サトリの化け物 三
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
ケイラン視点です。
「ひゃははははっ!! ずいぶんと大人数で来たなぁ! やっぱり客は多い方がいい!!」
愉快そうな大声が響く。
「いやいや、本当に良い影だ。嬢ちゃんはずいぶん丁寧に使ってるみたいだなぁ」
「っっっ…………!?」
その大柄の男は、わたしの伸びっぱなしになった『霊影』を撫でながら近付いてきた。
なでなでなでなで…………
男が『霊影』の表面を撫でてくる度にゾクゾクと寒気がして、それと同時に何とも言えない頼りなさ…………例えるなら、吹雪の中にヒラヒラとした布一枚で立ってしまっているような、そんな心もとない感覚に襲われるのだ。
…………霊影を、引っ込めないと…………
寒気を伴う不快感。
それが『霊影』を通して伝わってきているのは十分解っている。なのに、わたしは影を仕舞えずにその場に立ち尽くした。
頭では解っているのに、体が硬直して動かない。
それに連動したように『霊影』も微動だにせず、伸びたまま男に撫でられている。
や……やだ……なんかやだ! なんか、気持ち悪いっ!!
だんだん、影ではなく自分が撫でられてる気分になってきて、ますます身体が動かなくなっていくようだった。その時、
パァンッ!!
不意にわたしの耳元でルゥクが両手を打ち鳴らした。
「ケイラン、一度頭で考えるのやめな。あの影は君じゃない。何も考えずに影を動かして」
「―――っ……」
ルゥクにそう言われた途端、身体と同じくガチっと固まっていた『霊影』がくねくねと柔らかさを取り戻し、すぅっとわたしの足下まで引いて消えていく。
さっき影を放った時同様に、わたしは途中で息をするのを忘れていたようだ。胸に入ってくる冷たい空気が、やっと生きた心地を取り戻してくれた。
「はぁ、はぁ…………何、今の…………」
「幻覚」
「さっきは幻聴って……」
あの何とも言えない、撫でられたような感じが『幻覚』で済ませられるのか?
「……アイツの『術』は他でも珍しいんだ」
「今の……『術』だったのか……」
それこそ『術』には沢山の種類がある。
わたしの『霊影』は“操作系”だし、
「珍しさで言えば、スルガの『見気』くらい他では見ないね。しかもあれは無意識で発動する『肉体強化系』に分類されるから、発動動作もないし知らなければ防ぎようがない」
「そうなんだ…………」
術の名前を聞こうかと思ったが、ルゥクがスタスタと男へと歩いていったので聞きそびれてしまった。まぁ、聞いてもわからないけど。
「…………気安く彼女の『霊影』を触るのやめてくれる? ケイランはお前の『術』に慣れてないから動けなくなる」
「ははっ、別にいいじゃねぇかよ。精神的にすり減るくらい」
「すり減らすなら却下だ」
「甘やかしてんねぇ……くく……」
常に笑いを漏らす男に淡々と言うルゥク。
こちらからは後ろ姿だが、きっとどこまでも冷たい無表情なんだろう。
でも…………『苦手だ』と言っていた割には普通に話している。そんなに嫌悪するくらい仲は悪くないんじゃ…………
ふと、そんな考えが過ぎった時だった。
「っ…………!?」
じわぁと自分の背後から妙に鋭い『気』が漂ってくる。思わず振り向くと、見慣れたホムラの“にんまり”とした口元が見えた。
しかし口とは正反対に、ホムラの青い目が一切笑っていなかった。
うわ…………怖ぁ…………。
『これ以上ふざけんなら殺しやすよ?』
そう言ってるように思えてならない。
普段のホムラは保護眼鏡を掛けているから眼までは見えていなかった。もしかしたら怒っている時はいつも、“にんまり”しながらあんな感じだったのかもしれない。
「「「…………………………………………」」」
横ではそんなホムラの様子に気付いた仲間たちが、顔を引き攣らせて立ち尽くす。
特に初対面でホムラに殺されそうになったコウリンなんかは、小さく「ひっ……」と声をだして、青い顔でゲンセンの着物の裾を掴んで後ろに隠れている。
ホムラの隣りで、男を睨み付けているカガリが極上の癒しに思えてしまうほど。この場は殺気で満ち満ちていた。
本当に……仲悪いの……?
視線をルゥクと男の方へ戻すと、二人がこちらを向いて歩いてきている。やっぱり、ルゥク表情は氷のように冷たい。『影』の顔になっている。
「ま、せっかく来たのに玄関で立ち話もなんだな。おーい、お前ら! すまんが、ルゥクと客人たちにお茶の支度をしてくれ!」
「は、はいぃっ!!」
「ただ今っ……!!」
玄関からこちらを伺っていた『女装男たち』がバタバタと奥へ引っ込んでいった。
「ほら、他の奴もあがったあがった!! ここに突っ立ってても夜になっちまうぞ!」
「あ……はい」
中へ誘導するように男が後ろから手で煽ってくる。険しい顔をしながらも、ルゥクとホムラも何も言わずに移動しているし、ここは従ってもいいと判断して家へあがった。
…………………………
………………
わたしたちは屋敷では玄関に近く広い、板張りの道場のような部屋へ通された。
上座の中央には立派な神棚が見える。
わたしとルゥクが前列で、その後ろにコウリン、ゲンセン、スルガが並んだ。
ホムラとカガリはずっと後ろの、壁際に座ってこちらを見ている。
わたしたちが座って少しすると、男が道場に入ってきて神棚の下の床へドカッと座った。
「ルゥクや他から軽く聞いてるかもしれねぇが、一応自己紹介してやる。おれの名前は『蓙巖』だ。この邑では『影』じゃなく『職人』として暮らしている」
職人…………そう聞いて改めて男の風貌を見る。
歳は五十前後くらいだろうか。
髪の毛と髭が無造作に伸びてボサボサだ。大きめの着物もずいぶん着込んだのか、ダボッとしている裾はボロボロである。
背はルゥクよりも頭一つ分くらい高く、筋肉が多くてかなりガタイが良い。『職人』というよりも『武道家』と言われた方がしっくりくる。
そして、何よりも目を引くのは顔のアザだ。
左頬にあるそのアザは、わたしの『霊影』の形によく似ていた。
「私は…………」
「おっと、お前さん方の話は昨日、ルゥクからほとんど聞いたからしなくていい。ケイラン、だったよな?」
「は、はい……」
名乗ろうとしたわたしを制し、ザガンは胡座をかいた膝に右手を乗せた。この時、反対側の左の袖が力無く揺れる。
わたしはそこで、この男の左腕が無いことに気付いてしまった。
…………片腕の職人……?
「まさか、ルゥクが邑に客人を招く日がくるたぁ思わなんだ。いつもコイツが世話んなってんなぁ」
「…………何、保護者みたいなこと言ってるの?」
ルゥクの突き放すような台詞に、ザガンは口元を綻ばせてわたしたちを見回す。
「コイツめんどくせぇだろ? 巷じゃ“化け物”とか“不老不死”とか言われてるが、中身はいつまでもガキ同然だからなぁ」
「………………………………」
ムスッと頬を膨らませてルゥクが黙り込んだ。そんなルゥクにわたしは少し違和感を抱く。
いつもなら嫌な相手に対して、人を小馬鹿にしたように嫌味を織り交ぜながら徹底的に口論しているはずだ。こんなに言われて黙っているのは、何だかルゥクらしくないような…………?
チラリと隣りのルゥクを見てそんな考えが逡巡していた時、急に正面の視界に“黒い影”が現れた。
アゴを持ち上げられ、正面を向かせられる。
「なるほどなぁ…………こいつぁ、確かにおれの出番みたいだ」
「へ…………?」
本当に『いきなり』と言っていい。
正面、拳二つ分の距離にザガンの顔があったのだ。
「うわっ!?」
「きゃっ」
わたしは思わず仰け反って倒れ込み、後ろに座っていたコウリンに受け止められた。
ち、近付いてきたの、全然気付かなかった!?
相当ボーッとしてたということなのか、わたしは迷惑を掛けてしまったコウリンの顔を見上げる。
「ご、ごめん……コウリン」
「ううん、別にいいけど…………でも……」
驚いたせいではなさそうだが、肩を支えるコウリンの手が微かに震えていた。
何かおかしいと思い隣りを見ると、立ち上がろうと身体を浮かせたままの姿勢で、スルガとゲンセンがこちらを見て固まっている。
「あんた今…………いや、いつ動いたんだ?」
「おっさん、直前までそこで胡座をかいてたのに、どうやってケイランの前に来たんだよ……?」
「……………………」
よそ見をしていたせいかと思ったが、三人の様子を見るに『ザガンが急に現れた』という状況だと解った。
ザガンはニヤニヤとしながら、わたしの座っていた場所にしゃがんだ。
「んあ? あぁ、そう見えたか。それはお前らの“ここ”のせいさ」
トントン……人差し指で自分のこめかみを指しながら言う。
「人間の頭ん中ってのはな『有り得ない』という考えで凝り固まっていると、本当に『有り得ない』と判断しちまうんだ。頭はその判断を正しいと信じてやまない」
まさか……今のも“幻覚”とか? でも、何の動きも感じなかった。
ぬぅっと首を前に傾け、ザガンはわたしの顔を覗いてくる。
「特に、基礎基本応用、予習復習、品行方正、清廉潔白な『お堅い人種』にゃ、なかなか拭えない“呪い”みてぇなもんよ」
「そんなに見ないでほしいのだが……」
その『お堅い人種』とやらに自分が分類されていると、正面から言われているのは理解した。
うぅ……もう少し離れてほしい…………ルゥク、少しは助け…………
ザガンから感じる謎の圧に、わたしは思わずルゥクの方へ助けを求めそうになる。しかし、ルゥクはこちらを見ずに、何故か腕組みをしたまま俯いていた。
まるで何かに耐えているように見えて、わたしは声を掛けることを躊躇った。
「こんなだが、おれも『術師』の端くれだ。この邑では何人も『術』を教えている」
「そうですか……」
ジロジロと上から下まで値踏みするような視線が痛い。
「なぁ、ケイランよぉ」
「はい……」
「お前さん、今まで『術』の基礎はやってきてるよな? 基礎の基礎『気力操作』は当たり前にできるな?」
「え、はい。もちろん」
術師の基礎だ。
それはできなきゃ話にならない。
「うんうん。じゃあ、基本の『気術放出』は?」
「それは……私は『放出系』の術ではなかったので、体力の都合であんまり…………」
「『気術変化』は?」
「あまり…………」
「『気術移行』は?」
「全然…………です」
そこまで言って、ザガンはため息をついて困ったように笑った。
「なるほど。つまり、お前はいきなり“応用”をやる羽目になった訳だ。それはツラかったなぁ」
「え……」
一瞬だけ声に憐れみの色が混じる。
「よしっ!! そういうことなら善は急げだ! ケイラン、お前は今日からおれの『弟子』だかんな! おれのことは『お師匠さま』と呼べっ!! 声高にな!!」
「はぁっ!? な、何でそんなことになる!? 誰も頼んでないだろう!?」
あまりの急展開に、わたしは思いっきり突っ込んでしまった。その反応にザガンは鼻で笑いつつ答える。
「あ? 誰が頼んだかって、ルゥクに頼まれたんだがなぁ。『嫁を鍛えたいから弟子にしてやってくれ』…………って」
「何っ!? どういうことだ、ルゥク!!」
「『嫁』とは言ってないし」
「それじゃない! なんだ、『弟子』って……!?」
ルゥクに詰め寄ると、珍しく申し訳なさそうな表情になった。
「ケイランの『過剰気力過多』を治せるとしたら、術の基本を固めることになるんだ」
「術の基本……」
「君は基礎基本をすっ飛ばして『術師』になったから…………まぁ、僕のせいなんだけど…………」
「あ…………」
そうだ。わたしは術の基礎である『気力操作』はできる。だから、術師としてやれないわけではなかった。しかし術は元々、ルゥクから与えられたもので、わたし自身で身に付けたものではない。つまり、わたしの中で何か『しわ寄せ』のようなことが起きたのだ。
「本来なら、スルガがゲンセンから『気力操作』を教わった時みたいに、ちゃんと基礎を叩き込んでから『術』を定着させれば良かった。そうしたら、今まで君が真面目に学んだ『肉体強化系』なんかも、君の努力しだいでちゃんと身に付くはずだった。“土台”が安定しなければ、身に付くものもぐらついてしまうだろうし……」
はぁ……と心底、申し訳なさそうなため息をつく。
「ザガンは…………見ての通り変な奴だけど『術』は確かだ。君の話をしたら絶対になんとかできるって豪語するから連れてきたけど……………………嫌なら断っていい。少しでも身の危険を感じるなら、今すぐに帰っても構わな――――……ぐっ!」
「っっっ!?」
いきなり、ルゥクの首に腕が回された。
その背後には満面の笑みを浮かべたザガン。
「逃がさねぇよ? おれぁ、この嬢ちゃん気に入ったからな。こんな鍛えがいのありそうな『不良物件』を見ちゃあ、おれのやる気が抑えられねぇ。実にたぎってくるってもんだぁ!」
な…………この男、ルゥクの背後に!?
弟子とか不良物件とかの前に、ルゥクが一方的にやられたことに驚愕した。素早いとかそんなものじゃない、これは何かの能力だ。
「で? 一応、ケイランには選択権があるんだが…………どうする? おれんとこでちょいと頑張ってみるか、やっぱりこの色男に手取り足取り教わるか。良いんだぜ、お前が好きな方を選んでもおれは困らねぇ。でもやるんなら、おれのこと『お師匠さま』と慕ってもらうぜ!」
「…………………………」
正直、目の前でルゥクが締められているのを見て、この男には恐怖しか感じない。だが、それ以上に教わる価値があることも理解した。
でも、弟子になったら…………わたし、何をされるんだろう……?
脳裏を過ぎったのは、集団で女装させられていた『弟子』たちの姿だった。