悪魔のような取引き
冒険者学園の敷地内には、室内で模擬訓練を行うための建物がある。広さは生徒が1000人以上収容可能で、訓練の他に集会等でも使用される。
その訓練館と呼ばれる建物の裏で、二人の男女が絡み合うような抱擁と接吻を交わしていた。
男は女を訓練館の外壁におしつけ、その姿には荒々しさなくまるで唇を貪っているかのようだ。
壁を背に立つ女は小柄で、頬を上気させ顔を赤くしながらも、男の激しさに苦しそうな表情を浮かべている。
「も、もう……やめっ」
息継ぎも許さない求めに耐え切れなくなったのか、女が男を突き飛ばすようにして抱擁から逃れた。
「はぁ、はぁ……どうしたの、セドリス? き、今日はいつもより激しいじゃない……」
息も絶え絶えに言った女に、突き飛ばされた男――セドリスはぎらぎらと鋭い目を向ける。
「うるせぇ。俺の勝手だろうがっ!」
「もう……昨日決闘で負けたのが、そんなに悔しいの?」
怒鳴りつけられ、しかし女は怯んだ様子もなく呆れた顔つきになった。その対応に、セドリスは一層不満げな表情を見せる。
「負けてねぇ。俺は負けてねぇんだよ。結局あの決闘はうやむやになって、勝者不在の無効試合だ。立会人のロビソー爺ぃが腰抜かしてなけりゃあ、俺が……俺が……」
「なーに? 勝ってたとでもいうつもり? 話に聞けば、オルドは『インフェロス』から化け物みたいな悪魔を召喚したんでしょう? おまけに使い魔のスケルトンに杖まで駄目にされたんじゃ、あんたに勝ち目なんてないでしょ」
「う、うるせぇよ。あの本だよ。あの魔導書が――あの『使い魔の書』さえあれば、誰だってあの化け物どもを使役できるんだ。あれがなけりゃあ、俺があの糞雑魚オルドに恥を掻かされることなんて……糞がっ!」
悔しがるように拳を握るセドリスに、女はゆっくりと近づいて小さな体で包み込むように抱きしめた。
「ええ、分かっているわ。インチキでもしない限り、オルドがあんたに勝てるはずがない。その本さえあれば、あんたがオルドに負けるはずがない。いえ、その魔導書さえあれば、あんたに勝てる人間はいなくなるかもしれない」
「……やってくれるのか?」
「ええ。最初からそう言う約束じゃない。魔神ラウバーの魔具をオルドから奪ってあなたに渡す。代わりにあなたは私への永遠の愛を誓う……そうでしょう?」
「ふん、お前が本当に魔導書を奪うのに協力してくれるってんなら、いくらでも誓ってやるよ」
囁かれた言葉に、セドリスは迷いなく頷いた。今の彼にはオルドへの復讐しか視えず、そしてその復讐を果たすには、『使い魔の書』を奪取し悪魔の支配者になることが必要だと感じていた。
そのためになら、この悪魔との取引のような約束なんて望むところである。
「じゃあ、行きましょうか。これ以上、授業に遅れるのは不味いでしょ?」
「……ああ」
ゆっくりとセドリスの身体から身を離し、女は自分とセドリスの乱れた服を整えた。
そして、少し絡まっていた目立つ赤い髪を整えるとセドリスへと視線を向ける。
「ねぇ、誰よりも強くなってちょうだいね。そのためなら、私はなんだってするから」
それが自分の幸せであるとでもいうように、赤い髪の女――エリーは歪な笑みを浮かべたのだった。
午前の授業が終わり、オルドはほっとしたように教室を出て校舎の外を目指す。当然、ついてくるルベアは、不思議そうに首を傾げた。
「オルド殿。昨日は校舎内の学食なるところで昼食をとったはずだ。今日はいずこへ?」
「いや、今日は昨日以上に人の目が気になるからさ。少し人気のないところに行こうと思って」
やはり、昨日の『リザーウドの林』で行われた決闘の内容が周囲に広がっているらしい。オルドは昨日同様朝から注目を浴びていた。
どのようにして話が伝わっているのか「悪魔を何体も呼び出した」だの「卑怯な手を使ってセドリスに勝利した」だのひそひそと噂される声もちらほらと聞こえた。
もっとも、昨日の試合はどちらも敗北宣言はせず、その前にハーゲンティの出現に立会人のロビソーが腰を抜かしたため続行不可能となった。そして無効試合とされたのである。
勿論、オルドとセドリスの順位が入れ替わったりもしていない。
そのため、オルドがセドリスに勝ったと言う話は根も葉もない噂。それに付随して、オルドが高位の悪魔を呼び出したのも卑怯な手を使ったのも、結局は何かの間違いだったのだろうと言う事で落ち着きそうだ。
「まぁ、沈静化するまでは大人しくしておいた方がいいだろうな」
「ふむ。別に悪魔を呼び出せるのは事実なのだから堂々とすればいいのではないだろうか? 正規の手順を踏んでいる以上、誰にオルド殿を責められるというのか」
「悪魔みたいに人間は単純な実力主義じゃないんだ。弱い奴がいきなり力を持つといろいろやっかみも増える。人間社会とはそういうものなんだ」
これ以上、オルドは悪魔を呼び出すつもりはない。ならば最初から、悪魔を呼び出せるという噂は広がらないに越したことはない。
「ふむ、そういうものか」
オルドの言葉に納得しかねると言う雰囲気で首を傾げるルベア。っと、ルベアがふいに立ち止まって背後を振り返る。
「ん?」
つられて振り返ったオルドは、赤い髪の少女が駆け寄ってくるのに気付いた。
「あ、いたいた。オルド、どこに行くの?」
「……エリー。昼食を食べに行くんだけど、何か用?」
「なによ、用がなければ話しかけちゃいけないわけ?」
「そういうわけじゃないけど……」
むすっとした顔でオルドを見上げてくる幼馴染に少したじろぎ、オルドはやんわり首を振る。その様子に気を良くしたのか、エリーは持っていた携帯食をオルドに見せた。
「へへへ。たまにはオルドとお昼食べようと思って」
「え、い、いいよ。噂されると恥ずかしいし」
「何言ってるのよ。もうみんな、オルドの噂でもちきりよ? 私にも、色々と話聞かせてよ」
「話って……うーん」
正直、あまり大っぴらに話したい事ではないが、かと言って幼馴染のエリーを邪険にするのは気が引ける。
どうしたものかとルベアを見れば、自称使い魔であるこの悪魔は、何故か食い入るようにエリーを見下ろしていた。
元が伽藍洞なので分かりにくいが、通常の瞳を有していれば睨んでいると言えるかもしれない。
「ルベア?」
「オルド殿、やはりこの女からは嫌な気配がする。幼馴染だからと言って、油断なされるな」
こちらの耳元でルベアは真剣そのものの声音でそう言った。その忠告が本心からの言葉だと分かったため、なおさらオルドはおかしくなった。
「ルベア、君がエリーの何をそんなに警戒しているか知らないけど、エリーはそんな悪い娘じゃない。単純に好奇心が旺盛なだけだ」
「……そうだといいが。我輩には、オルド殿に向ける目が知己に向けるものではないような気がするのだ」
「そうか?」
ルベアの言葉に微笑むエリーを見つめ直すが、やはりオルドには彼女のおかしいところを見つけることができない。そして焦れたようにエリーが首を傾げた。
「ねぇ、ダメなの?」
「え? ああ、いいよ。分かった、一緒に食べようか」
「やったーっ!」
オルドの了解が出たことで、エリーは嬉しそうに両手を万歳して見せる。そんな彼女のはしゃぎっぷりに思わず笑みが浮かんだオルドの横で、やはりルベアは険しい顔をしていた。




