隠れ里へ
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
ケイラン視点です。
「お世話になりました。この町に来たら、また寄らせてもらいます」
「はい、是非またいらしてください。では皆様、いってらっしゃいませ」
早朝。
丁寧に頭を下げる宿の支配人に見送られ、わたしたちはそのまま真っ直ぐ町の外れへと歩いていく。
昨日までに必要な買い物をして、役所へ給金や通過証明も受け取りに行ったので、もうこの町でやることは何も無い。
大通り、市場、町の出入り口の門を越えると、街道には疎らに旅人の姿や馬車が見えた。
徒歩で街道を歩いている人間もちらほら見掛ける。
その時、ざわりと背中にタチの悪い殺気を感じた。
「…………街道の脇に人が多いが?」
「もうお約束だよねぇ」
よく晴れた景色によくよく気配を探ると、十数人は街道脇の林に潜んでいる。たぶん、ルゥクを町から狙ってきているいつものゴロツキだ。
でも今は海沿いで、周囲を囲まれることも無く見通しが良い。しかも他の旅人も歩いている。
これなら奇襲をかけてくる輩どもも、しばらくは大人しくしていることだろう。
その気配はわたしだけじゃなく、ゲンセンとスルガも察知しているみたいだが、あちらから仕掛けない限りは動く気はなく落ち着いている。
「街道が森にでも入ったら、すぐに取り囲んできそう…………」
「そこは放っておいていいよ。辺りに潜んでいるゴロツキは、ホムラが少しずつ潰しててくれるはずだから」
今、わたしと一緒に歩いているのはルゥク、コウリン、ゲンセン、スルガである。
カガリは昨日、景色の良い所でみんなで軽食をつまんでいる途中で、サイリとユナンに横から攫われた。
「食事くらい静かに食わせるですーーーっ!!」と、半泣きで遠ざかっていく声がちょっと可哀想だった。
ホムラの方は昨日から姿を見ていない。どうやら、『ベルジュ』としての演技はハギと別れた時点で終了したようだ。ルゥク曰く、ホムラは“通常営業”になったらしい。
「気配はねぇけど、ゴロツキと同じように潜んでいるのか……」
「目的地同じなのにわざわざ隠れてるの?」
ゲンセンとコウリンが呆れたように街道脇を見ている。
「街道には他の旅人もいるから嫌なんだって」
「少し前まで、人前で楽器とか演奏していたのが嘘みたいだな……」
「でも人前では顔も隠してあまり喋ってなかったし、本人が言うには話す時以外は普段と変わらないらしいよ」
「……………………」
言われればそうなのだが…………なんか納得いかない。
「ホムラは覚える芸も、とりあえず黙って鳴らせば良いから……って『楽器』にしていたほどだからね」
「そんな消極的な理由か…………」
「僕と会ったばかりの頃なんか、暗殺や戦闘に特化してて『表』に出るつもりもなかったから、芸事を覚える気もなかったんだよね。僕に言われたから、渋々身に付けたってところかなぁ」
「渋々って…………」
…………それにしては、かなりの奏者に育ったものだ。
『影』をやっている者は芸事、つまり『歌』『踊り』『楽器』など、世間を欺く特技を好んで身に付ける。しかし、趣味などで習得するそれとは技術は別格である。
サイリやユナンもそれで国中を回って情報を集めているのだから、腕前は並以上にしなければお話にならないはずだ。
うん、無理。わたしは絶対に『影』の仕事はできない!
みんなには『踊り』がまずいとバレてしまったが、実を言うと『楽器』も酷かったりする。『歌』は嫌いではないが、人前で歌える技量があるかと問われると難しい。
「カガリは?」
「カガリは『踊り』を覚えようとしてたかな? ま、あんまり進んでいないみたいだけど」
「へぇ。じゃあ、将来はサイリたちみたいになるのか?」
「いいや。あの子に“表”の仕事は無理だと踏んでる。でも伝達に長けているから、僕も周りにカガリには暗殺や潜入はさせないように言ってる」
「そうか……『影』でもそういう役回りもあるのだな」
いつだったか、完璧な『女影』になる……なんて言ってたけど…………
カガリには悪いが、あの子がルゥクやホムラのような『影』になる姿はあまり見たくはなかった。
他愛のない会話をしながら、わたしたちは海の見える街道を進み、翌日には今度は山に向かって歩いていった。
…………………………
………………
港町を出発してから早十日目の昼。
海はとっくの昔に見えなくなり、今歩いているのは山に続く林道である。
本当に余計な邪魔者は登場する前に潰されたのか、予定していたよりも早く目的地の手前に着いた。
そう、次にわたしたちが向かうのはルゥクの『邑』。
さすが『隠れ里』と呼ぶだけあって、当然ここからは広大な山の中に何も見えない。
「………………これ、本当に登るの?」
コウリンがやや顔をしかめて見上げている。
わたしたちの目の前、森を隔てた向こうには大きな山脈がそびえ立っていた。
「そんなに構えなくても大丈夫だよ。別にこの中の一番高い処へ行くわけじゃないし」
「それでも、険しい道のりには違いないが……」
今いる位置から曲がらず行けば近いらしいが、それはかなりの悪路になるという予感しかない。少なくとも気軽に登山をするような場所ではないのだ。
「これ、あんたたち男どもはいいかもしれないけど、アタシとケイランにはちょっと…………」
「私は大丈夫だ。兵士の訓練でも登山訓練があったからな」
「でも……不安だわ……」
コウリンは珍しく嫌がっている。体力はわたし以上にあるであろう彼女だが、どうやら山登りでのわたしの様子を心配してくれているようだ。
「う〜ん、じゃあ物資を運ぶための遠回りの道にする? 緩やかだけど、馬車を使っても時間は徒歩の倍掛かる道があるよ」
「ぐ…………オレたち、馬車使えないんだからさらに倍以上じゃん……」
基本、わたしたちは徒歩だ。それに例え乗せてもらおうとしても、この辺りには目的地が同じ馬車を連れた旅人なんていない。隠れてる場所にいくのだから。
「それにしても…………」
「今から行く道は、みんな使ってる山道だから何も無い山を登るよりは楽だと思うよ。カガリや他の小さい子も登ってるし。大人なら行けるんじゃないかなぁ?」
「……あんた、アタシが登れないとでも?」
ニヤッと笑うルゥクの表情からは、コウリンに向かって挑発とも取れるような雰囲気を醸している。でもそこから分かるのは、ルゥクも遠回りが嫌なんだろういうこと。
ルゥクの思惑には乗りたくないのがコウリンである。ぐぬぬ……と顔をしかめてわたしの方をチラッと見る。
「私なら本当に大丈夫だ。辛いと思ったらちゃんと言うから……」
コウリンは大きくため息をつくと、両手で自分の頬を軽く叩いた。
「あ〜っ! わかったわ。ケイランが大丈夫なら、アタシだって余裕で行ってやるわよ!!」
「……まぁ、無理すんなよ。とりあえず薬箱は札に仕舞って身軽にしろ」
「よし! ケイランだけじゃなく、コウリンも疲れたら言えよ! オレが背負ってやるから!」
「いやいや、あんたに背負われるくらいなら休憩入れるから……」
「ほら、みんな行くよー。今日は森を抜けて、明日の朝には山に登らないと。三日後の夕方には『邑』に着きたいからね」
言われて手前の森に入った途端、あまりの薄暗さや鬱蒼とした道無き道にルゥク以外はげんなりとする。
「明後日の夕方かぁ。これ、かなり時間掛かるんじゃねえの?」
「もっと早い道もあるにはあるけど……」
「え? 本当に?」
「西側に回って、崖を垂直に登る道」
「「「却下!!」」」
「道って言わねぇだろ……」
…………ルゥクはそっちに行ってそうだ。
「僕とホムラだけならあっちだったなぁ」
「…………………………」
今の呟きは聞かなかったことにする。
…………………………
………………
そして予定していた三日後の夕方。
わたしたちは山の中とは思えない、都に匹敵するくらいの頑丈な鉄の門と積み石の壁の前に立っている。
「いやー、まさか予定通りに着くなんて思ってなかったよ。みんな頑張ったね」
「「「………………………………」」」
「ふぅ…………おい、お前らは大丈夫か?」
「「「………………………………」」」
カラカラと笑っているルゥクに軽く殺意を覚えてしまう。この口ぶりでは、もう少し遅くても気にしなかったんじゃないかと思う。
うぅ……さっきから膝がガクガクする。山を舐めたつもりはなかったのに……。
ゲンセンはまだ余裕がありそうだが、わたし、コウリン、スルガは険しい山道に言葉を発することもできないほどの満身創痍になってしまった。
すぐにはしゃぐスルガならともかく、コウリンがこんなに疲れているのは珍しい。
みんなが疲れて黙り込む中、ルゥクが隣りに来て苦笑しながらわたしの顔を覗き込む。他に聞こえないくらいの声で囁くように言ってきた。
「君も無理しないって言ったのに、全然足を止めないんだもん。何度抱きあげようと思ったか…………」
「なっ……! だ、大丈夫って言っただろ……!」
「状況判断。みんな、君の速度に合わせてたのわかってた? それに気付けないようじゃ、兵士としては失格だよ」
「ぐ…………」
どうやら、ルゥクはわたしが自分の体調だけではなく、他の仲間の様子に気付けるか見ていたようだ。
遅れるのが嫌だと、意地になって進んでしまったのが駄目だ……と言っているようだ。
こいつも…………急に試すようなことしなくてもいいのに。
最近、たまにルゥクが変な指導をしてくる時がある。
確かにわたしが悪いのだが、なんだかルゥクに腹が立つよりも、ちょっと悲しい気分になってしまった。
「旦那たち、お疲れさんでやす」
「ん?」
その時、頭上から降ってきた聞き慣れた声に上を見る。
門の上、瓦屋根にちょこんと胡座をかいているホムラの姿が見えた。
いつもは頭からつま先まで真っ黒な格好だが、今は紺色の職人が着るような着物姿で、青い眼や金髪は全然隠していない。
…………前もって素顔を知らなければ、何者かと身構えるところだったな。
「ホムラ、お前いつ着いたの?」
「へぇ、あっしは昨日の昼でさ。旦那を狙ってる輩もいやせんでしたので、ひとりで西の壁登って来やした」
「あー、やっぱりあっちの方が早いなぁ」
今のわたしには、師弟の恐ろしい会話に突っ込む気力もない。
「それより、みんなを早く中に入れてあげたいんだけど……開けてくれる?」
疲れ切った仲間の様子を横目で見ていたらしく、ルゥクがホムラに門を開けるように指示した。ホムラはにんまりしたあと、座ったまま上半身だけ後ろを向く。
「おやっさん方、旦那が帰ってきやしたんで、門を開けてくだせぇ」
ホムラが言うと遠くから「あいよー」と複数人の声が聞こえてくる。すると門はギギギ……と軋んだ大きな音を立てて開いていった。
「うわ……」
「わぁ、スゲェ!」
開いた門の先には、山の中とは思えないくらい広々とした一本の通りが伸びている。
「さ、みんな早く入って。すぐに門を閉めるから」
ルゥクに促されて、わたしたちは門をくぐって広場に入った。改めて周りを見回すと、やはりここが『隠れ里』とは到底思えないくらい大きい。
まるで都会の中心に置かれた大通りだ。
通りの両脇には商店も見え、一目見た限りでも数十人がそこを歩いている。
「ここ…………『邑』って……?」
『邑』……と呼ぶにはあまりにも大きい。かなりちゃんとした『町』だ。本当に地図にもここは載ってないのか?
「集落、里、村、町、…………好きに呼んでいいよ。特に決まってないから」
「こんな規模だったとは……」
「一応、名前もありやすよ」
すとんっ、ホムラが門の上から軽やかに飛び降りてきた。
「『邑』の名前?」
「いつの間にか、勝手についてたんだよね…………ま、いいや…………」
ため息を吐きつつ、ルゥクが笑顔で言う。
「ようこそ。誰も知らない邑、『恢鄍』へ」
夕陽に照らされた恢鄍は、どこか浮世から離れて見えた。