再び旅立つ先に
僕は『二度目の着替え』を終えて、宿の人間にある部屋へ案内される。
ここは庭へ伸びた渡り廊下を進み、大きな池の上に立てられた離れの建物だ。おそらく、宿の客の中でも上客が使う場所だと解った。
「よぅ、調子はどうだ?」
「……別に……良くも悪くもないよ」
通された離れの部屋はそこそこ広く、あちこちに高価な壷や絵画が飾られ、大きな円卓が置いてある部屋だった。
壁には屈強な兵士が五人ほど、等間隔に並んで立ちこちらを見ている。
部屋の扉の正面から見える席には、ケイランの義父である李元将軍が座っていた。
アゴの髭を触りながら、僕の顔を見てニヤリとしてくる。
「ケイランは部屋に食事を持って行くことになったが…………お前、何かやったのか?」
「特に何も。部屋で一緒に茶を飲んで話していただけで…………」
「ふっ、嘘をつくな、ルゥク。片付けに行かせた者に聞き出せば、ケイランは目を真っ赤に腫らしていたうえに、二人とも着物が汚れて替えたそうではないか?」
「いや……それは……」
あの後、ケイランに胸を貸したら遠慮なく泣いた。
その結果、僕の着物の襟から胸にかけて、彼女の涙やらなんやらで、グッショリと濡れてしまったのだ。
あれはもう、着替えるしかない。
「さらにケイランは、もう一度風呂に行くと言っておったらしい…………はて、どうしてそうなるのか…………」
「だから、それは……」
それは…………床に座り込んでいたケイランは、ずいぶん足が痺れていたらしい。
立ち上がる時にふらつき、盛大に卓にぶつかって転んだところに、落ちてきた湯呑みと急須の茶を頭から被ってしまったのだ。
あ~もう、あれは可哀想だったけど、思わず可愛いと思ってしまった。ちなみに僕には茶はかかっていない。
「まったく……父親も同じ宿にいるというのに、人前に出るのも憚られる様子にしてしまうとは……。一体、うちの娘に何をしてくれておるのか。いやらしいのぉ……これはお前に責任をとってもらって……」
「僕は何もしてないからね」
元将軍はニヤニヤしながら、まだアゴ髭を撫でている。実は何も無かったのは重々承知のうえで、僕が慌てそうな言葉を繰り出してきているのだ。
なんで、そういうとこだけ似るのか。
「さて、冗談は後にして…………おい、お前たち! 悪いが、料理と酒を運んでくれるか」
「…………後……ね」
手を叩いて宿の下男たちを呼び、食卓に料理と酒を並べさせる。明らかに並んだものの種類は二人分より多い。
…………比率としては、酒と料理が七対三くらいだな。
「すまないが、皆はもう自室に戻って良いぞ。こいつとは積もる話もあるのでな」
「はい、何かございましたら、お呼び下さい!」
「失礼致します!」
礼儀正しく力強い敬礼をして、部屋にいた兵士たちは並んで出ていく。
最後の兵が会釈して扉を閉めると、部屋には僕と元将軍の二人きりだ。人の音が遠ざかった後に聞こえるのは、虫の声や池に小川から注ぎ込まれる水音だけ。
目の前でため息が聞こえた。
「…………ケイランに泣きつかれたか? 死んでくれるな、とか……な」
「そう、思う?」
「思うな。あの子はずっと十年前の恩人を…………あんたを探していたからな」
「泣きつかれはしたけど、あの子は僕に泣き落としを掛けてくるなんてしない。予想外の事ばかり言うから、僕の方が折れるはめになった」
「ほう……どういうことだ?」
少し前に遡って、これまでの旅の話から始める。
ケイランに十年前の『影』が自分であると言ったこと。
自分が“不死”となったのは『術喰いの術師』だからだということ。
その呪いを旅の間に解こうとしていること。
「まったく……どういう育て方したら、あの年であんなに純粋に育つの? 君の若い頃にそっくりで焦ったよ」
「ふん、あの子は俺に似たんじゃない。最初から俺にそっくりだったんだよ。だから、妻も俺もあの子が気に入って養女にしたんだ。分かっていると思ったがな?」
「あぁ、そう……」
彼は満足そうな顔で腕組みをして仰け反る。呆れながらも僕は、彼に問いただす言葉を並べることにした。
「ねぇ、ハクロ。今回の僕の旅に同行する兵士……ケイランを推薦したのは、君じゃないのか?」
「……ほぉ、何でそう思ったのか?」
「君がケイランの親だからだ。僕はあの子を死なせられないし、あの子に泣きつかれれば、処刑を諦めると思ったんだろ?」
「少し、違うな。毎回グズグズ行ったり来たりしておるので、ハッキリさせてやろうと思っただけだ。本気で死ぬのか? やはり生きるのか? ……とな」
「……………………」
毎回失敗していることは国のせいなので腹が立つ。
僕に同行する兵士は、はっきり言ってしまえば足手まといな輩ばかりだからだ。
それは僕の旅を失敗させるためと、どうしても使えない兵士を、任務中の死亡として合法的に処分するためだ。
王宮に登用するくらいだから、本当は優秀な人材のはずなのだが、中には数合わせや仕方ないコネなどの、大人の事情で登用しなければならなかった無能者もいる。
そういうなのは、退役させれば済む話……とはならないのが、国に直に仕える兵士の運命だ。
人材を育てられなかったと責められたり、脱走兵などを出せば、国民の王宮に対する不安や不信に繋がるので、軍の上層部はなるべくそれを避けたいのだ。
「貴族出身の馬鹿は早々に出世させて、戦場に出さない手もあるけど…………中途半端な身分の奴は扱いに困るもんね。そういうのが僕のところに来るから、正直うんざりしてたよ」
「聞いておるよ。酷いもんだな……」
すぐに身分で態度を変え、僕の護衛する気などもなく、思慮も浅く短気で口ばかりの奴らだった。
そういう奴の末路は、裏切るか逃亡。もしくはあっさり殺されるか。
ちなみに逃亡すると、もれなく僕じゃない『影』に殺されることになる。
「……ケイランの部隊の隊長はさぞ悩んだと思うよ。僕のところへ送るには、あの子は優秀だし『将軍の娘』っていう、勲章が大好きな奴らには垂涎ものの肩書きがある」
そう……なんだよね。
彼女は自分を過小評価する癖があるのだ。
ケイランは自分が女であり、他よりも小柄で実戦も加われない落ちこぼれ兵士だと思っている。
しかし実際は、彼女は術師であり、士官学校では優秀な成績を修めていた。
他より劣っていると思う分、誰よりも努力しようとしている彼女は、周りの男兵士の中でかなり目立っていたはずなのだ。
真面目で優秀な術師兵。さらに小柄でかわいいうえに、元将軍のお嬢様。そりゃあ、影でこそこそ噂されてチラチラ見られても、全然おかしくないんだよ。
虎の中に仔猫が放り込まれている状態なんだよ?
そこんとこを今度、ケイランにじっくり言い聞かせてやらないといけないかもしれない。
「そうそう。あの部隊長、そんな任務にやらずに、娘を嫁に欲しいとまで言ってきよってな。無論、即刻断ってやったから安心してくれ」
ハクロは白い歯を見せて笑いながら拳を握る。
何で僕に安心しろとか言う?
……というか、あそこの部隊長、ケイランのことそんな目で見ていたのか。油断ならないなぁ……。
「ふぅ。はっきり言わせてもらえば、俺は娘をあんた以外の男にやる気はないんだが……どうなんだ、ルゥク?」
「馬鹿なこと言わないでよ。ケイランをすぐに未亡人にしたいの?」
「あんたが死ななきゃ問題ないだろ。なんだ、死なないと決めたのではなかったのか?」
「……死なないと決めたんじゃなく、旅の間の猶予期間を設けたんだ」
「……………………」
ハクロは僕の言葉を聞くと、何とも複雑な表情でこちらを見てため息をついた。
「…………もう良いんじゃないのか。死ぬことばかり考えるんじゃなく、生きて幸せになることを考えても。娘は自分があんたを幸せにできるなら、きっと喜んで嫁にでも何でもなるぞ?」
「“冗談でも言うな”って言われるよ」
あの子は十年前、やっと暗闇から抜け出して太陽の下で暮らしているのだ。
こんな『影』と共に生きていい存在じゃない。
「僕はあの子には、僕と関係なく幸せになってもらいたい」
「……そうか。だが、俺も育ての親には幸せになってもらいたいのだがな…………ルゥク」
ハクロは静かに笑うと、杯を僕に渡して酒を注いできた。
僕がハクロに初めて会ったのはもう六十年以上も前だ。酌をする彼の手はシワだらけで、それを見る度に僕の存在が異質だと感じる。
――――でも、もしも……。
「でも……もしも、ケイランが本当に僕の“呪い”を解いてくれるのなら、考えも変わるかもしれないね。あの子は僕の心をへし折るのが上手いから」
「くく……そいつはいいな。そういうことなら、娘には頑張ってもらわねばなぁ」
ハクロにもケイランにも、僕の本心は伝えない。
十年前に心を折られて、僕は死ぬ旅を決めた。
それを再び折られ、旅を止めそうになる気持ちを、僕は酒で誤魔化すことにした。
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朝。わたしとルゥクは父の兵団と別れ、次の町へ向かう岩ばかりの街道を歩いていた。
頭上に広がる空は澄んでいてとても蒼い。
「よし! 旅立ちにもってこいの快晴だ!」
「…………朝から君は元気だなぁ」
当たり前だ。
今日からこの旅は処刑場へ、死にに行くための旅じゃない。
わたしがルゥクの呪いを解く方法を、探すための旅でもあるのだ。
それは処刑場に行くまでだという条件付き。
だが、もしかしたら、呪いが解けなくてもルゥクが死ぬことを止めてくれるかもしれない。
この旅の終わりはいくつかある。
死刑の執行のために処刑場まで行くこと。
ルゥクが『影』を継続し旅を諦めること。
ルゥクが他の奴に殺されるか捕らえられること。
わたしが旅を続けられなくなること。
そして……旅をする最大の理由……
ルゥクが“不死”ではなくなること。
わたしは絶対に呪いを解く。
できれば『影』も辞めさせる。
余計なことは考えずに、それらの方法を見付けるのだ。
「ルゥクは呪いが解けたら何がしたい?」
「……さあ? 何だろうね。とりあえず、健康に気を付けないと、すぐ病気になりそうだよね。あと、怪我もできなくなるなぁ……刺されたら死んじゃうし、毒なんて飲んだりしても……」
「ぐ…………お前、何でそんなことばかり……。少しは楽しいことを考えろ! 何があれば幸せか? とか、そういうのだ!」
「幸せ……ね。自分のことでは考えたことないな」
そう言って、ルゥクは遠くを見ている。
きっと思わず出た本心だろう、その表情には嘘は見えない。
少し考えたような間があり、ルゥクは伺うような目をしてチラリとわたしの方を向く。
「ねぇ、ケイラン。呪いが解けて、僕がちゃんと生きることを考えられたら『それ』をご褒美にもらいたいんだけど……いい?」
「ん? 『それ』って何?」
「それは秘密。でも、君になら簡単に用意できるもの。この旅の間ならいつでも手に入れられるものだよ」
「なんかよく分からないが、私にできることなら良いぞ」
「うん、じゃあよろしくね。…………さて、それまでは君には僕の最期を看取る覚悟もしていてもらわないとね」
…………そうか、まだ死ぬつもりなんだな。
「絶対……呪いを解いて、生きるって思わせてやる」
「あはは。頑張ってね」
そんなやり取りをしていると、前方の岩山の辺りに大勢の人間の気配を感じる。
術の精度が上がったせいか、それがこちらに放つ殺気まで遠くから分かるようになってしまった。
ルゥクを見ると、にっこりと頷きながら、腰の小物入れに手を置いている。
「町を出た直後って情報が漏れてるから、待ち伏せされやすいんだよね」
「…………爆発の術はほどほどにしてくれ。あと、私も手伝うからな」
「んー……。じゃあ、早い者勝ちね! それー!」
「あっ!! 待て! 狡いぞ、ルゥク!!」
死ぬのが先か、生きることを選ぶか。
旅の終わりは分からない。
ルゥクは死刑囚で、わたしは護送する兵士。
きっと、その関係は旅の間変わらないだろう。
分かりやすく殺気を放つ集団に向かって、いきなり走り出したルゥクを、わたしは慌てて追いかけた。
本編の一章は終わり。
次は番外編という名の隙間のお話です。
二章は只今作成中。




