影踏み 一
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
朝の挨拶をし、道場で向かい合って座っていた時のこと。
「なぁ、お前の『霊影』はどこまで育ってる?」
「へ…………?」
これは、修行を始めて五日目くらいに師匠から言われた言葉である。
「そ、育って……いるとは……?」
「そのままの意味だ。その術をルゥクに付与されてから、どんなことができるようになった?」
あぁ、熟練度みたいなものか。
「そうですね、基本は縄状で出して…………」
こうして、わたしはつらつらと自分の『霊影』にできることを師匠に説明した。
「…………と、今では普通に攻撃もできるようになりました」
「そうか。それがお前が理解してる、お前の『霊影』ってやつだな」
「……えぇ、まぁ」
考えて見れば、師匠に説明は不要ではないのか?
これは今のはわたしが、自分の力をどのくらい把握しているか確認に他ならない。
「私がまだできないことがある、と?」
「できねーことだらけだな。ぎゃはははっ!」
「………………」
解ってましたとも。えぇ、えぇ、充分にわかりきってましたとも。
「なんだよ、冷めてんなぁ。ま、それがお前とおれの違いだな」
「違い……?」
「お前の『霊影』は付与されたもの。で、おれの『霊影』は生まれつきだ」
「生まれつき……」
「そうだ。元々『霊影の術師』というのは、生まれてきた時に持ってる奴らだけなんだよ」
そう言って、師匠はトントンと自分の左頬のアザを右の人差し指で叩く。
「後天的…………例えば、修行やなんやで身に付く術じゃあねぇんだ。だから、お前はかなり珍しい例だ。言ってしまえば、これはルゥクがいたからこそ生まれた問題だなぁ」
“問題”という言い方に何か引っ掛かりを感じた。だから、それをすぐに口に出して問う。
「もしかして……私が『霊影』に馴染むまで二年ほど掛かったのは、そのせいでもあるのでしょうか?」
「熱出して寝込んだってなぁ。そりゃそうだ、だって『霊影』ってのは生きてんだからさぁ」
「え……?」
――――“生きている”?
この言葉に呼応するかのように、私の膝下でごそりと動く気配があった。
「術の名称に“霊”や“魂”が付くやつは“生きて”いる。だいたい、術師が術自体に向けて『命令』をするように使役する。お前も無意識にやってないか?」
確かに……言われてみれば、使う時に『霊影』を呼び出すようにしている。
「つまり、呼び出して、お前の命令が『霊影』に通るようになるのに二年掛かったわけだ。それまで、お前はそいつに認められてなかったってことだなぁ」
「なるほど…………」
“生きている”ということで納得した。だから、わたしはすぐに術師にはなれなかった。
当時の『霊影』からしてみたら、基礎もできてないような小娘の言うことなど聞けなかっただろう。
「そうそう。本来なら一緒に生まれて、お前と一緒に育つ術だ。身体に流れる血の如く、身体を支える骨の如く、身に纏う肉の如く馴染んだもの。お前そのものの一部としてな」
「私の一部……」
「体調に影響が出たの…………もしかしたら、お前じゃない『前の主人』との“差”の表れかもなぁ」
そうか。ルゥクが喰う前に元の術師がいる。わたしは前の持ち主と比べられてしまう存在だ。
「では、今は認めてもらえていると?」
「さぁなぁ? 案外、まだお前のこと認めてねぇかもよ」
「………………………………」
つ……使えてるから大丈夫だ!
何度、わたしは術に助けられたか…………
そう反論しようと思ったが、胸に湧いた不安などすぐに見抜かれて突っ込まれてしまう。
「もういいです! さっさと今日の修行始めましょう!!」
「おーおー、今日も頑張って踊れよ! お前の影に笑われねぇようにな! ぎゃははははは!!」
笑い声に合わせるかのように、ぞろぞろと膝下で『霊影』が動くのを感じた。
…………………………
………………
『…………ツラいなら……カわろうか?』
そして現在。
向かい合った『影の自分』からこう言われている。
――――辛いなら、代わろうか?
そう、この人型から打診されている。
まるで、いつか寝込んで夢現時に聞いた『真っ黒な人型』の言葉と同じ。
『…………ツラいなら……カわろうか?』
再び問う影が一歩近寄ってきて、わたしは思わず一歩後退した。
「……………………」
いつもなら、こんな訳が分からない場面においても『断る!』と即答するのだが、不意に頭に浮かんだ可能性が口を閉じさせた。
これ…………この『霊影』は……師匠のものじゃあないのか?
港町で体調を崩した時にコイツを見たことを、わたしは師匠には教えていない。正確には、あの時のことを師匠の前で思い出したことがない。
しばらく対峙する中で、実は師匠は心を読むようなことをしているが、別に記憶を読んでいる訳ではないのに気付いた。
何か言われて過去の出来事を思い出すと、それとなく読まれるが、その内容は完全ではない。だから今考えると、師匠がわたしの『霊影』について説明を求めたのも、聞かなければわたしが思わないので知ることが出来なかったのだ。
うまり、師匠があの時のことを知らず、これが『霊影』によるものだとするのならば…………
「お前は、私の“影”か?」
師匠が作った『影の私』ではない。
わたしの『霊影』からできたもの。
『うん……』
こっくん。
真っ黒なのにそれはキレイに頷く。なんだか、小さな子供が素直に答えたかのような。
『だ、から……』
「っ……!?」
『影の私』が片手を前にかざす。
『ツラいなら、カわろか?』
ヒュッ!!
彼女の背後から無数の縄状の『霊影』が、わたしに向かって一斉に伸びてきた。
「くっ……この!! 『霊影』!!」
飛び退いて攻撃を避けつつ、術を使うためにいつものように叫んだ。
しかし……
「出ないかっ……!!」
わたしの足元からは何の反応も無く、何も飛び出してはこなかった。
やはり、と思った。だって目の前にいるのが『私の霊影』なのだから、わたしの足元にはいないことになる。
ダダダダダッ!
縄状の影が、わたしが避けた軌跡を辿るように追い掛けてくる。素早くはあるが、何とか避けて転がった。しかし、これはとてもマズい状況だ。完全なる持久戦になってしまう。
「あぁ、もう!! これじゃ、私は何もできないじゃないかっっっ!!」
自分の攻撃手段そのものが、わたしを攻撃してきているのだ。
今のわたしには刀も無ければ、術を補助するような道具も持っていない。
「…………何も、無い」
呟いて、ゾッとした。
わたしには『霊影』以外の術が何も無い。
「いや、まだ動けるじゃないか……」
修行の成果は少しは出ている。そのおかげで、何とか『私の影』の攻撃を逃れるくらいの体捌きはできていた。しかし、防御から攻撃を仕掛けるほどの力量は無いと自覚している。
ばしゃんっ! と、引いた片足が水に入った。いつの間にか、島の端まで追い詰められていてハッと我に返る。
避けているばかりではダメだ。そのうち、わたしは連戦の影響で疲れがくるだろう。
「それなら、他の手を考えないと…………わっ!?」
考える間にも身体すれすれに、ズガンッと影が打ち込まれる。
『霊影』は距離があればあるほど有利だ。放出系の術を使う術師でなければ、近づく前に影に絡まれて身動きできなくされる。
つまりこの戦い方は、わたしの常日頃の癖でもあるのだ。
「勝つには自分の癖を見極めろ……ってこと……」
そう呟いて、わたしはすぐに『私の影』の元へと駆け出した。打ち込まれる影を避け、近付くことへと集中する。
「このっ……!!」
『……っ!?』
あと五歩くらいまで詰めた。案の定、慌てて距離を取ろうと攻撃の手を緩めて退こうとし始めた。
わたしが苦手とする戦い方……たぶん、さっき戦ったゲンセンやスルガの攻め方だ。
正直に言うと、あまりにも近付かれ過ぎて体術での応戦になった時、わたしは『霊影』を出して同時に戦うやり方ができない。
これは単に集中力の問題だと考える。
あれが『私の影』ならば、自己を見つめ直すためにもその弱点を試す価値はあるだろう。
「なら…………自分が苦手なもので行けばいい」
そう。攻撃を避けながら近付いて、敢えて接近戦に持ち込む。あいつの集中力を削いでみる。近付いて取り押さえてしまうこと、あいつが逃げるなら少しは効果が有りそうだ。今考えられるのはそれしかなかった。
「まず、近付く……近付く……」
暗示を掛けるように呟きながら、影の攻撃をひたすら避ける。
…………改めて見ると、自分の能力って厄介なものだったんだな。これ、絶対敵に回したくない奴だろ!
一見、飛んでくる影の縄は軌道がめちゃくちゃであるため、避けるために上半身をひねり脚を必死で動かす。
「くっ……だったら、こうっ!?」
普通の避け方では回り込まれるのが分かって、自分の操るやり方を考えながら裏の裏の裏まで読んでやるつもりで避け続けた。
『っ……!?』
視界の隅で、わたしが影を避ける度に『私の影』がビクッと肩を揺らしているのが見えた。いちいち、こちらのやることに驚いているみたいに。
思考が独立している……?
“『霊影』は生きている術”
言われたことがやっと理解できた。
この術は自力で考えて動けている。つまり“生きている”のに、わたしの命令でしか動かなかった。
前の術師がこいつを使っていたなら他にもやりようがあったのに、経験不足なわたしに合わせて動いていた。
「そうか。すまなかった」
……未熟なわたしのせいで、お前の力を引き出せてやれてなかった。
自身の不甲斐なさを自覚した時だった。
トトン。
「ん?」
急に身体が軽くなった。
影を避けるのが楽になり、足捌きが滑らかになっていく。周りの風景がよく見て、視界も開けた気分だ。
「なんだ? でもっ……」
『私の影』との距離がどんどん狭まっていく。
このまま、捕まえて押さえられるんじゃないか?
突如訪れた絶好の機会に、わたしはすぐに頭の中で動きを想像して実行へ移す。
…………よし、これならいける!
さらに距離を詰め、あと少しのところで思い切り体当たりを食らわすつもりで踏み切った。
少し仰け反ったような体勢で、『私の影』は固まったように動かない。
「捕まえっ……」
影の腰にあたる部分へと両腕を伸ばす。
「えいっ!!」
確実にその身体を捉えたのだが…………
「へっ……?」
ぶよんっ、と予想外に掴んだ箇所が柔らかい。
言っておく。こいつはわたしの姿を模したであろう『私の影』だが、わたしの身体にはそこまで分厚い脂肪は無い…………と思う。
だが、さらに締めてみると弾力性のあるものではなく、変な感触と共に両腕が『私の影』の中へと埋もれてしまった。
「なっ!?」
慌てて離れようとしたが、影へと埋まった腕はそのままズブズブと入っていく。抵抗しようと藻掻いてみたが、影の中はスカスカと何の手応えもない。一方的にこちらが引っ張られる。
なんか、マズイぞこれっ!?
そう思って頭を上へと向けると、真っ黒なものと“目が合った”。
『やっと、キた』
「ひっ……!?」
歓喜のような声色に軽く恐怖を覚え、その何も判らない顔から目が離せない。
「罠かっ!?」
ズルズルズルズル!!
腕が飲み込まれ、肩、体、頭と上半身が引き込まれていく。
『ツラいなら、カわろう』
若い女性の声が耳元で囁かれる。
「……ケイラーーーンっ!!」
湖の向こうでコウリンが叫んでいるのが聴こえたが、わたしは直後に真っ暗な闇の中へと引きずり込まれた。