不調好調?
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枕元にゴソッと小さな音がして、わたしの意識は浮上した。
「……………………」
目を開けたら、すぐ目の前でカガリがわたしの顔を覗き込んでいる。
「………………………………にゃっ!?」
彼女は目が合うと小さく叫んで、物凄い速さで部屋から逃げていった。まるで、台所で人間に見つかった子ネズミのよう。
…………一体、何をして……?
顔はそのままで目線を少し下げると、枕元に何かが置いてあるのを見付けた。
「………………饅頭?」
何か……道端のお地蔵さまへのお供えみたい……。
たぶん、彼女なりのお見舞いかも。
昨日は飴玉が置いてあったが、それも贈り主はカガリなのだろう。可愛いことをしてくれる。
「う……ん…………」
陽の傾きを見ると、もう昼を過ぎているようだ。
体を起こすとまだ少し目眩が残っているが、熱も下がっているようだし朝よりはマシになっていると感じた。
「まったく…………なんでこんな不調に…………」
このおかしな不調は三日ほど続いている。
朝に目覚めると激しい頭痛と目眩、それと高熱でまったく起き上がれなくなるのに、夕方になると何事もなかったかのように治ってしまう。
さすがにこれにはコウリンも首を傾げ、薬草茶や薬膳、回復の術やらを試してみるが、これといって確かな改善が見られないと悩んでいた。
昨日の夜までは酒場の仕事に出たが、今朝のわたしの様子を見たゲンセンとスルガから「今夜は仕事に出るな」と言われてしまった。
原因不明。いくら疲れが溜まっていたとしても、この不調は変だ。
朝晩の体調の落差が物凄い。
朝に寝台から出られないほど具合いが悪いのに、夕方から夜にかけては走り回れるほど元気になる。
「寝てれば良くなるのかわからないな……」
寝台脇の卓に置いてあったものすごく苦い薬草茶を、カガリにもらった饅頭と一緒に流し入れ息をつく。
水分と糖分を補給すると少し良くなるので、疲れが原因なのではないかと思ってしまう。
「ケイラン、起きてたみたいだな!」
「あ、スルガか……」
わたしが茶をすすって考え込んでいると、スルガが様子を見に来てくれた。
「調子は?」
「だいぶ良くなったし、もう大丈――――」
「ダメ! 今夜は休みだかんな!」
「………………うん」
やはり駄目か。
心配してくれるのはありがたいが、みんな少しばかり過保護な気がするぞ。
先ほどからだんだん体調が良くなっていくのがわかる。また、夕方には元気になるはずだ。
「そうだ。酒場の仕事に入る前に、言っておこうと思ったんだけど……」
「ん? 何だ?」
「明日、ケイランの代わりにオレが役所に行こうと思ってるんだけど」
「え? まさか、スルガが手続きに?」
どうしても昼間に体調を崩してしまうため、町に着いてから未だに役場へ行くことができていない。
「申請は代理も立てられるんだろ?」
「うん。いつもはルゥクの分も、私が一人で行って申請していた」
ルゥクが代わりに行くと言ってくれるが、あいつが行くと確実に町の中で賞金目当てのゴロツキと乱闘騒ぎになる。何故なら、役人の中には貴族と通じてルゥクの存在を密告する奴がいるからだ。
まぁ、書類を受け付けた奴がそういう人間だと、わたしが代理で行っても情報を流されるのだが……。
「だったらオレが行く。オレだってもう兵士なんだろ? 申請くらいのお使いなら大丈夫だよ」
「まぁ、確かに……申請だけならスルガでも十分だが……」
これ以上、手続きが遅くなってしまうのはこちらとしても困る。遅くなればなるほど、町に滞在せざるを得ない状況になり、ルゥクを狙う奴らが勘づいて集まってきてしまうからだ。
スルガが行ってくれるなら、早めに通過証明と路銀を受け取れる。それにスルガはまだ、強欲な貴族連中から護衛兵と認識されていないだろうから、今なら一人で行っても危険も少なく済むだろう。
「それなら……明日、お願いしてもいいか? 申請の仕方なら今のうちに教えておく」
また、明日の朝に具合いが悪くなったら教えるどころじゃない。これからのことを考えると、スルガにも覚えていてもらわないといけないし。
「おう、任せとけ!」
「じゃあ……必要なものを……」
荷物から色々とスルガに渡して、申請の仕方を教えていると、部屋の外から複数の話し声が聞こえた。
「やっほー、ケイラン起きてるー!」
「お姉様、ここは静かにしませんと……」
「でもケイラン起きてるよー。スルガもいるー」
ゾロゾロと部屋に入ってきたのは、サイリ、ユナン、ベルジュの三人だった。
「ハギからお菓子の差し入れだよ。みんなで食べよう!」
みんな……とはいうが、うちの仲間があまりいない。
「あ、ちなみに。ハギとコウリンは薬の買い出しに行きましたよ」
「ついでに二人で食事してきたら? って提案したら、ハギは張り切っていたわね! あはははっ!!」
「サイリ……」
「ハギ、本格的にコウリンを落としにかかってるよな……」
サイリは実に愉快そうに話す。本気で二人の動向を面白がっている様子だ。
「あと、ゲンセンさんは道ばたで出会ったおばあちゃんのお手伝いに行って、さらにご近所さまから屋根の修理やら、畑の手伝いやらを頼まれてお仕事してくるって言ってました。あの人、優しいですよねー♡」
「ゲンセン……」
「おっちゃん、酒場の仕事前に疲れないかな……」
その前に、お年寄りなどに頼まれたら断れないお人好しさが全開である。
そんなゲンセンのことをユナンがうっとりと話しているので、もしかしてこっちもかなぁと思っていると…………ちょんちょん、とサイリに指で肩を叩かれて耳元で囁かれる。
「……ユナンって年上の、ちょっと筋肉質の男が好きだから。ゲンセンが好みのど真ん中みたいなのよ」
「………………そう」
ハギさんといい、ユナンといい…………みんな楽しそうで何よりなんだけど、どう接していいのか正直ちょっと困る……。
そんな複雑なわたしの胸中をよそに、サイリは持っていた重箱を卓に置いた。
「だから、このお菓子はここにいる人たちの特権でーす!」
「あ……ルゥクとカガリは?」
「カガリちゃんには、さっきそこで会ったから、別のお菓子を分けてあげました。ルゥクさんは…………朝から見掛けませんねぇ。夜までには戻っくるとは思いますが……観光ですかねー?」
「そうか……」
ルゥクのことだから、町の観光などではなく情報の収集などだろう。いつも町に着くといつの間にかふらっといなくなって、その町の特徴や状況をさらりと調べてくる。
伊豫で『影』について勉強したおかげで、わたしも奴の行動が少しわかるようになった。
『影』っていうのは情報が命だって……タキも言ってたし。ルゥクなら裏で何かあっても、何事もないような顔して帰ってくるはずだ。
「はいはい、早くお菓子食べよ食べよ! どれどれ~、あ! 美味しそう!」
「わぁ、餅菓子ですね~! でも…………」
「これって手、粉だらけになるんじゃねぇ?」
重箱に入っていたのは、ふんだんに『きな粉』がまぶされた餅菓子だった。ついでに別の入れ物に『黒蜜』まで付いている。
うん、美味しそうだけど、ベタベタのパサパサになるのは目に見えてしまう。
「これは素手では無理だな。箸でも借りて…………」
「ぼく、楊枝持ってるよー」
じゃらん、音と共にベルジュが自分の小物入れを差し出してきた。
「え、楊枝……なんでこんなに持ってるの?」
「すげぇなぁ。竹とか木とか、色んなのたくさんあるじゃん!」
手作りだろうか。材質が様々なちょっと大きめの『楊枝』である。それが両手の大きさほどの小物入れにびっしりと入っていた。
「兄ちゃん、これこんなにたくさん持ち歩いてるの?」
「うん。ぼく、あんまり手を汚したくないんだよね」
「へぇ………………ん?」
「「………………………………」」
楽しげに話しているベルジュの横で、一瞬だけだがサイリとユナンが笑顔のまま固まったように見えた。
「サイリ? ユナン?」
「へ? あぁ、ベルは楽器奏者ですからね」
「そうそう! 弦楽器だし汚れると困るもんね! それのせいで、ベルって爪楊枝を作るの趣味でさー」
「………………」
どうも二人が困ったように笑っている気がする。
「はい、ケイラン。どうぞ!」
「ありがとう……」
受け取った楊枝は、わたしの小指くらいで先っぽを削った竹だった。少し大きく太めな造りだがおかしな点もなく、楊枝以外の用途は無さそう。
…………特に何も無い……な?
せっかく楽しい雰囲気になっているのに、わざわざそれを疑うのもおかしいか。
体調を崩したせいで、少し神経質になっているのかもしれない。
わたしはベルジュにもらった楊枝で、ありがたくお菓子をいただくことにした。
…………………………
………………
真夜中。
案の定、わたしの目はくっきり冴え渡っている。
………………眠れん。
同じ部屋ではコウリンとカガリ、それに先ほど戻ってきたサイリとユナンがぐっすりと眠っていた。
何だか、昨日よりも眠れなくなっているような……?
朝に頭痛が起こるため昼間に寝てしまい、日に日に睡眠時間がズレていっているのだ。
さらに、今夜は酒場の仕事もしていないので、わたしの体は全然疲れておらず、休もうという身体の訴えが全く無い。
…………今、めちゃくちゃ調子が良い。少し散歩でもして体を動かした方がいいかもしれないな。
寝台にじっとしているのが苦痛になり、それらしい理由でそっと部屋を抜け出した。
宿屋の厨房から裏の戸をくぐって外へ出る。
そこから宿の表へ抜けると月明かりだけの庭へ辿り着いた。
ここは開けていて夜風が心地よい。
天気も良いので星がとても綺麗に見える。こんなに心穏やかに夜中に起きているのも久しぶりだ。
落ち着く……野宿してる時もこんなに静かじゃないものな。
旅の間は常に誰かが傍にいる。それが嫌な訳じゃないが、たまにはこうして独りでいる時間も欲しい。
「ふぅ…………」
深呼吸をする。
そういえば、旅を始めた時より暖かくなってきた。季節は気付かないうちに進んでいるのだ。
…………わたしは旅の間、少しは成長しているのだろうか?
旅を始めた頃は『霊影』もほとんど攻撃には向いていなくて、王宮の兵団でもわたしは落ちこぼれの分類だった。
途中でルゥクに強化されたが、その分、気力の消費が激しくなって倒れたり、特殊な者共と戦うには威力が低かったりと散々だ。
極めつけは術を全く知らなかったスルガに、基本的な術師としての攻撃力をあっさり抜かされてしまっていること。
スルガは生まれつきなのか『敏捷』と『見気』を持っている。さらに『風刃』の術も習得して同じ術師兵団にも入った。
わたしとスルガを比べれば断然、攻撃重視のスルガの方が兵団では重宝されることだろう。
わたしは肉体強化系の術は何一つ習得できていないのだから。
…………この先、ゴウラや同じくらいに化け物じみた奴がルゥクを狙ってくるはず。今はゲンセンやスルガもいるから、わたしだけでルゥクを護ることはないが…………
いや、元々ルゥクはわたしの助けなど要らないほど強い。わたしは足でまといにならないように必死だった。
「それだけじゃ駄目だなぁ…………」
わたしの目標はルゥクの“術喰い”の呪いを解いて、死ぬための旅を止めさせること。
できれば、ルゥクが『影』も辞めて自由に生きられるようにすることも。
――――しかし、その解決策は何もない。
「………………はぁあああ~…………」
一体、どうすれば…………
「ケイラン、何やってるの?」
「へ?」
急に声を掛けられて振り向くと、一階の日差しの屋根部分にルゥクが座ってこちらを見ていた。
簡単な浴衣を着て、首には手拭いを掛けている。
久々の化粧も女装もしていないルゥク。
「よいしょ………………こんな夜中に独りで何やってたの? 宿の敷地内でも、女の子ひとりで外にいるのは危ないんじゃない?」
屋根から降りて近付いてくる。
「その、眠れなくて…………お前だってなんで夜中に?」
「風呂上がりに涼んでた。浴場も他の人がいない時間じゃないと落ち着かないから」
「ふぅん……」
やっぱり他人に身体を見られるのを嫌っているみたいだ。まぁ、ルゥクなら男湯でもジロジロと見られそうだもんな……。
そう思いつつも、わたしの視線がルゥクの浴衣姿にいってしまう。
最近は女装ばかりだったから男物の着物が珍しいのもあるが、いつもは首まできっちりと着物を着込んでいるルゥクの胸元が見えている。女装の時でもこんなに薄着はしていないので、一緒に旅をして初めて見たかもしれない。
なんだか、風呂上がりのせいかちょっと色っぽ…………………………………………はっ!?
ルゥクの胸元をじぃっと見ていた自分に気付いて、慌てて視線を逸らした。
これじゃまるで痴女じゃないかっっっ!?
落ち着け!! 平常心!! 今すぐ滝に打たれて悟りを開きたいっ!!
急に顔を背けてしゃがんだわたしを不審に思ったのか、ルゥクも隣りに来て怪訝な顔で見詰めてくる。
「……どうしたの?」
「ちょっと、自己を見つめ直してる……」
「そんな修行僧みたいに…………」
修行か…………伊豫にいた時みたいにもっと基礎の『気力操作』を頑張るか。やる事を詰め込めば余計なことは考えなくて済む。
「早く寝たら? また具合い悪くなるよ?」
「……昼間寝てたから眠れなくて。それに、夜になると何ともなくなるんだ。だから少し動こうかと」
「ふ〜ん…………」
「……………………」
悩むわたしの顔を覗き込んで、ルゥクも何かを考えている様子だ。しかしすぐに立ち上がり、わたしの腕を引っ張る。
「じゃあ、僕が眠れるようにしてあげるか……」
「え? うわっ!?」
立ち上がると同時に、腕を取られてくるんと反対向きにされてしまう。
がしっ!
ルゥクがわたしの片手を握り、腰に腕を回してぴったりと背後にくっ付く。
「え……え? あ……その、この体勢は…………」
「ん? うん、ちょっと運動手伝ってあげようと思って」
「何を………………」
この、後ろから抱きすくめられるような状況で何を………………
「ここまできたら手加減無しだよ?」
「へ……?」
「誰も見てないし大丈夫♪」
「ヒィッ!? なんのこと!?」
耳元で吐息が掛かるくらいの近さである。
他に誰もいない場所で、ルゥクは心底愉しそうに囁いてきた。