表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水の国へ愛をこめて  作者: 亜蒼行
凍土篇
8/69

第七話「国王グリアン」その2

 レアルトラは一人、王城の塔のバルコニーに立ち尽くしていた。彼女の眼下には王都カアーナ=マートの姿が……だが今、王都は無残な姿をさらしている。雪イナゴに食い尽くされ、荒野となった王城の庭園。王都のあちこちでは今も雪イナゴの群れが地面に降り立ち、雪原を作っている。この瞬間も雪イナゴは飽食を続け、その被害は拡大する一方だった。

 レアルトラは小さく身震いした。今は初夏のはずなのに真冬のように寒々しい。身体の冷たさはまるで吹き荒ぶ吹雪の中に一人放り出されたかのようだった。


「……ちちうえ」


 レアルトラは小さく父親のことを呼ぶ。そして唇を噛み締めた。


「これぐらいが何だというのですか。父上はもっと苦しい思いをしたのに」


 レアルトラは父・グリアンのことを思い出した。その手に抱かれていた日々のことを。頭を撫でてくれたその掌を。父のことを思い返すだけで胸の内が暖かくなる。その暖かさが凍てつく身体をも溶かしていくのだ。


「ぐわはははは! 此度も勝ったぞレアルトラ!」


「お帰りなさいませ、父上!」


 グリアンは城中に響く笑い声を立てている。遠征から帰ってきた父親の胸に幼いレアルトラが飛び込み、グリアンは喜びのあまりレアルトラを振り回した。グリアンは熊のような体格の大男で、髭で覆われた顔もまた熊のようだ。幼いレアルトラからすればグリアンの巨体はまさしく山のようで、その存在もまた大地のように盤石であると信じて疑わなかった。


「ぐわはははは! ムーマの臆病者ごとき、我等がコナハト武士の敵ではないわ!」


「父上、お帰りなさいませ」


「うむ、父は帰ってきたぞ、グリーカスよ!」


 グリアンは息子にそのおおざっぱな笑顔を向けるが、グリーカスの表情は晴れないままだった。その当時は「兄上は何を心配しているのでしょう。父上がいらっしゃるのに」と首を傾げるだけだったが、今なら判る。コナハトがどれほど困難な状況に置かれていたかを。国王がどれほどの重圧に耐えていたかを。

 グリアンは偉大な王だった。レアルトラは「父上は誰よりも偉大な王です。コナハトのこれまでのどの王よりもずっと。大陸のこれまでのどの王よりもずっと」と公言してはばからない。レアルトラに本心から同意する者は残念ながらコナハトの中でも少数派なのだが、それでもレアルトラの信念が揺らぐことはなかった。

 コナハト国内でもグリアンに対する評価がそこまで高くないのは、グリアンが実際に成し遂げたことがあまりに少ないからである。ムーマとの戦いでは一度ならず勝利し、国土を何とか守り続けていたが、蝗害が頻発するようになってからはそれすらも困難となった。金はなく、人は減り、兵は集められず、国土は奪われる。


「ぐわははは! 何のこれしきのこと!」


 それでもグリアンは笑い続けた。笑って部下を鼓舞し、笑って兵の士気を高め、笑って戦い続けてきたのだ――内心ではどれだけ泣きたかったとしても。額を地面に擦りつけてグラースタや出入りの商人から金を借り、自ら鍬をふるって畑を耕し、兵を集めて鍛錬をくり返し、一度戦いとなれば先陣を切って戦った。それでもムーマの浸食は止められず、民はこの国に見切りをつけて逃げ出し、そうでない民は飢えに瀕し、国庫は空となり……


「ぐわははは! それがどうした、今に見ているがいいわ!」


 それでもグリアンは笑い続け、身を削ってコナハトを支え続け……ついにはその身体は巨木が朽ちるように病に倒れる。特にその年は蝗害が一際大規模で、冷夏と厳冬が重なって飢饉がモイ=トゥラ南部からコナハト全土にわたって広がっていた。それによる疲労と過労と心労は白蟻のようにグリアンの身体を蚕食しており、病に対抗するだけの体力を根こそぎにしていたのだ。


「国王陛下は働き過ぎです。休養していれば無事に治りましょう」


 と典医は言うがそんなのはただの気休めでしかない。自分が不治の病に冒されたことは自分が一番よく判っていた。


「ときに……武家では今じじいどもの切腹が流行っているそうだな」


 病床のグリアンの問いに、その側に立つ将軍ジェイラナッハは短く「は」と答える。肯定はしたくないが、国王の問いに嘘の返答はできないジェイラナッハの、せめてもの抵抗だった。

 ――切腹は「導く者」マゴロクによってもたらされはしたが、長らく記録だけの存在だった風習である。だがムーマの侵略によりコナハトが存亡の危機を迎え、魔法でも物量でも兵数でもムーマに勝てなくなったとき、ムーマに勝てる要素が何一つなくなったとき……それでも唯一コナハトに残されていたのが、マゴロクが伝えた武士道、その苛烈な精神主義だったのだ。


「気合いを入れれば邪悪魔法にも負けはせん」


 逆に言えばムーマの邪悪魔法に対抗する方法が「気合いで我慢する」しか残っていなかったということでもある。こうしてコナハトの「貴族社会」は(元々ムーマとの戦いで絶滅寸前の大打撃を受けていたこともあり)一旦解体され、「武家社会」に再編成される。マゴロクの伝えた武士道が復活し……その中で切腹という風習もまた記録だけの存在から実際に行われるものへと復活したのである。


「あやつ等には苦労ばかりかけたのにそれに何一つ報いることもできぬまま、後進に道を譲るために……」


 グリアンの独り言にジェイラナッハは「ぐおおっっ」と滂沱のごとく涙を流した。ジェイラナッハは涙もろい性格でむやみやたらと泣く人物なのだが、この場はジェイラナッハでなくとも涙は禁じ得なかったに違いない。


「飢餓は武家にも広がっております。じじいが一人腹を召せば孫二人が食えるかもしれんのですから」


 若い次世代を生かすために老人が自ら死を選ぶことはコナハトでなくてもあることだろうが、自死の手段に切腹を選ぶのは今のコナハトでしかあり得ないことだった。


「よいか、あと一〇年待てば『導く者』が召喚される。コナハトがムーマに勝てる日はお前達が生きているうちに必ずやってくる。それまでこの恨み、この憎しみを決して忘れてくれるな」


 彼等は一様にそう言い残し、腹を切り、血まみれになり、のたうち回り、苦しみ、苦しんで、苦しみ抜いて死んでいくのだ。この恨みを、この憎しみを確実に次の世代に受け継がせるために。


「そうだな。ここにも死に損ないが一人いる。これがとっとと死んだなら子供二人も少しは腹が膨れるようになるだろう」


「そ、そんな、陛下が……」


「どう足掻こうともう助からん身体だ。ならば無為に生き長らえて貴重な米を食い尽くすこともあるまい」


 そう言ってグリアンは「がはは」と笑う。ジェイラナッハは何とかグリアンを翻意させようとし……結局それが不可能であることを理解した。


「ならばそれがしも死出の旅にお供しましょうぞ。無駄にでかいこの身体、腹ばかり減って持て余しておったところです」


「それはならん」


 だがグリアンはそれを言下に退け――無念の雄叫びを轟かせた。


「儂とて好きで死ぬわけではないわ!」


「へ、陛下……」


「おぬしほどに身体が頑丈であれば何としてもあと一〇年生き延び、『導く者』の召喚をこの目で確かめるものを!」


 グリアンは嵐のような激発から一転、凪いだ海のように穏やかな笑顔となった。


「儂の代わりにおぬしが見定めよ。レアルトラとグリーカスを頼む」


 ジェイラナッハにその命令を拒絶する手段などない。「ははっ」と頭を下げ、全身の水分を吹き出す勢いで涙を流すだけだった。


「とは言え……切腹は痛そうだからちょっと嫌だな」


 がははは、とグリアンは笑う。グリアンはカアーナ=マートの郊外の荒野、その中の小高い丘の上に出、ジェイラナッハに人の背丈ほどの杭を立てさせた。グリアンは北を向いて自らの身体を縄で杭に固定。愛用の剣を地面に突き立て、両手はその上に置く。


「うむ、これでよかろう」


 グリアンは巌のように屹立し、顔を上げて北を見つめた。視線の先には、地平線の彼方には、水の国コナハトの真の故郷、モイ=トゥラが――水と稲穂に覆われた楽園が、尽きることのない豊穣の大地があり、その果てには宿敵ムーマがあるはずだった。


「父上! 何をしているのですか!」


「ちちうえ!」


 そこに現れたのはグリアン最愛の子供達、グリーカスとレアルトラである。病床を抜け出したグリアンを追い、ここを見つけたのだ。グリアンを追ってきたのは二人だけではなく、宮廷の主立った者がこの場に揃うこととなった。


「このような真似……お身体に障ります! もしものことがあったら――」


「グリーカス、お前も我が息子ならば見て見ぬふりなどするでない」


 グリアンの静かな言葉にグリーカスは絶句する。グリーカスには判っていたのだ、グリアンの不治の病を得ていることを。病に倒れる最期より、この最期を自分で選んだのだと。グリーカスの目からは涙が、その口からは嗚咽がこぼれた。


「ち、父上……」


 一方のレアルトラは状況が把握できず、戸惑っているだけである。そんなレアルトラにグリアンはいつものような雄々しい笑いを見せた。


「ちちうえ……」


「レアルトラよ、お前が次の王となるのだ。お前が『導く者』を召喚し、モイ=トゥラを奪還するその光景を、儂はここから見守っている」


 そう言ったグリアンは視線を再び北へと向け、二度とレアルトラの顔を見なかった。

 ここに残る、絶対に離れない、と泣き叫ぶレアルトラだが、ジェイラナッハがレアルトラを担ぎ上げて王城へと連れ帰ってしまう。普通の大人からしても見上げるような巨漢のジェイラナッハと比較すれば幼いレアルトラなど仔猫と何も変わらない。必死の抵抗も空しく、レアルトラは王城に閉じ込められる形となった。隙あらば王城を抜け出してグリアンの下に向かおうとするからである。

 グリーカスや他の宮廷の面々は、内心はレアルトラと全く同じだったことは疑いない。だがグリアンの覚悟を見せつけられ、それを穢すような真似はできなかった。殉死を望んだ者も少なくはなかったのだが、グリアンは臣下の殉死を決して望まず、認めなかった。


「生き延びてその身命をレアルトラに捧げよ」


 とグリアンが厳命し、またジェイラナッハが必死に押し止めたこともあり、殉死しようとする者はごく少数に留まった――つまりは少数はいるということだ。


「全く……この頑固じじい共が、話にならんな」


 今、グリアンの周囲には七人ばかりの男がいる。年齢は一番若い者でも六〇代、最高齢は八〇代に届いている。未だ五〇代に届かないグリアンよりずっと高齢の者ばかりである。


「儂等はもう存分に生きたわい」


「剣も持てん、走れもせん。鍬もろくに持てんじじいに一冬分もの飯を食わすこともあるまいよ」


「残っとった薪も食い物ももう全部息子に譲ってしまったのじゃ。今さらどの面下げて家に帰れと言われるか」


 彼等はグリアンの説得に一切耳を貸さず、あくまで殉死することを選んだ男達だ。


「冷たい藁の布団の中でいつの間にか死んどるより、陛下に殉死した方が家族も面目が立つじゃろう」


 一人の発言に他の男達が「違いない」と笑い合う。グリアンはため息をつき、結局彼等の翻意を諦めることとなった。

 彼等はグリアンと同じように杭を立て、立った姿勢で自分の身体を杭に縛り付けた。そして一様に北を向き、北を、その果てを見据える。烈風が吹き荒び、冷たい雪が彼等の身体を白く覆った。雪がグリアンの視界を閉ざすが、それでもグリアンは北を見つめ続けた。


「ぐわははは! どうした、どうした、その程度か! こんな温い雪で我が身体を凍てつかすつもりか! グラースタの視線の方がよほど冷たかったぞ!」


 グリアンは笑い、男達も笑った。彼等は笑い続ける。日が暮れて夜となり、風も雪も止むことはない。気温は下がり続け、冷気は何もかもを凍結させた。男達は一人、また一人と力尽きていく。


「ぐわははは! 気の早い奴等だな、まだ夜はこれからだろうに!」


 体内の血液が凍り付き、手足はもう動かない。指先は壊死を待つばかりで、脳髄すら氷になってしまいそうだ。


「ぐわははは! この程度の寒さがどれほどのことか! コナハトの民がどれほどの苦難に耐えているのか……貴様は知っているのか!」


 グリアンは吹雪をかき消すほどに獅子吼する。自国の運命を恨み、神々を問い殺すほどに怨嗟の声を上げた。


「モイ=トゥラの民はムーマに重税を課されておる――ムーマの魔道士どもが絹の服を着るために、奴等の娘が宝石を買うために! 奴等が暖衣飽食する一方でモイ=トゥラの民はあばら屋に住み、飢えと寒さに耐えておるのだ! わずかでも奴等に逆らうなら鞭打たれ、牢獄に送られ、奴隷にさせられ……反乱を起こしても邪悪魔法には勝てずにただ潰されるだけだ! この冬のように飢餓が広がろうと奴等は何の手も打たず、税率すら下げようとせず……食うものがなくなった民は逃散するか、盗賊となるか、それとも互いに合い食らうか……」


 グリアンの言葉は比喩ではない。空腹のあまり食人行為に至ることはモイ=トゥラ南部では珍しくもない話だった。そしてそれはコナハト本土においても同じである。


「今に見ておれ! 『導く者』さえ召喚されればコナハトは救われるのだ! この飢餓から、この貧困から、この絶望から! そのとき貴様が贔屓したムーマがどうなるか、その目で見ておるがいいわ!!」


 グリアンの罵声は夜の暗闇と吹雪の白い闇に吸い込まれ、消えていった。それが何者かに届いたかどうかは誰にも判らない。

 そして夜が明け――


「……生き残ってしまったではないか」


 グリアンに付き従った七人は全員息を引き取っていたのに、グリアン自身はまだ生き延びていた。遺骸を回収するべく早朝からやってきたジェイラナッハと顔を合わせ、グリアンはばつの悪い思いをすることになる。

 翌日の日中は吹雪も収まり、晴れ間が見えるようになった。暖かな太陽の日差しを全身に受け、グリアンは当てが外れたような顔をしていた。


「むう、このままでは死ねんぞ。しかし退屈だな」


 自分の身体が思ったよりも頑丈で「これならあるいはこの冬を越せるのではないか」とすら感じるグリアンだが、まるでそれを狙っていたかのように再び雪が降り、風が吹き荒ぶようになる。わずかに残されたグリアンの体力は急速に奪われていった。


「そうか、やはり儂はここで死ぬ運命か。是非もなし」


 吹雪は嵐となり、冷気は暴力となってグリアンの身体を踏みにじらんとした。だがグリアンはもう寒さも感じない。朦朧となった意識の中で考えるのは最愛の子供達のこと――特にレアルトラのことである。


「レアルトラよ、お前が進むのは茨の道となるだろう。だが何としても一〇年耐えるのだ。一〇年待てば『導く者』が召喚される。『導く者』はお前を、コナハトの全てを救ってくれる。だからそのときまで……」


 不意に、嵐が途切れた。雲が風に流され、太陽が姿を現す。春の太陽の輝きが大地を照らし出し――大地を埋め尽くすのは百万の軍勢だ。完全武装した百万のコナハト軍が北に向かい、矛先を揃えている。


「おお……おお……」


 グリアンは言葉もなくその光景を見つめていた。ジェイラナッハが、グリーカスが軍を指揮している。そして彼等が仰ぎ見ているのは本陣のレアルトラだ。レアルトラは杖を振り上げ、北へと向かって振り下ろした。


「進軍を開始します!」


 地震のような轟音が大地を揺るがした。百万の軍勢が一斉に鬨の声を上げている。天を破らんばかりに拳を突き上げている。盾を打ち鳴らしている。

 そして百万の軍勢が進軍する。行く先は――そんなの問うまでもない、北だ。モイ=トゥラへ、その果てのムーマへ。そこを目指しているに決まっている。

 百万の軍勢の進軍を見つめ、グリアンは笑っていた。生まれ出でて五〇年近く、この日が来ることを心から待ち望んできたのだから。百万の軍勢はモイ=トゥラを一呑みにするだろう。ムーマ軍を叩き潰し、完膚無きまでに討ち滅ぼすだろう。それは予想ではない、すでに確定した未来の姿なのだ。


「この国を頼むぞ、レアルトラよ」


 グリアンは遠ざかるレアルトラの背中に一言だけ声をかける。言うべきことは全て言った。伝えるべきことは全て伝えた。思い残すことはもう何もない。ならば、あとは何をするべきか――


「ぐわははは! 何と痛快なことか! 何と爽快なことか!」


 あとは、いつものように笑うだけだ。かつてのように溢れる涙を無理矢理呑み込んで笑う必要はない。腹の底から笑いが湧いてくる。力の限り、ただ笑うだけだ。


「ぐわははははは! ぐわははははは!」


 グリアンは笑い続ける。いつまでも笑い続ける。百万の軍勢が地平線の彼方に去っていく、そのときまで――











 その翌朝。強い吹雪は南へと過ぎ去り、明るい日差しが新雪を輝かせている。レアルトラは雪をかき分け、懸命に前へと進んでいた。レアルトラの後ろにはジェイラナッハやグリーカスが続いている。


「ちちうえ!」


 小高い丘の上にグリアンの姿が見えている。別れたときと寸分変わらず、大地を踏みしめ仁王立ちとなっている。いつものように笑っている。


「ちちうえ!」


 そうだ、父上が死ぬはずがない。あんなに強くて、あんなに大きくて、あんなに偉い父上が死ぬわけがないだろう。またいつものように笑ってくれる。いつものように太い手で頭を撫でてくれる。いつものように抱きかかえてくれる。


「ちちうえ――」


 丘の上まで登りきったレアルトラは――理解したのだ。グリアンはすでに天に召されていたことを。

 グリアンは笑っていた。いつものように牙を剥いた、野太い笑顔を見せていた。そして、そのままの姿で息を引き取っていた。まるで生きているときとまるで変わらないその姿で、その笑顔で――だがグリアンはレアルトラを見ようとはしなかった。声を発さず、微動だにしなかった。


「ちちうえ……」


 レアルトラはその横顔を見つめた。決してその姿を、その顔を忘れないように。何があっても忘れないように。たとえ地獄に堕ちようと、どれほどの責め苦を受けようと、この魂がある限りこの笑顔を決して忘れはしない――

 このとき、レアルトラは誓ったのだ。何を? ムーマへの復讐――それは言うまでもない。モイ=トゥラの奪還、「導く者」を召喚してコナハトを豊かな国に――それも当然成すべきことだ。父とコナハトの名を穢さぬよう誇り高く生きる――それもまた欠かしてはならないことだろう。それら全てを包含した、その一つ上の次元の誓い――語彙の乏しかった当時だけでなく、今もそれを言葉にはできない。ありふれた単語をどれだけ並べ立てたところでこの思いを言い表すことは決してできないだろう。言葉にはできないほどに神聖な、決して違えることのない絶対的な誓約――


「姫様、将軍閣下が到着いたしましたが……」


「判りました、今行きます」


 侍女の一人に声をかけられ、レアルトラは屋内へと戻っていく。国内外に山積する問題が、執務机の上に山脈を成す借金の証文が、彼女の帰還を待っているのだから。

 一七歳の少女にとってはあまりに過酷な重責を背負い、それでもレアルトラは歩き続ける。十年前の、決して変わることのない神聖な誓いを胸に秘めて――





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ