななななっ……何を言うっっっ!?
とんでもないことを口走ったコウリンは尚も続ける。
「弟子入りはしたいけど……そうよねぇ、愛し合う二人に割り込むほど、アタシは野暮な人間じゃないのよねぇ。さっきみたいに、横で仲睦まじくされたら…………そりゃあ、もう……」
「『さっき』って、あれはっ…………!?」
「恋人同士、二人っきりの旅で所構わずベタベタしてるって言うなら、アタシだって少しは考え………………」
「待て!! ち、違うっ!!!!」
「ちょ……ケイラン!」
止めるな、ルゥク!! 勘違いされたら大変だろ!?
わたしは兵士だし、お前は今のところ囚人!!
「わたしとルゥクは単なる旅の連れで、恋仲とか、そんなのは一切無いっっ!!!!」
わたしは思いっきり立ち上がり、声高に宣言してやった。
先ほど、こちらを見ていた周りの人間も、顔を伏せて視線を逸らしているのが分かった。
「ちょっと、ケイラン!!」
「ルゥク、お前も言え! 誤解される前に!!」
「いや、そうじゃなくて……!!」
「………………ん?」
ルゥクは困ったような『あーあ……』と、言いたげな表情をしている。
えーと……何でそんな目で見て…………
静かに横を伺うと、コウリンは両手で頬杖を突いて、わたしを見上げていた。
――――その顔に、これ以上ないくらい満足そうな含み笑いを浮かべて。
「そう、恋仲じゃなくて良かった! じゃあこれで、アタシが弟子になっても、お邪魔することもないってことね!」
…………………………あ。
「さて、今日はあなたたちも疲れているだろうし…………アタシはここで帰るかな。後日、また出直すわね。じゃあ!」
コウリンは自分の食べた食事の盆に、代金を乗せて店員に手渡した。そしてそのまま、すたすたと店を出て行った。
わたしは呆然とその背中を見送り、椅子に崩れるように座った。
しまった…………そういうことか…………。
ルゥクとの会話が平行線になると思ったコウリンは、わたしに話を振って、次回来た時の付け入る隙を見付けた……と、いうことだろうか?
わたしとルゥクは兵士と囚人だ。
だが、それは任務のため無関係の人間には説明できない。
つまり、わたしがここで嘘でもいいから、ルゥクとは恋仲で一緒に旅をしているから邪魔だと、言えば良かったのだ。
「ごめん……ルゥク。私がお前と恋人の振りをすれば、あの人は諦めたかもしれないよな…………」
「いや……あの手の子は、君が嘘をついてもすぐ見破ると思うよ」
ルゥクは軽くため息をついて、コウリンが去った方を険しい様子で見ていた。その横顔に、わたしは申し訳なく思う。
さっさと食事を済ませて店を出た頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
わたしとルゥクは、なんとなく気まずい気持ちで宿に向かう。
「…………本当にごめん」
「別に……謝らなくてもいいよ」
…………やっぱり、怒ってるのかな?
いいよ、と言っている割には、ルゥクはしばらく拗ねたような態度だったからだ。
うぅ……一般人の挑発に引っ掛かるなんて……。
最近の自分は油断し過ぎている。
もっと、気を引き締めていかないと。
その夜。わたしは宿の部屋で眠れなかったので、一晩中、初心に帰るつもりで、手持ちの兵法書を読み耽っていたのだった。




