サトリの化け物 一
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
ケイラン視点です。
『明日の夕方に、僕と一緒に来て欲しい所があるんだ』
……一体、どこに連れていこうというのだろう?
その日の晩。
布団に入ってぼんやりと考えた。
ここは大部屋でいくつも寝台があり、隣りの寝台でコウリンが寝ている他には、邑の若い女性たちが数人眠っている。
明日の昼間にコウリンと邑を回るのを楽しみにしながらも、ルゥクに言われたことが頭を過ぎった。
『“悟り”が出るって言ってたなぁ』
スルガがルゥクを見たという場所。
“サトリの化け物”が出る家。
こういう時の予感というのはよく当たるものだ。たぶん、わたしが行く所はそこの気がする。
「…………化け物か……」
旅を始めてだいぶ経つ。
ろくでもない人間には囲まれるし、死人の群れには追い掛けられるし、妖獣の大群と戦ったりもした。
彌凪や嵐丸、そしてゴウラのような人間の“不死”とも…………
「……………………………………」
よく考えれば、彌凪と嵐丸は完全な“不死”とはいえなかったらしいし、ゴウラに至ってはルゥクとは質の違うものだと思っている。
“不死”であるルゥクが、今のところ化け物の最高峰ではないか。
怖い……という感覚が異質になってしまっているが、ルゥクと一緒にいるせいで、わたしもそこそこ度胸が付いたはずだ。
とりあえず見かけが人型であれば、初見で腰を抜かすことはない。たぶん。
「………………寝よ…………」
自分の中で整理し、目を閉じて体を丸くした。
…………………………
………………
「…………ラン……ケイラン……」
…………ん?
閉じた瞼に微かに光を感じる。
おそらく、わたしの名前を呼んでいるのはコウリンだ。
早くから出歩きたいと言っていたから、張り切って起こしに来たのだろう。それくらい、邑に興味が湧いたのかもしれない。
コウリンはたまに、こういう可愛いところがあるなぁ…………ふぁ…………なんか、妙に眠い……。
「ケイラン…………」
『ウレしい…………』
………………え?
コウリンの声に、変に高い女の声が重なった。
「ケイラン……起きて」
『オきて……オきて……』
――――気のせいじゃないっ……!!
「っっっ……!!」
意を決して、重たい瞼を一気に上げる。
「……………………あ……」
鼻が付きそうなくらいの近距離、わたしの視界を独占していたのは、港町で見た人型の“真っ黒な塊”だった。
あの時と同じように、寝台の脇からわたしの顔の前にぬうっと頭らしきものを突き出している。
「………………………………………………」
わたしは寝転がったまま、その塊を凝視する。
塊の表面に“目”のようなものは確認できないが、きっとわたしとこいつの視線は眼球がくっつきそうなくらい近い。
『イッショに、イくよ……』
「っ……っ……!!」
“何処へだ!? 断る!!”と突っ込みを入れたかったが、口は開いているのに声が出なかった。
『ウレしいウレしい、イッショにイく……』
ぐにゃんと塊が人の形を崩した。
…………なんか、喜んでいるみたいだ……?
崩れた塊が、寝ているわたしへと波のように覆いかぶさろうとした時、
「ケイラン! ちょっと! 大丈夫!?」
「……はっ!!」
バチッと目を開くと、“真っ黒な塊”と入れ替わったようにコウリンの顔があった。
今まで目を開いていたはずなのに……あれは夢だったのか?
「おはよう、酷い汗よ? 大丈夫?」
「おはよ…………うん、大丈…………うっ……」
ちょっと頭を動かそうとしたら、ぐわんっと天井が回り始める。酷い目眩と頭痛だ。
これはきっと『気術過剰負荷』の症状だろう。
「うなされてたから、思わず起こしちゃったんだけど…………」
「ごめ…………頭、痛い……」
「あぁ、いつものね。手ぬぐいとお水、持ってきてあげるから『気力操作』して楽にしてなさい」
「うん……ありがとう……」
コウリンがパタパタと部屋を出ていく。
「うっ……ぐ…………ふぅ…………」
目眩を押して上半身をなんとか起こし、息を深く吸って身体中に『気力』を巡らせた。その途端に、目眩と頭痛は嘘のように引いていく。
「はぁ……はぁ……」
目眩は治ったが、心臓がドクドクと波打っている。あの“真っ黒な塊”を思い出して身震いした。
真っ黒な……まるで影みたいだった。
ん? 影…………?
ふと、それに思い至って寝台から這い出る。部屋には誰もおらず自分一人だ。
深く息を吸って神経を集中させると、足下にぞろぞろと集まってくるような振動を感じる。
「すぅ………………『霊影』……」
ズババババッ!
足下の暗がりから十本ほどの、太い縄くらいの影が飛び出てきた。それらは、わたしの周りでくねくねとなびいている。
「私の『霊影』は……これ、だよな……?」
確かに“真っ黒な塊”ではあるが、今まで人のような形をしたことはない。細いか太いか、長いか短いかの違いはあっても、いつも縄状で蛸の触手のようである。
以前は本当にただの縄のようだったが、一度ルゥクの血の強化により刃物の性質も持つようになった。
「……もしかして、人型にもできるのか?」
『霊影』を繰り出す時は、頭の中である程度は形状を想像していた。
もしも、わたしの想像次第で形が変えられるとしたら、使い道に幅ができるのではないか?
「人型……人型…………う〜ん…………」
ありきたりな人の形を想像して、気力を『霊影』へと送ってみるが…………
「…………変わらないな?」
うねうね、くねくね。
縄状の影はどこにも何の変化もせず、その場でゆらゆらと揺れているだけである。
「…………へぇ、それがケイランの『霊影』なんだ? あまり、ちゃんと見たことなかったかも」
「え……?」
不意に背後から声がした。
反射的に、足下へ『霊影』を引っ込める。
「おはよう、ケイラン」
「あ……サイリ……おはよう」
「…………ふぅ」
サイリはため息をつきながら部屋に入り、近くの寝台に座ってこちらを見る。
「……………………」
「……………………」
少し気まずい空気が流れた。
昨日のこともあってか、なんだか話しづらい。しかしそこは歳上の意地なのか、最初に口を開いたのはサイリの方だった。
「えっと……昨日はごめんね。なんか変な雰囲気にしちゃって…………さっき、コウリンともすれ違ったから、謝っておいたの……」
「あ、いや……私は気にしてないから大丈夫……」
変な……というのは『ルゥクの嫁』だの『ホムラの嫁』だののあらぬ誤解のせいだ。勘違いと解ってもらえたなら別に…………
「うん、あたしもケイランは、ルゥク様の嫁だってのはよくわかっていたんだけどね……」
あ、駄目だ。よくわかってない。
「いや、私は別にルゥクでもな…………」
「ユナンが言った通り、あたしはホムラにルゥク様の後釜を降りてもらいたかったの。後釜には『別の人』になってもらいたいから……」
「へ……別の人って?」
ここでサイリは少し押し黙った。そして、俯き目線を逸らしながらボソッと呟く。
「………………タキ……」
「タキ?」
「タキは……あたしと同い年で、ホムラが邑に来る前までは…………後釜の最有力候補だった」
「そ、そうだったの……」
初めは意外かと思ったが、すぐに納得できた。
タキは伊豫にいた時も、ホムラと並んでルゥクの補佐をしていた。単独で動くこともあるから、確かに後釜だと言われてもおかしくない。
「ま、それももう十…………九年も経っているけど」
パンッと両手を打ち鳴らし、サイリは寝台から勢い良く立ち上がった。
「もう、終わったことだね! 確かにルゥク様の一存でホムラに決まったけど、それを本人ならまだしも、あたしが文句言う筋合いはなかったってこと」
「じゃあ、何も言わないってことは……タキは納得しているのか?」
「さぁね。この話は終わり。ごめんね」
「いや、わたしは別に……」
後釜問題は邑の者としては、本当は気にしてはいけないのだろう。でも、サイリはきっとずっと気にしていた。
ん…………それって、サイリはずっとタキのことを気にしていたのか。まさか、サイリってタキのこと…………?
頭にわたしらしくない仮説が浮かぶ。
これは……わたしが突っ込んだら返り討ちにされそうな気がする。だが、ちょっと聞いてみたくてチラッと見た時、サイリは急にバンバンとわたしの背中を叩いた。
「え? な、何?」
「そうそう、聞いたんだけどさー。ケイラン、ルゥク様に“ザガン”の所へ連れて行かれるんだって?」
「…………“ザガン”?」
「邑の外れの屋敷に住んでる奴」
「えっと……まだ、場所までは聞いてなかったけど…………」
場所どころか、その“ザガン”という人物の名前さえも知らない。
やっぱり連れて行かれるのは、昨日話題に上がっていた屋敷か。予感が的中するのもなんかやだ。
「…………“サトリの化け物”が出るって、噂があったのなら知っている」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと人間だから。みんなが近寄らないだけだよ」
今…………一番聞いちゃいけない言葉が出てきた気がする。
「近寄らないって…………?」
「うん、だってあいつ『変態』だもん」
「………………………………………………………………………………」
うわぁあああああっ!!
絶対関わりたくない人種の設定がきた!!
『変態』って…………『変態』って何だ!?
「平気平気、取って食われたりしないよ。たぶん」
「………………………………………………………………………………」
最後の“たぶん”で不安が五割増しになった。
もしかしたら、サイリはわざと言っているのではないか?
「確かに、ケイランはザガンにあった方が良いね。これだけは正解だと思う」
「えっと……なんで、そう思って…………」
「じゃあ、頑張って無事に帰ってきてね! 今日の夕飯は美味しいの作って待ってるからさ!」
「あ! ちょっ…………サイリっ!!」
あっという間にサイリは部屋から出ていく。
わたしから聞きたいことは何一つ聞けず、不穏と不安を山のように残して行ってしまった。
「…………何なんだ……」
呆然と立ち尽くしていると、
「ここでの話…………サイリって、あんたのこと嫌ってると思うわ」
「仕方ねです。タキのあにさんに大事にされてる銀嬢は目の敵だです」
入り口にひょっこり、コウリンとカガリが顔を出した。
「な、な、二人とも……ずっと見て……?」
「ごめん、何か気になったから聞いてみたくて……つい」
「あちも面白くて聞いてたです」
「…………………………」
くっ……二人とも、わたしの身より好奇心が勝ったか…………というか、カガリはともかくいつも味方のコウリンまで見物してるとかって…………
「コウリン……私が色恋を指摘されて困っているのを見ていた……と?」
「えっ!? あ、いえ、そのケイランを見世物にしてたりなんかしてないのよ!? なんか最近王都で噂になってるという、大衆娯楽演劇の恋騒動みたいな展開だなぁと期待しちゃってね! そのぉ……ごめん……」
「あ、それ、邑の姉さんたちが三つ編みに言ってたヤツ! あちも気になってたです!」
「…………………………」
コウリンがすっかり邑に馴染んでいる。
どうやら、あの歓迎の洗礼は邑と仲良くなるためには、わたしも受けた方が良かったのだろう。
旅で娯楽に飢えている友人に、哀愁の気持ちが湧いてくる。
人間、辛いことばかりだと精神的に良くないのだ。ここはわたしが、全てを許す大らかな気持ちになっておくことにした。
「今度…………旅の途中で王都に行ったら、一緒に演劇を観に行く? 父の知り合いが劇場の支配人と友人だから、良い席に案内してくれると思うし…………」
「本当っ!? 行く! 行きたいっ!!」
「ほ、本場の劇場……! あ、あちも……あちの分もお願いするです!! 後生だです!!」
「わかった……みんなで行こう……」
「「きゃーーーっ♡」」
普段、二人からは聞けない黄色い声が響いた。
まぁ……王都に帰ったら、たまにはそういうのも良いだろう。
この後、すっかり上機嫌のコウリン、カガリと共に恢鄍を見て回った。
邑は思ったよりも広くて、普通の町のように買い物もできて、さすがに『影』の邑らしく各地の噂話なども聞くことができた。
存外に楽しかったのだが、朝にサイリに言われたことのせいで、頭の片隅には夕方への心配が燻っていた。
…………ザガンって人……大丈夫だろうか?
そして夕方。
変態やら、サトリの化け物やら、なんだか色々と言われてはいたが、意外に会ってみたら普通かもしれない。
そんな希望的観測を胸に、わたしは“ザガン”なる人物に会うため、邑の外れにある屋敷へと足を運んだ。