誤解とたちの悪い冗談
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当たり前のことだが…………人間はある事柄に気付いた時、それにどう行動するかは個人の判断に委ねられるものだ。
わたしの場合はそのことについて、その起源を知ることから始めなければならない。
「ハギさんは……いつからコウリンを狙ってたの……?」
「最初に逃げてきた時から。怪我治すところから、ずーっとコウリンを見てたと思う」
聞けば、ハギは逃げて来る際にあちこちに擦り傷を作っており、コウリンはそれをひとつひとつ丁寧に治療したそうだ。
どうやら、その時に彼女を気に入ってしまったらしい。
コウリンは治療に関して、いつも献身的な態度で接してくれる。うん、ハギさんの気持ちはよくわかる。
「友人として祝わないと……」
コウリンが男性に好かれた。
これは普通の年頃の女子にとって、喜ぶべき事案なのではないだろうか。たぶん一般的な女子は、この恋愛が上手くいけば寿がなければいけないことなのだ。
しかし、こんなめでたい話に、先に気付いていたスルガは眉間にシワを寄せて難しい顔をする。
「う〜ん…………良いのかなぁ。オレとしてはちょっと微妙な感じなんだよなぁ……」
「何故だ? コウリンにとって良い話なのに」
「え…………だって、付き合いの短いオレが見てもコウリンって…………」
「三つ編みに彼氏ができるなら、良いことだろです!」
不意に近くから、わたしとスルガの会話に割って入る甲高い声。
振り向くと、そこにはいつもの濃紺の着物ではなく、赤い一般の子供用の着物を着たカガリが立っていた。
『影』ではなく、町娘のつもりのようだ。
「わぁ、カガリは赤い着物が似合うな。いつものとは違って可愛いぞ!」
「ふふん、あちは何を着ても…………って、銀嬢に言われても嬉しくねぇです!」
一瞬現れた満面の笑みを無理やり崩し、カガリは口をへの字に曲げてそっぽを向いた。
本音では着物を褒められたことは嬉しいらしい。
「まったく、本当に浮ついた連中だです」
「あはは……そういえば、王都に行ったのに戻るのがずいぶん早いな?」
「言ったはずだです。あちの術は移動に使うもの。王都に行くなら馬より早いんだです」
この間も夜に紛れて帰る……って言ってたな。カガリは板の札も使っていたから、年齢の割にはそこそこ良い術師なのかもしれない。
「あ、そうだ銀嬢。漣将軍に報告した時に『旅の途中、王都に帰ったら絶対に顔を見せろ』とおっしゃってたです!」
「うん。スルガも兵団に連れていかなきゃダメだし、必ず行くことになるな……」
レン殿には旅に出る前に会ったきりだし、報告もしなければならないだろう。それに、どうせ王都に行ったら、しばらくは実家にいることになるだろうから、ついでに彼の師にもあたる父も一緒に会いに行くこともあるはずだ。
「じゃ、伝えたです! あとは帰ったら、勝手に将軍に会うです」
「ん? また王都に伝えに行くんじゃないのか?」
「勝手に人を伝書鳩扱いするでねぇです! あちは王都に戻らないで、しばらくここに滞在するですから!!」
「ここに? 私たちと一緒にか?」
「そうです。ルゥクさまの隣りにいるです!」
何となくだが、なんでカガリがいつもの着物ではなく、赤い目立つ着物を着ているかわかった気がする。
いつもの濃紺の着物は『影』として動く時だ。
しかしそれは、人目を忍ぶ時に着れば目立たなくて良いが、人目につくところに頻繁に出るならばかえって悪目立ちしてしまうことだろう。
「……つまり、カガリがその着物を着ている時は、表に出る時だと思っていいのか?」
「その通りだです。ルゥクさまも普段と『影』の時とは、ちゃんと着物を変えているです!」
確かに。ルゥクが『影』として動いていた時は真っ黒な、ホムラやタキみたいな着物を着ていたな。
タキもハナとして一般人の暮らしをしている時は、普通の庶民的な着物を着ていた。
まぁ………………女装を普通と数えれば、だが。
「ふぅん……じゃあさ、『影』の着物やめれば? いつもこの着物を着て、ルゥクと一緒に表を歩けばいいんじゃねぇの。普通のお付の者みたいにさ」
実に面倒くさそうにスルガが言い放つ。
「ふん! 赤毛はわかってねぇです。あちは女としてだけじゃなく『影』としても一流になるのです! 普通にルゥクさまのお傍にいるだけじゃなく、ホムラのあにさんのように陰日向関係なく、主の護りに徹することも完璧にこなせる『女影』になるです!!」
カガリはふんすっ! と誇るように胸をこれでもかと張って語った。
おぉう……熱弁された。将来をちゃんと決めてるなんて偉いなぁ、カガリは。
「そうと決まれば、あちは今からルゥクさまのお隣に――――」
「あれぇ? その子、戻ってきたんだ?」
「ぎゃぴぃぃぃぃぃっっっ!!」
部屋にいるルゥク目掛けて駆けて行こうとしたカガリだったが、入り口の陰からひょっこり顔を出したベルジュと視線が合った途端に、奇妙な叫びをあげてわたしの後ろへ隠れてしまう。
凄いぞ。今、カガリは残像しか見えなかった。
瞬間的な速さなら、ルゥクやホムラに勝てるんじゃないのか?
……と心の内で感心してみたが、当の本人はプルプルと震えてわたしの腰にしがみついている。
そこまでベルジュに怯えなくても……。
そんなカガリの様子に、逃げられてしまったベルジュは苦笑いをした。
その困りながらもふんわりとした笑い方が、何となく機嫌の良い時のルゥクに似ている気がして、少しだけドキリとしてしまった。
「なによ、ケイランもスルガくんも、こんな所で立ち話なんて。そんなに張り付いてなくてもこの宿は安全だし、あたしたちの話が終わるまで好きに休んでても大丈夫よ?」
立っているベルジュの後ろから、サイリとユナンも顔を出した。
「あ、じゃあ、表通りの露店で何か美味しい物を買って、みんなでお茶にしましょう。公演が始まる夕方になるまでにお腹、空いちゃうでしょ?」
「そうか。なら、私が……」
「いや、オレが行ってくるよ!」
ユナンの提案に、わたしが行こうと申し出ようと思ったら、スルガがわたしを押し退けて前に出た。
「スルガが?」
「うん。だって、近くでもケイランは外に行くために、わざわざ頭巾かぶったりしないと出られないだろ?」
そうだな……髪の毛を隠さないと、余計な面倒に巻き込まれる恐れがある。特にこの港町は気性が荒い者も多いと聞くし……。
「はい、お金です。これで何か美味しいものをお願いします。スルガくんの好みに任せましたよ」
「おう! 任せとけ!」
財布を受け取ってニカッと笑うスルガ。
「それならケイランはベルジュと、あっちの部屋で話でもして待ってなよ。あ、ちょうど君も来てたのね……?」
「みっっっ!?」
サイリがカガリに笑いかけたが、カガリは再びビクッとして、今度はスルガの後ろへ飛んでいく。
「あ、あ、あちも買い出しに付き合うです!! ルゥクさまの好きな物選びたいです!!」
「え? まぁ、別にいいけど……迷子になるなよ?」
「ならねです!!」
ギャーギャーと言い合いながら、カガリはスルガの後ろについていった。賑やかな二人がいなくなったので、この場は一瞬だけしぃんと静まり返る。
「さて、ベルはケイランと、あっちの部屋でお茶の準備しながら待っててよ。あたしたちもすぐに行くからさ!」
「うん、わかったよー。行こうケイラン」
「あ、うん……」
立ち去る時、サイリの肩越しにやはり不機嫌そうに窓の方を見るルゥクを見付け、わたしは自分でもわからない複雑な気持ちになった。
…………………………
………………
茶に使う湯を宿の人に頼んで、わたしはベルジュと部屋で待つことにした。
「二人とも、すぐに戻るかなー?」
「そんなに遠くまで行かなければ、スルガもカガリもすぐに帰ってくると思う…………」
「うん、そうだねー……」
「…………………………」
「…………………………」
茶器を出し終えて椅子に座ったが、正直二人きりになっても何を話してよいやら途方に暮れてしまう。わたしのその雰囲気を察したのか、よく先に口を開くのはベルジュの方だった。
「…………あの、ケイランはルゥクの護衛か何かなの?」
「え? あ……その、そんなところ。兵士の仕事で…………」
ルゥクが『不死』だとか『死刑囚』だとかは絶対に言えない。言葉を濁しながら、とりあえず護衛している雇われ兵士という体で話しておこう。
「そっかー。ぼくはてっきり二人は恋人かと思ったよー」
「なっ!? ち、ち、違う!!」
「でも仲良いよねー。羨ましいなぁ、ぼくはサイリたち以外の女の子とはあんまり話せないし、人見知りだから仲良くできないんだよね」
たぶん、人見知りというより、常に顔や頭を隠しているせいではないだろうか? やはり顔が見えないと、他の人間は近寄り難いのだと思う。
わたしも外では隠しているから、その苦労はよくわかる。
しかしそんな苦労を言いながらも、ニコニコと話す様子はさほど『人見知り』が少ないようにも見えた。それどころか、けっこう子供のように人懐っこい感じにも見えてしまう。
「……ベルジュはちゃんと話せば、すぐに友人はできると思うぞ。カガリだって、しばらく話せばベルジュが怖くないって分かるだろうし」
「そっかー、そうだといいなぁ」
青い瞳を細め、ふんわりと笑って、正面からこちらの眼を見詰める。
いい顔なのだが、わたしは心の中でちょっと警戒してしまった。
珍しい金髪と碧眼の上に、ルゥクとはまた違う顔の造形の良さ。わたしはルゥクで耐性ができているからいいものの、知らない女性なら一目で誤解してしまうこと請け合いだろう。
これは本人に注意した方がいいか?
「あー……その、ベルジュ?」
「なに?」
「うーんと…………その、じっと目を見るの……あんまり女性にやると誤解されるから……ね?」
「誤解?」
きょとんとするベルジュ。
その顔もきっと、大半の女性は喜びそう……。
「ほら、ベルジュってけっこう顔良いし、見詰めたら口説いていると誤解されそうだなぁって…………好きでもない女性に、そう思われたら嫌だろう?」
わたしもよく、銀髪晒しただけでどうでもいい男どもが寄ってくることがある。あれはなんとも不快なものだ。
「あ、そっかー。好きじゃない女の人が来るのはヤダねー」
「そうそう。滅多にやらない方が…………」
「…………でも、ケイランなら別に構わないよ?」
「へ?」
今、何を…………
聞き違いかと思ってベルジュを見ると、さっきと変わらないように見える笑顔。
「ケイランならいいよ? 誤解されても」
「えーっと…………」
冗談だよね? と笑い飛ばそうと思ったが、笑顔のベルジュの目が…………笑ってないのに気付いた。
さっきまでの幼いような人懐っこさはなく、大人の男性に見詰められているというのを実感する。
「ケイランは、恋人っていないんだよね?」
「えっと…………その……」
確かに恋人はいないが…………でも、今それを言われても…………そういえば、最初にサイリからもそんな冗談を…………
卓越しに、ベルジュが少し立ち上がって片手をわたしの顔の横へ伸ばしてくる。
身体を後ろへ引こうと思ったが、周りの空気が重く感じて身動きできなくなった。
頭の中で『まずい』という言葉とある人物の顔が浮かんだ時、
「たっだいまーーーっ!! 買ってきたぜ!!」
「…………帰ったです」
部屋の戸が勢い良く開いて、スルガとカガリが紙の袋を抱えて入ってきた。
「あ、おかえりー!」
「お……おかえりなさい……」
パッとベルジュが手を引き、いつもの笑顔に戻ったのを見て、わたしは思わずため息をついた。それが安堵から来るものだと解る。
「えーと、コレとコレとコレが名物だって!」
「ずいぶん買ってきたな……」
スルガが次々に卓に買ってきた紙つづみを並べ始めた。
だんだんと空気が軽くなってくると思っていた時、トントンと肩を叩かれる。見ると、ベルジュが人差し指を自分の口元に当ててニッコリと微笑んでいた。
「さっきの冗談だから気にしないでね? ケイラン、反応が面白くて少し意地悪しちゃった。ゴメンね」
なんか、再びサイリが言いそうなことを言われる。
「あ、あぁ。そうだよな……別にいいけど…………」
別にいいけど、心臓に悪かった。
…………これをルゥクにやられたら、思い切り文句を言ってやるのに。
奴の日頃の行いのせいで、たちの悪い冗談に鼓動が早くなってしまうことが多い。
さっき浮かんだのが『ルゥクの顔』だったのは、そのせいだと思った。
「じゃあ、お茶用のお湯もらってくるから、カガリはルゥクたちを呼んできてくれ」
「あい、です」
頼んでいた湯を取りに、宿の厨房へ一人で向かう。
その道すがら、わたしはまだ落ち着かない気持ちをなんとか鎮めようと努めた。