遠き日の回想録 【ルゥク】二
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ルゥクの話、まだ続きます。
気を失った僕が再び意識を戻すまで、それは一瞬のような感覚だった。
今……何が……うっ!
喉に詰まった錆びの匂いにむせ返り、思い切り咳き込んだ。口から血の塊を吐き出したが、それ以上の体の異常は無いように思えた。
自分の血溜りから起き上がると、矢が刺さっていたはずの場所には何も無い。深く刺さった矢も、その傷口も痛みさえも…………。
「な……何で…………?」
夢…………っていうことはない。夢なら何故、自分は血だらけで倒れていたのか。それに周りに倒れている、幾人もの死体の説明はどうする。
そうだ……師匠……確か短刀で、自分の胸を……!?
「師匠…………。っ!? 師匠!?」
「…………何だ?」
僕がハッとして声をあげると、すぐ隣からいつもの声が聞こえた。何事もなく、師匠がしゃがんで自分の方を見ている。
…………何事も……なく?
やはり夢などではない。黒っぽい服を着ているから一見目立たないが、師匠の服の胸の辺りにはベッタリと血が付いていた。この出血量は普通の人間では考えられないくらいだ。
「師匠、その胸の血は…………?」
「あぁ、これか。でも下は何もない」
師匠はペラリと破けている箇所から服をめくると、確かに出血場所と思われた部分には傷はない。
「僕は…………さっき矢が刺さって……師匠も短刀で胸を…………夢じゃない」
「……………………」
「何で…………僕も師匠も……無傷なの…………?」
「……………………」
何も答えず、師匠はただ無表情に僕を見ている。
その顔は『影』の仕事をしている時の師匠だ。
師匠は立ち上がって、足下に転がる死体のひとつを足で蹴ってひっくり返した。眉間に深いシワを寄せて、その顔や服装を眺めてため息をつく。
「ルゥク、お前はここから北の隠れ家に行け。今回の仕事は手伝わなくてもいい……俺ひとりで十分だ」
「……でも」
「お前が見たのは…………夢じゃない。だから、休んでいろ…………」
『夢じゃない』、この一言で僕は余計に解らなくなった。
しかし、僕にとって師匠の言葉は絶対だ。
「仕事が終わったら説明するから…………それと、俺が戻るまで『彼女』の家には行くな。分かったか?」
「………………」
その場の死体たちを片付け、僕は予定の仕事へ向かう師匠を見送った。師匠は余計なことは何も言わずに去っていく。
僕は師匠に言われた通りに、隠れ家のひとつに潜伏した。
あれから二月ほど経ったが、師匠は何も便りを寄越してこない。
僕は国の北西にある小さな町で、日雇いの仕事をして身を隠しながら師匠を待っていた。
師匠、どうしたんだろ?
こんなに間が空いたことなんて今までなかった。隠れ家はあちこちの地方に作ってある。ここは普通の町の中に作り、一般人のように生活するときに使う。
ここでは僕と師匠は兄弟という設定だった。
本当は親子にしようとしたら『こんなにデカイ息子がいるように見えるのか?』と、落ち込んでいたので兄弟にした。
最初はかなり歳が離れた兄弟だと思ったが、今では普通に普通の兄弟に見える。
夕方、僕はため息をつきながら台所を片付けていた。
そういえば、この台所が僕が始めて料理というものを作った場所だ。何故かそれを食べた師匠が血を吐いて倒れて、それから僕は料理禁止になったのだ。
それを思い出して笑ってしまった。
そんなに酷いかな……僕の料理。
師匠って意外に繊細なんだよなぁ……。
『影』という特殊な生き方ではあるが、僕はこのままで充分幸せだと思っている。師匠にはまだまだ教えてもらわなきゃならない事も沢山あるし、例えこの先に地獄があっても、師匠に付いて行くつもりだ。
ドンドンドンドンッ!!
急に家の戸を叩かれた。
「はーい!」
もしかしたら師匠かもしれないと、急いで扉を開ける。
すると、そこには見慣れない青年が立っていた。
「すみません。名前の札がありませんが、ここは『楼さん』のお宅で間違いありませんか?」
「……え? あ、はい。そうです」
「良かった。はい、お手紙です」
渡されたのは……普通の手紙だ。
青年は愛想良く頭を下げて去っていった。何の事はない、彼はごくごく普通の人間だった。
びっくりした……つい構えちゃったよ。
腰から取り出しかけていた暗器を引っ込め、僕は受け取った手紙をしげしげと見つめる。差出人は無く、宛先に『楼』と書いてあっただけだ。
『楼』という名は、僕と師匠がこの家で使っていた名前だ。
この名前とここの場所が合致するのは僕と師匠だけだ。
【楼 流句】
師匠が風流な名前がいい、と言って付けられた名は完全にあて字だが、僕はこれが気に入っている。それに、僕は自分の本名が分からなかったので、何か名乗る時はこの名前を堂々と使える。
本当に師匠かな……?
少し疑いつつ、手紙を上から触ったり振ったりしながら、安全を確めて開封した。
封筒の中には折り畳まれた手紙と、錆びた小さな鍵。
手紙にはこうあった。
『五の蔵、奥。家を払って行け』
それだけ。でもこれは師匠の字だ。
五の蔵は隠れ家のひとつで、本や資料をおいておく場所。
そして……この鍵は……。
僕はその日のうちに、家の中の自分の痕跡を消して町を出ることにした。五の蔵は比較的近くにある。休まず向かえば、数日で着くはずだ。
夜の闇に紛れ、僕は誰にも気付かれずに目的地まで向かっていった。
五の蔵は険しい岩山にある。
崖の途中の洞穴から入るため、見つけるのは普通の人間にはなかなか難しい。そして、そこには今までの仕事の詳細などの書き付けがあった…………はずだった。
「何だよ……これ……」
五の蔵の中は真っ黒の煤だらけで、そこにあったものはすっかり灰になっていた。まるで証拠を残さないように処分した。と、分かるように燃やした跡。
ここの物は全て処分した。
探しても無駄だ。…………と、いうことか。僕以外の侵入者に向けられたのだろう。
犯人はおそらく師匠。
燃えカスの中に師匠が使っていた札が落ちていたからだ。
師匠が教えてくれた札の素材は紙ではなく、石の粉を薄く固めたものだ。だから焼け残っていた。
札は手に取るとボロボロと崩れ落ちた。
五の蔵…………奥…………鍵。
僕は行き止まりになっている壁を調べることにした。
ペタペタと壁面を触ると、よく見なければ分からない程度におかしな隙間のある箇所を見付ける。そこの隙間に手を入れ、石を剥がすとポッカリと小さな空間が見えた。
刀の鞘で周りの岩を叩いて、通れるくらいの通路を作った。そこに体をねじ込んで、隠し部屋に入った。さらに奥に小さな鉄の扉が見える。
あれの鍵か……。
僕は懐から鍵を取り出して鍵穴に入れる。
かちゃん、と小気味良い音がして、扉の鍵が回った。
「これ……」
どうやら金庫が壁に埋め込まれていたらしい。その中には一本の古びた巻物と手紙らしき畳まれた新しい紙。そして、国の兵士の証として師匠が持っていた金属の板。
僕は灯りを横に置き手紙を開いた。
そこには見慣れたキレイな文字が並ぶ。
『ルゥクへ』
『お前がこれを読んでいるなら、俺の最後の願いを神様はちゃんと聞いていてくれたのだろう。お前はこの先、俺がいなくても立派に生きていける。そう信じてここに、遺言を置いていく』
僕は絶句した。
遺言、この言葉からなかなか目が放せない。
手が震える。きっと冗談だ。
僕は感情を押し殺して先を読む。
『俺たちが襲われた時、お前は普通なら助からない傷を負った。普通なら止めを刺して、楽にしてやらなければならないくらいの致命傷だ。だが、俺はそんなお前を救える術を持っていた。笑わずに聞け。俺は“不老不死”だ』
……………………は?
師匠……何言ってんの? 冗談……キツイ。
『お前のことだから、冗談キツイとか思っているだろう?』
うん、思ってる……。
『でも、本当のことだ。いや、不老不死というより、“遅老半不死”の方が正しいだろうか。俺は生半可なことじゃ死ねない。歳もゆっくり取るから、周りの人間をどんどん見送っていった。俺はこの体になって、たぶん二百年は生きている』
僕は軽く目眩がした。
あまりにも話が突拍子もない。
『さらに、この体の特徴は、己の血液などで他人を癒したり、強化したりできることだ。俺はそれでお前を助けた。正直、他人に使うことはあまりなかったから、自分でも驚いた。あっという間に傷が塞がっていくのだから。それを見ながら、自分が化け物だと実感した』
師匠の血……やっぱりあの時、師匠が胸を刺して……。
『遅老半不死と血。これは俺の一族から伝わった秘術だ。俺の一族は札の術師を隠れ蓑にして、代々この術を守ってきた。だが、俺の一族は他の人間によって狩られ、もう俺ひとりだけになった』
僕はチラリと金庫の中を見る。
きっとあの巻物だ……あれが……。
『俺はその秘術を用いてこの体になった。それは、いつか誰かにこの術を託すためだ。その誰かは……ルゥク、お前にしようと思った。そして俺は、彼女と死ぬことを決めた。俺はもう、誰かの死を見送ることに耐えられなくなった』
…………師匠? 何で、彼女と?
『その秘術…………俺は一族のために、守らなきゃならないものだったが、お前は自由にしていい。この世から葬るのも、自身に使うのも、お前の自由にしろ。ただし、使えばお前は化け物として、誰かに狙われることになるだろう。その覚悟があるなら使え、巻物に全てが記してある』
覚悟…………?
『俺の影としての証も置いていく。それを継ぐかどうかもお前の自由だ。お前は自分で選んで生きていい。どうか、悔いの無い選択をしてくれ』
自分で選ぶ…………?
『俺はもう行くことにする。ルゥク、元気でな』
「………………勝手なこと……言うなよ……」
師匠の手紙はそこで終わっていた。
何で急に死ぬことになったのか? 何で彼女のことが出てくるのか? それらは全く書いてない。
「真実を知るのも……自由ってこと…………?」
気が付けば、顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
――――――悔いの無い選択を――――。
そう書かれていたが、僕が選ぶのは一択だけだ。
僕は巻物と師匠の『影』としての証を持って洞穴を出た。
…………………………
…………
ケイランはずっと黙って僕の顔を見て話を聞いている。この子は何をするにも真面目だ。
「――――後は、師匠のやっていたことをなぞっていく日々だった。僕は秘術を覚え、『影』を受け継ぎ、師匠の死の理由を調べた」
「…………分かった……のか?」
「うん。よくある話だった……」
僕は秘術を身に付けてから、彼女のところへ行った。
しかし、彼女はいなかった。それどころか彼女のいた村は、彼女が僕たちと最後に会った直後に、住民もろとも全て焼き払われていた。
僕はそこで彼女の正体を知る。
師匠が救けて恋した女性は、隣国の元お姫様だったのだ。
この国に故郷を滅ぼされ、家臣に裏切られて売られていく途中で師匠と出会った。
師匠は本当なら、内密に殺さなければならない彼女を救けた。見つからないように隠していたが、ひょんなことで彼女の居場所が国にバレてしまった。
僕も行くはずだった仕事の内容は、彼女のいた村を殲滅する命令をだされる予定だったそうだ。
あの日、僕たちを襲った彼らは僕たちと同じ、この国の『影』だった。裏切り者の師匠を捕らえ、処分しようとした一部が先走って襲ってきたのだ。
もしかしたら、師匠の遺体も狙っていたのかもしれない。
「彼女は兵士によって連れていかれた。師匠はその事を知って絶望したのだと思う。自ら国に出頭し、遅老半不死だった彼は裏切り者として、特別な刑場で処刑されたそうだ……」
「そんな……まさか、ルゥクが行こうとしている処刑場は……」
「うん。師匠が処刑された場所。半不死の僕が、遺体を持ち去られずに眠れる場所……」
“不老不死”……いや、“遅老半不死”の力は、条件が合った者だけが、習得することができるものだった。
血肉を食らっただけで、手に入れられるものではない。
しかし、その力を持っている者の血は、瀕死の人間を回復させ、身体能力を底上げする力がある。それを聞いた他の人間が“不老不死になる”と勘違いしたため、師匠の一族の者は秘術を持つ、持たない関係なしに狩られてしまったという。
「お前を食ったところで“不老不死”は手に入らない……ということを言っても…………奴らには無駄か……」
「そうだね。回復や強化の力だけでも、欲のある奴らは僕を手に入れたがるだろうね」
「…………そんな……」
そこまで聞くと、ケイランは黙って俯いてしまった。僕に掛ける言葉を選んでいるのだろう。
「っ! そうだ! 国外に逃げるっていうのはどうだろうか!? そうすれば、お前を追ってくる人間は…………」
「君…………国の兵士じゃなかったっけ? 死刑囚に逃亡促してどうするのさ……」
「うぅ……でも、でも……」
ケイランは分かりやすく狼狽えていた。
僕はため息をついて、呆れた態度でケイランの顔を覗く。彼女はまた泣きそうな様子で唇を噛んでいるが、その目には怒りにも似た、強い光が宿っている気がした。
「でも……この国じゃなければ…………」
僕はゆっくりと首を振る。
「どこへ行っても、僕は化け物だし、人間は人間だよ」
「……………………」
どこへ行っても、命を求める者は必ずいる。
人間と違うものを化け物と呼ぶことも同じだ。
「……それに、僕は自ら化け物になった。師匠がせっかく警告していてくれたのに、人間であることを手放したんだ」
最初は簡単に死なない身体に喜びさえ感じていた。しかし、生きていくうちに、他者の命を奪っていく度に、自身の命の歪さに恐怖するようになった。
死ねないのは自業自得。
師匠はきっと、僕に秘術を永遠に葬ってもらいたかったのではないだろうか?
一族の生き残りとして、それができなかった。
だから僕に託した。
でも僕はその思いを解っていない子供だった。
「この秘術はある種の『呪い』だ。一度手に入れれば、術師本人の意思に関係なく、あらゆる手段で生命を維持させようとする。自刃、窒息、服毒、転落、餓死、溺死、焼身…………色々試したけど、僕の意識がなくなると勝手に身体を乗っ取って、結果生き抜こうと行動するんだ。その時の僕は完全に化け物さ」
正気に戻った時の絶望感は、さらに僕の精神を抉った。
人として死にたいはずなのに、それを望めば望むほど、人からは遠ざかっていくのだから。
「呪い……」
ケイランが呟く声が聞こえた。きっと彼女はもう、僕を生きさせようとは思えなくなっただろう。
きっと……どうやって僕に、人間としての最期を迎えさせてやるかと考えてくれているに違いない。
「さて……と、そろそろ行こうか? あんまり長居していると、誰かが牢に来ちゃうし、そろそろ僕を脅迫してくる頃だし」
「脅迫って……どうやって……」
「たぶん、君を広場とかに連れてって誘き寄せる感じとか? 人間、だいたい考えることはこんなところだろうね」
奴らは兵士がいなければ、僕が処刑場に行けないことを知っている。
「…………私の……せいで……」
「……………………」
元々は僕のことにケイランが巻き込まれているのだけど。でも彼女は兵士としての責務のためか、本気で落ち込んでいる。
ほんと……真面目で可愛いなぁ、この子。
「……じゃあ、君に一仕事やってもらおうかな?」
「え?」
僕は札を一枚取り出すと、彼女の頬にそれを当てる。頬には術封じの薄っぺらい札が張られているが、こんなもの、僕にとっては剥がすことは容易い。
ペラリと枯れ葉のように、紙の札はケイランの頬から剥がれて、術のアザが現れる。
「ねぇ、ケイラン」
「な、何だ……?」
ケイランが訝しむように眉間にシワを寄せる。
僕は彼女が一番知りたいと願っていた、答えの言葉を言うことにした。
「僕、前に聞いたよね。“自分で生きていく為の力、欲しくない?”って…………」
「っ……!? お前………………やっぱり……」
『やっぱり』、この言葉に僕は観念した。
僕の昔話をすれば、この子は気付く。だからさっきは『恩人』と思っている僕を、兵士の誇りを曲げても死なせたくないと思ったのだろう。
にっこりと彼女に微笑みながら、僕は懐から小刀を取り出した。そしてその刃を片方の掌で包み込む。
「……僕と一緒に闘う為の力、欲しくない?」
ケイランはまっすぐに僕を見つめる。
彼女の口がゆっくりと開いていく。
「…………欲しい。私はお前と生きて旅をしたい」
「よろしい……」
僕は小刀の刃を握った手を横に滑らせた。