過ぎゆく時間
この日ほど、授業が終わって欲しくないと思ったことはない。オルドのそんな願いとは裏腹に、時間は刻一刻と経過していく。
別にオルドが勉強に目覚めたわけではない。その証拠に、黒板の前で長ったらしい講釈を垂れている教師の言葉は右から左であるし、机上の用紙は真っ白なままだ。
授業が終わって欲しくないのはただ単に、授業後のセドリスとの決闘から逃避したいだけなのである。
ちらりと教室の一角へ視線を向ける。
そこには教室の隅で突っ立ったままあちこちを興味深そうに見ているルベアがいた。あのスケルトンにしか見えない悪魔が決闘を承知したせいで、この後きっと酷い目に遭ってしまうのだ。
オルドにはそれが憂鬱だった。
「――というわけで、太古から存在していたとされる『魔力網』がどのようにして形成されたかは未だに判明されていない。だが、綻んでいたこの網を補修・修繕したのがかの有名な魔神、ラウバー――」
授業に集中していなかったオルドは、今朝聞いた『魔力網』という言葉に引っ張られて教師の声に耳を傾けかける。
だがその瞬間、無情にも放課を付ける鐘が鳴った。
「お、終わったな。少し脱線したが中央大陸にある冒険者育成機関は、このルスター王国を始め、五ヵ国にしかしかないということだ。以上、解散」
一体どんな脱線の仕方なら、その話から魔力網の話に繋がるのだろうか。
授業をまともに聞いていなかったオルドが疑問に思う資格などないが、少し首を傾げてしまう。
「よし、オルド殿。さっそく決闘へ赴こうではないか」
「……どうして君はそんなにやる気なんだ?」
授業が終わり、慌ただしく賑やかに教室から去って行く生徒たち。そんな生徒たちを掻き分けて、ルベアがオルドを決闘へと誘ってくる。
「なーに、オルド殿に対して悪辣な振る舞いをしたあの小童。必ずや目にもの見せてやろう」
「……あのセドリス・リバーンは魔法科の首席なんだ。つまり、この冒険者学園で一番の魔法の使い手なんだよ。君、勝てるかい?」
「なんと、あの程度の魔力保有量で首席? 何かの不正か?」
「いや、不正じゃないよ。セドリスは嫌な性格しているけれど、魔法の腕は確かなんだ。人より魔力は少ないみたいだけど、それを補えるほど技術がある」
おまけに頭もいいしねと、技術もなく、頭も並み以下であると自認するオルドは力なく嗤った。そんなオルドに、ルベアが不思議そうに首を傾げる。
「解せんな」
「なにが?」
「いや、大抵の悪魔は魔力量で強さが決まると言った。昨日はあまりに消費していて気付かなかったが、オルド殿の魔力量なら我輩にも匹敵するはずだ。話には聞いていたが、まさかここまで冷遇されているとは」
「まぁどれだけ魔力があっても、一切魔法が使えなければ宝の持ち腐れだからね」
ルベアに匹敵すると言われても、目の前のスケルトンからはほとんど魔力を感じないのだが。それは褒められているのだろうか。
「この世界では、魔力を持ちながらも魔法を使えない人間も珍しくはないのだろうか?」
「いや? 少なくとも俺は俺以外に使えない人間を知らない。魔力が少なすぎて使えない人もいるけど、初級魔法を使える程度の魔力があるなら皆使えているよ」
「……なら、何故オルド殿は使えない?」
「さぁね。それが判れば苦労しないよ」
そんなの、オルドだってずっと考えてきた。
どうして自分は魔法が使えないのか?
なぜ、曾祖父に匹敵するだけの魔力を持ちながら、馬鹿にされ続けなければいけないのか。
何をすれば、エネシールの名を汚さずにすむのか。
ずっとずっと考えて、できる限りの努力はして、がむしゃらに詠唱を唱え陣を書き続け、いろんな人に師事を仰ぎ――そしてオルドは気付いたのだ。
みっともなく魔法にこだわるよりも、何の努力もせずに諦める。その方が、まだエネシールの名を汚さないのだ、と。
いくら努力しても魔法の使えない落ちこぼれより、単なる落ちこぼれの方が傷は少ない。
だからオルドは諦めたし、辞めてしまった。魔法を使う事と魔法を使うために努力することを。
「まぁ、魔法なんて使えなくても死にはしないしね。俺には剣の方があっているよ」
「オルド殿――」
何か言いたそうにルベアがこちらに視線を向け口を開きかける。だが、その時、
「オルドっ。魔具は見つかった?」
教室の入口からエリーが元気に声を掛けてきた。エリーやセドリスのような魔法の才能がある人間は魔法科のトップクラスにおり、基本的にオルドにいる底辺クラスと授業は被らない。
それでもわざわざ会いに来てくれたらしい。
「……なんだあの娘は」
話しかけようとした矢先に遮られたためか、ルベアが不満そうにエリーへと視線を向けた。
その様子と相変わらずなエリーに苦笑をして、オルドは手提げ鞄を肩に引っ掻ける。
「エリーだよ。幼馴染なんだ。頼むから静かにしていてくれ」
「……承知した」
一応ルベアに釘を刺してエリーへと近づくと、彼女はオルドの傍らに視線を向けて目を丸くした。
「あー、噂になってたスケルトンの主って、オルドの事なんだ? どうしたの、それ」
「やっぱり噂になってるのか……。いや、成り行きで少しね。気にしなくてもいいよ」
「そう? それより探してくれた?」
やはりエリーはラウバーの遺した魔具の方が気になるようで、オルドの言葉を受けてあっさりとルベアから興味を無くす。
その分かりやすい反応に内心で笑いを噛み殺しながら、オルドはゆっくり首を振った。
「見つからなかったよ。曾祖父の部屋を探し尽くしてみたけど、どこにもなかった。もう、目ぼしいものは他の人に持ってかれているんだろう」
今肩に下げている鞄の中には、多くの者が探し求めていた『ロスト・グリモワール』が入っている。だがその事を、エリーに言うつもりは微塵もなかった。
「そっか、そうだよねー。もう、何十年も経つみたいだし。ありがとう、何か見つかったら教えてねっ」
用はそれだけだったのだろう。魔具が見つからなかったと分かり、エリーはオルドに背を向け去って行った。その随分と淡白な去り方に、ルベアは呆れたような視線を送る。
「なんだあの娘。幼馴染にしては素っ気ない」
「それは仕方ないさ。幼馴染と言っても、家が近くなだけでそれほど付き合いはなかったんだから。エリーが話しかけてくるようになったのだってここ最近だし」
「……それは幼馴染と言うのか?」
「うん? 小さい頃から顔見知りなら、幼馴染だろう?」
「……まぁいいが。あの娘には気を付ける事だな」
教室を出て連れ立って歩くルベアが、不意に囁くように注意してくる。
「え?」
「あの者、お主を見る目があまり気持ちのいいものではなかった。まるで――いや、不確かな想像だけで何も言うまい。だが、気を付けておいて損はないはずだ」
「……ふーん。良く分からないが気を付けるよ。さぁ、帰ろうか」
ルベアの忠告に疑問を抱かなかったわけではないが、その真剣な雰囲気に嘘を付いている様子はない。一応ルベアを信用して頷いておく。
そして帰るために校舎の入口に向かおうとして――
「いや、オルド殿。決闘は?」
「あっ……」
ルベアの一言で思い出したくもないことを思い出してしまった。