影踏み 二
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ケイラン視点です。
とぷんっ……
真っ暗な『霊影』に飲み込まれた瞬間、まるで深い水中へと落ちたような感覚に陥った。
…………何か、変だ……?
恐る恐る目を開けると足元は砂であり、頭上には水面のような水紋が揺らめいている。
本当に水の底のような場所に立っていた。しかし、息はできているし浮きもしない。これは幻覚かもしれない。
「…………私をここへ連れてきて、一体どうしようというんだ?」
何処に向かって言ったのかも定かではないけど、思わずそんな台詞が口をついてでた。もちろん、返事が返ってくることなど期待はしなかったのだが…………
『ツラいなら、私と代わる気はありませんか?』
すぐ近くの背後から声が聴こえて、わたしは反射的に振り返る。
そこには知らない若い女性が立っていた。
背が高く、地味な色合いの上下男物の着物を着ている。模様や袖の形が現代の着物よりもだいぶ古い。
女性にしてはしっかりと引き締まった武術家のような身体付き。黒髪の上半分をお団子に結び、下は腰まで流していた。
なかなかの美人ではあるが、その辺の男には近寄り難そうに見える。軍の女兵士に一人はいる『真面目そうで強そう』な印象だ。
「だ、誰だ……?」
『……………………』
恐る恐る尋ねたこちらを、無表情でじっと見詰めてくる。しかし、しばらくするとその表情がフッと柔らかくなり、女性はわたしに向かって恭しく礼をした。
『改めまして……私はあなたの“影”です』
「え……?」
『表では上手く言葉が出せませんでした』
「……表……」
先ほどの表……というか、飲み込まれる前のやり取りでは簡単な受け答えから幼い印象があったが、こちらはきちんとした大人の対応を見せられている。
ふと、師匠から言われたことを思い出す。
――――術の名称に“霊”や“魂”が付くやつは“生きて”いる。
これが、わたしの『霊影』の姿。
「本当に、私の『霊影』なのか」
『そう。突然、幼いあなたを“主”として生きることとなりました』
「っ……!!」
――――本来なら一緒に生まれて、お前と一緒に育つ術だ。
彼女はわたしよりも幾分年上に見える。見た目の年齢は二十歳前半くらいだろうか。
『あなたは前の“主”とは別人。なのに何故か、私はあなたに宿ったのです』
「…………それは……」
そうなったのは、ルゥクが彼女の“前の主”から『霊影』を喰って、わたしに『霊影の術』として与えたから。
「えっと…………何で、あなたが私の影になったのか…………分かっている……?」
『“前の主”がある術師と戦闘になりました。その時に、何かの術を使われて意識が薄れたのですが…………』
ルゥクに『術喰い』を使われた。無理やり、“前の主”から引き離されてしまったのだ。
「戦闘になるなら……」
『私は“主”の中にいたはずなのに、目の前で最後に見たのは“主”が…………追い詰められていく様子でした……』
『霊影』の声はどんどん弱々しくなっていった。
たぶん、その“前の主”とやらはルゥクに殺されているはずだ。
特に昔のルゥクって容赦なさそうな気がするから、術を喰われた“前の主”は為す術なくルゥクに敗北したのだろう。
それを『霊影』は自分を喰った相手、ルゥクの視点から見ていたことになる。
…………と、よくよく考えたら、それはけっこう酷いことなのでは?
ちょっと背中に悪寒が走った。だが、わたしの心情などお構い無しに『霊影』の話は続く。
『“主”を助けるのが我が使命。共に生まれ落ちて、死ぬまであの方に尽くすのが我が存在意義。しかし、気付いたら私はあなたと共に居たのです。とても身体が弱かった子供のあなたに』
「……私は七才の時に、突然『霊影』の術師になったんだ。あなたを使えるまで、二年ほど掛かるくらい病弱な身体だった」
とりあえず、事実だけ言ってみる。すると、彼女はこくりと頷いて悲しそうな顔をした。
『最初は戸惑ったが、幼いあなたの眼を通して少しずつ、あなたが“今の主”だと理解していきました。“前の主”と生きていた時代と、まったく違う年月が過ぎていたのも解りました。でも何故か…………その時に理解し難い事が起きたのです……!!』
急に語尾に怒気が混じった。
「あの…………理解し難いことって……?」
思わず口から疑問が出てしまう。
話してみて分かったが、この『霊影』は“主”の視点から物事を見ている。音は聞いているかは分からないが、ちゃんと周りを観察して“主”を把握していた。
わたしの現状、周囲の状況、その他諸々を理解しているのだ。もちろん、今のわたしを取り巻く環境や仲間たちも見ているのであって……………………当然、今一緒にいるルゥクのことも見てる……よな?
その考えに至って、わたしの顔からは変な汗が流れてきた。
『最初、見た時は驚きました。あれがいるはずがない、この時間を生きている人間なんていないと……!!』
「…………………………………………………………………………………………………………………………」
うん。彼女が言っている“あれ”とやらに該当するものが、わたしの中ですぐに思いつくのだが。
あ、でもかなり昔なら…………いや……
『霊影』にとっては寝て起きた感じみたいなので、時間の経過で本人の記憶が風化した感じはない。
まさかとは思うが…………
『あなたの傍に、最後に“前の主”が戦っていたあの男がいた……!!』
「…………………………」
彼女、しっかり憶えてるぅぅぅっ!!
あまりのお約束事にその場に崩れそうになったが、何とか話の続きを聞こうと踏ん張った。
「………………そ、そうなのか……でも、本当に本人なのかは…………」
『忘れない……!! あの顔、戦い方……板の札を使う術師は珍しかった!! 女の格好をしているのも特徴として憶えている!!』
そっか……当時も潜入とかで女装してて、そこで“前の主”と戦闘にでもなったのだろう。
『あいつが女ではないと見破ったのが“前の主”だったのです!! 敵襲にすぐに対応したが、返り討ちにあいました!! きっと“主”はあの男に…………絶対、許さないっ!!』
わなわなと震える拳を胸に掲げ、彼女は俯き加減で吐き捨てるように叫んだ。
「…………あー……」
すっかり感情的になっている彼女に、わたしは何と言っていいか分からない。
話していて、彼女には武人の気質があることが伝わってきた。きっと、彼女の“前の主”がそうだったからなのだろう。
今の彼女の状況は、大きな『屈辱』の上に成り立っている。
わたしにとってルゥクは『恩人』だった。
しかし彼女にとっては『仇』であったのだ。
しかも彼女はルゥクが【術喰い】を使用して、あいつの中に所持されていた術のひとつだった。
“あなたは一度はルゥクに喰われて、そっちの中に居たんだよ”…………なんて、どう説明すればいい?
「……………………」
何とか、ルゥクが今は敵ではないという説明をしないと…………
台詞に困って黙っている間も、彼女はわたしをじっと見詰めていた。そして、何かを決意したかのように顔を上げる。
『我が主よ。あなたはあの男に恨みは無いのですか?』
「へ?」
急に思ってもいないことを言われ、間の抜けた声を出してしまった。
『あの男の行動…………あなたの目を通して見てきました。思った通り、実にふざけた奴です!!』
ルゥクの目に見える日頃の行いが、ここにきて効いているのがツラい。
『だから、あなたがあの男を殺れないなら、私があなたに代わって雪辱を果たしてみせようと―――』
まさか、度々『ツラいなら、代わろうか?』と語り掛けてきたのはこのことか!?
「待て待て待てっ!! 何でそうなるんだ!? 私は別にルゥクを恨んでるとか憎いとか、そんなことは思っていない!!」
わたしが言うことは、彼女には申し訳なくも思う。
彼女の“前の主”は殺されたかもしれないが、わたしは特に被害は…………無い!! うん、無い!!
『しかし、あの男があなたに何かやる度に、あなたからは無理をしているような気配がしました!! 先日も、そのせいで倒れたではありませんか。封じられた気術を無理やり動かし、その中でご自身には無い特性を身につけようと、心身に負担を掛けていらっしゃいました!!』
港町で倒れたことと、伊豫で『影』の特訓をしたことを言っている。
やはりわたしには『影』の素質は無く、だいぶ無理をしていたように、内から見ていた彼女には思えたのだ。
「だが……あれは私が望んだ事の結果だ。ルゥクはそれに絡んでいないし、おそらく私が無茶をしようとすれば逆に止めたはずだ」
『ですが、あれは敵では……?』
「あなたの“前の主”とは敵対したかもしれない。しかし、今は私の味方なんだ」
そうだ、あいつは今までわたしの味方だった。最低でもルゥクと旅を始めて一緒に見ていたなら、彼女にも解ると思っているが……?
「どうして、ルゥクが私の敵だと判断したのか?」
『いつも、あなたを怒らせ、困らせているのが見えていました』
「見えて……」
「あなたはあの男に、しょっちゅうからかわれるような仕種をされていたではありませんか」
「……………………」
何の“仕種”なのかはこの際、気にしないでおこう。気になるのは彼女の言い種だ。
まるで、見たものから現状を独自に推測している。これまでルゥクが話していた内容は完全に無視だ。
わたしの視点から“見えている”のだろうが、まさか“聴こえて”いない……?
「ひとつ、聞いてもいいか?」
『何でしょう?』
「あなたは、普段は私の声を聞いて動いているのか? それとも、状況を見て出ているのか?」
そうだ。わたしは『霊影』を呼び出す時にはだいたい声を発しているが、声を出さずに使うこともあったからだ。
『私は“主”に従うまで。主が私を求めた時に、声のような音を感じるのです』
「では、普段は?」
『…………何も聴こえません』
「何も聴こえない…………」
つまり、周りの音も聞いてはいない。ルゥクや仲間たちの話も聞いてはいなかったのだ。ただただ、わたしが『霊影』を使いたい時にだけ、その命令に応じて出てきていた。
「もう、ひとつ…………“前の主”の時には、周りの音は聴こえていたのか?」
『…………そう、ですね。微かながら聞こえてはきました。“主”が、私に向けて説明をしてくださったこともあります』
「説明を…………そうか」
何となく、今の説明で生まれついての『霊影の術師』のことがわかった。
彼女の“前の主”も他の『霊影の術師』も、ちゃんと自身の中にある『霊影』が生きて存在していることを理解していたのだ。
「私は、あなたのことを何も理解していなかったのだな……」
まず、彼女が生きているということも知らなかった。まさか“術”が独自の思想を持っていることにも。だからこうして、面と向かって話せることに驚いてしまっている。
術を付与されてから、『霊影』はいつも私を見ていた。今度はこちらが見なければならない。
「『霊影』、あなたには今まで散々助けてもらった。それなのに、礼も詫びも感じていなかったな。すまない、いつもありがとう」
心から、彼女の向かって頭を下げた。『霊影』は慌てた様子でわたしの傍へと駆け寄る。
『そんな! 頭を上げてください主!! 私はあなたに仕えることが存在する糧になるのです!!』
「それなら…………迷惑ついでに頼みがある。どうか、ルゥクのことをこれ以上恨まないでやってほしい。実は、あいつは私にとっての恩人なんだ。そして今、あいつは自分の行いについて向き合い、将来について考えているところだ。私はそれを助けたい」
『恩人ですか……本当に?』
「あぁ、本当だ。すぐに納得できないとは思うし、ルゥクのことを全部許せとは言わないから……」
『しかし…………』
「私が知っている限りのことは全て話す。あいつにも、少しばかり厄介な事情があるんだ」
『…………………………………………』
『霊影』は眉間にシワを寄せて、悲しそうな悔しそうな複雑な顔をする。
話を聴いてくれる気になっているのだろうか?
『霊影』は黙ったまま下を向いて動かなかったが、
『…………わ……まし……た』
「ん?」
やがてぽつりと小さな声が発せられた。
『あなたがそう言うのなら…………もう、恨みません』
絞り出すような声に、やはりまだ気持ちは落ち着いていないのだと判る。きっと、自分の気持ちよりも“主”のわたしの願いを優先してくれたのだ。
可哀想だが……彼女を抑え込まないと、わたしがルゥクと戦うことになってしまうからな。
「……ありがとう」
『その代わり、あの男のことを聞かせてもらってもよいですか?』
「わかった。何から話すか…………」
『いえ、説明には及びません。覗かせていただければ大丈夫です』
「え? 覗く?」
『はい。記憶の共有を…………もちろん、あなたがお許しくださる範囲で』
「…………わかった、許す」
わたしがそう言った瞬間、彼女の胸元が光った。手の平に乗りそうな光の玉が、彼女の目の前に少しの間だけ浮いてすぅっと消える。
『…………終わりました』
「え……もう?」
あまりにも簡単すぎて、正直気が抜けてしまいそうだった。
『奴は“不死のルゥク”……そして“術喰いの術師”…………奴は自らを罰するために、処刑場へと旅をしている最中だと…………合っていますか?』
「あ、うん……」
『………………………………………………』
「……?」
しかしここから、彼女はさらに難しい表情を浮かべて黙り込んでしまった。先ほどのルゥクに対しての憎しみを言い放った顔とは違う、何か逡巡しているような探っているような感じだ。
何かあるのかとわたしも黙って見守っていたら、今度は手で口を覆ってブツブツと小さな呟きを漏らし始める。
『……いや……でも、なら…………あれは…………………………そうか!』
急にパッと顔を上げ、わたしの方を見ながら一言。
『あの男は【竜楼の遣い】の者ですね』
「りゅう……ろう……?」
わたしの記憶には一切憶えのない言葉が紡がれた。