ルベア
この世界には、魔物と呼ばれる人間以外に魔力を持った生き物がいる。
大抵は知能が低く、魔法を使う事もできず冒険者と呼ばれる人間に狩られる宿命にあると言ってもいい。
中には高位の冒険者さえ脅かす強力な魔物もいることはいるが、それは例外と言える。だからこそ、この世界の人間が真に怖れるべきは、『インフェロス』から訪れる悪魔たちなのである。
さて、オルドがラウバーの遺したグリモワールによって召喚したモノはなんなのか。
見た目はただのスケルトンだ。スケルトンとはこの世界に存在する魔物で、低級冒険者でも簡単に倒すことができる雑魚である。高位の冒険者ともなれば、素手でスケルトン相手に無双できる。
無論、人間が怖れるべき悪魔ではない。
ただ、問題は――。
「しゃ、喋った? スケルトンって喋るんだっけ?」
そう、言葉を話したことである。
通常、スケルトンは喋らない。いや、スケルトンのみならず大抵の魔物は話す知能などない。ましてや人間が使う言葉など、よほど力があって長生きをしてきた魔物以外には無理だ。
なので、雑魚モンスターとして直ぐに狩られてしまうスケルトンが、言葉を話すはずがないのである。
「なんだ、ラウバー殿。その歳で耄碌したのか? 我輩はスケルトンではなく、悪魔だ。お主が我輩の『真正召喚』は魔力を喰うから、『限定召喚』で出てくるように言いつけたくせに」
「真正……限定……ちょっと、待って欲しい。俺はラウバーじゃない。ラウバーは俺の曾祖父だ」
目の前のスケルトンから当然のように放たれる聞き覚えのない言葉に、オルドは思わず慌ててそう言う。
その言葉を受け、スケルトンは呆けた様に固まった。
「……ラウバー殿ではない? 曾祖父……つまりお主は、ラウバー殿の曾孫か?」
「ああ」
「では、ラウバー殿は?」
「……曾祖父は亡くなった。もう、四十年以上前の事だ」
「……彼が、死んだ? あの男が……我輩に何も言わず、死んだ……」
その事実は、スケルトンにとって余程ショックだったのだろう。
呆然と呟かれた言葉に力はなく、そしてオルドはたとえ骨のみの顔であっても、悲しみを表現できるのだと知った。
表情筋なんてないしゃれこうべが、どうしたらここまで悲しみを他者に伝えられるのか。驚きを絶望を、そしてやるせなさを相手に見せられるのか。
居た堪れなくなったオルドは、その顔から視線を逸らした。
涙なんて流れるはずがないそのぽっかりと空いた両の伽藍洞から零れる水を、オルドは確かに視てしまったから。
そしてそれは、曾祖父の顔すら見たことのないオルドが、直視するのは失礼な気がしたから。
「……君は俺の曾祖父の死を悼んでくれるのか? 悪魔なのに」
「愚問だ、ラウバー殿の曾孫よ。悪魔であろうと人間であろうと、友の死を悲しまない理由にはならない。我輩の友が死んだ。それを悲しむ権利を、誰に奪えると言うのだ?」
「友? ……曾祖父は君たち悪魔を従えていたんじゃないのか?」
発せられた意外な言葉に思わずスケルトンを見れば、既に悲しみを打ち払ったように見える姿で首を横に振った。
「そんな事実はない。たしかに、彼の力を認め配下を自称した悪魔も多数いる。だが、その多くは良き友人関係であったように思う。我輩を含めてな」
「だけどこのグリモワールは、従えた悪魔の名を記しているんじゃ……」
「その魔導書は、『インフェロス』にいる悪魔の名を記してはいるが、単に呼びかけるだけのもの。魔導書を持ち名を呼べば、世界を渡ってその声は相手に届く。だが、その呼びかけに応じるかは相手次第だ」
それはつまり、強制性はないということ。そしてグリモワールに記されているからと言って、主従関係や友好関係にあるとは限らないということだ。
悪魔たちを支配しようと躍起になって探している輩が、思い描いている効果はないことになる。
「そうか。じゃあこれが使い魔の書なんて言うのは、間違った認識なんだな。このグリモワールに名が載っている悪魔を支配なんてできないんだな?」
「当たり前だ。たしかに我輩は彼を認めていたが、使い魔になった記憶はないぞっ! 吾輩は誰にも従わんのだっ」
確認のために呟いたオルドの言葉に反応し、何故か声高に宣言して胸を張るスケルトン。その姿を見れば、どうやらラウバーの死は吹っ切れたようだ。あるいは、吹っ切るためにわざと明るく振る舞っているのか。
「して、曾孫。お主がラウバー殿よりその魔導書を託されたのか?」
「いや。この本を部屋で見つけて、適当に開いたページに書いてあった名を読み上げただけだ」
「ほう、命知らずな」
「え?」
急に低くい声でそう言ったスケルトンに驚き見れば、一瞬でこちらに接近してそのしゃれこうべを寄せてくる。
「ち、近――」
「魔導書に名が記されている悪魔の名は、ラウバー殿にも友好的とは限らない。また、友好的であったとしてもラウバー殿以外の人間に危害を加えないとは限らない」
「……つまり?」
「迂闊に知らぬ名を呼べば、現れた相手がお主を殺す。そういう可能性だってある」
「……き、君は?」
目と鼻の先にあるスケルトンの顔に、首を縮こまらせながら尋ねる。今になって、相手が違う世界の住人であり、人間よりも強大な力を持つ悪魔であることを意識したのである。
見た目がスケルトンとは言え、おそらくはそこらの冒険者よりも強い筈だ。
オルドを殺そうと思えば簡単だろう。
「ふっふっふ。我輩は理由なく他者を害したりしない。それにラウバー殿の曾孫であれば、我輩にとっても家族のようなものだ。手を出すことなどない」
「そ、それはどうも」
不気味に笑ってからそう告げ、スケルトンはゆっくりとオルドの身体から離れた。どうやら取りあえず、オルドに危害を加えることは無さそうだ。
だが、たしかにスケルトンの言うことはもっともである。名を声に出して読んだだけで呼び出されるとは思わずに、随分と迂闊な事をしてしまった。
そもそもこの魔導書をオルドが使いこなすことなどできないし、危険に過ぎる。とっとと父か祖父にでも渡してしまうべきなのだろう。
スケルトンの言う事が正しいのであれば、この魔導書が悪意ある者に渡ったところで、世界征服など到底困難であろうことだし。
「悪かった、悪魔。悪戯に呼び出して悪かったよ。もう呼び出したりしないから、どうぞ帰ってくれ」
「……」
取りあえず目の前のスケルトンを『インフェロス』に還してから、どうするかを決めよう――そう考えたオルドの言葉に、当のスケルトンは固まった。
「……え?」
「いや、だから呼び出して悪かったから、帰っていいよって」
「……いやいや、無理はするな。我輩を呼び出すのに魔力を使ってへとへとだろう。回復するまで暫し待とう」
「いやいやいや。君の名を呼んだ時に消費した魔力なんて微々たるものだったよ。でも、このグリモワールを見つけた時には結構使ったかも?」
なにせ生まれて初めて魔力欠乏症状が現れたのだ。当然、一度にそんなに大量の魔力を消費したのは初めてであった。
「そうだろう、そうだろう? お主の魔力が回復するまでやっかいになるとしよう」
「いや、数時間休めば回復するけど」
たしかに欠乏症状が出るほど使用したとなれば、それなりに魔力が全回復するまで時間はかかる。だが、目の前のスケルトンを送還する程度の魔力であれば、直ぐにたまりそうだ。
いや、召喚した際の消費量を考えるに、残っている魔力でも余裕でできそうなのだが。
「おおそうだ。名を教えていなかったな。これはうっかりだ。我輩の名はルベアと言う」
「うん、グリモワールに書いてあったから知ってるんだけど……」
「お主の名は?」
「……オルド。オルド・エネシール」
どうせあと数時間程度の関係なのだから、名前を教える必要など感じなかった。けれど興味深いと言わんばかりに空っぽの目で熱心に見つめられ、「まぁ、いいか」とそんな気持ちで教えた。
「オルド・エネシールか。そうか、オルド殿。これからよろしく」
「あ、ああ……てか、『これから』ってなんだよ?」
差しだされた白骨の右手をとってオルドは苦笑いを浮かべる。
やはり表情筋などないそのしゃれこうべが、オルドには笑っているように見えたのだった。