喧騒の終わりに
わたしは更地になった山を見渡した後、視線をもっと手前の地面に落とした。
ルゥクが山ごと削り取った地面のすぐ横、『元風刃の術師』の男が口から泡を吹いて倒れている。
「……殺さなかったのか…………」
「うん。だって四回会ってないし、それに……もう、こいつは術師じゃない。二度と僕を狙っては来れないと思うよ……」
「そうか……」
“四回狙って来たら殺す”
という、自分の決め事をちゃんと守っている……いや、たぶんわざと殺さなかったのだろう。
この男はもう、術師としての死を迎えたのだから。
「お前が術を喰ったから、あいつは術が無い?」
「そう、だね。僕の喰う加減にもよるけど」
そうなのだ。もし、喰われているなら、わたしの術もわたしから消えているはずだ。しかし、牢屋で『御守り』として、術を喰われているはずの、わたしの霊影はちゃんと使えている。
「例えるなら……術を一本の『木』にすると、君から貰ったのは力の末端の葉っぱ。あいつは根っこから『木』その物を奪ったからね。もう、風刃はあいつの中には無い。術師に戻ることもほぼ不可能だろうね……」
つまり……術師の土台もなくなる……。
「『木』は僕が所有者になる。それを枯らそうが、根付かせようが、譲渡しようが僕の自由ってこと」
「……私の霊影も、元は誰かが持っていたものなのか…………?」
「そうだね。どういった経緯で手に入れたかは忘れたけど、僕が特に使っていなかったことと、君の人生に便利かなって思ったからあげた」
…………つまり、こいつの中には、風刃やまだ見ていない術もあるのか。
「術師も術が使えない人間も…………いろんな奴がお前を狙うわけだ」
「うん、でも僕が意識的にあげないと、身に付かないけどね」
そう言うと、ルゥクはニコニコと倒れている元風刃の男に向かっていき、首根っこを掴んで引きずっていく。
ん? あれ……?
ルゥクの歩いて行く先をよく見れば、いつの間にかこいつらの仲間の男たちが一ヶ所に集められ、ひとりひとり縄で縛られ転がっている。
わたしたちは何もしていないよな。
こいつら、何で縛られて一ヶ所に固まっているんだ?
引きずられた男は、ポイッとその群れの中に投げ入れられる。ルゥクは汚いものを触った後のように、手拭いで両手を拭いていた。
わたしは少し離れた所からルゥクの背中を見ながら、その行動の意図を掴めないでいる。いつになったら、わたしはルゥクの行動が読めるようになるのだろうか。
わたしがそんな考えを巡らせている間、ルゥクはキョロキョロと辺りを見回し、何処と知れない明後日の方に叫ぶ。
「おーい! ホムラ!! いるー!?」
何? 『ホムラ』って?
わたしが首を傾げていると……
「へい。ここに居りやすよ。ルゥクの旦那」
――――――っ!?
何処からか、低い男の声が辺りに響いた。
ここは開けた場所だ。声の主はどこに――――
「…………嬢ちゃんも、お疲れさんでした」
「ヒィッ!?」
わたしのすぐ後ろで……いや、耳元でさっきの声が、息のかかるくらいの近さで囁かれた。
――――こんなに近いのに、気配が無いっ!?
気配が無いのに、動けば殺されるんじゃないかと、わたしは眼球すら動かせずに直立する。
「やめろ、ホムラ。ケイランを怖がらせるな」
「へい。失礼しやした……ヒヒヒ……」
「…………っ」
ルゥクがわたしの背後の『何か』に、冷たく言う。
スゥっと自分の顔の近くから、何かが離れたように空気が動く。その時になって、やっと背後に人の気配を感じることができた。
わたしはその場にへなへなと座り込む。
このたった少しのやり取りなのに、わたしは腰が抜けてしまったのだ。
うぅ……情けない。
……でも、誰だ……?
恐々と振り向くと、わたしの目に入ったのは…………ぐるぐる巻きにされた、太った中年男。泡を吹いて倒れている。
わたしに愛人になれと言ってきた成金じゃないか。
それ以外に人はいない。
今感じた、総毛立つような『気配のない殺気』は……?
「ホムラは僕より人嫌いだからね。ここには人が多すぎるから、後で紹介してあげる」
ルゥクがわたしを見て苦笑いをしていた。
「……お前と同じ『影』?」
「そう。一応、僕の弟子になる」
「弟子…………」
確か、弟子となる『影』は師匠の死後、全てを受け継ぐことになるんだっけ。
「ま、ホムラよりも先にこっちだな。ケイラン、そこのオッサンをこっちに放り投げてくれる?」
「ん? あぁ、分かった……」
わたしは何とかその場に立ち上り、呼び出した霊影で成金中年を引っ張り上げて、元風刃の男の隣に転がした。男は「ぐぇっ!」とヒキガエルがつぶれるような声を漏らす。
「ケイラン、君はそれ以上こっちに来ない方がいいよ」
「…………何をする気だ?」
ルゥクは左の小物入れから『黒い札』を一枚出す。
黒い…………ってことは、既にあの札の中には何かの術が入っている……と、いうことか。
ルゥクはその札を口の端に咥えると、持つ手をずらして札を折る。咥えた場所から板状の札は割れて、白く変化して地面に落ちていった。
ルゥクは片腕をぐるぐる回すと、その勢いのまま掌を男たちの前にかざした。
「来い!」
掛け声と同時にぶわっと、ルゥクの肩から掌にかけて、靄のようなものが飛び出て、それは小さな上半身だけの鼠のようなものに変化する。だいたい三十体くらいか。
これ……どっかで見たな? 何だっけ?
この貧相な妖怪のようなものには見覚えがある。
「“餓鬼魂”! 整列!」
『ギギィッ!!』
鼠の化け物が行儀良く、ルゥクの頭上で隊列を組むように並んで浮いているのを見て、わたしは手のひらに拳をポンっと置く。
あ、そうだ。
わたしが初めてルゥクに会った時、食事処でわたしにしつこく言い寄ってきた挙げ句、ルゥクに吹っ飛ばされた男の術か!
確かにあの時、男は術が使えなくなった。
…………なんだか、ルゥクの方があの術師より上手く使っている気がする。
「餓鬼魂、そいつらと遊んでやれ」
『ギギギギィ~!!』
ルゥクの命令で餓鬼魂は一斉に男たちの山に飛び付いた。
「「「ぎゃああああぁ――――っ!!」」」
何人かは意識があったらしく、纏わり付く化け物を払おうと藻掻くが、手足を縛られているのでほぼ無抵抗のまま、餓鬼魂が染み込むように身体に入っていく。
「餓鬼魂……喰ってたのか……」
「うん、少しだけね。あの人はやる気があれば、また術師に戻れるくらいにしか奪ってないよ。これだって一回だけの使い捨てだし」
「…………そうか、でも……」
確か……餓鬼魂に取り憑かれた者たちは、気力を食われて飢えや渇きでのたうち回るはずだ。
男たちを見れば、分かりやすいくらいに呻いて転がっている。
「何で今、餓鬼魂を使った?」
「うん、とりあえずお仕置きかな。力切れで餓鬼魂が消えるまで、精神的にじわじわいけばいいよ。あはは……」
「………………完全な嫌がらせじゃないか」
何というか、分かってはいたが…………ルゥクは敵対した奴は徹底的に叩く主義なのだ。
あ、あぁ……太っていた成金中年が、目に見えて萎んでいっているのだが……。他の奴より弱そうだから死んだりしないよな?
なんか、気の…………
「気の毒なんて思ったらダメだよ。僕らを散々狙ってきたんだから」
「………………うん」
そう、だな…………うん、そう、思おう……。
しばらくすると、餓鬼魂の効力が切れたのか、急に静かになった。それを確認すると、ルゥクは男たちに背を向けてすたすたと歩いていく。
立ち止まったのを見て、わたしもそこへ向かった。
わたしは隣に立ってルゥクを盗み見る。
ルゥクは静かに町の方角に顔を向けていた。
「来たか……」
「え?」
ルゥクの視線の先を追い町の方角の平地を見ると、遥か向こうに何かの群れと土煙が現れる。
まとまったものが猛烈な早さで向かって来るが、だんだんそれが馬に乗った人の集団……騎馬兵士の軍団だと分かった。
「あれ? まさか…………あの騎馬隊って……」
軍の先頭を走る騎馬に跨がる人物を知っている。わたしのよ~~~く知る人物が、嬉々としてこちらにやってくるのだ。
うっわぁ…………嘘だ、気のせいだと思いたい。
騎馬隊は、わたしたちから少し離れた場所で止まり、先頭の一騎だけがゆっくりこちらへ馬を歩かせてきた。
乗っているのは高齢の男性。馬に乗っているとさらに際立つ長身で、鎧を纏っても筋肉が分かる屈強な体格。大部分が白髪で灰色になった髪の毛を短く刈り上げている。
年のわりには引き締まった顔。日焼けもしていて、いかにも『ヤンチャ爺』と言いたくなる、白い歯を見せて笑う表情。
わたしは軽く眩暈を覚える。
この人物はわたしの中では、仕事中には一番会いたくない人だ。
「よぉ! 調子はどうだ? 今回は災難だったなぁ、ケイラン!」
「……………………父上……」
豪快に馬の上から声を掛けてきたのは…………この軍の隊長でもある、わたしの父だ。父と言っても血の繋がりはない。
わたしは十年前に、父と今は亡き母の養女になった。
あの日、ルゥクから術を与えられ倒れたわたしを看病し、そのまま引き取って、実の娘のように愛情をかけて育ててくれた。
名は『李 白鷺』。かつては王都の大将軍と呼ばれ、王宮の術師兵団の軍団長をしていたが、高齢のため後任に譲り二年前に引退した…………はずだった……。
「父上……また皆を率いて、あちこちに遠征していらしたのですか?」
「ああ、そうだ。お前も屋敷にさっぱり戻らないから暇でな。アイツらの訓練も兼ねて、ちとばかし、遠出をしていたというわけだ。ハッハッハッ!!」
今年75才になる父は、王宮の仕事を引退した後も大人しくなどはしてくれなかった。
引退する少し前に母が亡くなったせいもあるが、うちの父を慕う若者を大勢集め、王宮公認で独自に兵団を作ってしまったのだ。
そして、たまにそれを率いて各地で様々な活動をしながら飛び回っている。
「でも、何でここに……?」
「うん? ああ、それは、そこにいる悪徳商人どもを引っ張りに来たんだ。そいつらを調べたら、他の国への不当な金や武器の流れがあったんでな」
そう言って父は成金中年と、山になっている雑魚たちを指差した。
父が命じたのか、成金中年と男たちは兵士たちによって、馬車の荷台に次々に押し込められている。きっとこのまま役所まで連れていかれるのだろう。
「そう……ですか……。でも、よくここが……」
「それは連絡があったからだ。なぁ、ルゥク!」
「え……!?」
父はルゥクを知っている?
父がルゥクの方を向くと、ルゥクは「やれやれ」というような顔をしている。
「顔見知りだよ。仕事の、ね」
「こいつは国の『影』だ…………軍団長までしたワシが、こいつを知らないわけないだろう?」
「……じゃあ、十年前、父上は……ルゥクから私を託されたのですか?」
「ん? なんだ……聞いたのか」
十年前、ルゥクはわたしがいた屋敷の者を皆殺しにした後、わたしを外に連れ出し知り合いに託した……と言っていた。
その話を考えると、そういう事ではないのか。
父が驚いた顔をしてルゥクを見た。
「ケイランには話したよ。色々巻き込んでるし……」
「…………珍しいなぁ。何事もすっとぼけるお前らしくない。ずいぶんと素直になったもんだ。死期でも近付いたか?」
「近付いてるといいんだけどね……」
「ハッハッハッ! そりゃいい!」
顔見知りだけのわりには二人は親しげに話している。
わたしは思わず、二人をじぃっと見てしまった。
「ん? ゴホンッ! まぁ……こんな場所で話し込んでも疲れるだけだな。ワシらは町で宿を貸し切っておる、今日は二人ともそこへ泊まればいい」
「あぁ、世話になるよ……李将軍」
「父上、ありがとうございます」
「よし、引き揚げるぞ!」
「「おおっ!!」」
こうして、わたしとルゥクは父の軍と共に一度、町まで戻ることになった。