遠き日より降り立つ場所へ
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ケイランの回想のルゥク視点です。
僕が秘術を身に付け、純粋な『影』として生きていた頃。
国からあるひとつの命令が下された。
『国家への反乱の恐れのある者たちがいる。それに加担し、武器や人材を流している商人を潰せ』
殲滅命令。…………いつものことか。
この国は昔と比べるとだいぶ大きくなった。
今や大国と呼べるほどにまで成長したと言っても良い。
だから……商人の屋敷一つ潰しても、国益には何も影響は無いし、不安分子を野放しにする方が国家にとっては困るらしい。
僕はこの場所で一番高い樹の上で、くつろぎながら命令書を眺めていた。時折、あくびが出てくるほど、季節のわりには今日は暖かい。
ここは昔、師匠と僕が出会った山の頂上だ。
昔は木なんてあまり生えていなくて、大きな岩ばかりだった。だが、当時地味に師匠が植林していてくれたおかげで、頂上まですっぽり木に覆われたキレイな山になっている。
『ここの木は伐られ過ぎたんだよ。何十年も経った時に困るのになぁ……』
二人で小さな苗木を植えに来たことが何度もある。
「…………バカだな、師匠。ちゃんと見届けて逝けば良かったのに……」
あの人は『影』なんてやっていたくせに、いわゆる『善人』だったのだ。人に対してだけではなく、あらゆることに対して善を持って接した人だ。よく人殺しができたもんだと、僕はある意味感心して見ていた。
それに比べて僕は人が嫌いだ。
特に欲望のために行動する人間は、殺されても仕方ないクズだと思っている。その他の人間も僕は躊躇いもなく殺すことができた。
時々、物心つかない小さな子供くらいは見逃してあげるけど、自分の意志がある子供は危険と見なす。助けて僕の寝首を掻かれることになるわけにはいかないからだ。
だから、特別な場合以外は…………殺す。
僕はその日もそう自分に言い聞かせた。
師匠の顔がちらつく日は、考えが甘くなるからだ。まるで、『影なんて早く辞めろ』と、言われているかのように。
殲滅の日までに、僕は女装し召し使いとして入って、屋敷の下調べをする。
この頃の僕は身長もだいぶ高くなり、いつかの師匠のように髪を背中まで伸ばしていた。普段は一本に束ねているが、女性に化けるときは緩くまとめるか、そのまま下ろしていると男だとはほぼバレない。
しかし、この髪の長さにした頃から素でいる時も、その辺の男が僕を女性だと勘違いして声を掛けて来るようになった。
成長した僕の顔は、娼婦をしていた母親にそっくりになった。
自ら色々な男にすり寄り子供の存在を否定した、あの浅ましい女の顔だ。だから、女装もしていない時に野郎が口説きに来ると、一瞬で頭に血が上り、気付けばそいつらをボッコボコにしていることもあった。
こういう時は少し自分も反省はするのだが、何年経ってもなかなか抑えるのが難しい。
化粧も何もしていない自分の顔を見るたびに、あいつの記憶が蘇って血の気が引くときもある。きっとこの先、この絶望感はこの顔と共に貼り付いていくのだと思う。
逆に完璧に女装をしてしまう方が落ち着いた。
わざと女になっているのだし、母親とは違う女性になれるのだから。
今度の潜入場所は、港町に近い場所にある豪商の屋敷だった。数日掛けて、屋敷の見取り図や用心棒の数、武器のある場所に人間関係など全て書き留める。
ただ潰すためだけにあらゆる事を調べ上げた。
そして、ある日の夜になって僕は動き出す。
最初に消したのは、その日まで一緒に働いていた召し使いの女性たちだ。寝ている間、もしくは夜中に一休みして油断している時に、音も無く気付かれないうちに首を掻き切る。けっこう女性に騒がれて、次々に人が来てしまう場合が多いので、ここは慎重に始末した。
後は見回りでひとりになっている奴らから片付けて、屋敷の半分以上の人間を減らしてから、一気に攻め落とすことにする。
「ぎゃあああっ!!」
「ひっ!! た……たすけ……」
自分より大柄な男共の断末魔や命乞いの声を聞き流し、僕はこの家の全員を抹殺することだけを考えた。両手に構えた刀と札で次々に倒していく。
屋敷の主を切り伏せたところで、屋敷は静かになった。僕の記憶が正しければ、用心棒があと五人残っているはずだ。
目を瞑り耳を澄ますと、上の階の西側の奥から人が出す物音が反響してくる。人数は五人…………ん? 一人多いか?
やけに軽く小さな音がした。
そうか、子供だ。
屋敷を調べた時に、子供がいる形跡があった。しかし、僕はその子供を一度も見掛けたことがない。
なぜなら、その子は屋敷の奥に幽閉されるように外には出されていない。食事を運ぶ係も決まっていた。唯一、外へ連れ出されていたのは、屋敷の主が酒宴に呼ばれ、その時に一緒に行っていたと聞いただけだ。
病気か? それとも虐待?
…………ここの主なら、後者の方があってるな……。でも、何で用心棒がそんな所へ……?
僕は特にそれ以上の興味も抱かないまま、屋敷の奥へと進んだ。
用心棒らしき男たちはすぐに見つかった。
まずは入口近くに立っている二人の頭を、爆発の札で飛ばした。
「ぐぇっ!!」
「ぎゃああっ!!」
短い悲鳴と共に倒れ込む。札の爆発に併せて部屋に入った僕は、すぐに攻撃するため、もう一枚の札を手に持っていた。しかし思ったより人の間隔が狭かったので、札を放し両手を刀に持ち換えてさらに二人を斬り捨てた。
「ひっ………!! 何で……まだ下には他に護衛が……ぐわぁ!!」
「うわ……やめ……おぼぉうっっ!!」
まったく……僕がお前らの同類に、もたもた足止め食らっていると思ったのか……。おめでたい奴らめ……。
残りのひとりを壁の方へ蹴り飛ばし追い詰めた。
「お……おれはまだ何もしていない! だから見逃してくれ……!!」
男は分かりやすく命乞いを始めた。僕は男に向かって薄く笑いかけた。
何もしていなくても、ここにいる者は全員殺す。
僕はそのためだけにここへ来たのだ。
「ふぐぅっ!!」
何の躊躇も無く、僕は男の喉を片手の刃でかっ切った。男は膝を突き前に倒れ込む。斬られた喉はすぐには血が出ず、男が倒れて下を向いた途端に床に向かって吹き付けていた。
これで大人は終わり。あとは…………。
視界の隅に、床に丸まった小さな子供が入った。
小さいと言っても五、六歳くらいの女の子だ。これくらいになると、きっと僕が何者か解るだろう。可哀想ではあるが、ここで始末しなければならない。
その時、窓からスゥっと月明かりが入った。
今日は三日月だったから、そんなに光量はないはずなのに、子供の髪が照らされて白銀に光る。
“銀寿”か…………。
この国では珍しい銀髪だ。確か、金銀の髪の毛の人間は商家にいると縁起が良いとされていたっけ……。
なるほど、この家の主人はこの子を御守りか何かのように飾っていたのだ。きっと人買いから買ってきたのだろう。
だったら、この子にはこの先、今と同じような運命しか待っていない。ここで僕が命を奪わなくても、また別の商人に連れていかれる。女の子ならば成長したら良くて正妻、悪ければ愛人として飼われることになると想像がつく。どちらにしても、この子は己の幸せを謳歌できる確率は低い。
自分の意志で運命を選ぶことはできない。
子供は大人の勝手に流されるのだ。
そんなことを考えていると、彼女が横に転がっている男の腰から短刀を引き抜くのが見えた。
「あなたは誰……?」
短刀を構えながら僕に問いかけてくる。
声は震えているが、この状況で行動が出来るなんて大した度胸だ。この話し方だけだと七歳くらいにも思える。
その時、急に自分の脳裏に『彼女』の姿が浮かんだ。
そういえば『彼女』も、師匠が殲滅作戦の途中で出会って救けたのだ。
しかし、僕は救けるつもりはない。救ければ、いつの日か災いになるかもしれないのだから。
…………でも、この子は何者か?
一瞬だけ僕は思った。
「…………君、この家の子?」
異様な不安に駆られて、僕は静かに問う。話をさせて、子供の気が緩んだ時に殺そうと考えた。死ぬ瞬間をなるべく気付かれないように…………と。この子の度胸に免じて、せめてもの情けをかけよう。
「そうだ、私はこの家の主の娘だった。でも私はお金で買われて来ただけで、血は繋がってないし何の情もない!」
彼女が精一杯叫んだ。
あぁ、やっぱり売られてここに来たのか。やはり想像の範囲内だった。僕は刀を握る両手に力を込める。
「だから私はここで死ぬ理由はない、それで……っも、こ、殺し……すなら、わた、しは最後まで、て、抵抗するっ……!!」
声色から、この子は自分がどうなるのか理解しているようだ。それならなおのこと、この子を苦しめない方法を…………。
『――――いいのか? その子を殺しても?』
……………………え?
急に師匠の声がした。いや、頭の中で師匠の声を借りた“迷い”が僕に問いかけてきた。
『お前はその子から生きる選択を奪うのか? ずっと大人に流されて、それでもなお、敵に刃を向けてでも死に抵抗する子供を殺す権利がお前にあるのか?』
頭をおもいっきり揺さぶられたような、ぐらぐらとした感覚に襲われた。
大昔。自分は母親殺しの罪を被せられ、全てを突き飛ばして逃げた。未来が無いと感じても生きることに執着した。
師匠に出会うあの一時は、自分の意思で勝ち取った死物狂いの自由だ。
「……………………いいよ」
無意識に口が勝手に動く。
この瞬間、僕は彼女を殺せなくなった。
彼女が「へ……?」と、気の抜けたような声を洩らしたので、思わず笑いそうになる。
振り返ってちゃんと彼女の顔を見ようと思った。この暗がりなら、僕の顔は彼女からは見えないだろう。逆に月明かりの中にいた彼女ははっきりと見えた。
肩より少し長い銀色の髪。しゃべり方から考えた年齢より小柄で、幼いながらも整った顔をしている。一目で可愛いと言える容姿だった。
未だその手には僕に向けられた短刀を握っている。
「死にたくないなら、外まで連れて行ってあげる。だからその短刀は捨ててくれないか? 子供が持つ物じゃない」
「…………はい」
僕の言葉に彼女は大人しく短刀を捨てた。緊張状態から少しずつ脱力していくのが分かる。ここで泣かれるのも困るので、なるべく優しく接するのを心掛けた。
「あと、外に出るまで目を瞑ること。引っ張って行ってあげる……今、この屋敷じゃ動いているのは君だけなんだ。見たくないだろ?」
生きて出そうとしているのに、死にたくなる光景を見せなくてもいいだろう。
「もう一度聞くけど……あなたは誰?」
急に彼女が僕に言ってきた。
残念ながら、教える訳にはいかない。
「それを知りたいなら、君を生かしておけないけど……聞きたいかい?」
「…………聞かなくていい。知りたくない」
彼女の渋い物を食べたような表情に、吹き出しそうになって顔を背ける。
何、この子……ちょっと可愛い。
このままこの子に目隠しをして、屋敷の外に連れ出した。
咽返るような血の海を抜けて、外の風を感じた時はいつもよりホッとしていた。
本来なら僕の任務はここで終わりだ。
王都の兵団が引き継ぎ、盗賊に襲われたものとして処理してくれる。その部隊を率いる将軍も僕の知り合いであり、きっと上手くやってくれるだろう。
だけど、今回はこの子をこのまま置いていくのが躊躇われた。
できれば、その知り合いにこの子を託して、人買いではない大人に頼むようにしたいと思った。
この子…………先ほど聞いたら『ケイラン』という名前のようだが……なかなか受け答えがしっかりしている。
自分が“銀寿”であり、貧困から売られたこともちゃんと解っていたのだ。ケイランに両親を恨んでいるか聞いてみると、彼女は口を尖らせてちょっと悩んだ。
「うーん、あんまり? だって仕方なかったもの。それに私を売る時、お母さんもお父さんも泣いて謝ってくれたし」
この子は産んでくれた実の親を責める気はないらしい。
僕はこの答えに軽く衝撃を受けた。ケイランはさらに続ける。
「私は大人になったらお母さんたちに会いに行くんだ。ちゃんと生きていけたって伝えに行くの」
「そう……だから死にたくなかったんだ」
「うん」
僕の完敗だと思った。
こんな小さな女の子に僕の心は完全に砕かれる。
いつまでも母親を恨み、それから逃れられなかった自分に、最初からケイランを殺す資格は無かったのだ。
僕が黙りこくっているうちに、遠くに砂煙が見えた。間もなく、将軍が率いる兵団がここへ来るだろう。
お別れだと告げると、ケイランは口をへの字に曲げたが、すぐににっこりと笑った。
「そう、助けてくれてありがとう。あなたの名前が聞けないのが残念だったけど、私はずっと忘れないようにする」
それは困る。凄く……。
「忘れろって言う方が難しいと思わない? それにあなたの髪の毛もとても綺麗だった。次に会ったら明るい所でちゃんと見せてね」
「次って…………困ったな……」
思わず唸ってしまった。僕とケイランはここで最後にしなければいけない。そのために……ちょっとだけ、思いついたことがある。
「君はこの先周りの大人達に振り回されると思うよ。自分の意志とは関係なく、何も出来ない子供は赤の他人の大人にとっては道具でしかないからね」
「…………う……」
「そういう子供は命さえ大人に左右されるんだ。君が生きたくてもある日急に死ぬかもしれない」
「それは嫌だな……」
本当は殺そうと思った。でも生かした。
君を振り回した詫びのつもりだ。僕は彼女の前に膝を付き最大限に敬意を表する。
「……じゃあ、自分で生きていく為の力、欲しくない?」
「そうね……欲しい。どうするの?」
「よし。ケイラン、今から君にする事を人に言わないと約束して欲しい。約束出来るなら君に生きていく方法を教えてあげる」
「う……うん、わかった……」
教える、というのはちょっと違う。
僕の血の力は『強化』。この子は普通の人間で、特別な存在に成るなら厳しい修行が必要だ。だから、それをあげよう。
僕は懐から短刀を出して掌を傷付ける。
彼女のアゴを押さえて、頬に僕の血で術の紋を描く。
「…………生きし幻影、闇の矛、闇の盾。汝の力よ、言葉に従い給え……」
これは札に術を宿らせる言霊だ。札は使い捨てになるが、その媒体を人間にし、この力を使いこなせるようになれば、その人間は立派な術師だ。
彼女の頬の血の痕が光り、焼け付くようにアザになった。
目隠しをされているケイランは、訳が分からず混乱していたが、それを落ち着かせようと彼女の手を握る。
「大丈夫、あとはこれで終わり」
そう……術を固定させるために最後の仕上げだ。
こんな小さな女の子に変な気は全く無い。自分の心に強く言い聞かせる。
「頑張って生きる努力を怠らないようにね……ま、君ならできそうだね」
そろそろ騎馬隊が見えてくるだろう。
少し名残惜しいと思っている自分を可笑しく思いながら、彼女の頬にできた術師のアザに唇を重ねた。
――――そして現在。
岩ばかりの風景の中、僕は高台に立って事の経緯を見守る。
眼下にあるのは開けた平地。そこにぞろぞろと四、五十人ばかりの人が集まっていく。
その人だかりの中心に太い丸太が立ち、そこにひとりの少女が縛り付けられていた。
「“不死のルゥク”!! お前がどこかで見ているのは分かっているぞ!! この女兵士を殺されたくなかったら、俺たちの目の前まで大人しく来てもらおうか!!」
一際屈強な男が、縛られたケイランに槍を向けて叫んだ。ケイランは頬に術封じの札を付け、冷ややかな目で男を見ていた。
ここまでは思った通りの展開だ。だから、ここからは正攻法で正面から行くことにする。
「僕はここだ。その娘は返してもらうよ」
僕は彼らから見える場所に降り立つと、ゆっくりと近付いて行った。