修行開始
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
視点移動あり。
ケイラン→コウリン
チチチ……
まだ薄暗いが外から朝一番の鳥の声が聴こえる。
さすがに修行の身なら、もう起きて何かした方が良いだろうか……?
そう思ってもぞもぞと起き出すと…………
「おはようございます」
「ぅわっ!」
不意に掛けられた声に驚いてちょっと跳ぶ。
部屋の入口に座っていたのは、昨日ここへ案内してくれた女中のスエだった。
「お、おはようございます。スエさん…………は、早いんですね……私が起きるのわかったんですか……ははは……」
あまりに驚いたので、自分でも何を言っているのか不明である。思わずひきつった笑いが出てしまった。
「えぇ。ケイランさんがそろそろ起きるから、朝餉前に道場へ連れてくるように……と、ザガン様が仰っておりましたので……」
「そうですか……」
本当にわたしが起きるのをわかっていた人間がいた。
「……ふぁ……ん〜、何……?」
「あ、おはよう。コウリン」
「おはよ…………むぅ〜……あ……もう、修行始まるの? あふぅ…………」
スエの姿を見て、わたしが呼ばれているのが解ったようだ。
「アタシも起きなきゃ…………」
「コウリンはまだ寝ていてもいいよ」
「うぅん……ふぁ〜……起き……」
いつもは目覚めのいいコウリンが、しきりに目を擦っては気だるそうにしていた。何だが、よく眠れなかったみたいに思える。
「大丈夫か?」
「うん……何か、夜中に周りがざわざわしてて、うるさくて…………眠りが浅かったっていうか……」
「え? うるさかった?」
わたしは首を傾げた。
コウリンとはほぼ同時に布団に入ったが、外から虫の声はすれど、他の物音や人の声などは一切なかった。むしろ、静かで心地良いと思ったほどだ。
「……疲れてたんじゃないか?」
「そんなことはないけど…………」
「やっぱり、もう少し寝て…………」
「ケイランさん。もう行きませんと」
コウリンを心配しているとスエが間に入ってくる。
「コウリンさん、朝餉はこちらで作ったものをお食べください。お二人は昨日の夜着いたばかりでしたし、今朝はこちらで勝手にご用意しました。それに、具合いが悪いなら医務室がありますのでご自由に利用なさってくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます……」
「……………………」
スエの物言いは親切だが、感情が感じられない。
まるで全て段取りが決まっていて、それから外れることが許されないような気がしてくる。
「ケイランさんはこちらのお着物を。これから毎朝、起床したらこちらの着物を着て、道場の方へ向かうのを習慣にしてください」
「わかりました」
スエから渡された着物は白地で厚手の生地。太い糸でしっかり縫い付けたもので、例えるならば武術の鍛練用の道着である。
わたしは寝巻きを脱ぎ、道着に着替えて立ち上がった。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。気をつけて」
布団に座ったままのコウリンが気掛かりではあるが、これ以上遅くなるのはまずいと思い、部屋を出て急いで道場へむかった。
「おはようございます。ザガン様、ケイランさんをお連れしました」
「おう、遅かったな。早く入れ」
道場に着くと、昨日と同じようにザガンは神棚の真下の壁にもたれて座っている。そして、その前には二人の人物がいた。
「おっす! おはよー、ケイラン!」
「よう。おはよう」
「スルガ、ゲンセン、何で?」
スルガとゲンセンだった。
道場の真ん中に、ザガンと向かい合うようにして座っている。二人とも、苦笑いを浮かべてこちらを見ていた。
「いや、ここって剣術や気術の修行をしてる奴もいるって聞いたしさ。オレも通いで混ざろうかなって…………」
「俺もじっとしてても、身体がなまってくるしな……」
わたしに説明してくるが、スルガがちらちらとザガンを気にしているあたり本心ではないような…………
「おめぇら、どうやら性格的に嘘つけねぇみたいだから素直に言っちまえ。“嫁にクソ甘いルゥクに偵察役にされました”ってな!」
「「嫁じゃないっ!」」
「あー……やっぱりあんた、分かるんだな……」
思いっきり、わたしとスルガの声が被った。
ゲンセンは観念した顔でため息をつきながら、ガシガシと頭を搔いている。
「『偵察役』とまでは言ってねぇが、ルゥクがケイランを心配してるってな。とりあえず、俺とスルガで様子見に来ようって思っ…………」
「報酬はどんな『酒』だって?」
「え〜と…………麓の町に美味い地酒があるって……」
「ゲンセン……」
「……冗談だぞ。酒の話しただけだ」
本当に冗談か?
まぁ…………修行するわたしの心配をそんなにされても困るものな。
と……ほのぼのしていたのだが、その時、
バンッ!
スルガが膝に思いっきり手を置いてザガンを睨み付けた。
「あーっ!! もう! オレは、ルゥクの兄ちゃんに言われたからじゃねぇ! ハッキリ言って、オッサンにケイラン預けんの心配なんだよ!!」
「俺も言われたからじゃなく、逆にルゥクに様子見に行くことを提案した…………正直言うと、俺もあんたを信用しきれてないな」
まさかのスルガだけではなく、ゲンセンまでもが不審な眼差しをザガンに向けている。
「お前ら、ケイランのこと甘やかし過ぎじゃねぇか? それに、おれのどこにそんなに怪しいところが…………」
「「いや、全部。まず雰囲気」」
「ちっ! 本気の本音でいいやがって!」
スルガもゲンセンも本心から言っているのか。
確かに……師匠は全体的に胡散臭いとしか見え…………
「おぅ、弟子よ。胡散臭くて悪かったな」
「あ……すみません。思いました」
「みんな酷ぇな。こんな好男子捕まえておいて……」
「「「…………………………」」」
いいな? もう突っ込みはいいよな?
「ゴホン。あんたの外見が怪しいのは置いといて…………別にケイランを甘やかしに来たんじゃない。分かると思うが……」
「そうだな。そこの赤毛の坊主と違って、お前さんは単純に『おれ』を見に来たってところか。ははは、面白ぇな…………そんなに気を張るなよ」
ゲンセンが静かな口調で言っているが、纏う空気というか気力が半端ない。
まるで、戦場にいるかと思うくらいの警戒態勢である。
「あんた、あのルゥクの背後を取れるんだから、まともに戦ったら強ぇんじゃねぇかと思ってさ。できれば、俺も色々と教えてもらいたい」
「…………ほぅ? ほうほう、なるほど」
「「……………………」」
張り詰めた空気に、わたしとスルガは黙り込んだ。わたしにも分かったのだ、『見気』が使えるスルガには二人の雰囲気がガラリと変わったのが見えただろう。
「ゲンセン……って名前だったなぁ?」
「あぁ」
「お前、身内を『影』に殺されたか」
「あぁ、娘みたいに思って育てた子を、ゴウラという『女影』に殺られた。挙句の果てに術を喰われてな……それを取り返して、仇を取りたい」
「ゴウラ……」
ザガンが呟いて目を細める。
「昨日はルゥクが動かなかっただけだ。でも確かにおれは強えな。ここにいる奴らもガキの頃からおれが鍛えた。ほとんどが並の『影』より強いぞ」
「じゃあ……」
「ケイラン同様、おれのことを師匠って呼べ。部屋は用意しないから、今日と同じ時間に毎朝通ってこい。そこの赤毛、スルガってのも一緒にな!」
にんまりと濃い笑顔を浮かべて、ゲンセンとスルガを見ている。
「分かった」
「おう! 分かったぜ、オッサ………………師匠!!」
「あーぁ、予想外にうるせぇのが増えたな。こりゃあ、ルゥク呼びつけて文句言わねぇと……」
唐突に、スルガとゲンセンの弟子入りが決まった。
「よし、じゃあ始めっか! おれも忙しいんだから、さっさと修行の流れを覚えてもらうぞ! 野郎どもは出てけ!」
スルガとゲンセンはそれぞれの修練場を教えられ、早々に道場から出されてしまう。
残ったのはわたしと師匠だけだ。
「始めるぞ。まずは…………」
「は、はい!」
「踊れ」
「…………は?」
一瞬、頭が理解を拒んだ。
踊れ? 踊れって言った…………おんどれ? 雄鶏? 何か聞き間違い…………
「聞き間違いじゃねぇーよ。踊れ。できれば、そうだな…………何でもいいから、それらしく動いてみろや」
「…………は……」
師匠に言われたら仕方なし。
わたしは立ち上がって、道場の真ん中まで歩く。
く…………やるしか……いや、こうなったらやってやるぞ!!
心に無駄に気合いを入れて、わたしは一歩を踏み出した。
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夕方。
外を見るとそろそろ陽も完全に沈む時間だ。
「……ケイラン、大丈夫だったのかな?」
アタシは薬草を薬研で研ぎながら、ケイランが帰ることを待ってそわそわと落ち着かない。
朝ごはんも戻って来なかったから、道場まで様子を見に行こうとしたら他の女中たちに阻まれた。
「ケイランさんの食事などは、私が持っていきますのでご安心くださいませ」
スエが他の人たちの先頭に立ち、にっこりと微笑みながら通せんぼしてきた時はちょっと腹立たしかった。
どうやら、アタシがケイランを直接手助けできるのは、寝る時と起きた時だけのようだ。その他は好きに過ごしてくれ……なんて言われる始末。
「きっと最初からこうするつもりだったのね。そりゃ、アタシがベッタリ貼り付いている訳にはいかないけどさ…………ちょっとくらい、様子を見させてもらっても……はぁ」
ため息が出てしまう。
「…………あ、そうだ!」
薬草の束を端に寄せ、慌てて戸を開けて庭先に出る。ここは敷地の端っこみたいで、すぐ近くに塀があるのでそこに向かった。
「カガリ! いるー!?」
たまにルゥクがホムラを呼んでいる時のように、アタシは姿が見えないカガリが近くにいるかどうか声を掛ける。
「あい。いるです…………」
すると、すぐ近くの真上から声が聞こえた。
「わっ! そこにいたの!?」
ベロン! と、屋根から逆さまになって、カガリがぶら下がっていた。思わず驚いて叫んでしまう。
「あのさ、ケイランの修行がどうなったかわかる?」
「あちは報告程度に昼までしか見てねぇですから、銀嬢の修行の全部はわかりかねるです。でも、ほら。今戻ってきたみたいだから、本人に聞けばいいです」
「え?」
背後を指差されたので振り返ると、そこにはケイランをおんぶしたスルガが歩いてくるのが見えた。
「ただいま、コウリン……」
「どうしたの!?」
ぐったりと背負われているケイランが心配になって駆け寄ると、スルガがなんとも苦々しい顔をしている。
「コウリン、このままケイラン中まで運ぶから」
「何でスルガがいるのよ?」
「あ、スルガ……すまない、ここで下ろしてくれ。大丈夫だから」
「大丈夫じゃねぇよ。ほら、部屋まで行くぞ!」
「うぅ……」
スルガがほんの少しイライラしているのがわかった。本当に何があったのだろう?
部屋に入ると、スルガはケイランを寝台の端に座らせた。そしてケイラン足首を掴んで持ち上げる。
「早く診てもらわないと!」
「うわっ! スルガ、ちょっ……痛っ!」
「なによこれっ!?」
ちょうどケイランの足の裏が見えたのだけど…………
「ったく…………オレが道場へ行かなかったら、どうやってここまで戻ってきたんだよ! こんなにひでぇ怪我して……!」
足の裏の皮が、見るも無惨にズタズタになっていたのだ。足の指の爪もあちこち割れている。
「何でこんな怪我してるのよ!? 早く洗って、回復の術を掛けないと……」
すぐに、昼間のうちに煮沸して冷ましておいた水をたらいに汲んで足を漬けさせた。
「うっ…………」
「少し我慢して、このまま術掛けてもちゃんと治らないから……」
丁寧にボロボロの足を洗い、キレイな手ぬぐいで拭いてから回復の札を貼って包帯を巻き付ける。
幸い、骨折とかはしていない。これくらいの怪我は、一晩寝ているうちにだいぶ良くなるはずだ。
ある程度の怪我は予想していたけど、まさかこんなに酷いことになろうとは。
「それにしても、足だけ一日でこんなになるなんて…………何やってたのよ?」
「…………踊ってた…………」
「へ? 何それ?」
聞けば、朝から呼び出された道場で、ひたすら踊り続けていたそうだ。
「術の鍛錬じゃなかったの?」
「…………………………」
そう尋ねたら、ケイランは急に黙って何かを真剣に考え込んでいるみたいな顔をした。
「ねぇ何か…………」
「あー、あれ踊りだったですか。何かごちゃごちゃ動いてたですね。あれなら、あちの方が上手だです」
踊ってたという事実に、カガリは勝ち誇ったように言った。
カガリが密かに道場内を見ていたことに「うぅっ……」と小さな悲鳴をあげる。ケイランとしては怪我のことよりも、一日中踊らせられたことが辛かったのかも。
まぁ……『壊れた水車』だもんね。
「オレ、剣術の練習に混ざった帰りに心配になって道場寄ったら、ケイランが倒れて動けなくなっていたから驚いたんだぞ!」
「こちらもちょうど終わって休んでいたんだ。別に倒れていた訳じゃ……」
「いきなり踊りを一日中って…………体力もだけど、精神の方もキツいじゃないの」
アタシとスルガが変な修行に怒りを滲ませていると、カガリはそれを鼻で笑った。
「ふん。キツいからって、おんぶされて帰ってくるようじゃ甘いんだです。修行なんだから、自力で這ってでも来いです」
「お前な……!」
今にもカガリに噛み付きそうなスルガを、ケイランは苦笑しながら手で制した。
「スルガ、いいんだ。今日は助かった。でも、カガリの言う通り、明日からは自分でなんとかする」
「でも……」
「どんな状態でも、自分で帰れるようにしたい。それをできなきゃ、私の修行は無意味になってしまう」
「「…………………………」」
何かを決心したであろうケイランにそう言われたら、アタシもスルガも納得せざるを得ない。
…………でも、なんで…………踊り?
ケイランは修行の意味を解っているの?
あのオッサンは説明したのかしら?
本当はちゃんとケイランに聞いてみたかったけど、聞いたらこの子の邪魔をしてしまうかもしれない。
アタシは一晩中、悶々と考え込んでしまった。