灯火と暗闇
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
前回からのスルガ視点です。
夕方から夜になったばかりの空。
まだ薄く夕焼けの色が残っていたが、目的の場所へ辿り着く頃にはすっかり月夜に変わってしまった。
手には小さなロウソクしかないので、周りはほとんど闇に染まっている。
「はい到着。悪いね、こんな所まで付き合ってもらって」
「……………………」
あれから夕食を終えて外へ出ると、ルゥクが唐突に「山登りするよ!」と言ってオレを引っ張ってきた。
オレとルゥクは邑がある山の頂上、しかもそこにあった大岩の上に登っている。
足元も暗いので動ける範囲もわからず、二人が立つのがやっとだと感じた。
眼下には森に埋もれるように存在する邑の明かりが見えた。隠れ里と言っても、上から見れば人間が生活をしているのがよく分かる。
「此処、眺め良いんだよ」
「……はぁ、はぁ……確かに眺めは良いけど…………ぜぇ……」
夜の足場が良くない状態での山登りはかなり堪えた。オレはすっかり息があがり、岩の上に座り込む。
「ははっ、若いのにだらしないなぁ」
「だ、だって……オレは昼間は散々、剣術の鍛錬してたんだから…………」
体力には自信はあるが、その体力を昼間に惜しげなく使ってきたのだ。急に山登りなんてすれば、そりゃあ疲れもするだろ。
それに、邑に来る前に思ったんだけど、オレは意外と山登りが苦手だと思った。
だって、ひたすら足場を気にしながらじっくり登るのが、どうもオレの性にあわない。これだったら、だだっ広い平原を一晩中走った方が楽だ。
「よいしょ、っと……」
ちょっとジジくさい感じでルゥクが隣りに座る。そして、手に持っていたロウソクを消した。それでも、月明かりのおかげか、すぐ近くのルゥクの顔くらいは暗闇でも判別がつく。
「……こうして見ると、恢鄍も普通の村だよねぇ」
「まぁな。こっから見ると、隠れもしてねぇし……」
おもむろにルゥクが遠くを眺めながら言う。視線の先には隠れ里である恢鄍の邑の灯り。
「でも、こんな何の変哲もない山の頂上まで来ないと、あの邑に気付くことはないんだ」
「うん。そうだな…………」
ひゅうぅぅ…………
良い夜風が吹いてきて、暑くなった身体に心地よい。
これだけなら山も悪くない。
「で? オレの文句…………質問を聞いてくれんだろ?」
「うん。いいよ」
「まずは、あのザガンって何者?」
「言ってしまえば『術師』だよ。どんな……かはちょっと時間掛かるけど」
「わかった。最後まで聞く」
「………………」
ルゥクは少し黙って目を伏せ、それから静かに邑の方を指差す。
「そこの灯りが見えるのが邑だね」
「うん。まぁ……」
邑を差していた指がそのまま横へ動く。
「で、そこからもうちょっと西。あっちには何がある?」
「え? 何って…………あのオッサンの屋敷が………………あれ?」
恢鄍の横、ルゥクが言った方向には真っ暗な闇しかない。自然の、何も手が加えられていない山の夜だ。
「あのオッサンの屋敷、けっこう広いし、訓練場とかそのための外の広場もあったはずだ。それに、この時間ならまだ人は起きている…………のに……」
頭で理屈が出てくる前に、身体が感じ取って身震いする。
何人もの人間が暮らしているのに、灯りが一つも見えないなんてことは有り得ない。
だって、ケイランたちのいる離れの家も、コウリンが夜遅くまで勉強や薬の調合をしていたから、そのための光りが部屋にある。それがどこにも漏れないとはおかしい。
「えっと……森の木に隠れてる……?」
「ザガンの屋敷、そんなに鬱蒼としてた?」
「いや…………むしろ、邑より開けてた。屋敷の中に木はあったけど、庭木程度だったと思う……」
見えているものを肯定したくて、山から連想された可能性を挙げたがそれは意味を成さなかった。
オッサンの屋敷は塀に囲まれて、中に入ると意外に小綺麗に整えられている。数多くいる弟子たちが、敷地内を常に清掃しているからだと聞いた。
「陽の高い時間にここへ来るとね、邑よりもザガンの屋敷の方がよく見渡せるんだ」
「じゃあ…………何で、あの屋敷の敷地は…………真っ暗なんだよ……?」
「うん。そうだね、例えば…………」
フッとルゥクが消えていたロウソクの先を撫でると、火花が散って明かりが灯った。
「ここに火があるけど、手で覆うとどうなる?」
ルゥクがロウソクの炎を手で掴むとジリッと音がする。普通は手で握ってしまうと火は消えるが、何故かそれは消えずに指の隙間から明かりを放つ。
「覆っても……少しでも隙間があれば、ちょっとは明るい…………」
「うん、見たまんまだよね」
ジリジリジリ…………
手の中の火は消えずにいた。オレはだんだんルゥクの手のひらが心配になってくるが、当の本人は実に涼しい顔で説明を続ける。
「でも、これを完全に握ってしまうと…………」
「……………………」
ジッ!!
ロウソクの先が強く握られ、炎は完全に見えなくなった。普通に考えて消えたのだろう。
再び光源は失われ、目を暗闇に慣らすために二、三度瞬きをする。
ルゥクがロウソクから手を放すと、当たり前だが火はどこにもなかった。
「火、消えたけど……」
「消えたね。君の目の前からは」
「はっきり言ってくれ…………どういうこと?」
「つまり…………」
ボォッ!!
「っっっ!?」
突然、ルゥクの手のひらから炎が出現する。
思わずビクリとなってしまった。でも、よくよく考えたらルゥクは術師なんだから、これは術で出した炎だとすぐに理解できた。
「ルゥク、炎の術使えんだな……」
「使えるね。札を使えばだいたいできるけど、火は札も使わなくても出せる。たぶん僕が一番得意な術の系統だと思うよ」
確か……術師には火、水、土、風の『四大要素』の中で得意な系統が一つはあるって聞いた。
そういえば、ルゥクはよく炎系の爆発の札を使う。オレは考えなくても風系だよな。
「さっきの、“ロウソクの火を見えなくする方法”のひとつとして、火そのものを操るって方法がある」
「火を操る…………」
まさか、あのオッサンの術は…………
「でも、ザガンは火の術は使えない」
「………………」
ここまで言って使えないんかいっ!?
ケイランみたいな突っ込みが心に浮かぶ。そんなオレの考えに気付いたのか、ルゥクは手のひらの火を消してくすくすと笑っていた。
あ〜……なんか遊ばれてるみたいで腹立つ……。
「じゃあ、結局何なんだよ?」
「ん? それはもう言ったよ」
「何を…………」
「火を見えなくする方法、だよ」
「だから、火は――――」
「ザガンの屋敷はどうなってる?」
「え?」
「よく見てごらん」
言われて、思わず邑の隣りへ目をやる。先ほどと変わらない暗闇が広がっているが、オレはそれを注意深く眺めてみた。
真っ暗だ。何も見えない。
……………………いや、見える。
「あの敷地だけ…………何にも見えない」
邑やその周辺、他の山々は暗いながらもうっすらと月明かりに照らされている。
それなのに、ザガンの屋敷のある場所は真っ暗だ。
まるで大きな穴が空いたように、ぽっかりと完全な闇に包まれている。
………………包む……?
「火を…………敷地内を“完全に覆ってしまう”って……いう方法……」
少しも光が漏れないように。
すっぽりと『手』で包み込んでしまう。
「まさか、自分の屋敷を全部……覆っているのか……?」
「……気付いたね。あれがあいつの術なんだ」
「術って…………どんな?」
「それは言えない。本人の許可なく言うのは礼儀に反することだよ」
「…………そうなんだ……」
ザガンの術が何なのかは、相手が敵でなければ教えないらしい。しかし、ルゥクは再びザガンの屋敷を指差した。
「今、奴の屋敷全体は『手』で覆われている。それは見えなくても昼夜関係ない。つまり、僕や君たちが奴を訪ねている時、僕らは『手』の内に居るってことさ」
「オレたちの心を読んでいる方法もそれか?」
「そう思っていいね。僕やホムラでも、あの敷地内に入ってしまえば特別な方法を取らない限り、ザガンを殺したりすることはできないんだ」
逆は簡単らしいけどね。
……そう言ってルゥクは苦笑いしている。
だからルゥクもホムラも、めちゃくちゃ警戒した顔をしてたんだと気付く。
そして、もう一つオレがわかった事があった。
「あのオッサン……言ってること全部、少しも『嘘』がないんだよ。それが、余計に何考えてんのかわかんなくて…………」
「そうだね。ザガンは良くも悪くも嘘はつかない。僕を殺したくなったら、殺すって告げてから向かってくるよ。それも、至極愉しそうにね」
「う…………」
ザガンに裏表が無いということは、オレは『見気』を通して重々承知していた。
オレがあのオッサンを信用したくない理由がそれだ。
殺せる相手を殺さずに、自分の娯楽にしていること。
ルゥクやみんなの反応を見て、心の底から愉悦に浸ってるように思えたからだ。
「じゃあ、やっぱりケイランもゲンセンも危ないんじゃ……」
「ひとつ、言っておくと……ゲンセンはわからないけど……」
うん、ゲンセンは自ら飛び込んだしな。
「あいつは、絶対にケイランだけは殺さないはずだ」
「え?」
「ちゃんと理由もある。これも許可なくは言えないけど」
どういうこと? 教えてくれないのが余計に気になるんだけど…………
「たぶん、ケイランは最初にザガンから色々と聞いてる。だからあんなに必死なんだよ」
「ルゥクがケイランを、あのオッサンに頼んだのって……」
「ケイランはザガンに会うべきだと思った。特に、伊豫にいた時に僕に隠れて『影』の修行をしてたって聞いた時にね」
ケイランが『影』の修行をしてたのは、ルゥクの事を理解して手助けをするためだったって聞いた。
あんまり『影』には向いてなさそうだったらしいけど、それでもケイランはその修行に真剣に取り組んだそうだ。
「ケイランはルゥクのために…………」
「いや、強くなりたいならそれだけじゃないさ。それにあの子は、誰にでも必死になれるよ。別に僕だけじゃないから」
「…………………………」
それでも、ケイランが強くなろうとしているのも、結果的にルゥクのためになるんだよ。
その堂々巡りになりそうな会話はしないことにする。
何となく、それはオレが惨めな気分になりそうだったから。
しばらくの間、オレたちは黙って真っ暗な景色を眺めた。
黒い…………本当に、真っ暗なんだな。
ぽつりぽつりと邑の灯りが減り始めた頃、ルゥクがおもむろに立ち上がって伸びをする。
「さて、と……遅いからそろそろ戻ろうか。納得はできないだろうけど、できればザガンのやることは黙って見てほしい……」
「わかった。心配だけど、オレはケイランの様子だけ見てる……」
「うん。ありがとうスルガ」
この話から『安心しろ』と言われてもできないが、これ以上は今は教えてもらえないのだと悟った。
悟ったのだけど…………
「なぁ、ルゥク」
「うん?」
「あんまり他人の術を、ベラベラしゃべるのは良くないって言ってたけど…………」
「うん。そうだね」
「気付いたから言ってもいい?」
「いいよ。僕は教えてないし」
なら、遠慮なく言う。
あの暗闇を眺めていて、思い至ったことを。
「ザガンの術…………『霊影』だろ。ケイランと同じ」
「……………………」
無言でニッと笑うルゥク。
それだけで充分だったのに、ルゥクは一言そこに付け加える。
「…………近い将来、ケイランは僕を殺せる人間になるだろうね」