月夜の詩想
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ケイラン視点です。
真夜中の庭。
光源は月の明かりのみ。
背中全体が温かい。
背後からふんわりと風呂上がりの熱と共に、香油のようないい匂いがした。
「じゃあ、始めるよ?」
「あぅうう……」
先ほどからわたしを拘束しているルゥクが、至近距離でいつになく優しい笑顔を向けてくる。
――――自分は何をされるのか…………?
片手で体を持ち上げられており、足はほとんどつま先しか地面についておらず、力も入らないので逃亡も難しい。たぶん暴れてもこの縛めは解けないだろう。
「僕に任せてこのまま力抜いててね。そうそう、いい子だねケイラン……」
「…………うぅ……」
腰に回された腕がぎゅうと締まる。
己の身に起こることを想像し、ルゥク相手では抵抗は無理だと覚悟を決め固く目を閉じた。
しかし…………
「じゃ、動きはちゃんと真似て覚えてね。右からいくよー。はい、みーぎ、ひだり……」
「…………?」
「ケイラン、ちゃんと見てるの? そんなんじゃ、いつまでも覚えられないよ?」
「???」
そっと目を開けると、わたしの足元……つま先がルゥクの足の甲にちょこんと乗っている状態だ。
そこからルゥクが滑るように足を運んで、するするとわたしごと地面を移動している。
「せめて足の動きだけでも様になればいいでしょ?」
「………………えーと…………」
「もう、何を呆けた顔をしてるのさ」
「え…………だって、この状況は…………」
「君は口で言うより、こうして体で覚えた方が早いだろうと思ったから」
「何を…………」
「忘れた? 教えるって言ったじゃないか」
わざとらしく頬を膨らますルゥクの顔を見上げながら、何の事だったかと頭の中で記憶を探る。
教える? 教えるって……――――あ!!
「…………………………踊り?」
「そう」
そういえば、熱を出した初日にそんなやり取りをしたっけ。すっかり忘れていた。
「踊り……そうか、踊りだったな…………私はてっきり………………」
「てっきり、何?」
「………………………………」
そそそ、そうだ!! いくらルゥクでもこんな外で変なことするわけないじゃないか!!
「……もしかして、別の何かでも考えた?」
「っっっ!!」
言われて、わたしは自分が想像していたことを思い出し、一気に顔が熱くなる。
「なるほど、僕も深く考えてなかったよ」
「……え?」
「君だって大人だもんね。ここは期待に添って踊りじゃなく、君の想像した『別のこと』やらを教え………………」
「だっ!? 大丈夫デス!! 踊り、教エテ下サイッ!!」
自分でもおかしいと思えるほど声が裏返ってしまった。
早とちりしたわたしが悪いのだが、「何を想像したんだろーねぇ?」とニコニコしているこいつの顔を殴りたい。
腹立つな! 絶対分かって言っているだろ!?
地味に怒りを溜めつつあるわたしを他所に、ルゥクは踊りの基礎となる足の運びを繰り返し行っている。しかし、わたしはなかなか動きについていけていない。
「はいはい、君は踊る時に不必要に力入れ過ぎ。こんなんじゃ、曲がる関節も曲がりやしない。だから『壊れた水車』とか言われるんだよ」
「悪かったな……どうせ、私はお前みたいに何でも出来ないですよ…………」
「………………………………」
八つ当たり混じりに嫌味を言ったら、ルゥクは動きはそのままだが黙り込んだ。怒らせたかと思ったが、表情からは特に怒りも何も感じない。
しばらく無言で足の運びを練習して、わたしも少し落ち着いた頃、ルゥクがピタリと動きを止める。
「…………僕はそんなに器用な方じゃなかった」
「へ?」
「覚えも遅かったし、同じ年齢の子供と比べても『影』に向いているとは思われなかった」
「…………子供の頃?」
「うん」
後ろから抱きすくめられたまま見上げると、ルゥクは少し苦笑していた。言い難いことを言っているという表情だ。
「『影』ってねぇ、そこら辺の貴族の子女よりも、よほど教養を覚えておかないといけないんだ。それこそ、術や戦闘、情報収集なんかよりもたくさんの一般教養や芸術をね……」
「まぁ、確かに…………」
だからこそ、他人の懐に入ったりできるのだろう。
「自分で言うのも何だけど…………僕は見た目が悪くないから、師匠から『お前は表から敵に近付ける』って他人にウケが良い特技を色々と叩き込まれた」
うん…………その顔なら男女共にたらしこめることができるものな。わたしがお師匠さまでもそう思う…………とは、面と向かって言えない。
「特に僕みたいに表に出る『影』は社交性も求められる。その時には芸術を武器にするのが手っ取り早い」
「芸術…………踊りとかだな?」
正解であろう笑顔を向けてルゥクは話を続けた。
「とりあえず、歌、踊り、楽器のどれかは身に付けた方が良いって…………最初に一番マシだった踊りを教えられた……」
『マシ』という言葉が特に強調された気がする。
「師匠は色々な踊りが得意で、歌や踊りが好きだった瑞熙も一緒になって厳しく教わったわけだ……」
瑞熙というのは、ルゥクのお師匠さまの大事な女性だ。その人はルゥクにも大事な存在だったはず。
何となくだが、厳しい中でも楽しかったんじゃないかと思った。その証拠に、ルゥクの表情が少し柔らかい。
「それで……僕も初めは散々だったよ。何度も同じところで躓いて、踊りで敵の懐に潜入できるようになったのは、師匠たちが死んだ後。二人にもちょっとは踊れるところを見せてあげたかったな……」
「……………………」
話し終えると再び足さばきの練習になった。
この、自分の足の上にわたしの足を乗せるやり方は、お師匠さまがやったやり方で、当時は『歩く練習する赤ちゃんと同じ』と笑いながら教えてくれたそうだ。
つまり、ルゥクも最初はわたしと同じくらい下手くそだったと…………にわかには信じがたいが。
「で? 歌と楽器は?」
「う〜ん、今でもそんなに得意じゃないなぁ。できなくはないけど……」
「…………料理は未だにできないな?」
「あれは逆の才能だと思ってる……」
ルゥクには苦手なことも多かったが、今はだいたいのことはできるという。でもそれは、時間が掛かっても克服していったから。
“不死”だということで時間は普通よりもあるが、その中でこいつなりに努力をしていた。何でも器用にできると思ったが、それは初めからそうではなく努力の賜物だろう。
よく考えれば、ルゥクは普通の人間だった時に『札の術師』になった。札の種類だけでも相当覚えるのがあったはずだから、本人のやる気無しでは成し得てはいない。
……術のことも、わたしが勝手に劣等感を抱いていたな。
話しながら練習していると、自然と身体の力が抜けている。初めよりはだいぶ良くなったと思う。
「あの……ルゥク?」
「なに?」
「踊りってコツとかあるのか……」
「コツねぇ…………瑞熙には『踊りは“水の流れ”だと思え』って言われたかな」
「水……」
「上から下に。自然に動作を繋げるように流れを作る」
「…………流れ……」
ぴしゃん……
水の想像をした時、一瞬だけ耳元で水音がした気がする。
「…………あれ? ケイラン、ちゃんとできてるじゃないか」
「え? あ……」
言われて、わたしは足元に視線を落とすと、無意識のうちにわたしの足は直接地面を踏んでいた。
そこから言われた通りに足を運ぶと、すんなりと踊りの型をなぞっていく。
「わぁ。足だけならできてる……!」
「よく短時間で覚えたね。もしかして、意外にできるんじゃないの?」
「それはない。何年もできなかったんだから……」
急にできるようになったことに、わたしが私を信じられないくらいだ。
たぶん、ルゥクが教えてくれたからだな……。
背後にピッタリくっつかれてはいたが、その分、必要な動きしかしなかった。
お手本を見て覚えろというのは、わたしには向かなかったのだろう。
「それなら、今日はもう終わりでいいね。君もそろそろ眠れるんじゃない?」
「あぁ、そうだな……」
練習の終わりを告げて、ルゥクがわたしの背中から離れる。
途端に、暖かかった背中がスゥっと冷えて、なぜか物寂しい気持ちになった。
けっこう寒かったのかな。早く寝よう………………でもなぁ…………
「また、朝になって頭痛とか目眩に襲われたら嫌だな…………」
ここ最近の起き抜けの不調を思い出してげんなりする。
「あ、そのことなんだけど……コウリンとも話してね、解決策があるかもしれないよ?」
「え? どうにかできるのか?」
「うん。寝て起きて、また不調なら試してみようか。本当に効くかわからないし」
「わかった……」
寝る前に、起きた時に不調にならない方法を聞きたいが、まだ未確定のようなので仕方ない。
「じゃ、おやすみ」
「うん……おやすみ。ありがとう……」
ルゥクは『影』らしくスゥッと闇に溶けるようにいなくなる。
一人になった庭が急に怖くなり、わたしもすぐに部屋へ戻って休むことにした。
…………………………
………………
――――――翌朝。
「うぅ……やっぱり駄目か…………」
もはや習慣になった頭痛た目眩に襲われた。
寝る間際まで身体の調子が良かっただけに、今度こそはと思ったのだけど…………。
「おはよう、ケイラン。どう? 今日の具合い……」
「最高に悪い…………」
「そうよね。こんな青い顔してたら……」
目を覚ますと、近くにいたコウリンが顔を覗き込んでいた。
「あ、ケイラン起きた?」
「ルゥク……」
部屋の入り口からルゥクも顔を出す。
今日は朝から女装はしておらず、いつもの男物の着物姿だった。
「ねぇ、ルゥク。やっぱりアレ疑った方がいいんじゃない?」
「そうだねぇ。ここまできたら試してみても良さそうだねぇ」
「え…………何を……?」
昨夜、ルゥクが去り際に何か言ってたけど…………
「ちょっと辛いかもしれないけど体起こせる?」
「それくらいなら…………」
ぐらぐらする頭を上げて、なんとか上半身を寝台の上で起こしてみる。だが、それ以上は、目眩で平衡感覚がおかしくなっているせいで、寝台を出て歩こうとまではいかなかった。
ぐらりと揺れそうな体を、布団を掴んでなんとか踏ん張る。
「ごめん、これ以上は…………」
「あぁ、うん。寝台からは動かなくていいけど…………あと、もう少し頑張ってくれる?」
「え……?」
「このままで『気力操作』をしてほしいの」
「気力…………」
集中力が続かない今、訓練のための『気力操作』ができるだろうか?
「ふぅ…………」
目を閉じて静かに呼吸をする。
頭痛はするが、目を閉じると目眩はいくらか楽になった。そのまま続けると、だんだんと身体の機能が整ってくるのが分かる。
「…………あれ?」
一通り『気力操作』を終えて目を開けると、目眩も頭痛も嘘のようになくなっていた。
「治った…………何で?」
「やっぱり『気術過剰負荷』……ね」
「過剰……?」
「体内にある気術が負担になって、身体に不調として出てくることよ」
コウリン曰く。
術を身に付けている者が時々なる症状だそうだ。
本来は体内に収まっている気力が、何らかの作用で膨張して外へ漏れ出ることらしい。
「対処法は、今みたいに『気力操作』で気力を体内に押し込めてしまうこと。無理やりでも体内の気術の流れを整えるのよ」
「そうか、そんな方法が…………」
「でもこれ、いつもは術の初心者がなるものなの」
「へ?」
聞けば、この症状が出るのは生まれつき術のアザがあって、まだその術を制御できていない子供が多いのだという。
「子供……初心者…………」
「ま、たまに大人でもなるわよ。治ったんだからいいじゃない」
「そうそう。原因と対処法がわかれば大丈夫だね」
「……………………」
治ったけど複雑な気分だ。
「ケイラン、伊豫では毎日決まった時間に『気力操作』の修行をやってたでしょ? たぶん、それで身体の調子が良かったのよ。最近は旅の移動で忙しかったから、疎かになってたんだと思うわ」
「じゃあ、私はこの『気術過剰負荷』っていうのにずっと罹っていたのか?」
「ん〜……はっきりとは言えないけどね……」
いつから罹っていたのかを調べるのは難しいらしい。この症状は個人によって様々なうえに、いつなるのかも数日は様子を見ないといけない。
一日の時間によって不調と好調が違ったのも、わたしの体質よるものなのだろうとコウリンは予想している。
「でも良かったね。これで今日は久々に昼間にゆっくりできるじゃないか」
「うん。まだ町の見物もできてないし――――……あっ! そうだ、スルガと役所へ行かないと……!」
寝台から降りたが、少し足がふらついたところをルゥクに支えられた。
「おっ……と。治ったからって急に動くのはおすすめしないよ。それに、スルガならとっくに出掛けたし」
「え、もう?」
「うん。ベルジュと一緒に」
…………ベルジュと?
「なんか、楽器の弦に使う材料を買いに行くからって、スルガに道案内がてらついてったみたいよ」
「役所の道なら分かるって言ってたね」
どうやらベルジュは、何度も来ているこの港町には詳しいらしい。
「大丈夫かな……」
「大丈夫じゃない? あいつも張り切って行ったし、ちょっとは信じてあげなさいよ」
「うん。そうだな」
ああ見えて、スルガも来年には成人だし、土地に詳しいベルジュもいるなら平気だよね?
「申請の手続きも難しくはないんでしょ? きっと、遅くてもお昼過ぎには戻ってくると思うわ」
「うん。それなら、私はゆっくり待たせてもらおうかな……」
わたしは納得して、スルガたちの帰りを待つことにした。頼もしい後輩ができたことを素直に喜んでいよう。
しかしこの日、スルガとベルジュは夕方になっても帰ってこなかった。