希望に向かう者 一
町の大通りの中央は少し開けた広場になっていた。ここにも露店が並び、さらに大道芸なども見られたので雰囲気だけでも楽しく思えてしまう。
しかし、もうそろそろ日没の時間である。出歩く人の数も少しずつ減っていくのだ。早仕舞いする露天もちらほら見掛ける。
私とルゥクは広場の端っこに置いてあった長椅子に腰掛け、行き交う人を眺めながら休憩していた。
「ひとつだけ、お前に確認したい事がある」
ここへ落ち着く前に、私はルゥクにあることを聞きたいと思ってそう言った。私はまだ数日だけしかルゥクと共に行動していないが、だんだん強く思い始めたことがある。
「で……何? 話は?」
「お前は本当に心の底から死にたいのか? 死刑になる道しか、本当に残されていないのか?」
いつものように、にこりと話し掛けてきたルゥクの顔が、スゥッと真顔になるのが分かった。どうやらルゥクは、この話があまり好きではないようだ。
…………やはり、そうだとは分かってはいたが、どうしても話しておきたかった。
『影』をやっていた……いや、まだやっていること。
辞めようとすれば死ぬように言われたこと。
確かに『影』は国の仄暗い部分を知っているから、簡単に辞められて機密が漏れるのを防ぎたいのかもしれない。
しかし、今の状況を見てみよう。
ルゥクを生死問わずで狙う者たち。
そんな奴らに情報を流す者たち。
金で雇われた、命の重さも特に感じていない者たち。
………………これ、ルゥクは悪く無いよな?
遥か遠くに離れている、出発地点と目的地。
無駄に寄り道させられる道中。
徒歩のみの移動と、付き添いの兵士は一人だけ。
兵士は新兵のみに限定される。
これは何? 何かの試練なのか?
わざと失敗するように仕向けられた足枷のような条件。
それに加えて、どこでも目立つ私の銀髪と顔にある術師のアザ。全てがルゥクに不利ではないか。
だが、そこにひとつだけ与えられた逃げ道は、『この旅がルゥクの意思でいつでも中止できること』だった。
それは『影』としてのルゥクを放したくない、国側の意志が分かりやすく見えていた。
こいつは他の『影』とは違うのか? と、思えてならない。
「少しでも『生きたい』と思うならば、旅を辞めていいのではないのか? 国の意思や『影』だからっていうことじゃなく、お前は…………ルゥクは死ななくても…………」
「……………………」
ルゥクの黒い瞳がじっと、私に向けられている。
そうだ、誰だって死ななくてもいいなら死にたくはないだろう。だから私は、ルゥクが生きたいと願うならその手伝いを…………。
「死にたいんだよ。僕は。心の底から」
「………………っ」
私の顔を真っ直ぐ見たまま、ルゥクはよく通る声ではっきりと答えた。
「もしも、僕が生きたいなんて言ったら、君は何か手伝いでもするつもり? 国の兵士がいちいち一介の処刑人に情けをかけるの? 生かした後は? 僕を救けて気持ち良くなって終わり? 言っておくけど、兵士の君が僕を救ける理由は無い。有るとしたら、それは正義感とかじゃない。見下しているだけだ」
私は言い訳ができなかった。そう思われても仕方ない、私の立場は彼からすれば『皮肉』にしか見えないからだ。
ルゥクの言葉に固まった私に、呆れたような視線が向けられた。
「残念だけど、僕は君の自己満足に付き合ってはいられない。この処刑は僕が望んだものだ。でも、君には刑場までは付き合ってもらわないといけないけど……」
「…………『生きる』ことに希望は……」
「無いよ。君こそ何で僕を生かそうとするの?」
「………………」
私には閉口するしかない。生きるということに希望がなければ、ルゥクは死ぬことに希望を抱いていると思えてしまう。
顔を上げることができないまま、私の頭の中では今までの話を冷静にまとめていた。
ルゥクは国の裏で動く『影』という兵士だ。しかし、それを辞めたいと言ったら、国から「辞めるなら死ね」と言われた。素直にそれに従おうとしたが、ルゥクを手放したくない国側はルゥクの情報を流して、それに興味を持った何者かが死ぬのを妨害している。
しかもそいつらは、生死問わずで連れていこうとしているので、ルゥクはその辺で行き倒れも自死も許されない。
正式に死ぬことができて、死体も奴らに持っていかれないのが処刑場なのだろう。
「…………ごめん、ルゥク。私は…………」
そこまで追い詰められた人間を、ただの新兵がどうやって助けられるのか? ――――結論は『無理』だ。
「でも…………助けてくれようとはしたんだよね?」
「え?」
ふいに、いつもの優しい声色が聞こえて顔を上げると、ルゥクはいつの間にか両手に何かに持っている。
はい。と、目の前に油紙で包まれた、手のひらの大きさ程の物を差し出された。
なんだろう? と思い、がさがさと包みを開けると、一口大の白くて小さな餅菓子がいくつも入っている。
「あっ! これ『さち屋』の甘餅だ!」
「王都にこの店あるよね。この町には本店があるんだ。ケイランはここの菓子は好きかい?」
うん。実は好物です。
まさか旅の間にお目にかかれるとは思わなかった。
王都にある実家では、母親がしょっちゅう買ってきてくれた。それと、父親の古い友人という人が、私がこれを好きだと知っていてくれて、おみやげがいつもこれである。
でもその人、私は会ったことがなかった。
父親の友人はいつも私が居ない時に来るからだ。
目を輝かせて菓子を見ていたであろう私を眺めながら、ルゥクはクスクスと笑って、竹でできた簡素な湯飲みも渡してくる。
どうやら、すぐそこにその店があったので茶と一緒に買ってきてくれたようだ。
「えっと……いいのか?」
「どうぞ。心配してくれたお礼」
「いや……しかし……私は……」
お前の救いになるようなことはできない。
そう言おうとしたが、ルゥクが首を振った。
「確かに僕は死を望むけど、それまでの道中は楽しみたいんだ。こうやってお茶を飲みながら休憩したり、ケンカしたり笑ったりしながら歩くことが、僕にとっての『生きる』ことだ。それじゃダメ?」
「………………でも、旅の最後は…………」
「誰だって到着地はそこだと思わない? 結末と長さの尺度が違うだけで、僕は特別なことを言っているつもりはないよ」
そう言われて、私はやっと分かった。
兵士として処刑にとらわれていたが、きっとルゥクの望んだことは普通のことなのだ。
こいつの生い立ちは分からないが、『影』をしているくらいだから、きっともっと昔から普通とは離れた生活をしていたのかもしれない。
包みの中に菓子と一緒に入っていた楊枝にひとつ刺し、ルゥクに差し出した。
「……ほら、お前も食え……」
「え? 全部ケイランが食べて良いよ」
「もともとはお前が買ってきたものだし…………」
「でも…………」
珍しくルゥクが困ったような顔をした。
何を遠慮しているのか分からないが、私は今一番こいつに効く言葉を言う。
「普通は分けあって、一緒に食べるものだろ?」
一瞬、ルゥクは目を丸くしていたが、すぐにいつもの笑い顔に戻った。
「じゃあ、ちょっと貰おうかな」
「うん。良いよ……………………って…………え?」
ルゥクは楊枝を持っている私の手を両手で握り、そのまま刺さっていた菓子を口に運んだ。
満足げにもぐもぐと口を動かしているルゥクを、凝視するような姿勢で私は完全に固まった。
……………………今……食べたけど……あれ?
これって私がルゥクに食べさせた形に……?
「……うんうん、美味しいなぁ。まさかケイランが、こんな大胆な食べさせ方をしてくるなんて…………」
「――――――――っっっっっ!!!!!?」
しまったぁぁぁぁぁっっ!!
こいつが一瞬、躊躇したのはこれか!!
「いや、違っ……私は楊枝ごと受け取らせようと……」
「これが普通なんだよね? 今度は僕から…………はい、ケイラン。あ――――ん」
くそぉぉっ!! 言質取られた!!
分かってるくせに、なんて嬉しそうな顔で食べさせ合おうとしてくるんだ!!
「だ、大丈夫……大丈夫だ!! 自分で食べる!!」
「普通なのに?」
「普通じゃないっ!!」
よく分かった。こいつは私をからかうことを、楽しみにしているんじゃないのか!?
ふざけるな、この野郎ぉぉぉっ!!
心の中で色々と悪態をぶちまけ、目の前のルゥクをチラ見すると、穏やかな微笑みを私に向けてくる。
きっと「面白いなぁ」とか思っているはずだ。
「こっち見るなぁぁぁっ!!」
「あはははは……」
ルゥクはとても愉しそうしているが私の顔は熱い。きっと赤くもなっているのだろう。
しかし、私たちはその時間が嵐の前だとは思ってもいなかった。
二人で戯れていたせいで、気付かなかったのだ。チラチラと見ている複数の視線があったことを。
しばらく、子供のようなくだらないやり取りをしながら、気が付けばすっかり日が暮れてしまっていた。
周りを歩く人々は昼間とは違い、労働を終えた者たちが多く見掛けるようになった。
「そろそろ宿に向かおうか? あまり暗くなると良くない連中が寄ってくるし……」
「まったく…………誰のせいだと……」
ため息をしながら立ち上がった時、私たちの周りには体格のよい男たちが三人ほど近寄ってきた。
「よぉっ! あんたら、見掛けないけど旅人か?」
「暇ならオレたちと呑まねぇか! 奢ってやるぜ!」
どうやら現地の者たちのようだ。
この声の掛けられ方は少しマズイ。もしかしたら、この男たちは勘違いで声を掛けている可能性が高いからだ。あまり話をされる前に、早々に立ち去った方が良さそうだと感じる。
「すまないが、私たちはもう行かないと……」
「そんなこと言わずにさ、楽しく飲もうぜ。すげぇ好みなんだよ、良いだろ? 姉ちゃんたち!」
男のひとりはそう言って、ルゥクの肩に手を置いた。
あぁ、この男やってしまった。
ほら……ルゥクの奴がニッコリとして、自分の肩に置かれた男の手を取って…………。
ズダアァァァァァンッ!!
男が宙に舞い、土煙を上げて地面と対面を果たしている。
あとは初めて会った時を思い出すかのような光景だった。
相手は普通の人間のようなので手加減してほしいな……と、私は手も出さずに、ぼんやりしながら黙って見ていた。
ルゥクはちゃんと素手だけで戦っているので大丈夫…………なのかなぁ?
私は呑気に眺めていた。しかし、見ているうちに何かがおかしいことに気付く。
相手の動きが…………変だ。
すぐに終わると思っていたケンカは、周りに段々と野次馬が増えていき、ケンカの相手も最初の男たちから別人に変わっていた。
ルゥクもこの異変に気付き始めたのか、周りを囲む野次馬たちから遠ざかろうとする。だが、すぐにその囲いは移動し、休まずルゥクを攻撃していた。素手だった攻撃も突然、刀や槍の連続攻撃に移っていた。
さすがにルゥクも札を使おうと腰の入れ物に手を伸ばすが、それを妨害するように槍が腰の帯革を狙っている。
「ルゥク……!!」
私が身を乗り出した途端、近くにいた野次馬の一部が私を囲んだ。この広場にいる奴らは全員仲間のようだ。
ズドンっ!!
重い爆発の音がした。
何度も聞いていたルゥクの札の術とは違うと思った。確認したかったが、複数人にぴったりと壁を作られると、背の低い私にはどうしようもない。
「退け!! こんなことをして何になる!?」
「悪いな。あんたらに恨みは無いが、金貰ってるからな」
「いい加減にしないと…………」
前の奴らを退けようと、私は霊影を呼び出そうとした。
だが、霊影の出る直前。
ゴッッ…………!!
頭に重く鈍い痛みが走った。
「う…………」
私はその場に崩れ落ち、うつ伏せになった。
ひとりの男がこん棒を手にしているのが視界に入り、自分はそれで殴られたのだと理解した。
ドンッ! ズダンッ!
少し離れたところで次々に爆発の音が響いた。
ルゥク……無事なのか……?
私はズキズキと痛む頭で必死に考える。気を抜くと意識が飛んでしまいそうだ。
バァァァンッ!! ………………ゴトッ……!
一際大きな爆発音がした後、私のすぐ近くに何かが落ちた音がした。
ぼんやりとしてきた目にそれはハッキリと映った。
肘から上でちぎれた…………“人間の腕”……だった。
その腕が先ほど、私の手を握ったものだと気付いた瞬間、張りつめたものが切れて落ちるように私は意識を手放した。