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彼女の『影』

 牢屋に居るよりはマシだとは言え、こんな状況もどうかと、わたしは思っているところだ。


 岩山の中にある開けた場所で、わたしは立ったまま太い丸太に縛られていた。左の頬には術師のアザを隠すように、紙の札がべったりと貼り付いている。

 口には布で猿ぐつわをされているため、声を発しても「ふぐふぐっ」としか言えない。


「“不死(しなず)のルゥク”!! お前がどこかで見ているのは分かっているぞ!! この女兵士を殺されたくなかったら、俺たちの目の前まで大人しく来てもらおうか!!」


 わたしに槍を向けて叫んでいるのは、牢屋で会った筋肉質の戦士風の男だ。人質を捕ったことで勝利を確信しているようで、鼻息も荒く得意気に叫んでいる。

 男と私を囲むように、柄の悪い男が二十人ばかり固まっていた。


 ルゥクの言った通り、すっかり誘き寄せる餌になってしまった。あいつのことだから、既にその辺に潜んでこの状況を見ているのだろう。


 そう思っていると、ルゥクはわたし達の真正面から歩いてやって来た。一番こちらから遠い位置。


「僕はここだ。その娘は返してもらうよ」


 よく言う。さっき一度迎えに来たのに。


 そう、わたしはわざとここで縛られているのだ。

 ルゥクに『一仕事』貰ったからな。







 三時間前。



「じゃあ、君には一仕事してもらおうかな」


 私が捕らえられている牢屋にルゥクが迎えに来たが、話しているうちに何か提案をしてきた。

 取り出した板の札を術封じの札にあてがうと、頬の札がただの紙切れになってペラリと剥がれる。


「ねぇ、ケイラン」


 ルゥクは口の端をくっと上げて、私の目をまっすぐ見ている。その眼の奥は私には一生計り知れないと思っていたのだが……。


 あ、これは何か企んでいるな。


 ルゥクがまっすぐ私を見るときは、何かを企んでいるか、嘘をついている場合があると判ってきた。


「な、何だ……?」

「僕、前に聞いたよね。“自分で生きていく為の力、欲しくない?”って…………」

「お前………………やっぱり……」


 やっぱり。こいつは私の『恩人』だった。

 表面上、驚いた体をとってはいたが、私は至って冷静にルゥクを見ていた。話をされる前から薄々、私の中で結論は出ていたのだろう。

 ルゥクは小刀の刃を自分の掌に当てた。


「僕と一緒に闘う為の力、欲しくない?」


 これは誘惑だ。

 自分を破滅の闇に誘い込む罠だ。


「…………欲しい。私はお前と生きて旅をしたい」


 ――――その罠、受けてたってやろう。


 小刀で傷つけられたルゥクの手から、私と色だけは同じ血が流れた。血塗られた指が私の頬を撫でる。

 アザの上に血で何かを書いているのが分かった。


「うっ……」


 ルゥクの血のついたアザは薄く熱を帯びてきた。軽く目眩もする。この感覚には覚えがある。


「これは『気術』が体内に入り込むときの反応だね。大丈夫、ケイランは既に術師の基礎が出来ているから、すぐに収まるよ」

「本当に収まるのか……? 何か……具合い悪く……」


 元々、その体にない『気』を流し込むため、最初に受け取る側は異物を拒絶しようと、今のような熱を発するらしい。特に術師としての媒体ではない人間には、かなりの負担になるというのだから、術を他人に与えるというのも考えものだ。


 十年前の私はそのせいで、一週間近く高熱にうなされていたのだから。


「回復は良いけど、強化は……ね。札のように書いて終わりじゃない。固定させなきゃいけないから」

「…………固定?」


 頭がぐらぐらする……これで終わりではないのか。なかなか面倒だな。そういえば、あの時はすぐには倒れなかったな……。

 きっと固定というものをされてから倒れたのだと思う。


「面倒くさいって顔してるけど、すぐ終わるよ。これが終わったら、僕は一旦ここを出る。君はこのままここに居て、何事もなかったようにしていてほしい」


 始めるね、と言って、座っている私に向き合ったルゥクは、私の片手とあごに自分の手を置く。その動作はまるで十年前のようだ。

 きっとあの時もこんな感じで目の前にいたのだろう。


 ん? 待てよ、これは…………。


 ルゥクの顔がすぐ近くにあった。

 女装をしているせいか、化粧の匂いがほのかにする。

 具合いが悪いせいで、ぼぅっとはしていたが倒れるほどの気持ち悪さは無い。


 ――――そして。

 十年前のように頬に当たる柔らかい感触。


「――――――へ……?」



 私の頬に、ルゥクの唇が押し当てられていた。



「…………んなぁっ――――…………!!!!」

「はい、終わり」


 状況を理解し、私が珍妙な声を上げた瞬間にそれは頬から離れた。私は自分がワナワナと小刻みに震えているのに気付いたが、これがルゥクが言っていた『固定』だと解り、何とか平静を装おうと努力した。


 落ち着け! 大丈夫だ、きっと変な気は無い!

 そう、深呼吸だ。大丈夫……だい…………。


 ふと顔を上げると、ルゥクがこちらをけっこうな真顔で見ている。

 もしかしたら、強化後の心配をしてくれているのかもしれない。ひとりで慌てていた自分の熱が、スゥッと身体から引いていくのが分かった。


「……大丈夫だ。もう、体におかしいところは無い」

「そう。なら良かった……」


 ホッとした柔らかな笑顔を向けられ、少しだけ心臓が跳ね上がった。他意は無いと思うが、こいつの表情(かお)は少々誤解を招きそうな気がする。


「と、ところで私の仕事はっ…………」


 ぺちん! 


 私が焦りを隠して顔を上げた瞬間、ルゥクが人の額を掌で叩いた。


 いや…………これは……?


「札……?」

「ちょっと……ね。御守りを貰おうと思って」

「御守りって?」


 そう言って、ルゥクは私の額に付けた札を離す。

 黒い札を左の小物入れに仕舞った。


 その動作がどこかで見たような気がして、私は首を傾げた。


 当のルゥクは「これで安心していられる」と、私の頭をポンポンと撫でた。


 何かさらに恥ずかしいのだけど……。

 で……? 私の仕事は?


「君には敵の一掃を頼むよ。たぶん僕は雑魚に囲まれると思うからよろしくね!」

「私にできるのか……? さっきは身体に何か有った気がしたが、今は何も変わらないような…………」


 若干、体の中に何かが引っ掛かっている感覚はあるが、これと言って、力が奥底からみなぎるとか、爆発的な感情が溢れてくるとか、そんな劇的なものは無い。


「あはは、大丈夫だよ。君はただ『霊影(りょうえい)』の力を使うとき、こう在りたいと思えばいい。気の流れに逆らわずに耳を傾ける」

「…………流れ……」


 私はルゥクが剥がした紙切れの札に、椀から粥を少し付けて、再びペチッと頬に張り付けた。もうこの紙切れには何の力も無い。


 私は目を瞑り思案する。


 できるだろうか?

 いや、こいつが言うなら信じよう。


「じゃあ、また後でね」

「え、あっ、ちょっと待っ……」


 顔を上げると、ルゥクの姿は既に無い。


「わかった。やってやるよ……ルゥク」


 わたしは、覚悟を決めた。






 ルゥクは刀や札を構える様子もなく少し離れた場所に立っている。男が槍をわたしの喉元に突き付けたため、それ以上は動かないつもりだろう。


「ふん、観念したか、それとも企んでいるか……」


 男が呟いた。そうだな企んでいるのは正解だ。


 そう――――()()()()、な。


 ルゥクは遠くにいる。

 わたしの周りにいるのは、身の程を知らない烏合の衆だ。


 ちょうどいい…………試させてもらおうか……。


 わたしは目を閉じ、全ての意識を下へ集中させる。


 ブワッ!! と、わたしの足元から蔦のような『影』が何本も飛び出した。

 そのうち一本が、わたしの目の前の槍と男を弾き飛ばし、周りの人間をある程度の距離まで突き飛ばす。


「なっ、何だ!?」

「この兵士の術だ!! 何で……封じたはずじゃ……!?」

「慌てるな!! こいつの術はたいした威力は無い!!」


 戦士風の男は急いで槍を構え、他の者達に叫んだ。

 やはりこいつらは、わたしとルゥクのここまでの過程を見ていたのだろう。わたしの術の種類も性質も分かっているようだった。


 わたしの術『霊影』。いつもは絡み付いたり、叩いたりするだけのただの縄のようなものだった。


 そう……今までは。


 肩口から細い影が、わたしの口の猿ぐつわを外した。それと同時に頬に貼り付いていた紙が剥がれ落ちる。


「っ!? てめぇ……何だそれはっ!?」


 どうやら男も気付いたようだ。

 わたしの頬のアザは少しばかり()()になっていた。


 ルゥクが言うには「画数を多くした」らしい。

 それがどういう事か、わたしはまだ知らない。


「影よ! この者達を貫け!!」


 本来は口に出さなくても影は動くが、頭で考えていることを言うことで、わたしはより鮮明に影を動かす過程を想像できる。


 上に伸びていた『霊影』が、蛇の鎌首のように下を向き急降下してくる。その先は本物の鎌のように鋭い。


「ぎゃあっ!!」

「ひぃっ……うわぁああっ!!」

「ぐあっっ!!」


 あちこちで悲鳴があがる。

 その悲鳴はついこの間、聞いたものよりずっと重い。


 影は正確に男達の『脚』を貫いた。


 眼前に見えているのは、一人につきひとつ小さな血溜りが出来上り、その中で皆うずくまっている。

 もちろん、致命傷にならない程度に刺しておいた。


 これまで、わたしの霊影が出来なかった事は“斬る”ということだ。

 どんなに刃物を想像しても、糸一本も切れやしなかった。それが今や薄くどんな大きさや形状にも、わたしが望む(もの)になってくれる。


 これが強化の力か。

 わたしの今までの苦悩や努力など、鼻で笑われるようだな。


 ルゥクを狙った者達の気持ちがほんの少し、本当に少しだけ解ってしまって、胸に苦いものが込み上げた。



「う……うぅ……痛ぇ……」

「殺しはしない。これ以上傷付きたくなければ、その場から動かないことだ……」


 その血溜りに、わたしは軽く気分が悪くなるが、もうこんなことで倒れる訳にはいかない。


 これで雑魚は全員地面に縫い付けただろうか。

 終わったなら早くここから……。


 その時。


「この……ふざけるなぁあああああっ!!」


 その叫び声にハッとして顔をあげると、唯一戦士風の男だけが、わたしに向かって突進してくる。

 よく見ると、男の右腕にはヒラヒラと黒い海藻のようなものが纏わり付いていた。


 まさか…………霊影を引き千切ったのか!?


 霊影は『気』で出来ている。もちろん、自在に姿を変えられることから物質ではない。それを腕で千切る……?

 いや…………違う。この男の腕は…………。


 男が影の絡み付いた腕を振るうと、影はまるで砕けた炭のようにバラバラと地に落ちて消える。


 何だ、あの腕は……!?


 男の腕が長い。倍の長さだ。


 正確に言うと、肘からがまるで槍の先のように尖っていて、カマキリを思わせる形になっている。

 肩から肌の色は白く、腕全体に蔦のような黒い模様がびっしりだ。きっとこの模様はアザであり、この男は術師だったのだ。


「くっ……この!!」


 霊影を複数の槍のように男に向かって投げ付ける。


「甘いんだよっ!!」


 男が腕を振るうと、影の槍は薙ぎ払われる雑草のように、千切れて四散する。刃は影に触れていない、どうやら衝撃波で吹き飛ばしたようだ。


「いい気になるなよ!! この(アマ)ぁぁぁっ!!」


 再び腕の刃を振りかぶり、こちらに向かって攻撃を繰り出そうとする瞬間、わたしの前に人影が滑り込んでくる。


「“風壁(ふうへき)”!!」


 ルゥクが板の札を前に投げ付けると、突風のような風が瞬時に生まれ、刃の衝撃波とぶつかり弾け飛ぶ。


「ぐわっ!」


 風が弾けた衝撃で男が後に転んだ。そのまま強い風がさらに男に吹き付ける。砂ぼこりも上がり、少しだけ男の足止めになったようだ。


 ルゥクは飛ばされずにその場に立っている。片手に札を握っているので、壁を作ったと同時に防御も行ったらしい。普通なら高度な技を平然とやってのけるのだから、やはり油断できない奴だと実感する。


「ルゥク……」

「ご苦労様、ケイラン。どうやらこいつだけは雑魚じゃなかったみたいだから、ここからは僕に任せてもらってもいい?」

「分かった……後は任せる…………」


 強い風が吹き荒れる中、わたしはルゥクの背中を見ながら、近くの岩影に身を伏せる。


 雑魚の一掃がわたしの仕事だった。

 それを無事に終えたのだから、今度はルゥクに託そう。



 あいつはこんな所ではくたばらない。

 くたばってはいけない。

 そして、わたしはあいつの望みを叶えてやりたい。


 牢で話している時に、ルゥクが本当に願っているものに、わたしは気付いてしまったのだ。


 それまで、わたしは兵士で在り続けよう。


「……さっさと終わらせろ。旅、続けるのだろう?」


 風が静かになって、わたしが呟いた言葉が聞こえたのか、ルゥクはちらりと視線だけをこちらに向けた。


「すぐ終わる。しつこい奴は嫌いなんだ」


 ルゥクの声色はとても愉しそうだった。




 ++++++++++++++++++++




 転んだ男がゆっくりと立ちあがり、こちらを睨み付けている。あれは相当怒っていると見た。


 僕は息を調える。

 正直、あの男のような術師は相手にしたくはない。


 変形変色した腕は肘から下が鎌に似ている。あの形状には覚えがあった。


 あれは『風刃(ふうじん)』の術。体の一部を刃と化す。

 直接攻撃はもちろん、衝撃波や風を発生させたりなどの気術、近距離中距離、攻守両用の完全攻撃型だ。

 しかも、風刃の術師は術の力の影響で、素早さを極限まで高めるおまけ付き。使い手によっては音を置き去りにすると言われる。


 札の術師も素早い人間は多いが、札を出す手間や札の()()()などで、前線に出る者はほとんどいない。最弱の術師として知られ、実戦には向いていないのだ。


 僕が札の術師なのを知り、さらにケイランが霊影の術師だと確認した上で、この男を連れてきた可能性もある。


 相性は最悪だからね。

 いくら僕でもケイランを護りながらは戦えない。


 でもケイランは、無理に僕の手伝いをしようとせずに、自分の身を護ることを選んだ。ほんの少し前なら並んで戦うと言って聞かなかったはずだ。


 やっと、僕の生死に拘らなくなったのだろうか。

 それとも…………いや、これは考えたら危険だ。


「今日で“不死(しなず)”を廃業させてやるよ!!」


 風刃の男は物凄い速さで突進してくる。

 僕は左手に刀、右手に札を握った。


 さあ、来い。

 死ぬために生きると決めた人間はしぶといということ、お前の体に叩き込んでやる。

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[一言] >私の頬に、ルゥクの唇が押し当てられていた。 一度ならず二度までも( ˘ω˘ ) これは責任を取ってもらわなきゃ( ˘ω˘ )
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