ルベア先生の教え
セドリスから一方的に仕掛けられた決闘後。一夜明けた翌朝、オルドは憂鬱な気持ちで冒険者学園へと足を運んでいた。
なぜか当然のようにいる、傍らのルベアと連れ立って。
「いやー、まさかオルド殿の父君らが昨日も戻られんとはな。誠に残念だ」
「本当に残念なら、もう少し残念そうに言ったらどうだ?」
表情など作れるはずもない白骨姿のルベアが、オルドにはにんまりして見えて仕方がない。よほど父たちに会って、帰るように言われるのが嫌なのだろう。
「けど、本当に父さんたち早く帰ってこないかな。昨日読んだ手紙じゃ、帰ってくるにはまだ時間がかかりそうだけど……」
決闘の後、ほとんど逃げるように家に帰ったオルドは、メイドのユキコに冒険者ギルドから届けられた一通の手紙を渡されていた。
差出人は父で、内容は実にシンプル。
――厄介な依頼を任せられた。親父共々しばらく戻らない。
帰るのにどのくらいの日数がかかるのかや、どんな依頼を受けたかの詳細もない。だがそれこそがいつものオルドの父親らしくて、それはつまり慌てるような問題ではない事の証明である。
当然不満はあるが、そう割り切って受け入れた。
「時にオルド殿、父君らが戻られた折は、本当に魔導書を託すのだろうか?」
「うん? ああ、もちろんさ。こんな物騒なもの、俺の手には余るよ」
「しかし、我輩は父君らを知らんので何とも言えんが、魔導書は使い道を間違えれば危険なものになり得る。お主はそれを理解しておるか?」
何時になく真剣な声で問いかけてくるルベアを不信に思い、オルドは歩みを止めて視線を向ける。
「……どういう意味だ。曾祖父の残した『ロスト・グリモワール』には、悪魔を支配する力なんてないはずだぞ?」
「無論だ。だがそれ故に言ったはずだ。呼び出した悪魔によっては、召喚主の身が危険に晒される恐れもある。ハーゲンティが言ったように、魔力が足りずに欠乏死する可能性もあるし、呼び出された悪魔に襲われることもある」
「実際にそういったケースもあるのか?」
「もちろん。ラウバー殿が残した魔導書ではないだろうが、召喚術とは容易に想えて実に危険な代物なのだ。特に己の分を弁えず、力ある悪魔を呼び出そうと魔力欠乏症で死に至る者の多さたるや……嘆かわしい」
肩を竦め大袈裟に首を横に振るルベア。そのわざとらしさにじと目を送れば、一つ咳払いして姿勢を直す。
「う、ごほん。つまり我輩が言いたいのは、迂闊な名を呼んで欠乏死する輩を出さぬように、類い稀なる魔力量を誇るオルド殿が所持するのが一番ではないかと」
「……そりゃあ、魔力量だけなら父さんたちにも負けないけどさ……却下」
「ええ、な、何故?」
言い切って再び歩き始めたオルドの後を、ルベアが心外だと言わんばかりに慌ただしくついてくる。
「魔力欠乏症に陥らないのは良いとして、呼び出した悪魔に悪意があったらどうする? 魔法の使えない俺は直ぐに殺されるぞ?」
口に出してみて「悪魔に悪意」と言う違和感満載な言葉に苦笑しつつも、それを表に出さずルベアに問いかけた。
今のところこちらに対する「悪意の無さそうな悪魔」は|胸(骨)を張って歯を打ち鳴らす。
「カッカッカ。それは無論、この我輩がお守りいたそう。並みの悪魔であればちょちょいのちょいだ」
「……なんだよ、結局それが狙いなんじゃないか。つまり君、グリモワールを所持する俺を守ることで、この世界にいる口実にしようっていうんじゃないのか?」
「……びゅ、びゅぶぶ。な、なんのことかな?」
唇のない口でした努力は認めるが、誤魔化し方も口笛も随分と酷い。こんな間抜けな姿を見せられても、並みどころか下級の悪魔にも勝てなさそうだとしか思えない。
「悪魔の強さは魔力量に依存する、だっけ?」
「うむ?」
「君が言ったことだよ。あのセドリスを圧倒していたのは凄いと思う。でもさ俺、君からほとんどと言っていい程魔力を感じないんだけど、本当に強いのか? 召喚される際に魔力を使ったのかとも思ったけど、君がこの世界に来てから三日目。ちっとも変わらないように思えるんだが?」
個人差はあるが魔力を持つ人間は、失われた魔力が戻るのに数時間から一日。長い場合は数日かかる。
だが、大抵は三日以内に魔力は完全に戻る。たとえ完全には戻らずとも、三日もあればそれなりの量は復活するはずだ。
だというのに、目の前の悪魔は最初会った時も、今も、魔力保有量に変動は無さそうなのだ。現在の少量と言ってもいい魔力が、これ以上増えることはないだろう。
「ふーむ、お主は本当にラウバー殿の曾孫にしてはモノを知らんな」
「なに?」
「いいかね? そもそも悪魔は魔力を創り出すことなんてできないぞ」
「……え?」
「この世界とは違い、『インフェロス』には空気に魔力が満ちている。故に、それを吸収することで我々悪魔は失った魔力を取り戻すのだ」
「そうなの?」
驚きの新事実である。
いや、おそらくは授業でもやったのだろうし、もしかしたら魔法科の生徒にとっては常識的な事なのかもしれない。
しかし、オルドとしてはそんなことを聞いた覚えはなかった。きっと初耳に違いない。そう信じよう。
「そう言えば、召喚について教えると言ったな。よし、今教えてしんぜよう」
「えー、いいよ。面倒くさそう」
オルドが断ったにも関わらず、ルベアは嬉々とした様子で長ったらしい話を始めてしまう。
「いいかね? 元から魔力の少ない低級悪魔ならいざ知らず、ある程度力を持つ者が召喚に応じる場合、我輩のように魔力を極限にまで減らす必要がある。そうしなければ、この世界と『インフェロス』を繋ぐ次元に張り巡らされている『魔力網』に阻まれてしまうからだ」
「え? でも、ハーゲンティはすごい魔力を持ってたけど。本当はあれよりもすごいの?」
オルドの魔力を半分近く使って呼び出されたハーゲンティ。あの雄牛の化け物は、上級悪魔と言うに相応しい魔力と威厳を備えていた。あれでも弱体化した姿であれば、本来の姿は一体で世界を終わらすことができそうだ。
しかしオルドのその心配を呆れたように見やり、ルベアは軽く首を横に振った。
「そんなわけがあるまい。あの姿は、ハーゲンティの真の姿だ。一度弱体化して『魔力網』を抜けた悪魔を、再び召喚主の魔力で元の姿に戻し召喚する。この召喚を『真正召喚』と言う」
「ああっ。『真正』やら『限定』ってのはそういうことか。と言う事は、ルベアみたいにスケルトン姿のまま来たら『限定召喚』ってこと?」
「うむ。まぁ、我輩のような姿になるかは個体差があるが、魔力を減らしたまま召喚することを『限定召喚』と言う。この『限定召喚』は、召喚主は声を『インフェロス』に届かせるためだけの魔力消費で済むのだ。覚えておきたまえ」
「ふーん。まぁ、もう悪魔なんて呼び出すつもりはないけどね」
得意げに教師ぶるルベアに鼻を鳴らして返事をして、オルドは昨日の決闘を思い出す。
ルベアに唆されて呼び出してしまったハーゲンティ。彼が仰々しい登場の仕方をしたせいで、随分と肝を冷やされたものだ。彼が異界に還った後など、安心して気を失うものが幾人もいた。それだけ、そこにいるだけで圧倒的な存在感があったのだ。
あんな怪物、もう呼び出すなんて御免だった。
「ちなみにだが、基本的に『限定召喚』はあらかじめ取り決めをしていないと成立しない」
「ん?」
「つまり、一度『真正召喚』で呼び出した悪魔に、今後は『限定召喚』で出てくるように言わなければ、自動的に『真正召喚』になってしまうのだ」
「えー、なんだってそんな面倒な……」
「悪魔にだって選ぶ権利がある。誰が好き好んで、弱体化した姿で異世界に行きたいと思うんだね? この世界は魔力が大気に含まれていないのだ。『真正解放』できる保証もない」
補足説明するルベアの言葉の中に、再び聞き慣れない言葉が混じる。しかし、朝からこれ以上必要あるとは思えない知識を吸収するのは無理だ。オルドはそれ以上の話は聞き流すことにした。
前を向けば通い慣れた学び舎が、もう少しの距離まで近づいていた。




