サトリの化け物 四
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「本当に、ほんとーに大丈夫か? あのおっさんに何かされそうになったら言えよ!! オレがぶっ飛ばしにくるからな!!」
「ありがとう、スルガ…………でも大丈夫だ。ほら、コウリンとカガリも居てくれるし……」
屋敷の玄関で母屋へ戻る仲間たちを見送った。
わたしの隣には難しい顔で立つコウリンとカガリ。背後には派手な着物姿の男たちが並んでいる。
「ほらほら、もう夜なんだから部外者は帰れ帰れ。気になるなら、明日の昼過ぎにでも来いや」
玄関の灯りがやっと届くくらいの廊下の奥の暗がりで、屋敷の主ザガンがニヤニヤと笑っているのが見えた。
「じゃあ……ケイランを置いてくけど、修行以外の余計な事はしないって約束だからね?」
スルガの横でルゥクが静かに暗がりを睨む。というか、ルゥクの纏っている空気が何処よりも暗く感じるのは気の所為だろうか……?
「まったく、お前も面白くなったなぁ…………おい、ちょっと」
「はい」
ザガンの呼び掛けに弟子の一人が応える。
コソコソと何かを伝えると、
「さ、お客様のお帰りだ! 邑の中心くらいまで送って差し上げろ!」
「「「はいっ!!」」」
ドドドドドドッ…………!!
合図と共に集団で進み出て、ルゥクたちを押し出すように移動していく。
「「「送らせて頂きます!」」」
「はいはい、そんなに押さなくても帰れるよ」
「ケイラン!! オレも明日から様子見に来るからぁっ!! 無理すん…………わぁあああっ!!」
まるで川で流される如く、仲間たちは弟子たちに押されて門の向こうへ消えていった。
「……強制的に排除されたみたいだな」
「うん……」
「暑苦し、です……」
げんなりした様子でコウリンたちが頷いて、あっという間に屋敷の中は静かになる。
「ふぅ…………うるせー奴らがやっといなくなったか。あぁ、頭が痛ぇ……あいつらガンガン喋ってくるから…………」
「…………?」
顰め面でこめかみ辺りを押さえているザガンに、わたしは違和感を覚える。
ルゥクたち、けっこう……いや、かなり静かにしてたよな?
スルガはともかく、ルゥクはいつもよりも言葉少なめだったし、ゲンセンとホムラなどはほとんど話していなかった。
「……あ? まぁ、うるささってのは人の感じ方だ。おれにとってはお前らは雑音ばっかだった」
「え?」
わたしの『心の疑問』に返答がきた。今、わたしは何も言ってないのに…………
「言ってるさ。お前さんだって、あいつらに負けず劣らず、ずいぶんとうるさいぜ?」
「なっ!?」
“心を読まれている”
わたしはそれを確信し、頭が真っ白になって固まった。
「くっくっくっ。いいねぇ、その顔。おれは初対面の奴がその顔をするのを見るが好きでなぁ」
「あぅ、あ……うぇ、あ…………」
にやぁあああ。
何とも形容しがたい笑みを前に、わたしの知能は赤ん坊以下まで落ちたように思う。
何も言えず、何も考えられず。わたしはその場に立っているのもやっとになって、ただただザガンのにやけ顔を凝視した。近くから浅い呼吸が聞こえて、コウリンも動けずにいるのだとわかる。
「銀嬢も三つ編みも……落ち着くです。このザガンは別に心の中を読んでる訳じゃねぇそうです」
「へ?」
カガリが緊張した声で呟く。
「前にルゥクさまが『相手の心を読む術なんて、この世の中には無い』って言ってたです。顔や体の『何か』を受けて、思っていることを推測してるって…………」
「推測……?」
その言葉に、わたしはザガンを見る。
離れた所から、ザガンはニヤニヤとこちらを眺めているだけだ。
もしも、こちらの心理を読む方法が『推測』だとすれば、ザガンは相手に触れずに観察してその情報を得ている。
「……『聴覚』や『視覚』……もしくは『嗅覚』…………あとは、“相手に何か掛ける術”……か?」
冷静に考えて“心を読む”なんて芸当は人間には不可能だ。
「ふふん……惜しいな。だが、なかなかに聡いじゃねぇか。そうだ、“心を読む”なんてのは人間にはできねぇな」
「…………………………」
読んでいるじゃないか…………いや、もう突っ込むのはよそう。これで解ったことがある。
「…………あなたには遠慮なく、腹の中で思った本音を言う方が礼儀というところか?」
つまりはそういうこと。
頭や心であれこれ考えていても、全て筒抜けになるのなら誤魔化さずに言えばいい。腹に余計なものを抱えていれば、それを弱点にされかねないってことだ。
「はっはっはっ!! こりゃ、聞いてた以上に肝の座った嬢ちゃんだな!! ルゥクの贔屓目かと思ったら、なかなかどうして!! いいぜ、気に入った!! はははははっ!!」
そのまま、ザガンはひとしきり笑い、しばらくヒーヒーと息を切らせていた。
「くくく…………よっしゃ、文句のねぇ弟子だ!」
「はい、師匠……」
「うん、よしよし。おれもお前のことはケイランって呼ぶぞ。さて……そうなると…………」
パンパンッ!
ザガンが両手を打つと、奥の廊下から数人の女性たちが早歩きで近付いてくる。
「あの……?」
「あぁ、ここの女中たちだ。この屋敷に居るなら何でも聞け」
女中たちは、わたしとコウリンを取り囲むようにして膝をついた。
「こいつら、今日から弟子としてしばらくいる。カガリは母屋に帰るだろうから、二人分の生活部屋を用意してくれ。今夜は休んで、明日の朝から色々教えるように」
「「「はい」」」
「では、お嬢さんたちはこちらへどうぞ」
「は、はい」
若い女中たちはそれぞれの方向へ駆けていき、一番年配と思われる女中がわたしたちの案内を買って出た。
屋敷の奥へ案内され、細長い廊下を進んでいく。
途中、カガリは別の女中に呼び止められて、慌ててどこかへ行ってしまった。急ぎの用事でも出来たのだろうか。
「でも、ザガン様が女性のお弟子さんを取るなんて珍しいわねぇ。しかもこんな若い子を……」
「…………え……」
ポツリと年配の女中が呟く。
思わず呟いたのか、キョロキョロと辺りを伺い他に誰もいないことを確かめてホッとしている。
「……珍しいのですか?」
「いえねぇ、私たちみたいな召使いに女性を雇うのですが、お弟子さんになるのはいつも男性だけですから……」
「そういえば、確かに男性だけだった……」
「みんな女装してたけどね」
「ふふ……たぶん、あの女装はあと三日は続くと思いますよ。ザガン様は五日おきくらいで、お弟子さんたちの衣装を変えてますから」
この女中……名は『スエさん』が言うには、この屋敷では色々な職人の見習いが働いているという。
今日、女装をさせられていたのは『陶芸』の弟子だとか。
「ここには、けっこうな人が住んでいるのですね」
「えぇ。邑とは別に、ここには八十人以上は居るかしら」
「八十人!?」
確か邑は三百人っていうことだから、本当の邑の人口は四百人弱か? ここだけで八十人はかなり多く感じる。
「ザガン様は様々な分野のお弟子さんを取られています。陶芸、鍛冶、工芸…………他にも術師や格闘家などがおりますね」
「…………そんなに……?」
「えぇ。あまりにも色々とやられるので、あの方を“化け物”扱いする者もおりますね」
“化け物”という言葉にふと、ザガンがある異名で呼ばれていたことを思い出す。
「あの……師匠が“サトリ”って呼ばれているのは?」
「…………さぁ、何でしょうね。ふふふ」
「「……………………」」
笑いながら話を誤魔化された。そのことについては触れてはいけないのだろうか?
しばらく歩いて、スエさんはわたしとコウリンをある場所へ案内した。
そこは渡り廊下で繋がった、小さな離れにある建物だった。その建物には部屋一つとささやかな炊事場が付いて、出入口の近くには井戸もある。
「ここなら他のお弟子さんに気兼ねなく寝起きできますよ。食事は私たちと食べても良いですし、ここで作るなら材料をお分けします。好きなようにお使いください」
「へぇ、立派な部屋だ……」
「ちょっと母屋から遠いけど、静かで良いじゃない」
思いがけず家を丸々ひとつ与えられたので、わたしもコウリンも嬉しくなってしまった。
正直、自分で好きに使える家があるなんて、一人前になった気分じゃないか。
「それでは、明日の起床の時は母屋から『合図』がありますので。今夜は早めに床に入られるよう。では……」
「スエさん、ありがとうございます」
スエさんはにこっと笑って頭を下げる。そして、もと来た通路を帰っていった。
『合図』ってなんだろう?
聞けば良かったかな…………。
流してしまったがそのことが気になる。
きっと、起床の時間に思いっきり鐘やら太鼓やらが鳴らされるのかもしれない。心しておこう。
この後、コウリンと一通り家の中を見回って、布団を用意したところでやっと落ち着いて話をする。
そのうち、しばらくここで暮らすことについて、コウリンが真剣な顔でわたしに詰め寄ってきた。
「炊事洗濯、生活面ならアタシに任せて、ケイランは修行とやらに専念しなさいよ!」
「いや、だが……そういう訳には……」
「いいのよ。アタシはあんたの主治医なんだから、倒れないように手助けしないとね。それに…………」
急にコウリンの表情が曇った。
「ほらこの間……寝込んだ原因も、アタシはすぐに見抜けなかったし……ルゥクに言われてやっと分かるなんて医者として悔しいというか…………」
「でも、特殊な例だったのだろう?」
確か『気力過剰過多』は、生まれつき術を持つ子供がなりやすいものだと言っていた。
わたしは大人だし、術も後から付与されたものだ。普段から頭痛や疲れも出やすかったから、わたしの見分けるのは難しかったんじゃないか。
「心配してくれるのは嬉しいけど、コウリンに頼りっぱなしにはなれない。コウリンはあくまで主治医であって、わたしの召使いではないのだから」
「だけど…………」
わたしの申し出に、コウリンが不満気に何か言おうとした時…………
「三つ編み、銀嬢の言う通りだです。修行してんだから、あんたはただ見守ってろです」
「わっ!?」
「あ、カガリ!」
すぐ近くの小窓から、カガリが逆さまになって顔を出していた。
コホン。神妙な顔つきで咳払いをして、カガリは口を開く。
「……ルゥクさまからの言伝てです。『ケイランひとりでやれなきゃ意味ないから、コウリンは見てても手を出しちゃダメだよ』……です!」
んん? カガリの言い方や声がおかしいのだけど……?
「カガリ……あんた、今ルゥクの声真似してたの?」
「う、うるさいです!!」
どうやら、カガリなりにルゥクの伝言をそのまま言いたかったようだ。
そういえば、ホムラは完璧にルゥクの声色で話せていたし。カガリもやりたかったんだなぁ。
「と……とりあえず、ここにいる間は銀嬢がひとりで修行頑張るです! 三つ編みは体調を診るくらいで、手伝っちゃダメだです!!」
「えー? じゃあ、アタシが来た意味ないじゃないの……」
コウリンがぶつぶつと不満を言うと、カガリはふんすっと鼻を鳴らした。
「ふふんっ、三つ編みがそう言うと思って手を回してやったです! ここには薬師の修行してる奴もいるです。あんたもそこで見学や手伝いをできるように言ってやってたです!!」
「はいはい。それ、ルゥクがそこに言っててくれたんでしょ。わかりましたー、アタシも勉強しますー」
得意気なカガリに対し、コウリンは呆れたように言った。
「ふん。せいぜい励めです。暇な時は赤毛やデカブツも様子見に来るって言ってたです。ここには剣術や武術も鍛錬してる奴もいるですから、あいつらにもためにはなるです!」
「本当に幅広いな……」
この屋敷に来る前はそんなに人が多くないと想像していたのだが、かなりの人数がザガンの所で暮らしていることになる。
「あちは時々ここに来て、銀嬢とルゥクさまとの中継ぎになってやるです」
「…………ルゥクは来ないのか?」
「ルゥクさまは邑では忙しいです。ここには頻繁に来られないです」
「……何で? 師匠が苦手だからか?」
「い……忙しいからです! それ以上もそれ以下もないです! そんな多忙なルゥクさまがわざわざ、暇人ザガンの屋敷に来る理由はないです!!」
「………………?」
わたしは内心、首を傾げるばかりだった。
ルゥクはザガンが苦手だというが、それだけでアイツが来ないのもおかしい。屋敷に来た時も様子が変だったし、一方的にやられるのもルゥクらしくなかった。
「じゃ、あちは母屋に帰るです。明日の朝にまた来るですから、何かあったらすぐに言うです! おやすみです!」
「うん、ありがとうカガリ。おやすみ」
「はいはい、おやすみー」
カガリは素早く屋根の方へと引っ込んでいく。急に部屋が静かになった。
「明日からか…………」
ルゥクが避ける“サトリの化け物”を師匠に持ってしまったが、これから何をすればいいのか。
その不安は、考えれば考えるほど膨れてくる。
「ほら、今日はもう寝よ。考えても仕方ないわ。考えるのは明日にしよ!」
「あ……うん」
さっさと布団を敷き始めるコウリンに、わたしは不安な考えをやめることにした。