真正召喚
立会人であるロビソーの勝利者宣言を遮ったルベアに、一斉に周囲の目が向いた。ロビソーも訝し気な目で喋るスケルトンを見た後、その主とされるオルドへ視線を移した。
「なにかね?」
「え? あ、いや……」
使い魔がこのような横槍を自ら入れてくるはずもないので、必然的にオルドが何らかの指示をした。ロビソーはそう考えてオルドを見たのだろう。
もちろんオルドは何の指示も出していないので、そんな目を向けられても困るのだ。
戸惑うオルドを助けるわけではないのだろうが、ルベアが両手を広げて周囲の注目を再び集める。
「どうやら貴様らは、我輩がオルド殿の使い魔であることが信じられないらしい。だから使い魔であることを証明せよと申すのだな?」
「……その通りだ。主のために自壊するのか?」
偉そうに喋るスケルトンに少しムッとした表情を浮かべ、ロビソーが問いかける。そんな彼に、ルベアはゆるりと首を横に振った。
「無論、我輩とて命は惜しい。貴様らのような木っ端に唆されてそのような愚行は犯すまい」
「こ、木っ端……どういうことかね、オルド君っ!」
「え、お、俺は何も……」
「だが、この様な奸計でオルド殿が汚名を被るのも馬鹿らしい。と、言うわけでだ。別の方法で証明しようではないか」
木っ端呼ばわりに憤るロビソーと怒られ縮こまるオルド。それらを無視するかのように、ルベアはオルドの近くに落ちていた鞄を拾い上げた。
そして中から一冊の本を取り出す。そう、『ロスト・グリモワール』だ。
「おい、ルベア。なんでグリモワールを……」
「うーむ……おお、あったあった。このページだ。オルド殿、このページに書かれている悪魔を召喚したまえ」
「え?」
いきなり開かれたグリモワールを手渡され、オルドは戸惑ってルベアを見つめる。するとルベアはオルドの視線から逃れるように目を逸らした。
「本当はあまりこの世界と関わるつもりはなかった。だが、さすがに我輩とて怒りを感じる時もある。我輩を庇って汚名を被ろうとしているオルド殿に対して、思うところだってある。存分に、奴らの肝を冷やすとよかろう」
「……いや、ちょっと意味が――いや、まったく意味が分からないんだけど……」
「貴様らはオルド殿に対して使い魔を使役する力量がないと思っている。そうだな? だからこそ、他者から我輩を借り受けたのだと思っている。ならば新たな使い魔を今ここに、オルド殿の手で召喚すれば疑惑は晴れると言うもの」
説明を求めるオルドに背を向け、再び周囲に語り掛けるルベア。観客たちは予想外の事態にお互いに目配せし合う。
セドリスにしてもこの成り行きにはついていけないのか、何も言わずに黙り込んでいる。ただその根を寄せた眉を見るに、とんでもない早さで頭を廻らせているのだろう。
「ふむ。そうだのう。仮にオルド君が別の使い魔を呼び出すことができるのであれば、彼が使い魔を使役できないと言う疑惑は晴れる。できるのであればやってみたまえ」
唯一ロビソーだけがいち早く立ち直り、ルベアの言葉を肯定した。ロビソーとて、オルドの証明のない反則負けは納得がいっていなかったのだろう。
「と、言うわけだオルド殿。なーに、少々魔力は喰うが、オルド殿のその魔力量ならば真正召喚でも余裕であろう。いけるいける」
「いけるいけるって……ふっ、まったく」
焚きつけるように無責任に煽るルベアを一度睨んで、オルドは思わず噴き出した。何だか良く分からないが、『ロスト・グリモワール』に書かれている悪魔の名前を呼べばいいらしい。
「『知を智に、鉄を金に、水を酒に。我が声が届きし賢き者よ呼びかけに応え給え――異界より真正を現せ、勇猛なる賢者ハーゲンティ』」
ただ書かれていた名前を呼んだだけなのに、何故か呪文のような口上が周囲に響く。そしてオルドの身体からごっそりと魔力がグリモワールに流れ込み、思わず膝を着きそうになった。
グリモワールを見つけた時ほどの消耗ではないが、ルベアを呼び出した時とは雲泥の差だ。膨大な魔力を半分近く持っていかれ、おそらくオルド以外がやったら急性魔力欠乏で死んでいただろう。
「な、なにが――」
何故こんなにも魔力を使わなければいけなかったのか。その理由は直ぐに訪れた。
「え……」
「こ、これは……」
日が落ちかけ、夕暮れが迫っていた薄赤色の空がまるで塗り潰されるように重苦しい灰色へと変化した。
上空の雲は逃げるように四方八方へと流れて行き、そして『リザーウドの林』の真上だけ、ぽっかりと灰色の空が広がる。
――その空が、唐突に破けた。
「……嘘、だろう?」
「おいおいおいっ! これ不味いってっ。魔法科の先生呼んで来いよっ!」
目の前で展開される事象に慄き、生徒たちが騒ぎ立てる。しかし誰も動き出そうとしない。いや、未知な事が起きている恐怖に動き出せないのだ。
空の破れた先に広がる真っ暗な闇。そこから不意に、巨大な目玉が地上を見下ろした。
「ひっ!」
「あ、あ……」
ぎょろぎょろと値踏みするかのように辺りを見渡す目玉に、何人もの生徒が腰を抜かす。唯一大人と言えるロビソーにしても、眼を見開いてあんぐりと口を開けていた。
まず、その割れ目を跨ぐように現れたのは足だ。その足の巨大さたるや、小柄な竜なら踏みつぶせそうだ。
ついで割れ目を潜るように現れたのは巨大な筋肉質な腕と牛の顔。二本の角を持ち、下界を見下ろす大きな両目は、ガラス玉のように艶のある光を放っている。見る者によってその瞳は黒々とした毛に包まれた顔と歪な組み合わせとなっており、生理的な怖気を誘う。
そして最後に現れた黒毛と逞しい筋肉に覆われた胴体には、背中から灰色の翼が生えている。
全長は一体どれくらいあるのだろうか。ゆっくり空から翼をはためかせて降りてくるその巨体は、近くにある冒険者学園の鐘楼よりも大きそうだ。そんな威容が近づいてくるのだから、周囲にいる者たちはたまったものではない。
「お、終わりだ。世界の終わりだ……」
誰かが呆然と呟いた。世界の終焉を告げる者がいるとすれば、まさしくこの様な姿をしているのかもしれない。
盛大な地響き立て地面に降り立ったその怪物は、周囲を睥睨するように見渡す。『リザーウドの林』のどんな木々よりも背が高く、その威圧感は絶対的な死を思わせる。
二足歩行の翼が生えた巨大な雄牛。それは、紛れもなく悪魔だった。
それもおそらく、『インフェロス』でも高位の存在だろう。
そんな悪魔がオルドを見下ろす。
一度だけオルドの傍らに立つルベアに目を向け、しかし再び膝を震わせて見上げる事しかできないオルドを見つめた。
そしてゆっくりと、悪魔は身を屈めて大きな牛頭をオルドに寄せる。
家を丸ごと飲み込めそうな口が開き、歪な笑みを作ってその悪魔は言った。
「お久しぶりです、我が主」




