命とともに枯れた夢
「――どどの……ルドど……どの――」
「……うーん?」
何やら誰かが変な事を言っている。
ふわふわとする意識の中でまずはそんな事を感じ、そしてその声が最近よく聞くスケルトン姿の悪魔のものだと気付いた。
「……ルベア?」
そしてそこからは覚醒も早かった。
倒れている自分を覗き込むように、ルベアがこちらに真剣な表情を向けている。もっとも、スケルトン姿のルベアの表情など、雰囲気で読み取ることしかできないのだが。
「おお、オルド殿。目を覚まされたか。一体何があったのだ?」
「え、ええと……たしかエリーに魔法を使われて……あれ? なんでエリーの奴、俺に攻撃なんて……」
「むむ、あの女狐。やはり何か企んでおったか。あの魔法攻撃はセドリスとか言う小童の仕業だったが、二人は手を組んでいると見て間違いあるまい……オルド殿、変わったことはあるまいか?」
白骨化した掌を握りしめるルベアに言われ自分の身体を探るも、特段変わったところは無さそうだ。
少し頭がくらくらするが、これは魔法を受けた影響だろう。たしか雷魔法の失神呪文だったので後遺症などは残らないはずだ。直に、頭の違和感もなくなるはずだ。
「変わったところは無さそうだ。取りあえず、校舎に戻ってセドリスとエリーをとっちめなきゃな」
良く分からないがセドリスとエリーに魔法攻撃を受けたのは確かだ。場合によっては教師に報告しなければならないが、仮にもエリーは幼馴染。彼女がなぜこのような暴挙を起こしたのか聞いてからでも遅くはないだろう。
傍に落ちていた手提げ鞄を引き寄せ――たところで気付いた。
「あれ……軽い?」
「どうされた、オルド殿?」
「え……いや、あれ、ない?」
「オルド殿?」
「どうしよう……グリモワールがない……」
「なんですとっ?」
エリーとセドリスの狙い。
それはオルドではなく最初から『ロスト・グリモワール』だったのだ。
オルドとルベアがグリモワールを奪われたことに気付いた時には、セドリスとエリーは人気のない校舎の一角で合流を果たしていた。
「よくやった、エリー」
「ふふふ、もっと褒めて」
エリーからグリモワールを受け取ったセドリスは、ページを開き食い入るように眺め回す。
「つ、ついに、伝説の『使い魔の書』を手に入れた。これで俺に敵う奴は一人もいねぇ。俺の力とこの本の悪魔どもの力があれば、なんだってできる。なんだってできるんだ」
「大した自信ね。けど本当に、そんな気持ちの悪い本で悪魔なんて呼び出せるの?」
「そうだな。試しに何か呼び出してみるか。今日はまだ、魔力の消費はないからな」
エリーの言葉にセドリスはとあるページを適当に開き、そこに名が書かれている悪魔を召喚することにした。
「ふん、あのラウバーの遺した伝説の魔導書だ。良く分からねぇーがどのページにも、すげぇ悪魔が載ってんだろう。なら、こいつだ。いでよ『アサグ』」
書かれていた名前を呼んだ瞬間、セドリスの身体から魔力が八割近く魔導書へと流れ込んだ。これはとんでもないことだ。
一度に八割もの魔力を消費すると、魔力欠乏症に陥る可能性がある。
セドリスも強い眩暈の症状と脱力感を覚え、地面へ膝を着いた。
「く、くぅ……」
「せ、セドリス? 一体どうしたのよ」
「な、なんでもねぇーよ」
突然くずれ落ちたセドリスに、エリーが心配げな声をかけた。しかしセドリスは、伸ばされた手を乱雑に振り払う。
彼には今、自身の体調もエリーの事もどうでもよかった。
ただ、心より気になったのは、魔導書によって無事に悪魔を呼び出せたのか、である。
「くっくっく、珍しいこともあるものだ」
顔を上げた瞬間、猛烈な風がセドリスとエリーを襲い、そしてそれはすぐにやみ、一つの影がそこには現れていた。
セドリスがふらふらする身体で立ち上がりながら前を見ると、襤褸を纏った一体のスケルトンがそこには立っていた。
雰囲気と言い、喋ることと言い、忌々しいがオルドにべったりくっついている使い魔とよく似ている。
「くそ、こんだけ魔力を喰っといて、呼び出せたのはスケルトンかよ」
暗に自分がオルドと同レベルと言われたような気がして吐き捨てると、目の前のスケルトンは馬鹿にするように肩を竦めた。
「ふん、この程度の魔力で私を真正召喚しようなどと何の冗談かと思えば、単なる馬鹿か」
「な、なんだと? 実際に俺は呼び出せたじゃないか」
「馬鹿め。貴様の貧相な魔力では、下級悪魔一匹呼び出せんわ。この私が魔力を削って呼び出されてやったに決まっているだろう。限定召喚という形でな」
スケルトンの言葉に、先ほどまで気落ちしていた気分が吹き飛んだ。
この際、目の前の悪魔の喋り方などどうでもいい。ようは気に食わない連中を倒してくれさえすればなんでもいいのだ。
「こ、こんなに俺の魔力を使って限定召喚? なら、あんたは相当強い悪魔なんだな?」
「ふん、そんな事も知らずに呼び出すとは……やはり、この世界の生き物たるや……」
「なんでもいい。命令だ。あの生意気なオルドの奴をぶっ殺してくれ」
「あ?」
召喚者である自分の優位を疑わないセドリスは、知らずの内に目の前の悪魔が危険な存在であることも忘れてしまっていた。
あの落ちこぼれであるはずのオルドでさえ、呼び出した悪魔に服従を誓わせたのだ。悪魔の書は呼び出した相手を好きに使役できると信じて疑わなかった。
だからこそ、彼は悪魔である『アサグ』の出した低い声に、気付くことはなかった――いや、気付いても手遅れだっただろう。
「ねぇ、様子が変よ……」
セドリスとは異なり、違和感を覚えたエリーがそう声を掛けるが、彼は聞き流してしまった。
「……ほう、殺したい奴がいるのか」
「ああ」
「だが、その対象を殺すにしても弱体化したこの姿では不安だ。元の姿にまずは戻らなくてはな」
「元の姿? 戻れるのか?」
「インフェロスと違い、この世界の空気には魔力が含まれていない。そのため、一度失った魔力を体内で創り出す事のできない我々(悪魔)がこの世界で魔力を取り戻す方法はあまりない」
「そうなのか? だが、その姿でもあのオルドを殺すぐらい――」
「一つは魔力を発生させる魔具によって魔力を得る。もう一つは……」
言い募るセドリスの言葉を切り、アサグは一瞬で彼に迫った。。そして突然の事に身動きできない彼の首を片腕で締め上げる。
「もう一つは、魔力を持つ他者から奪いとる方法だ」
「ぐ、な、なんで。召喚者に危害を」
「馬鹿め。召喚しただけで主従契約を結んだつもりか? 呼び寄せた相手を認めさせて始めて使い魔とできるのだ。力も魅力もない貴様に、誰が付き従うと言うのだ」
「が、は……」
見る見るうちにやせ細っていくセドリス。強制的に魔力と生命力を奪い取られたためだ。
何故こんなことになったのか。
自分はただ、気に食わない連中に一泡吹かせたかっただけなのに。いずれは最強の冒険者となる筈なのに。
なぜ、こんなところで死ななければならないのか?
セドリスにはもう、何もわからなかった。
「インフェロスとこの世界との橋渡し役ご苦労。もう死んで結構だ、召喚者『様』」
自身の虚栄と見栄に満ちた人生を反省する間もなく、あっと言う間にセドリスは命ごと干からびた。そんな彼を放り捨て、エリーへと伽藍洞の視線を向けるアサグ。
「ちっ。やはりこの世界の生き物は、保有魔力が乏しいな。まぁ、幸いもう一匹の餌があるか」
「ひ、ひぃ。こ、こないでっ!」
「これの魔力も乏しいが、無いよりはマシか」
逃げようとするエリーに近づき、一瞬で首を締めあげ、そして――。
「ふむ、グリモワールか。話に聞いていたが、私の名前も記されていたか。今の私には無用の長物だが……持っていても損はあるまい。魔力が戻った暁には、下級悪魔どもを呼び寄せるとしよう」
「さて、まずは魔力を取り戻し、この世界を喰らいつくすとしよう」
顔の辺りに少しだけ肉の付いたスケルトンが、片方だけの目をぐるりと回す。
後には干からびた二つの遺体が残された。




