山の中の霊影<かげ>
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コウリン視点になります。
森の木々の間から、太陽が真上に昇ったのが見える。その隙間がなければ、ここでは太陽の光は拝めそうにないほど森は深かった。
「コウリン、疲れてない? そろそろ休憩しようか?」
「平気。山登り程じゃないもの」
「だが……この分だと目的地には夕方以降に到着する。無理はしない方がいい」
そう、鬱蒼とした森の中で足元は悪いけど、登るばかりの路ではない。山頂には登らず、ひたすら山の中腹を横へ移動している感じ。
ケイランに見せてもらった地図から察するに、ここは邑があった山の隣りの小さな山。
でも、いくつかの山が連なっている所のその真ん中の山になるので、ここに来ようという人間は皆無みたいだ。
「日の出前は妖獣がウロウロしていたが…………やっぱり昼間はあまり出ないようだな」
「出ないに越したことはないわ…………ふぅ……」
「…………疲れた?」
「ううん、そうでもない……」
そんなに疲れてはいない。ずっと歩いていたら喉が渇いてきたのだけど…………
「持ってないのよねぇ……」
「ん? どうしたの?」
「いや…………アタシ、渡された荷物がこの札だけだし、こんなことになるとは思ってなかったから…………その……水筒とか?」
当然、食料もない。
今はそんなにお腹は減ってないけど、これが丸一日掛かったら、確実に空腹と喉の渇きで頭がいっぱいになると思う。
「あ、そっか。ならやっぱり休憩しよう。ちょっと待ってて」
「へ?」
そう言うやいなや、ケイランはその場で目を閉じて立ち尽くす。
「ふぅー…………」
呼吸を整えている様子はいつもの『気力操作』に見えた。ケイランの周りの空気が微かに押されるような、まるで水の流れができたような感覚。術師ならその空気はすぐにわかる。
その流れに乗って足元に、ぞろぞろと『霊影』が這っているのにも気付いた。
ん? 霊影……?
いつもならケイランの背後で揺れているのが多いが、今日の霊影は地面の中を動いて表に出なかった。そのままケイランを中心に四方へ地面を伝っていく。
「……………………」
霊影が辺りに散った後、ケイランは目を閉じて黙り込んだ。何をしているのか疑問だったけど、ここはアタシも黙って様子を見る。
しばらくして静かに目を開けてから、ある一方向へ指を差した。
「……うん。コウリン、あっちに小さいが沢があるよ。少し歩くけど、飲めるくらいにはキレイな水があるみたいだ」
「え? 本当?」
「私も喉が渇いたし、ちょっと休憩していこうか?」
「う、うん」
今の……霊影の? でも、こんな特技あったっけ?
今までに見たことのないケイランの技。
しかし、にっこりと笑うケイランが、何だかいつもよりも頼もしいと思う反面、不安も付きまとっていた。
…………………………
………………
「ぷはー……生き返るー!」
ケイランが言った通りの方向に、小さいけれどしっかりとした川があった。
喉を潤したり顔を洗ったりして、やっと落ち着いて来た時、アタシは気になっていたことをケイランに尋ねてみる。
「……ねぇ、ケイランはアタシと合流するまで、独りで山の中を歩いていたのよねぇ?」
「うん。師匠に地図持たされて、この山に飛ばされてから、ロウソク一本で歩いてた」
「アタシより何もないじゃないの……」
よく見れば、ケイランの荷物は目的地への地図と、手に持っていたロウソク一本だけ。
しかも夜の山中、妖獣にも出会していた。それを単独で倒しながら歩いていたと言ってた。
そうね……改めて考えると、ケイランはやっぱり『国の術師兵』なのよ。
時々体調を悪くしたり、ルゥクがいつもからかったりしているから忘れていたが、その辺の男どもなんかよりも立派な職に就いて、戦闘だってこなしてしまっているのだ。
「しかも、あのルゥクと旅までして、さらに面倒くさそうなザガンさんの修行までして…………アタシ、ケイランが無理ばっかりしてると考えちゃうのよ」
「え? いや、コウリン、私は…………」
「でも、望んでやってるんでしょ? 本来はアタシが口出ししちゃ駄目な領分なのは分かってるわ……」
ふぅ……。
解っているけど、ここ最近のケイランはアタシに何も言ってくれない……この状況には憶えがある。
「伊豫で『影』の訓練をし始めた時も、アタシにはずっと秘密だったでしょ。そりゃあ、あんたたちにも事情や作戦はあったんでしょうけど…………やっぱり、仲間の置かれてる状況が“わからない”って不安だし、悲しくなるのよ?」
「コウリン…………」
アタシだって足でまといにはなりたくない。でも、友達だし仲間なんだから、話せる範囲でケイランが何を目指しているかくらいは教えてほしいと思った。
「……………………」
アタシの言葉に、ケイランが黙って俯いてしまった。
「べ、別に困らせるつもりは無いのよ? もし本当に話せないなら、今は聞かなくてもいいわ! 支障が無くなった時にでも…………」
「いや、今回は話す。これは師匠からも特に口止めはされていないし、どのみち皆には話すことになるだろうから……」
どうやら、話は長くなるみたいで、アタシたちは目的地へ向かいながら話をすることにした。
歩くことに集中はできないが、妖獣が近付けば分かるというし、少しでも進んでおきたいからということだった。
「コウリン、私が術師になった経緯は話したことあったよね?」
「ええ。旅を始めたばかりの時に。ケイランはルゥクから術を貰った……って言ってたわね」
「そうだ。その時はもらった術が何かさえよく知らなかった」
真剣な眼差しのケイランに少し気圧されしつつも、アタシはちょっぴりだけ嬉しいと思ってしまった。
「自分の術が『霊影』だと知ったのも、貰ってから一年以上経ってから。使えるようになるまで二年。この術でまともに敵を倒せるまでになったのはごく最近だ」
ケイランの霊影は縄のように使える。
それまでは影を操っても、相手を縛り上げたり、殴ったりする程度でとどめを刺すことなどはできなかった。
「今は相手を切ったり刺したり…………けっこう、物騒なことできるわねぇ……」
「ん……まぁ、攻撃の手段が増えたって言ってもらえると…………」
ケイランはちょっと顔を顰めて、もごもごと反論している。そこは平和主義の精神が出たのかな。
「あ、そういえば、他にもできたはずよね? 確か……影の一部を伸ばして、会話を聞いたりしたことあったような……」
「できる。私が相手の姿を目視できる範囲、だいたい身長の十倍くらいの距離。ついでに相手に知られずに触れれば、体温とか状態を探ることもできたりする」
「へぇ…………それは、医者としても便利だと認めざるを得ないわ」
こうして改めて聞くと、『霊影』の術ってかなり有能なんじゃないかと思う。
相手の隙をつき、捕獲、攻撃、隠密…………それらを離れた場所でできるのだ。
そう考えたら、ふとある事が頭を過ぎる。
「う〜ん、こう言っちゃなんだけど…………この術って、ルゥクたちみたいな『影』が使ったら無敵なんじゃない? それこそ、離れてても相手の考えてることが…………………………あ!」
アタシの脚がピタッと、その場にくっついたように動かなくなった。そして、ドッと汗が吹き出てくる。
「…………ザガン、さん?」
「……………………」
ケイランは何の感情も無いような顔で頷いた。
その様子でザガンの術が、ケイランと同じ『霊影』であると肯定したのだと確信する。
「もしかして、あの人って『霊影』で触れたもの全部を読み取ってる…………とか?」
「そう。師匠は……あの人は『霊影』の届く範囲内、全ての人間の状態が手に取るように分かるらしい。それこそ、思考を読み取ったりもできるみたいだ…………」
なるほど。
一度でも奴の術の範囲に入れば、気付かないまま身体をまさぐられて状態や思考を読み取られている…………と。
「師匠から見えないようにしても、屋敷の敷地やその周辺には『霊影』を張り巡らせているという。一歩でも足を踏み入れたら分かるみたいだ」
「うわ…………なんかヤダ…………」
ルゥクやホムラが警戒するはずだわ。
たぶん、それって『影』がやられたくないことの最上位だと思うの。
「ザガンさんの場合、『霊影』以前に化け物よね。触ったら分かるなんて」
「私にも同じことができると言われた。今は離れた所の探索くらいができる」
「さっき水辺を探したのも『霊影』の力ってことね?」
「あぁ。まだ範囲は狭いが……」
「ううん、かなり助かるじゃないの!」
ケイランは謙遜しているが、アタシは素直に凄いと思った。
「じゃあ、そのうちケイランもザガンさんみたいに…………」
「いや……師匠のあれは、術云々だけじゃない気がする……」
引きつった笑い顔で遠くを見詰めるケイラン。どうやら、ザガンまでになるのは相当大変なようだ。
「でも……『霊影』を鍛えれば、かなりの戦力よね」
きっと『影』が欲しがる能力であり、『影』が恐れる能力でもある。
「ルゥクが嫌々でも、あんたをあの人に会わせたのは『霊影』を強化するためだったのか……」
「かなり特殊だと思うが、ルゥクなりに私のことを考えていたようだ。これからの事を思うと、私が強くならねば対抗できないと踏んだのだろう」
「これからの事……ねぇ」
アタシはたまに忘れているけど、ケイランの使命はルゥクを刑場へ送り届けることだ。
その過程で迫ってくる奴らは多いし、戦いも激化してくるのは目に見える。
そう…………例えば……
「ゴウラ、とか?」
「………あぁ」
ケイランがグッと唇をキツく結ぶ。
くるりと身体の向きを変えて、再び山を歩き始めた。アタシもまた後ろについていく。
ザクザクザクザク…………
しばらく無言で歩いて、登りから少し平坦な場所に出た時にケイランがおもむろに口をひらいた。
「この間……港町での騒ぎがあっただろう?」
「うん」
「どうやら……あれにゴウラが関係していたらしい」
「えっ……?」
急に言われた言葉は全く予測していなかったことだ。アタシは少し考え込んだ。
あの事件、人が攫われて売られそうになってたんだよね。つまり、ゴウラが人買いをしてたってこと?
「人身売買の組織だったよね? ゴウラの奴、人買いして何がしたかったのかしら……手下でも増やしてた?」
「…………いや、あの組織には他に受け持つ仕事があった。ルゥクも私もそれは確認してるし、奴らがやっていたことは上にも報告している」
「何をやってたの?」
アタシの問いにケイランは顔を顰めた。
「奴らは…………」
言いかけたその時、
『ギャギャギャッ!!』
急に影が覆いかぶさり、木々の上から甲高い鳴き声が降り注ぐ。
「きゃあああっ!!」
「コウリン、伏せろ!!」
地面から伸びた数本の霊影が、頭上に迫った大きな影を斜め下へと叩き落とした。
地面に転がる物体は、目の前に来ても真っ黒なまま。
「何これ…………鳥!?」
「まさか空からも来るとは…………」
見上げたケイランにつられて、アタシも木の上を確認してしまった。
真っ黒な中にあって、無数の赤く光る眼が見える。
上からぐるりとアタシたちを取り囲んでいたのは、少し大きなカラスの化け物のようだった。
ざっと見て、二十羽くらいはいるだろうか。
実はカラスの妖獣は珍しくない。
旅の間にも何度か見たことがあるし、アタシの爆発の札でも簡単に追い払えるくらい臆病なものだったと思う。
「なんだ、カラスの妖獣なら、よく街道でも見掛けるやつじゃない!」
「…………あ……!!」
カラスを見てアタシはホッとしたが、ケイランは後退りをした。何かに気付いたような顔で、カラスたちから目を離さない。
「どうしたの? ここに出てくるのって、極弱い奴だって言ってたよね?」
アタシと合流するまで、ケイランはひとりで妖獣を倒していた。あれくらいの雑魚なら恐るるに足りず……ではないのか?
「そうだが、これは黒い……」
何? なんか違うの?
黒い鳥はカラスよね?
「くっ…………やはり、この数を相手には無理だ!! 逃げるぞ!!」
「えっ!! ま、待って!!」
そう言って走り出すケイランをアタシは必死で追い掛ける。
カラスを振り切るためか、ケイランは木と木の間をめちゃくちゃに走った。
「け、ケイラン! ちょ……ちょっと……!!」
「すまない、コウリン!! 今は死ぬ気で逃げてくれ!!」
今までに聞いた事のない切羽詰まった声。
「カラスの妖獣なら簡単にやつけられるんじゃ…………」
「『黒い妖獣』はダメだ!! あれは自然のものじゃない!!」
「へっ!?」
「おそらくだが……この山の『黒い妖獣』は、師匠が『霊影』で造ったやつだ!!」
「なっ!?」
じゃあ…………あれは、弱い奴じゃ……
「っ!? コウリン!!」
「きゃっ……」
ケイランが思いっきりアタシの腰を抱いて横に掻っ攫う。
ギュンッ!!
一羽のカラスがアタシの胴体の横すれすれを飛んでいった。
どごぉおおおおおおんっ!!
アタシにぶつかり損ねたカラスが、目の前の杉の木を突き破る。
メキメキメキメキッ!!
ずどぉおおお…………!!
「「……………………………………」」
杉の木が横倒しになるのを見ながら、アタシはあのオッサンにとてつもない殺意を抱いた。