26話 美姫
自分に仮面を被って振る舞っていたあの頃は、全てが現実ではない何かに囲まれているようだった。自分ではない仮の姿で向き合う相手は、自分(橘美姫)に話しかけているのではなく仮の姿(橘ななみ)に話しかけているのだと。そして本名(橘美姫)を打ち明けた今でも、整形した顔は橘ななみであることは変わらない。橘美姫として生きると心変わりをしたが、仮面を剥げない宿命を一生背負っていくのか。
向き合わなければならない現実に頭を抱える。胸が痛い。仮面のまま生きていくのなら、どこか遠くへ行って一から人生をやり直すのも自分にとって良い判断になるのではないか。色々と考えが働くが、答えを見いだせない。この仮面を剥ぎ取りたい。
そう、私は橘美姫なのだから・・・。
「お待たせ」
心底暗い美姫に藍野が話しかけた。
「仕事で少し遅れてしまったよ」
「いいわ。行きましょう」
二人は並木道を歩く。美姫はマスクをしていた。そのマスクは花粉症対策として着けていると言える。またアイドルの顔を隠すため着けているとも言える。
「マスク・・・」
「このマスクは顔を隠すためよ」
「僕、知っている。美姫はアイドルだからね」
「うん・・・」
いつも客の前では明るく振る舞っている美姫だが、普段は言葉数が少ない女性だった。
「藍野くんにお願いがあるの。今日は静かなところに行きたい」
「なるほど、そういう気分なんだね。じゃあ・・・」
藍野は歩きながら考えた。そして一歩一歩足を動かしながら上を向く。どこに向かおうと考えているのか美姫は首をかしげて藍野の顔を見た。横顔・・・かっこいい。
「よし!少し行ったところに動物園がある。そこでゆっくり動物を眺めるとするか」
「うん!」
動物園に行く予定は全くなかった。しかし、気軽に行ける動物園がたまたま近くにあったため、そこに行くことはお互いにとって容易であった。屋内型動物園で動物を眺めるのが無難だろうと藍野は考えた。
「動物に心を癒してもらおう」
二人は動物園に到着した。入り口は静かで、客もほどほどの人数であった。
「アイドルさんは顔がバレたら、大変なのでは?」
藍野は心配にしていたことを美姫に聞いた。
「大丈夫よ。私は私。プライベートは自由にしているわ」
ゲートを通った二人は笑顔になった。美姫の笑顔はマスク越しでも伝わった。眼しか見えないが満面の笑みを浮かべているのが分かった。その笑顔はマスクを取った状態で見たかったと、藍野は思った。




