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遠き日の回想録 【ルゥク】一

お越しいただき、ありがとうございます。

ルゥク視点。ちょっと長いです。

 僕の生まれはこの国の端の端。

 その街は富裕層と貧困層がはっきりと分かれ、僕はその貧困層の集落で育った。


 母親はこの街で娼婦をしていた。父親は分からない、母自身も分からなかったと思う。きっとどうでもいい事だったのだろう。


 僕と母親が住んでいた場所は、集落で唯一の酒場だった。そこには自分たちと同じような母子ばかりで、もしかすると子供同士では血の繋がった奴もいたかもしれない。


 貧しい者たちの集まりなので当然、子供でも物心つくと労働力に加えられ、朝から晩までなけなしの金で働かされる。しかも、女児の場合はそこから人買いに売られるなんて()()だ。


「お前が女だったら金になったのに……!」


 母はそう言って、よく僕を殴ってきた。

 顔だけは美しい母親に、僕の容姿がそっくりだったせいだろう。それが余計に母親を苛つかせ、金にならない息子を邪魔者と感じさせていたのだ。


 実の母親に蔑まれ、同居していた大人たちにも無視され、同じ境遇の子供たちにも苛められた。僕の居場所はいつも酒樽が保管されていた倉庫の隅だった。そこに隠れた。


 完全に穀潰しであり、できることは飢えや貧困による怒りの捌け口にされること。だから僕は常に、身体にどこかに痣を作っていたのを覚えている。

 もちろん、そんな子供に学を教えてくれる人間はいない。一生、この暮らしから抜け出せないことを幼心に悟っていた。


 どんなに疎ましく思っても、母親がそんな自分を殺さなかったのは、人間としての一線を越えるのを恐れていただけ。


 つまり、自分が手を汚してまで消そうとは思わない。

 僕はくだらない存在ということだ。


 …………迷惑な話だと思う。

 いっそ殺してくれた方が、この狭い場所でこんなに苦しまないだろう。


 いつもこう思っている子供だった。


 しかしある日、僕はその場所さえも無くなった。


 母親が刺し殺されたのだ。


 原因は客の取り合いが発展したもの。

 この界隈では珍しくない事だ。

 だが、その犯人は僕に罪を擦り付けた。


 その当時の僕は十歳にも満たなかった。普通に考えればそんなことができるはずもない。しかし、適当に犯人を捕まえ、事件自体を終わらせたい大人たちは勝手に僕を追いたてた。


 その時、僕は急に自分の命が惜しくなった。

 大人たちから逃げ出し、普段から僕を苛めていた子供たちを突き飛ばして闇雲に走った。


 だが、子供ひとりが逃げたところで、どうやって生き延びることができるだろうか?


 日頃、まともに食べてもいなかった僕の体力は、あっという間に尽きて、とうとうある山の中の沢で倒れ込んだ。


 ――――――生きたい。死にたくない。


 今までそう思ったこともなかった。しかし、その時の僕はこの思いだけで動いていたと思う。

 沢沿いを上へ上へと這うように登っていく。山を登ったからといって、生き延びられるわけではない。それでも、捕まれば確実に死ぬのだ。


 水分を少しずつ摂っていた沢は途中で途切れ、辺りが夜になって暗く闇に包まれていく。

 しばらくして、月明かりの中で木も疎らに生えている、石だらけの開けた場所に出た。たぶんここが頂上だろう。追っ手もさすがにここまでは来ない。


 逃げ切れた。でももう動けない。

 僕は頂上に置いてある、大きな岩にもたれ掛かって大きく息を吐いた。空を見上げると、その日はちょうど満月だった。


 この満月が、朝になって見えなくなったら、その頃に自分は死んでいるのだろう。


 だけど、それまでは自由だ。

 初めての自由。

 山の頂上で子供がひとりで月を見ている。


「おい、お前。こんなところで何やっているんだ?」


 自分の頭の上から声がした。岩の上から自分を除き込んでいるのが見える。

 追っ手かと思い、予定よりも早く心臓が止まりそうになった。


「………………ぁ……」

「うん? どうした、大丈夫か?」


 ひらりっと、目の前に音もなくその人が降り立った。


 光源の満月を背にしてたっているせいか、顔はよく分からず姿だけだが、背が高く痩せていて髪が長い。二十代半ばくらいのたぶん……男。服装は着物を布などを巻き付けて、身体にぴったりと合わせた動きやすいもの。腰には小物入れと水筒、あと大小色々な形の刀を三本ほど携帯しているのが見えた。


「しゃべれないのか? 口が乾いてるな…………ほら、水だ。ちょっとだけ口の中に入れて……」

「………………」

「よし、じゃあ、今度はちゃんと飲め。ゆっくりな」


 水筒を傾けて、キレイな水を飲ませてくれた。初めはゆっくりと喉に流し入れ、次第にごくごくと飲めるようになった。


「えーと、食べ物……携帯食……は、固くてダメだな。お、水飴があった。これでいいか?」

「………………うん」


 差し出された小さな壺に、透明なものが入っているのが見えた。小さな匙ですくって食べている間に、自分の目からボロボロと涙が溢れてくる。


「お前、名前は?」

「…………る……ルゥク……」

「ルゥクか。ちゃんと名前言えて偉いな、お前」


 ポンポンと頭を撫でられて、ますます涙が出てしゃっくりも止まらなくなった。


「ひくっ、は……はじめて、ふつ……う、ひぐ……の……たべた……ひぐっ……」

「そうか、じゃあ後で沢で魚釣ってやるからな」

「う……ん……」


 急に現れた初対面の大人は、今まであった誰よりも優しかった。もしかしたら、人買いに売られるとも思ったが、この人に売られるならかまわないと思えた。


 ひとしきり泣いて落ち着いた頃には、空はうっすら明るくなってきていた。満月も白く目立たなくなってきていた。


 朝になったが、僕は死ななかった。






「うーん……お前小さいのに大変だったなぁ」


 半日が経ち、僕たちはまだその山にいた。その人は僕の全ての事情を黙って聞いてくれて、腕組みをしながら他人の事なのに悩んでいる。


 初めて見たのが夜中だったためか、陽の当たるところで彼を見るとだいぶ印象が違う。茶色の瞳に茶みがかったまっすぐな長い髪、細身ではあるが、筋肉質な成人男性らしい体格。

 月明かりで神秘的に見えていた姿は、口調と同じく人懐っこそうにみえた。


「…………おじさんは、何でここにいたの?」

「おっちゃんは、ここに仕事帰りで来てたんだよ。月がキレイだったから、仕事終わりの一杯でも楽しむつもりでな……」

「仕事?」

「あー……うーん……言ってもいいのか……どうすっかな……」


 彼はなかなか自身の事を言うのを躊躇(ためら)っていたが、僕が「一緒に連れていってほしい」と懇願したため、仕事を手伝うのを条件に教えてもらった。


 実際に内容を教えてもらったのは、初めて逢った日から半月ほど経った頃だ。しかし、それまでにはその人が何をするのか、僕は薄々勘づいていた。


 その人は『影』と呼ばれる、国の裏舞台で動く兵士だった。仕事は主に偵察や要人の裏からの護衛。そして……暗殺。


「人を殺す仕事だぞ? 今ならまだ、俺から放れて好きな所へ行ってもいいんだぞ?」


 仕事を手伝うという前日、僕はその人……師匠にそう言われた。まだ、手を汚す前なら逃げてもいい。と。


 でも僕は逃げなかった。

 それどころか、僕は人を殺すことに何の躊躇いもなかった。

 師匠にやられ、ひん死の相手の止めを刺すだけだ。血に染まった短刀を見ながら、こんなに何も思わないものか……と感じている。


 自分の母親だった人間は、こんなに簡単なことも僕にしなかったのだ。つくづく僕の存在は、母の中に無かったものだと思い知らされた。


 そんなことをボンヤリ考えて、その場に突っ立っていると、頭にポンポンと大きな手を置かれた。


「大丈夫か?」

「意外に……何も……」


 師匠はこんな仕事をしているくせに、何でこんなに他人の気遣いができる人なのか……。


 この日を境に僕は『影』として、師匠の後継者として厳しく育てられることになる。




 今までの大人たちは何も僕に教えてはくれなかった。しかし、この人は善悪関係なく、様々な事を教えてくれた。


 読み書きを学び、初めて手紙を書いて報告した。

 地図の読み方を学び、ひとりで別の町に行った。

 他人との付き合いを学び、情報を収集してきた。

 戦い方や札の術を学び、人間や妖獣を倒せた。


 そして人を殺すことを、僕はこの人から学んだ。


 それと同時に、人間として生きることも学ばせてくれた。そこでやっと、自分という人間の存在を手にしたように思えた。






「…………先に言っておくが、俺は善人じゃない。子供にこんな真似をさせる大人が、善人であっていいわけはない」


 ある日師匠がこんなことを言った。

 その時、出会ってから二年が経っていた。僕はまだ十歳を過ぎたばかりの子供だったが、師匠の言うことはだいたい理解できるようには、なってきているつもりだった。


 でも、急にそんなことを言われるとよく分からない。


「師匠、酒回るの早いんじゃない?」

「あぁ、そうだよ。もう俺酔ってんだよ!」


 焚き火に照らされながら、師匠は珍しく酒を煽っていた。どうやら明日は休みにするらしいが、何やら様子が変だ。

 膝を抱えて、まるで拗ねた子供のように頬を膨らませて丸まっている。


「何? 何かあったの?」

「ルゥク…………笑わずに聞いてくれるか……?」

「うん。で?」

「女の子に……『あなた良い人ね』って、言われた」

「………………………………で?」

「…………それだけ」


 師匠はぼそりと言った後、膝に顔を突っ伏した。よけいに体を丸めて、耳まで真っ赤になって「う~っ」と、唸り始める。

 僕は自分の口の端がピクピクとひきつり、抑えようとしても徐々に上に上がっていくのが分かった。そして、我慢できずに吹き出す。


「ぶふっ……! ふ……ふふっ……あははははははっ!!」

「んなっ!? 笑うなって言っただろうっ!!」

「ひぃ……ふ……だ、だって……そんな……ぶぶ……ははは……」


 いい大人が涙目で怒っている姿に、再び体が笑いに支配されてしまい、くの字になって笑い転げた。

 師匠も自分の言っていることが可笑しいと思っているのか、僕のことを睨み付けてはいるが本気で怒ってはいない様に見える。


「ふぅ……。で、師匠。何でそんなこと言われたの?」

「…………珍しく、殺せなくてな……」


 聞けば、命令である屋敷を丸々潰す仕事に赴き、大人全員を皆殺しにしたところで、座敷牢に閉じ込められていた『その女の子』に出会ったそうだ。


「その……普通は16才なら女の子でも、証拠が残らないように殺さなきゃならないんだが……その娘を見たら助けてやりたくなって…………」

「……………………」


 今度は正座をしながら、僕に言い訳のように語ってくる師匠は、何だか年頃の男の子のようだ。


『皆殺し』の命令が出た場合、分別のつく年齢の者は殺すことにしている。男女や老人も関係なく全員殺して、賊に襲われた様に装うのだ。

 赤ん坊や幼児なんかはこっそり助けたりはしているけど、僕らに行き着くような証拠は残してはいけない。それが『影』の仕事なのだから。


 それから、よくよく話を聞いてみると、その女の子は隣の国から身内によって身売りされ、いい値をつけられる都まで連れて行かれる途中だったそうだ。


「今は…………ちょっと田舎だが、住みやすそうな場所に匿ってもらっている…………」

「…………………………」


 僕はじぃいい~っと、師匠の様子を伺った。

 女の子を助けたのはいい。しかし、具体的な動機が気になるところだ。たぶん、その女の子じゃなかったら、師匠は助けたりなんてしていないと思ったからだ。


「師匠…………その娘、可愛かったの?」

「っっっ!? ばっ……バカ言うな! 別に可愛いとかそんなんじゃ………………いや……確かに……可愛い……というか、美人というか……。とても、いい娘だったんだ……」

「ふ~~~~ん…………」


 子供でも分かる。これは()()だ。


 僕は師匠に突然訪れた事を思って、その日はニヤニヤが止まらなくなっていた。





 そして、あれからまた年月が経った。

 僕はまだ若くはあるが、師匠と同じようなこともできるくらいには成長していた。


 師匠はあの日から度々、少女のところへ通っていたようだ。というか、もう『少女』ではなく『女性』と言った方がよいか。


 師匠もいい大人なんだから、彼女とくっつけばいいのに。


 ある任務を与えられ、目的地に向かう師匠と例の彼女の家で合流する。彼女に会って上機嫌になっている我が師を、いつものようにニヤニヤと眺めていた。

 その頃、僕も彼女とは顔見知りになっていた。あちらも僕が訪ねると、お茶や食事などでもてなしてくれる。


 彼女のところから出発し、道中で任務のことについて師匠から説明をされていた。師匠は相変わらず、仕事の段取りが良い。


 そこでふと、僕はあることに気がついた。


 師匠って…………何歳なんだろ?

 そういえば聞いたことがなかった。


 初めて逢った時は二十歳半ばくらいだと思った。

 二年後、助けた時の彼女は16才。ちょっと師匠と離れているかなぁと、内心思っていたのだが、最近はちょうど同じくらいの歳に見える。いや、彼女に恋をして若返っているにしても、そんなに年齢というのは誤魔化せるのか?


 師匠はたぶん、三十は越えているはず。

 でも、見かけは十代後半や二十代前半。顔が若いからか、あまり年を取った印象がない。


 聞いてみてもいいのだろうか?


「………………あの、師匠。ちょっと仕事には関係ない事なんだけど、聞きたいことがあって……」

「ん? 何だ?」

「いや、その、師匠って何さ……」


 僕が言いかけた時だった。


 ビュッ!!

 風を切る音が耳に届き、それと同時に「ザクッ!」と、自分の脇に何かがめり込む感触が伝わった。


「――――っ!?」

「ルゥク!?」


 見ると、だいぶ太い矢がグッサリと、左の胸の脇に刺さっていた。それを認識した途端、強烈な痛みと吐き気が襲ってきた。


「ごはっ……!!」


 肺から上がった血液が、口から湧き上がって流れた。血はどんどん自分の口から吐き出される。

 僕はその場に膝を突き、前方に崩れ落ちた。突き刺さった矢の傷口からも容赦なく血は流れ、僕の体から熱も一緒に引いて、氷を飲み込んだように凍えていく。


「し……しょ……」


 血の池に沈みながら、何とか頭をあげた。

 僕たちは大勢の人間に囲まれている。


 刺客か…………全然気付かなかった。しくじった……。

 でも、これくらいの人数なら、師匠ひとりで何とかなるだろう。自分が真っ先にやられたのだけ、ちょっと情けなかったな。


 僕の予想通り、師匠はさっさと敵を片付けていく。

 あっという間に彼らを屠り、師匠は慌てて倒れている僕に駆け寄ってくれた。


「ルゥク! おい!! しっかり……ルゥク!!!!」

「……………………」


 死ぬのって、案外あっさりしてるな……。

 朦朧としながら、自分の名を叫ぶ師匠に笑おうとしたが上手くいかない。


 そろそろ意識が飛ぶ、と思った時、師匠が短刀を取り出して手に持った。おそらくこれ以上、僕が苦しまないようにしてくれるのだろう。


 ――――――ありがとう。師匠。


 心で礼を言って、視線を師匠に向けた。

 握られた短刀、その刃が鈍く光る。


 しかし次の瞬間、師匠の行動に僕は目を疑った。


 何故かその短刀は……師匠の胸に深々と刺さったからだ。


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