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水の国へ愛をこめて  作者: 亜蒼行
凍土篇
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第六話「国王グリアン」その1

 ナ=ノラグの月(第二月)が下旬に入る頃、王都カアーナ=マートは爽やかな初夏の陽気である。王都は新緑の美しい緑に包まれている。


「今年は暑さに恵まれそうです」


 とレアルトラは喜んでいるが、七斗は「暑さ……?」と首を傾げていた。間もなく夏本番なのに朝晩は肌寒いくらいの気候だ。真夏でもコナハトの地はろくに気温が上がらず、爽やかで涼しく過ごしやすい日が続くこととなる――だがそれは長く厳しい冬と引き換えのものだった。

 カアーナ=マートの王城には広大な敷地の中に王宮を中心として無数の建物が並んでいるが、その外れにちょっとした大きさの倉庫が建っていた。長い時間を経た古い倉庫なのだろう、石と煉瓦の外壁は半分以上蔦によって覆われている。今、その倉庫の前では槍や鎧で武装した何人もの兵が立哨していた。王城内でありながら彼等は油断することなく、厳しく周囲に監視の目を光らせている。

 その倉庫の中に入ると――目に入るのがいくつも並ぶ作業台。作業台の上には銅線や磁石が乱雑に置かれているが、そこはただの荷物置き場のようだった。実際にその上で何らかの作業がなされる台は特定の一つか二つのようである。その、本当の作業台の上には七斗が元の世界から持ち込んだ電子工作機器と部品……トランジスタ、はんだ、基盤、PIC、抵抗、電池、発光ダイオード等々が所狭しと並べられている。

 その隣の作業台ではいくつもの魔晶石が行儀良く隊列を作っていた。また十何種類もの彫刻刀に似た道具が所定の箱に整然と収められている。今、一人の若い男がその作業台で、彫刻刀のような道具で、魔晶石に何かの模様を刻んでいるところだった。


「ふむ……こんなものでしょうか」


 その男の名前はアルデイリムという。七斗よりは背が高いが貧弱な体格で、瓶底のような分厚い眼鏡をかけていた。身にしているのはいかにも魔道士らしい黒いローブである。

 その倉庫は古い倉庫を改修した七斗の研究所であり、アルデイリムはレアルトラが七斗のために用意した研究のパートナーだった。七斗が彼に魔晶石の加工を依頼し、アルデイリムはそれを今実行中だ。穏やかなで理知的な性格は七斗と相性が良く、七斗とアルデイリムは短い時間で意気投合していた。


「ナナトさん、できましたよ」


「ありがとうございます」


 魔晶石の加工が終わり、七斗はアルデイリムから受け取ったそれを自作の基盤へと組み込んだ。基盤にはすでにトランジスタや発光ダイオード、電池等々が組み込まれていて、


「よし、これで……!」


 七斗がスイッチを入れて――だが何も起こらなかった。


「……やっぱりダメか」


 そう簡単に上手くいくとは思っていなかったが、やはりそれでも落胆は禁じ得ない七斗だった。七斗は魔晶石を取り外し、掌の中で弄ぶ。


「絶対にこれ、PICの代わりになると思ってたんだけどな……これがダメならもう」


 七斗は「いや」と頭を強く振った。


「この方向で間違ってない――この方向しかないはずだ。それなら何から変えるべきか……」


「魔晶石ならあるだけ用意しています」


 とアルデイリムが作業台の上の様々な種類と大きさの魔晶石を七斗へと示す。


「まずは発動体として調整される前の石から試してみませんか?」


「そうですね。それで色々と調整と加工を試してみて」


 気を取り直した七斗はアルデイリムとその実験をくり返した。

 ……半日続けられた実験は特に成果なく、今は休憩中である。七斗とアルデイリムはフリーニャの入れたお茶を飲んでいた。まったりとした和やかな時間が流れ――唐突にそれは破られた。


「? 何でしょうか?」


 歩哨の兵士が大声を出している。怒りと苦渋に満ちた声……だが切迫した危機ではなさそうだ。七斗達三人は外へと向かった。屋外に出、アルデイリムが兵士の一人に声をかける。


「どうかしましたか?」


「あ、あれを!」


 と兵士が空を指差した。それが指し示す先にあるのは……雲のような黒い影。その黒い影は巨大な粘菌のように空中で自在に形を変えている。まるで一匹の生き物のようだが、そうではない。それは無数の小生物の群体なのだ。


「雪イナゴ……!」


 アルデイリムが食いしばる歯を軋ませるようにしてその名を呼ぶ。今、アルデイリムやフリーニャ、それに兵士達も全員が、憤怒と絶望を半々にして顔に貼り付けていた。七斗だけが「そう言えば蝗害が頻発しているって言っていたな」と暢気な様子だが、それも長くは続かなかった。


「いけませんナナト様! 早く屋内に!」


 雪イナゴの群体が動きを変え、七斗達の方へとめがけて真っ直ぐに向かってくる。七斗はフリーニャに手を引かれて屋内に避難、アルデイリムと兵士達がそれに続いた。七斗達が屋内に入ってそれほど間を置かず、異様な音が研究所全体を包んだ。まるで雹が降っているかのような音……無数の小さな何かが建物の屋根と言わず壁と言わず体当たりをしている。

 何百万、あるいは何千万というイナゴの羽音が重なり、まるでジェット機のエンジン音のような轟音となった。かなりの大声を出さないと隣の人間と会話をするのも難しい。だが七斗は想像を絶する事態に半ば思考が停止し口を利くこともできなかった。アルデイリムやフリーニャも苦痛を堪えるように口を閉ざしている。轟音はやがて違う種類の異音となり、それが研究所全体を包んだ。まるで世界全体がやすりで削られているような、異常な音――

 一体どのくらいの時間そうしていたのだろうか。一時間、あるいは二時間が経過し、いつの間にか異音が少なくなっている。兵士の一人がおそるおそる窓の戸板を開けて外の様子を窺い、七斗は背伸びして兵士の頭越しに外を眺めた。


「……これは」


 そう言ったきり言葉が出てこない。外はまるで雪原のように白かった。イナゴの胴体に白い斑点があり、それが無限に重なって雪原のように見えているのだ。


「……どうやら群れの大半は去っていったようです」


 外はまだ雪が降り積もっているかのような光景だがアルデイリムはそう判断、屋外へと出る。七斗やフリーニャもその後に続いた。


「ひどい……」


 七斗は他に言葉が思いつかない。木立と言わず芝生と言わず、雪イナゴの群体は王城の緑を無残に食い尽くしていた。緑色をしたものは雑草の一本すら残っていない。空を見上げれば、再び飛び立った雪イナゴの群体が南へと向かって遠ざかっている。アルデイリムは拳を握りしめてそれを見つめていた。











 それからしばらくの時間を置いて、七斗とフリーニャは研究所の中に戻ってきている。フリーニャはくらい顔を俯かせていて、七斗は彼女に何と声をかければいいか判らなかった。


「あれ、アルデイリムさんは?」


 そう言えばアルデイリムの姿がないことに気付いた七斗がそれを問い、フリーニャがそれに答える前にアルデイリムが戻ってきた。彼は竹製のざるを手にしていて……それには雪イナゴが山盛りになっていた。


「どうするんですか、そんなもの?」


「少しお待ちください」


 そう言ってアルデイリムが部屋から出て行って、しばらくして戻ってきたときには手に大きな箱を持っていた。縦横は一メール弱、厚さは一〇センチメートルほどの木箱である。アルデイリムがその箱をテーブルに置き、観音開きの扉を開く。


「へえ……」


 と七斗は感心した。箱に入っているのはピンで固定された何十匹ものバッタ――昆虫見本である。


「これが雪イナゴ……」


「ええ、こいつが春から夏にかけて大量発生し、収穫前の稲や麦、田畑の作物を根こそぎ食い尽くすのです」


 イナゴと呼ばれているがそれは翻訳魔法の都合であり、おそらくはこの世界で独自進化したバッタの一種なのだろう。灰色の胴体には雪粒を思わせる白い斑点が付いている。


「ああ、なるほど。確かに雪みたいに見えたな」


 確かに雪イナゴが地面に降り、地面を覆い尽くして草木を食べている様はまさしく雪野原ように一面真っ白だった。……だがそれだけではない。


「……それだけではありません。雪イナゴに襲われた地域は冬に食べるものがなくなってそれこそ雪でも食うしかなくなるんです。そして春になったら餓死者の白骨が村中に転がり、まるで溶け残った雪のよう――」


 無数の白骨が転がるコナハトの大地――七斗はそんな光景を想像しようとし、想像が及ばなかった。連想したのは何年も前にテレビで見た映画「キリング・フィールド」の一場面である。


「それで雪イナゴと……」


「ええ。我々コナハトにとってはムーマに次ぐ憎むべき敵です」


 アルデイリムは吐き捨てるように言う。七斗は「それでも雪イナゴよりムーマの方が憎いのか」とある意味感心した。

 アルデイリムはざるに山盛りとなっている雪イナゴの選別を始めた。足が折れたりなくなったりしている、破損した死骸を除外。さらにきれいな状態の死骸から極端に大きいものや小さいものを除外し、平均に近い大きさの死骸を三つ四つ選び出す。

 そうやって選ばれた雪イナゴの死骸を水で洗い、時間をかけて乾燥させてようやく見本となるのだ。アルデイリムが死骸を洗っている横で、七斗は雪イナゴが並んだ標本に目を落としていた。翻訳魔法は書かれた文字に対しては無力であるため、七斗は自力でこの世界の文字を勉強中だった。標本の下に記された文字は、一つは標本が採集された年度、もう一つは場所だろう。


「……あれ?」


 場所の方は何と書いているのか読めないが(読めてもそこがどこか判らないが)年度の方はもう読める。年度の順に標本を眺めていた七斗はある事実に気がついた。


「だんだん大きくなってる?」


「ええ、その通りです。雪イナゴは年を経るごとに大型化し、寒さに強くなっています。それまでは百年に一度あるかないかだったのですが、ちょうど二〇年前に大発生してから蝗害が頻発するようになったのです。そして年を追うごとに被害も深刻となり……特に一〇年前は」


 アルデイリムはそこで絶句し、ただ首を振った。七斗は困ったような視線をフリーニャに向ける。


「一〇年前の大飢饉は本当にひどかったです。わたしの両親は餓え死にし、妹も売られて今はどこにいるのか……わたしは運良く武家の方に拾っていただき、姫様に仕えるようになったんです」


「前の国王陛下もこの大飢饉のときに病没しています。本当に、たくさんの方を喪いました」


 一〇年前――七斗は一〇年前のことを想起する。一〇年という時間は、ある人にとっては思い出すのも難しい遠い昔のことだろうし、またある人にとって昨日のように間近な過去であるだろう。たった二一年しか生きていない人間にとっては己の人生の半分に匹敵する遠い過去であるはずだが、七斗にとってそれは昨日のように鮮烈な記憶だった。


(――交通事故によって死去した両親。わけの判らないまま喪主となった葬式)


(――遺産相続で諍いを起こす親族。親戚に引き取られるも、厄介者扱いされ、冷遇される毎日)


 あのときから胸に穴が空いたようで、欠けた場所は未だ埋まることがない。この欠落を何とか補うべく、七斗はずっと足掻いてきたようなものだった。

 王女様もこの欠落を抱いてずっと一人で生きてきたのだろうか――七斗はレアルトラの過去に思いを巡らせた。




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