化け物の名前
僕は札の束を両手の掌に包み込む。
おそらく、僕が刀を振る暇を男は与えてはくれないだろう。考えられるのは…………衝撃波で間合いを詰めてからの接近戦だ。
「“不死”!! 主にくれてやる前に、てめぇをぶっ殺して吊してやる!!」
ほら、来た。
男が繰り出した風刃の衝撃波は、大地を削りながら真っ直ぐ僕へ向かって飛んでくる。しかし、一つではなく三つが別方向から来るのだ。
一つを避け、二つ目にそれをぶつける。
三つ目は風壁を作って防ごうとするが、さらに斜め後ろから、新たに生まれた四つ目が迫ってきた。
「地よ!! “壁”!!」
札を地面に叩き付け、足元の土を隆起させる。その力を利用して四つ目を上に避けながら、次の札を扇状に構えた。
しかし、それと同時に風刃の刀身が斜め下から迫る。
「遅ぇよっ!!」
「――――“爆”っ!」
足元を爆発で崩し、下に落ちた僕は刃の起動から外れる。
体勢が男と逆になったのを利用して、男の腹に札を叩き付け――――――
「ルゥク!!」
「っ!?」
ケイランの声で一瞬、視界がずれると頭上に刃の影が見える。
「死ねっ!!」
「チッ!!」
バシィイイインッ!!
札を付ける前に振り下ろされる刃を、そのまま持っていた札で弾く。僕は地面に転がる間もなく、弾いた衝撃で間合いを取ることだけに集中した。ここで転んでるヒマはない。
「…………チョロチョロと……勘の良さだけはあるな……。伊達に長生きはしてねぇなぁ?」
「じゃあ……年寄りには、もう少し優しくしてよ」
「ジジィならさっさとくたばりな!」
くだらない会話でこっそり息を整える。
やはり風刃の術師は速い。
正直、あの男の攻撃は単調なのに隙を突く『間』が取れない。
――――もう少し、遅くできれば……。
僕は左の小物入れに手を掛ける。
どうする? どれを使うか……?
思案しながらも、再び風刃の攻撃を弾いたり受け流したりして、間合いを詰めていく隙を伺う。本来、僕はあまり正面からの戦いには向いていないと思う。
しかしこいつの攻撃は大振りであり、素早さで補ってはいるが、決して避けられない動きではない。あとは、刃を振ると同時に発生する風圧を何とかすればいい。
早く終わらせるって言っちゃったもんな~……。
例え言わなくても、今回はいつもより必死にならないといけないだろう。
何故なら、離れた岩の影ではケイランが大人しく…………いや、物凄い顔で僕を睨み付けながら、背後からのびている霊影でギリギリと岩を引っ掻いて、戦いを見守って (?)いるからだ。
まるで「負けそうなら、私は容赦なく手伝うからな!!」と、言っているようだ。
うん、やっぱりあの子は大人しくなんてする気は、更々ないかもしれない。
これは早く終わらせないと。
――――『御守り』の使い時かな?
男の攻撃を掻い潜りながら、左の小物入れから素早く一枚の黒い札を取り出す。
僕はその札を口の端に咥え歯で挟んだ。
パキィッ!
石の粉で作った黒い札は、小気味良い音を出し噛んでいるところで割れて落ちる。
「はっ! 残念、札は使わせねぇよ!!」
男が得意気で吠える。
残念なのはそっち。
お前は僕に『コレ』を使わせたのだから。
口の中に残っていた札の端を吐き捨て、僕は全力で走って間合いを広げるのを試みた。
「逃げるなぁっ!!」
男が風刃から風の刃を複数飛ばし、その刃の群れは真っ直ぐに僕へ襲い掛かる。
「っ!!」
ドドドドドッ!!
僕が身を守るための札を構える前に、連続した音が鳴り響き、大地に叩き付けられた攻撃が大きな土煙を起こす。
衝撃で跳んだ地面が次々と僕へ降ってきた。
「はははははっ!! これで少しは大人しくなれってんだ!!」
「ルゥク!!」
男が勝ち誇った笑い声をあげ、ケイランが岩影から呼び掛けてくる。今の攻撃はまともに僕に、当たったように見えていただろう。
――――――ほんと、残念。
バァアアアンッ!!
僕は周りの砂利と土を吹き飛ばす。しかし、それは札によるものではない。
「なっっ!?」
「ルゥク……それは……!?」
抉れた地面にしゃがむ僕の足下、そこから無数の黒いものが縄のように上に伸びている。
「…………『霊影』!?」
「ケイラン、ちょっと真似させてもらうね。――――影よ、行け!」
僕の声に合わせて『霊影』は男目掛けて高速で伸びていく。
一瞬、予想外のことに呆けていた男だが、慌ててその場から離れ、僕の攻撃を回避する。
さすが風刃、素早く避けられ僕の霊影は虚しく地面を叩いた。そこから更に追うが、なかなか奴は捕まらない。
う~ん、けっこう霊影の操作、難しいな……。
そんな事を考えていると、男の風刃は周りの空気を取り込み、刃の周りに巨大なつむじ風を発生させた。
「これで終わりにしてやる!! 風刃よ、唸れ!!」
男が勢いよく刃を振り下ろすと、圧縮された風が僕目掛けて放たれる。
「――――っ!!」
先ほど打たれた攻撃よりも、一撃の威力は大きく、僕の立っていた場所から広い範囲は地面がめちゃくちゃになった。
僕はそれをここから眺める。
「…………うっわ……怖っ。さっさと避けて良かったよ」
「てっ……てめぇ! いつの間に!?」
僕は男の真後ろに立っている。
男は僕に気付いたが、霊影が巻き付いて動けない。僕はそのまま、男の体全体を蓑虫のようにしてやった。
「な……何で……!?」
「自在に動く『縄』が有るんだから、逃げるのなんて簡単だよ」
風刃の攻撃が当たる前に、僕は霊影を適度な岩に絡ませ僕の体を引っ張らせたのだ。
本来、霊影の術はこういうふうに使うのが便利である。身体能力の補助や危険回避の為の力。
ま、力なんて使い手によって、どんなものでも凶器にも救命にも使えるもんだよね。
「てめ……あの女兵士と同じ術ができるなんて……」
「あ、違う違う。これはあの子にちょっと貰っただけ」
「…………私は何もしてないぞ?」
「さっき『御守り』くれただろ?」
「へ…………?」
離れた場所からケイランは疑問を投げてきたが、詳しい説明は後にしてもらおう。
「このまま絞め殺してやりたいけど…………『霊影』の時間切れだな…………」
「時間……だと……?」
男を拘束している影が薄くなってくる。それと同時に縛りも弛くなったため男はハッとして、影を風刃で千切り吼えながらこちらに振り返る。
「うぉおおおっ!! 切り刻んでや…………」
「はい、隙あり」
顔が正面にきたので、べしっ! と、音をたてて、僕は男の額に白い札を叩き付けた。
男は動きを止める。
――――いや、動けないはずだ。
じわり。
白い札が中心から黒く変色していく。
「な、な、な、なに……を…………」
「…………お前は『根っこ』から引っこ抜いてやるよ」
札がムラのない、漆黒に染め上げられた。
僕はその札を男の額から剥がし、男を足で転がして後ろへ跳んで離れる。
ケイランを背にして十分な距離を取ることにした。僕と男との距離はだいたい、僕の歩幅で二十歩分くらいだ。
これくらい離れれば良いだろう。
「ルゥク……お前、今何をしたんだ……?」
「ん? まぁ、見といで……」
「…………?」
さっき、僕が急に霊影を使ったから驚いているのだろう。ケイランは眉間にシワを寄せ、思いっきり不審な視線を僕に向けている。
そういう渋いもの食べたような顔、面白いからついつい見たくなって、意地悪したくなるんだよね…………あ、いかんいかん。
でもこれで、ケイランは僕の事を完全に化け物だと思うんだろうな。
男が血走った目をして、ガバリと起き上がった。
「ルゥク!! 殺してやるっっ!!」
「…………やってみな、殺れるもんなら……」
「あああっ!! 行くぞ、風じ………………」
「……………………」
男はピタリと動きが止まり、振り上げた腕をゆっくり見上げている。
奴はやっと気付いたようだ。
日焼けした筋肉質の強靭な腕。
普通の人間の腕。
アザも何も無い。
自分の腕が……何の変哲も無い腕になっていることに。
「風刃……? なん……で、う……うわぁああっ!!」
男は何度も腕を振り上げたが、そこに風の刃が現れることはない。
「お前は運が良い…………」
僕の声に男はビクリ! と、分かりやすく怯えた。
「ケイランに説明するついでに、お前にも説明してやるよ。何で僕が“不死”と呼ばれるのか…………」
“不死”
それは『不老不死』だから。
そう答える奴に更に問う。
じゃあ、その不老不死は何処から来るのか?
「ケイラン、僕のこの体が『呪い』みたいなものだと言ったのを覚えているかい?」
「あ、あぁ…………」
そう、呪いだ。
僕の呪いは宿主を蝕み、けして自分では解けず、こいつ諸とも滅びようとしても、僕を勝手に動かし生き延びる存在。
「これが“不老不死”の基になるものの正体」
――――さぁ、呪いよ。お前の望むものだ。
今だけ、僕とこいつの利害は一致する。
「調べたんだけど、昔はこの呪いを受けて化け物になった人間を“不死”ではなく、別の名で呼んだんだ」
「……別の…………?」
カチ……。
静かに今出来上がった、黒い札を口に咥える。
パキィッ!
札が割れ、破片は下へ落ちた。
落ちた破片は白いものへと変わる。
身体中が熱くなって一瞬だけ、頭がぐらぐらするがすぐに治まり、僕は意識を集中させた。
――――これ、どんなもんかな……?
僕が左腕を上に掲げると、肘までの黒い手袋の上に蔦のように光が走った。
腕は一瞬にして変貌を遂げる。
「あ…………!」
「何で……それを!?」
ケイランも男も僕の腕を見て驚愕している。
まぁ、そうだろ。
さっきまで男が使っていた“風刃”が、僕の腕に現れたのだから。
男と違うのは若干、僕の方が刃が短く、色が真っ黒であること。どうやら風刃の術は使い手によって、刃の長さなどが変わるようだ。
「何で……お前っ……札の術師じゃないのか!?」
「そうだよ、いつもは札の術師だ。他には“不死”やら“化け物”やら呼ばれているけど…………本来はこう、呼ばれるのが正解」
腕の刃に風が纏わり付いてくる。
刃は小さいが、男の繰り出す風より数段強いつむじ風が出来上がっていく。
「僕は……“術喰いの術師”…………お前の術は、喰わせてもらったよ」
「ひぃっ……!!」
「術……喰い……?」
戦場において、最も怖いことのひとつ。
それは『戦う力を全て相手に奪われる』ことだ。
一瞬たりとも気を抜かず戦わなければならない場所で、相手が自分の武器をかざして、丸腰になった自分に襲い掛かる恐怖は、ただ事じゃないだろう。
「うわっ……わ、分かった!! もう、俺の負けだから!! 頼む、やめ…………」
「え~と…………『風刃よ、唸れ!!』」
ゴォオオオオオオオッッ!!
僕は一気に風刃を振り下ろす。
轟音と共に大地を削りながら、凝縮した風の刃が男へ向かって行った。
ズドドドドドドドッ!!
「ぎゃああああああっ!!」
風の音に負けないほどの、男の絶叫が響く。
恐ろしいまでの地鳴りと大量の土煙、あとは表現し難い空気の流れはしばらく続いた。
それが落ち着いた時、目の前はとても清々しく風が吹き抜けている。
僕とケイランは、その光景を少し焦りながら眺めるしかなかった。
「……………………やりすぎだ、ルゥク……」
「うん、ごめん。初めて風刃使ったから、加減が分からなかった」
この日、この岩場は山の一部が吹き飛び、地元の人間でも見覚えの無い土地と化した。
岩山に囲まれた広い土地を、町までの見通しの良い場所に開墾してしまった。
「ルゥク……一言いいか……?」
「何?」
「お前が化け物で助かった……」
「そう、良かった」
今日だけ、『化け物』という言葉はケイランからの褒め言葉として、僕の中に浸透していった。