生きる理由 死ぬ言い訳
わたしたちが父の隊員たちに通されたのは、宿の中でも上等な一人部屋だった。
夕飯まで時間があったので、わたしは風呂に入り、宿で貸し出された部屋用の着物に着替える。
用意されていた着物は、かなり上等な絹で作られていて、風呂上がりの肌に気持ちいい手触りだった。
…………久しぶりにこんな着物を着たな。
装飾や金銀の糸で丁寧に花の刺繍がされていて、淡い桃色と白の綺麗な女物の着物だ。亡くなった義母が、こういう少女好みの色の布地をよく選んでいたのを思い出す。
母には一般的な『女の子らしい事』を色々教えられたが、兵士になってしまっては、それを披露することはあまり無いので申し訳ないと思う。
まぁ、わたしを嫁にしようとするのは、相当物好きな男だけだろう。
愛人や御飾りにしようとした馬鹿野郎たちは、男の数には入れないでおく。
寝台に横になり、身体の力を抜いてただ天井を眺める。
静かな部屋の中には、一般家庭では珍しい歯車の仕掛けで動く、柱時計の振り子の音が響いた。
文字盤を見ると、まだ夕食まで余裕がある。
少しだけど暇だな……。
近くにいた下女に茶の準備を頼んで、わたしはある一室の戸を叩いた。
「ルゥク、ちょっといいか?」
「…………どうぞ」
少しの間の後、声がしたので戸を開けると、ちょうど着替えていたのか、ルゥクが着物の帯を締め終える時だった。
こちらも宿から出された着物らしい。
ちゃんと男物だ。良かった。
「風呂入ってもまだ夕食まで時間あるし、一緒に軽く茶でも飲まないか?」
「いいよ。僕も入り終わったところだったし」
そこへ頼んでおいた茶器などが運ばれてきたので、それを受け取って部屋の中で自分で淹れることにした。
部屋の小さな丸い卓上に、ささやかな茶会の場をもうける。
茶器もそれなりに上等なものなので、ちょっとだけ気を遣ったが何とか上手く淹れることができた。
「はい、どうぞ」
「どうも。ケイランにお茶を淹れてもらえるなんて、僕もいい身分になったもんだなぁ……」
「…………冷める前に、さっさと飲め」
茶を前に置いた時に、まっすぐ目を見て微笑まれた。
何故か内心焦ったが、こいつがこうやって見てくる時は絶対、人をおちょくるネタを考えていると思うので油断してはならない。
落ち着け、平常心平常心…………。
わたしも向かい側に腰掛け湯飲みを傾ける。
一口飲んで、わたしはやっと休まった気分になることができた。
旅の間はこんなふうに落ち着いて休むことなど、まず不可能である。ましてや、これからもルゥクは誰かに狙われつづけるだろう。
ここにもそんなには長居できないので、こうしていられるのもこの先、どれくらいあるのだろうか……?
「……で? 僕に何が聞きたいの?」
「え?」
黙って茶を飲んでいると、ルゥクが急にこちらに振ってきた。
聞きたいことって言われても……。
「いや……別に……」
「…………無いの?」
「…………すまん、ある」
実は、ある。ひとつ確認したい事が。
「……ルゥクは、うちの父とは親しい、のか……?」
何となく、二人が話している様子にそんな気がしてしまったのだ。昔馴染みというか、友人……のような、言い表せない感覚が。
「そう、だね。昔から知っている。親しいとは言えるかどうかだけど…………君のお父さん、誰にでも気安いだろ?」
「あぁ、確かに……」
うちの父は誰にでも親しげに声を掛ける。おかげで友人も多く、人脈もかなりあるのだ。この宿も父の友人が経営者だというので、兵の集団が来ても快く迎えてくれたらしい。
「僕は君のお父さんが新米兵の頃から知っているし、軍団長ともなれば、国の裏側にもそれなりに精通している。ま……君のお父さんは表の活躍の方が断然多いけどね」
そこまで言うと、ルゥクは茶をすすって息をつく。
「僕と仕事以外には関わりは無いよ。親しくする意味が無いから」
「そ……そうか。そうだな…………」
ルゥクの顔からすぅっと、光が消えた気がした。
刹那だけ垣間見える『影』の顔。
だが、その顔がすぐに元の人当たりの良い笑顔に変わり、さらにニンマリと含んだ笑いになる。
「でも、そうかぁ~。親しくしておけば『ケイランを嫁にください』って言えるよね~」
「ふぐっ!? ぐほっ! ゲホゲホゲホッ……!!」
わたしは盛大に茶を吹いて噎せた。
なんてこと言うんだ、こいつはっっ!?
「だって、君のお父さん、自分の気に入った男にしか、君を嫁にやらなそうだし……ねぇ、どうする? やっぱり僕、『お義父さん』とは仲良くしとくべき?」
「ゲホ! なん、な、ななんっ……!?」
ルゥクがにっこりと首を傾げてきた。
わたしは焦り過ぎて言葉にならない。
咳き込んだせいか、苦しいし顔が熱くなってくる。
と、とりあえず、こぼした茶を拭かないと……!
だが、吹いた茶を台布巾で拭いている時、ハッとして前を向くと、ルゥクは顔を背けて震えながら笑っていた。
「わ……笑うな――――っ!!!!」
「ふっ……あはは、ごめんごめん冗談だって! ぷぷ……」
冗談かっ!? この悪趣味野郎ぉぉぉっ!!
「ふざけんなぁっ!! 冗談でも言うな! 次、言ったら霊影で絞め落すぞ!!」
「ハイハイ、解りましたー、気をつけますー」
まったく気をつける気配もない口調で、ニヤニヤと頬杖をついて見てくる態度に腹が立つ。
腹は立つ…………が……
「やっぱりまだ、旅を続けるのか?」
「続けるよ。だってそれが僕の目的だもん。それとも、今、ここで止めると言ってもいいよ。でも、すぐに次の旅の準備をしなきゃならない…………君じゃない兵士と一緒に」
「……………………」
そうなのだ。
ここでルゥクが一度旅を止めたとしても、延期になったようなもので、わたしは任務失敗として帰ることになるだろう。
そして、落ち着いた頃に再び旅は始まる。
その時にわたしはいないのだ。
「このまま『影』を続ける…………」
「僕はいつまでやればいいの?」
褪めた目線だ。
ルゥクは『影』を本気で辞めたい。
そのために死ぬ。
だが死ねない。
だが、ここでわたしは以前にふと、考えたことを言ってみる。たぶん……これは合っていると思う。
「……でも、ルゥク……お前は本当は生きていたいんじゃないのか? もし呪いを……『術喰い』をお前から取り除けたら、死ぬ意味はなくなるよな? どうなんだ?」
「それは……」
一瞬だけ、本当に一瞬だけだが、ルゥクの瞳が揺らいだ。
わたしはそれを見逃さない。
ずっと狙っていたのだから。
「お前は『呪い』と言った。お前は『術喰い』を自分自身とは言わなかった。お前と術喰いは別物なんだから、絶対呪いは解けるものだ!」
「……どこにそんな根拠が? 解けるものなら、そんなのとっくに…………」
「言ったな! ルゥク!」
わたしは嬉しくなって立ち上がった。
「『解けるものなら』ってことは、解けるなら解きたいのだな? 普通の人間に戻れるなら戻りたいと、そう言っていると解釈していいな!?」
「いや……だから、解けないと思うよ。師匠だって処刑場まで行ったんだし。秘術の書物にも解き方なんて書いてはいなかった。術喰いを剥がすなんて――――」
「じゃあ『絶対にできない』というのは、証明できるのか!? お前にできなくても、私が見付けるかもしれないじゃないか!?」
わたしは自信たっぷりに屁理屈を言う。
そうだよ、わたしはこいつから見れば子供かもしれない。勢いだけでキレイ事を言う、世間知らずかもしれない。
しかし、今だけは勢いだけでこいつを言い負かせなければ、こいつはこれからも『死ぬ』ためだけに旅を続ける。
ルゥク自身が納得していないくせに、だ!!
「もし……処刑場に着く前に、呪いを解くことができたら……『影』を辞める手段がみつかったら…………ルゥクは、生きてくれるのか……?」
「……………………」
ルゥクが旅を続けるのは、死にたいからではなく、生きることに疲れたからだ。
町で一緒に菓子を食べていた時に言っていたのは「道中を楽しみたい」というものだった。
「普通に生きたいのが本当の望みのはずだろ? 私にはお前がずっとそう言っているように聞こえる」
「……………………」
普通ではないから。
普通を望めないと思っているから。
――――だから、こいつは代わりに望んだのだ。
「『死』は『生』の代わりにはならない。それはずっと人の死に関わったお前なら分かるだろ?」
「…………それは……」
「私はこの旅の間に、お前の『呪い』を解く方法を見つける! 納得できない処刑を、執行させる訳にはいかないからな!」
「…………もういい」
「よくない! 私は、死ぬ時まで生きるのを諦めない! 生きられる可能性を探さずに死ぬのは許さん! 私は……!」
「…………ケイラン、もういいから」
「でも……!」
わたしの言葉を制すルゥクは、まるで憐れみを投げ掛けるようにこちらを見ている。
なんだ、その顔は?
そんな顔されたら、わたしの方が…………
「君が泣く必要ないだろう?」
「何、言って……」
本当に、言われるまで気付かなかった。
わたしの頬からアゴまで伝った熱いものは、胸を濡らして冷たくなっている。
「あ…………」
それは着物の袖で拭ってもすぐに流れて、止まる気配がまったくない。
――――なぜ……わたしは泣いているんだ?
別の誰かの意思のように、わたしには止めることができないのだ。
「……………………」
向かいに座っているルゥクが、静かにこちらを見ている。そして、おもむろに口を開いた。
「……ケイランは、大人になってから“本当の両親”には会いに行ったのかい?」
「――――え?」
突然、そんなことを言うから、わたしは混乱する。
「十年前『自分の産みの親に会う』のが、君の生きたい理由だったと思ったけど?」
「…………あ」
覚えていたのか……。
「で? 会えた?」
「それは…………」
わたしは言葉に困る。
一応、わたしは実の両親の居場所を調べてもらい、今の両親と一緒に故郷へ行ったのだ。
…………行ったのだけど…………。
「親は、家は…………村ごと無く、なっていた」
声を発した途端、さらに目から涙が出できた。これはたぶん、しばらく止まらない。
全身から力が抜け、崩れ落ちるように椅子に座る。
二年前。何も無くなった村のあったと思われる荒野で、ただ立ち尽くすわたしを、義母が黙って抱きしめてくれたのを覚えている。
あの時でさえ、わたしは泣かなかったのに。
兵士になった今、情けないくらいに泣くのが止められない。
「……………………」
ルゥクが無言で立ち上がって、わたしの隣に立った。
きっと『国の兵士がそんな顔しない』と、手拭いを顔に押し付けられるのだろう。
その方が助かる。
きっとすぐに泣くのを止められる。
そう、思ったのに……
「…………っ!?」
「………………」
押し付けられたのは、手拭いではなかった。
………………。
…………………………ん?
わたしの顔の方が、押し付けられたのだ。
ルゥクの肩に。
「…………ぅえ?」
「……………………」
わたしは椅子に座っているのだが、目の前のルゥクは膝を床についているのか、わたしより顔が少し下になっている。
つまり、今はわたしがルゥクの肩に寄っ掛かっている体勢だ。
「……あの……え……?」
「泣きたいなら、泣けばいいと思うよ。僕ので良ければ、肩とか胸とか貸してあげるから」
ルゥクの言葉に、一瞬だけ気弱になった。
だが、いつまでも泣くわけにはいかない。わたしは……
「私……は、兵士で…………」
「今、軍服、着てないでしょ?」
「な…………」
「女の子は泣いてもいいと思うけど」
そんなことはないだろう。
軍服を着ようが着まいが、わたしは兵士だ。
そう言って体を起こそうと思った時、ルゥクがぼそりと言うのが聞こえる。
「……死なないから」
「え……?」
「処刑場に行くまでは意地でも死なない…………ずっとそう思っている。でも、今回はもうひとつ理由ができた」
「理由……?」
「君が本当に呪いを解いてくれたなら、人間として残りの命を生きる…………期限は処刑場に着くまでだ」
「…………あ……」
「つまり、どちらにしても、君は最後の兵士になるけど……それでいい?」
「……………………うん」
頷いた時、体勢が崩れた。
わたしはルゥクの首にしがみついたまま、床に座り込んでしまった。そのせいか、ルゥクも一緒に床に座っている。
慌てて離れようとしたが、腰が抜けてしまったうえに、ルゥクがわたしの頭と背中から肩をがっちり抱えているので動けない。
「ちょ、ルゥ…………放し……」
「はい、どうぞ。泣きな」
「………………」
そんな準備万端で泣けるかぁぁぁっ!!
――――と、頭では思うのに、わたしは不覚にも声を出して泣いていた。
しかもルゥクにべったりと、しがみついたまま。
自分の実の両親を思い出して悲しかったのか、ルゥクが生きる方法を考えてくれたのが嬉しかったのか、よく分からない感情でずっと泣いていた。
ただ、これだけは確信する。
ルゥクは死なずにすむかもしれない。
わたし次第で希望はあるんだ――――と。




