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水の国へ愛をこめて  作者: 亜蒼行
豊穣篇
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第五七話「内憂外患」その2




 始祖暦二五〇五年エーブレアンの月(第六月)。コールバを総大将とする東ムーマ侵攻軍に援軍が合流。その総兵数は一五万という威容となり、コナハト軍は無人の荒野を進むがごとくに破竹の勢いで進軍を続けている……とコールバは本国に報告している。コールバの認識と実情の間には、深くて暗い谷底のような、大きな乖離があった。

 ここは東ムーマ内のラスケールという町。町の住民は既に避難しており、ほぼ無人である。この町に到着したコナハト軍は、散り散りとなった。兵士が町中に散って、競争するような勢いで略奪に勤しんでいる。本来それを制止するべき千人隊長も、


「食糧はないのか、食糧を探せ!」


 略奪を煽るかのようだ。コナハト軍は軍隊ではなく、夜盗の群れというべき有様だった。

 ここでも何人かの兵士が民家の戸を蹴破り、無人の家に押し入って家探しをしている。だがはかばかしい成果は見られないようだった。


「食い物はあったか?」


「いや」


「金目のものもろくにない」


 くそ、と彼等は舌打ちをする。


「食い物はない、女はいない、金目のものもない。一体何のためにこんな遠くにまで来たっていうんだ」


 それはもちろん、雪イナゴをばらまいて今一度コナハトを滅ぼそうとした鉄杖党を今度こそこの大陸から一掃するため、とレアルトラなら言うだろう。彼等もそれは知っているはずだが、その目的は忘れられたかのようだった。


「! 女だ!」


「女がいた! あっちだ!」


 逃げ遅れたのか、逃げ隠れしていた女の姿が目の端に引っかかった。兵士が一斉にその女を追って走り出す。情欲にまみれたその姿は畜生と何も変わらず、獣の方がまだ上品かもしれなかった。

 逃げた女が角を曲がり、兵士がそれに続き、


「が――」


 弓の一斉射が彼等を貫く。なんのために戦うのかを忘れた彼等は何のために死ぬのかも見失ったまま、ムーマの大地となった。


「よし、移動する」


 弓兵の言葉に女が頷く。女が手頃な数の敵兵を釣って、弓兵部隊がそれを仕留める。その連携によりコナハト兵は鴨が射られるほどに容易く死体となり、それは無数に路上に転がった。

 が、ムーマのゲリラがどれほど上手く戦おうと所詮は多勢に無勢だ。当初は単なる移動だったのが次第に敵を避ける動きとなり、やがてそれは逃亡となり、ついには追い詰められる。それでも弓兵部隊は何とか追跡者をまいたのだが女の足では逃げ切れず、彼女はコナハト兵に捕まってしまった。


「このクソアマ、手間をかけさせやがって!」


 十人以上のコナハト兵が女を取り囲み、その中の一人が剣を振るった。腕を斬られた女が倒れる。さらに何度か力任せの蹴りを入れられ、彼女はもう身動きができなくなった。


「簡単には殺さねえぞ。たっぷり愉しんだ後に、八つ裂きにして――」


 誰かがその女の衣服をはぎ取り、絶句した。彼女は素肌の上に大量の火薬を巻き付けている。頑丈な油紙で筒状に包装したそれを連ね、まるで鎧のように身にまとっている。コナハト兵が慌てて逃げようとしたがもう遅い。彼女が壮絶な笑みを浮かべてピンを引き抜き、それは包装紙の中で黄燐や紙やすりと連動していて、火花が散って――

 女の身体は爆散して欠片も残らず、その周囲の兵士もただでは済まなかった。半数が即死し、半数が重軽傷を負う。この場では生き延びた者も充分な治療が受けられずに次々と死んでいく。最後まで生き残ったのはごく軽傷の者だけだった――この町では。次の町、その次の町でも生き残れる保証が何かあったわけではない。


「ムーマ兵の襲撃を受けて死傷者が――」


「残っていた食糧に毒が入っており、それを食べた者が――」


「井戸が埋め立てられており、掘削を始めております」


「井戸に毒が投げ込まれており――」


 ムーマ軍の焦土作戦にコナハト軍は呻吟した。相次ぐ被害報告に総大将コールバは苛立ちを募らせていく。


「食糧はまだ見つからないのか!」


「食糧庫が中身ごと焼き捨てられた痕跡が残っております。今は民家に残った食糧をかき集めているところですが……」


「本国からの補給は!」


 その問いに答えるのは将軍ロバール。援軍の総大将フェアラグの副将をしていた者であり、コールバ軍への合流後に彼に割り当てられたのは補給担当という役職だった。援軍は補給物資を携えて合流したのでそのまま成り行きでそうなっただけであり、適性や本人の意思を鑑みたわけではない。


「現在準備中ですが、我が軍に合流するのは早くて二ヶ月先になるかと」


「遅い!」


 口と同時にコールバの手が出て、ロバールを殴りつける。口を切った彼は血を流すが、そのまま直立不動でコールバをにらみ返した。


「なんだその目は?」


「いえ、『兵は拙速を尊ぶ、補給は現地ですればよい』と言われたのは誰だったかを思い出そうとしていたところです」


 その皮肉に舌打ちをするコールバ。ロバール以外の幕僚も似たような目を彼へと向けるか、あるいは関わり合いにならないように目を背けるか、だ。役立たずの集まりにコールバは舌打ちを連発した。


「くそっ、前にムーマ本国を落としたときはこんなことにはならなかったのに。何が違う、何が変わっている」


 そんなことも判らないのか、とロバールは白けた思いを抱くばかりだ。


「あのときは鉄杖党と『良きムーマ人』を分断し、『良きムーマ人』の協力を得ることもできた。王都カティル=コン=ロイを落とすことに全力を注ぎ、余計なことに軍を割かなかった。全ての兵がムーマへの復讐に燃え、全ての将が総大将ジェイラナッハに心服していた」


 今はその全てが逆となっている。コールバは「全てのムーマ人を皆殺しにする」と公言し、このため鉄杖党と一般のムーマ人が一致団結して抗戦している。降伏したところで殺されるか、断種の上で奴隷となるかの二者択一なので、全ての敵兵が死兵となって最後まで戦う。巧みなゲリラ戦と焦土作戦によりコナハト軍の出血は増えるばかりである。

 コールバとて遊んでいるわけではなく、一日でも早く仮の王都ベン=バルベンを攻略したいと思っている。だが食糧の補給が途絶え(最初からその用意がなく)現地調達もままならず、ベン=バルベンを直撃したくてもそれができない状態なのだ。コナハト軍は食糧を探し求めて分散し、右往左往した。コールバは幕僚の進言に流されやすく、また幕僚に対する好き嫌いが激しくそれだけで意見を選び、揚げ句にその日の気分だけで当座の方針を決めてしまう。コールバ自身に言わせれば「確固とした方針に基づいて断固として進撃している」らしいのだが、その方針が何なのかは誰にも判らなかった。

 総大将がこんな有様では幕僚や諸将の士気が上がるわけはなく、兵に至っては何をか言いわんやだ。


「鉄杖党は性懲りもなく雪イナゴをばらまき、コナハトの滅亡を図っている! ムーマは不俱戴天の仇! 奴等とは殺すか殺されるかだ!」


 千人隊長が兵士を集めて訓令をくり返すが、兵士の方は白けた顔を並べるばかりである。


「でも、ラギンの王女がそれに協力したんだろう?」


「王女はただのトカゲの尻尾で、その黒幕は王太后ゲアラハだって話だ」


 そんな噂が末端の兵士の間にも広く流布している。「ラギンの王女がゲアルヘームに協力」まではラギン国王が公式に認めた事実だが、その黒幕はゲアラハだ、という話はただの噂に過ぎなかった――だがほとんど確定的な事実として広く信じられている。


「そもそも王女リームはまだ年若く、ターバートの総督という立場も形だけだ。ゲアルヘームに協力できるだけの力は王女にはなく、もっと有力な協力者が王女を隠れ蓑にしたに過ぎない」


 ……という推測は多くの者に説得力をもって語られ、それに反論するのは非常に困難だった。そしてラギンの王太后ゲアラハと言えばコナハトの先代国王グリアンの妹、元はコナハトの王族であることは言うまでもなく、


「つまりはコナハトの王族が無理に始めた戦争ってことだろう?」


 当初は多くの兵が鉄杖党に対する怒りに燃え、戦意をたぎらせていたのかもしれない。だがそんな思いはとうに霧散している。こんな戦争で死ぬのは馬鹿らしい、真面目に戦うなんて間抜けのやることだ――ほとんどの兵はもう、ただ生き延びることしか考えていなかった。その次に考えるのは少しでも多くの金品を略奪してそれを本国に持って帰ること。その次に考えるのはムーマの女を強姦することだ。

 自軍の惨状に心を痛める将軍がいないわけではない。ロバールなどはその筆頭だ。彼は本国に現状を包み隠さず、コールバの無能さ加減を言葉を尽くして報告する。公式ルートでは握り潰される恐れがあるので将軍フェアラグが属する派閥を経由してである。


「総大将コールバが将軍フェアラグを謀殺した可能性が高い」


 その疑惑についても徹底的な調査結果を残らず報告した。ロバールからすれば疑惑などというレベルではなく確定的な事実なのだが、それでもコールバの首を獲るには足りなかった。コールバは軍内の最大派閥ジェイラナッハ派の次期後継者であり、その協力者は無数にいるのである。

 コールバ軍上層部は内部分裂を起こして本国をも巻き込んで密かな政争をくり広げ、対ムーマ戦の方がむしろ片手間となろうとしていた。当然兵の損失は拡大の一途をたどり、止まろうとはしない。

 一方のムーマ側が順風満帆で戦いを進めているかと言えば、


「トラリーに避難民が流入しています。その数八万」


「食糧が足りません、どうか食糧を」


「避難民と町の元の住民が衝突、多数の死傷者が」


 ベン=バルベンの王城には東ムーマ全土から報告が、悲鳴が、助けを求める声が殺到している。だがエイリ=アマフの手はその全てに差し伸べられるほどに長くはなかった。


「町に避難民を受け入れさせろ。食糧は提供する」


「ラギン国王に連絡だ、支援を仰ぐ。ウラドにも借金を申し込む」


「人を送って仲裁を……あの近くに動ける者は誰かいないか?」


 ムーマがゲリラ戦に徹しているのは、正面から戦っても勝てないからだ。一撃離脱に徹して被害は最小限に止めようとするが、それでも戦い慣れた戦士が次々と死んでいく。兵は避難民からいくらでも補給できるがその質は低下するばかり、そのため被害は拡大するばかりである。


「インティーヴァスはよくやってくれているが……」


 対コナハトの方針の違いで袂を分かつこととなったエイリ=アマフとインティーヴァスだが、未曽有の国難を前にして再び二人は手を取った。インティーヴァスは前線に出てゲリラ部隊を統括し、エイリ=アマフは後方からそれを支援する。

 インティーヴァスは圧倒的に少ない戦力で、それでもコナハト軍を皆殺しにするつもりで戦っているが、エイリ=アマフが考えるのは一日でも早くこの戦争を終わらせること、それだけだ。


「出血を強いてコールバ軍と本国の厭戦気分を高める。離間工作でコールバと女王を対立させて、できれば武力衝突まで持っていく。ラギンとウラドに和平の仲裁を依頼する。他には……」


 離間工作は思いの他順調に進んでおり、コールバがフェアラグを謀殺したのもムーマ諜報部が生命を懸けて挑んだ謀略の結果であり、その血と汗の結晶である。さらにそれ自体が楔としてコナハトに穿たれ、コールバ軍はもはや本国の制御から逸脱しようとしている。その一方で和平の仲裁にはなかなか進展が見られなかった。


「国王シュクリスは完全にコナハト側だが宰相ドウーラガルはそうではない。コナハトに入れ込む国王に危険を感じて、国王排除に動こうとしている。コナハトの宰相グラースタはウラドに近いことで知られている。ドウーラガルからグラースタに働きかけをしてもらって、女王の排除に動くことはできないか?」


 陰謀を巡らし、ウラドに派遣した部下に工作を指示するエイリ=アマフ。だが彼が動くよりもずっと早く、ドウーラガルもグラースタも独自に動いていたのである。











「女王レアルトラに退位を願うつもりです」


 その決定的な言葉に七斗は表情を固くする。場所はクルアハン王城の宰相の執務室。それを口にしたのは宰相グラースタその人だった。


「あなたは自分が何を言っているのか……」


「所詮はまだまだ小娘、国王の地位は荷が重かったのでしょう」


 激発しそうになる七斗だが寸前でそれを止まった。深呼吸し、グラースタへの怒りを一時鎮める。


「それは明確な反逆ですよ? 僕が陛下に告発すれば」


「そうなさいますか? それもよろしいでしょうな」


 軽い程度で肩をすくめるグラースタに七斗が沈黙する。もしグラースタを告発したなら、


「私は処刑となるでしょうが、この国の内政は大混乱となります。それを見過ごしますか?」


 ことはグラースタ一人の問題ではない。彼にはウラドからやってきた何万という官僚が潜在的な味方となって付いている。グラースタの処刑に彼等が危機感を覚え、コナハトから逃げ出したなら、この国は間違いなく崩壊するだろう。それに何より、


「東ムーマとの戦争を止めるのに私の力は必要不可欠のはずだ。違いますか?」


 何も違わなかった。七斗がこの戦争に批判的で早く終わらせるべきだと主張しているのは周知の事実だが、その七斗にとって唯一最大と言うべき協力者がグラースタなのだ。グラースタもまた「できるだけ早くこの戦争を終わらせるべき」と考え、レアルトラにそう直言できる、数少ない人物だった。


「『導く者』、私は女王陛下に危害を加えようなどとは毛頭考えてはいない。あの方にはその血に相応しい地位を、その功績に充分報いるだけの名誉を。それは言うまでもないことです」


 空々しいその言葉を疑う七斗だが、この場では追及しなかった。


「あの方が成し遂げたのは空前の壮挙です。ですが戦時の英雄が平時にも賢王となれるとは、必ずしも限らない。今のコナハトにはあの方よりもより国王に適した方がおられる――そうは思いませんか?」


 七斗は沈黙する。それは血を流すことに飽くことのないレアルトラに対する、不信であり不満だった。だがそれでも、


「ここでの話は聞かなかったことにします」


 七斗はそれだけを言い残して席を立った。立ち去る七斗の背中をグラースタは無言で見送る。

 七斗にとってそれは苦渋の決断だった。七斗からすればグラースタに対して好意を抱く理由などなく、彼が処刑されたところでそこまで心は痛まない。だが彼を排除すればコナハトが崩壊の瀬戸際に追い込まれるだけでなく、この戦争を止める手立てがなくなってしまう。だからこの話を最初からなかったことにするのが、七斗にできる唯一の選択だった。


「公爵は陛下を退位させて王兄グリーカスを王位に就けようと考えているらしい」


 他にできるのは、家族に愚痴をこぼすことくらいだ。まあ、と顔を曇らせるフリーニャに対して七斗は愚痴をこぼし、今後について相談をした。


「公爵の動きに注意するよう、わたしからも陛下にそれとなく伝えましょう」


「そうだな、頼む」


 大したことではないが一応の対策が立てられ、七斗も少しは気が楽になった。ため息をついた七斗は天井を仰ぎ、


「あとは、ラギンやウラドの仲裁で陛下が気持ちを変えてくれれば……」


 ラギンが詫びの印として王太后ゲアラハの首を差し出す、という噂は七斗の耳にも届いている。レアルトラにとってゲアラハは身内に準ずる存在であり、


「身内の不始末は身内で片を付けろ」


 とブライムから言われたようなものだ。レアルトラとしては苦々しい思いを禁じ得ない。もちろんラギンとしてもそれは身を切り、血を流す決断だったわけだが。


「王太后の首を受け取って、少しでも陛下の気が済むといいんだけど」


 気が晴れるかどうかはともかく、ゲアラハは今回の戦争の原因の一つだ。その首を受け取ったなら戦争をする大義名分の一つがなくなる、と言ってもいい。


「その上で、ムーマとの間に上手く落としどころを見つけられれば」


 それでこの戦争は終結だ。七斗は一日でも早くそうなることを願い――それはすぐに裏切られた。

 ゲアラハがブライムに無断で軍の一部を率いて出奔したのは翌日、エーブレアンの月の九日のことだった。ゲアラハは「コールバ軍に協力するため」と称し、二万の兵とともに一路東ムーマへと進軍する。

 東ムーマ戦線は混迷を極め、終結の見通しは天の彼方へと遠のくばかりだった。




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[良い点] 更新お疲れ様です! とんでもない泥沼に続く泥沼w もうどうやって収集つけるんだろうかとハラハラしちゃいますw [一言] 次話を正座待機しながらお待ちしております 頑張って下さい!!
[良い点] 混沌、混沌、また混沌。 [気になる点] 先の方の感想に一点。 召喚と役務の対価が姫さまとの結婚であったはずが、 「契約不履行」に読めていてそれが不満に感じています。 ナナト本人が求めていな…
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