表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水の国へ愛をこめて  作者: 亜蒼行
豊穣篇
56/69

第五五話「王女リーム」




 シャノン川は大陸でも有数の大河であり、東ムーマを両断するようにその中央を流れている。その中ほど、東ムーマの中心に位置するのが仮の王都ベン=バルベンの町である。また、シャノン川は途中から細長い湾となり、シャノン湾はラギンとの国境に接する。その湾の東側、ラギン側に存在するのがターバートという町だった。ターバートは海運と交通の要衝であり、また対ムーマの最前線だ。三年前までムーマに奪われていたその町は、その周囲の広大な範囲を含めてラギンが奪い返し、現在は確固としたラギン領である。

 そして今、この町に総督として赴任しているのが王女リームだ。いくら王族でもリームみたいな若輩で軽率で浅慮な人間にターバートのような重要拠点を預けるべきではない、というのが国王ブライムの偽らざる本音だった。だがリームの背後には王太后ゲアラハが、またそれに協力する将軍や大臣がいる。それ等の強い意向に対抗するのはブライムにとっても容易ではなく、いくつかの条件と引き換えに妥協する他なかったのである。

 このターバートの町に、リームの下にゲアルヘームが逃げ込んできたのはナ=ノラグの月(第二月)の中旬だった。


「ふん、安物の茶だな。客に出すのがこんなものだとは、ラギンの程度も知れようというものだ」


 部下から報告を受けたリームが応接室に駆け込んできたとき、ゲアルヘームはソファにふんぞり返って偉そうにそううそぶいた。面罵で先制されたリームが絶句し、ゲアルヘームは素知らぬ顔で茶を喫している。

 リームが左右の者に何かをを問おうとしたとき、それを邪魔するように、


「どうした、座ればいいだろう」


 まるで主人のように我が物顔のゲアルヘームにリームは舌打ちした。


「こいつが本当にあのゲアルヘームなのか?」


「はい、間違いありません」


 と答えるのは部下の一人だった。


「何故この男がここに」


 という、リームの独り言のような問いに答えるのはゲアルヘーム自身だった。


「つれない物言いだな。私とお前の仲ではないか」


 貴様!とリームが腰の剣に手をかけるがゲアルヘームは薄笑いを浮かべるだけだ。


「お前の協力を得て、私は再び雪イナゴをコナハトにばらまくことができたのだ。私とお前は同志であろう?」


「くだらない妄言を」


 とリームはせせら笑った。


「貴様の言うことなど誰が信じる? 何か証拠があるとでもいうのか?」


「そうだな、これでどうだ?」


 とゲアルヘームは供回りに顎で指示。その部下が書類の束をリームへと手渡し、怪訝な顔のリームがそれを一枚一枚読んでいった。さらに彼女の部下もまたそれに続き、


「これは……」


 愕然とした彼等が一様に顔を青ざめさせる。それは雪イナゴの研究船の帳簿だ。そこにはラギンから研究船への資金の流入が一デナリに至るまで克明に記されていた。


「こんなもの!」


 リームが火炎魔法を使ってその帳簿を焼き尽くす。さらに抜いた剣をゲアルヘームへと突き付けた。


「殺せ! 八つ裂きにしてしまえ!」


「それは単なる写しだ。私が写しを何部作ったと思っている?」


 ゲアルヘームへと襲い掛からんとしていた部下が凍り付いたように動きを止めた。彼等の視線が、蒼白となったリームへと集中する。


「私の指示がなければそれらの写しは明日にでも四人の国王の下に届けられる手筈になっている」


「そんなものをお姉さまが、コナハトの女王が信じるとでも……」


「信じないと思っているのか?」


 嘲笑にまみれたその問いにリームは答えられない。それこそが何よりも雄弁な答えだった。


「鵜呑みにはしないだろうが、疑いはする。徹底的に調べさせれば事実は遠からず露見するだろう」


「……何が望みだ」


 歯を軋ませるようにしてリームが問う。


「心配するな、こんな田舎町やこんな下品な国に長居をするつもりはない。ウラドならまあ、何とか不満も飲み込めよう」


 何様のつもりだ、とリームの腸は煮えくり返った。が、今は我慢するしかない。


「ならば今すぐ出ていくがいい」


「そうしたいのは山々なのだが、あいにく船と先立つものがなくてな。用意してくれるならすぐにでもウラドへと発とう」


 さらにゲアルヘームが一千リブラという「先立つもの」の具体的な額を示し、


「何を馬鹿な!」


「そんな額用意できるわけが」


 とその場は騒然となった。だがゲアルヘームは平然としたままだ。


「ラギンがあの研究船にどれだけの資金を注ぎ込んだと思っている。それを思えば大した額ではないだろう?」


 全員の敵意と殺意がゲアルヘームへと集中した。いっそこの場で始末してしまえばいい、王女がそう命じてくれれば――全員がその命令を待っている。だが、


「こいつを閉じ込めておけ! だれにも会わせるな!」


 リームは吐き捨てるようにそう命じて逃げるようにその部屋から退出する。その部下がそれに続き、応接室に残されたのは勝ち誇った顔のゲアルヘームだけだった。


「奴を殺しましょう、今すぐに!」


 強硬にそう主張するのはキアルヴァルという男であり、彼がターバートにやってきてリームの部下となったのは半年前からだった。応接室を出てすぐの廊下にリームとその部下がたむろしており、その場のほぼ全員が彼に賛同する。同意しないのはリーム一人くらいのものである。


「奴の要求が一千リブラで済むはずがありません。奴はウラドに着いてからも王女殿下に無心をして、寄生することでしょう。今の奴に他の金蔓があるとは思えません」


「……今はだめだ」


 だがそれでもリームは首を横に振った。


「とりあえずは船と金の用意をさせろ。どうするべきか指示があるはずだ」


 リームがそう言い残してその場から立ち去っていく。残された部下は顔を見合わせていたが、やがてその命令を果たすため、またはそれぞれの仕事へと戻っていった。その場に最後まで残っていたのはキアルヴァルである。

 長い時間思い悩んでいた彼だが、ついには意を決した。彼はターバートの総督府を抜け出すとその足で王都ルスカへと向かった。彼が王城のブライムの下へと駆け込んだのはその翌々日のことである。

 人払いをして、執務室でキアルヴァルから直接その報告を受け、ブライムは長い時間頭を抱え込んだ。


「その……陛下。ご心痛はお察ししますが」


「判っている。もはや手遅れだとしても一刻も早く動かなければならないことも」


 たとえ手遅れだとしても、早く動けばわずかでもマシな手遅れにできるかもしれない――いや、これ以上の悲惨な手遅れにしないためにも少しでも早く動く必要があった。

 顔を上げたブライムがキアルヴァルへと視線を向ける。彼は四〇前後の、泥鰌髭を生やした、貧相で頼りなさげな中年男だった。が、見かけによらず行動力があり、それなりの野心もあるらしい。彼がブライムに注進に及んだのは半分は保身のためだが、もう半分は野心のためと思われた。


「この件に関しては貴様にも動いてもらうぞ」


「は、何なりとご命令を」


 とキアルヴァルは深々と頭を下げた。その彼にブライムが問う。


「まずは確認だが、あいつは一体何を血迷ってこんな真似を。あのゲアルヘームに協力するなど……!」


 忌々しげなその口調にキアルヴァルは気の毒そうな顔となりながら、それに答えた。


「まず一つは雪イナゴの繁殖技術を手に入れるためです」


 キアルヴァルのブライムに対する解説は、ナハルのレアルトラに対するそれと同じような内容だった。


「……ムーマだけでなくウラドも雪イナゴの繁殖技術を手に入れた。敵にそれを使わせないためにはラギンも同じ手段を手にする必要がある、と」


「はい。それを使うならこちらもそれを使う――そう言える状況にしなければなりません」


 これを七斗が聞いたなら、二〇世紀の米ソ対立――相互確証破壊による核抑止を想起したことだろう。

 ブライムは苦々しい顔となった。国王という立場にある以上その理屈は理解できるが、感情が追い付いていない様子である。


「それが一つ目の理由なら、他の理由とは?」


「はい、王女リームにとってはこちらの理由の方が大きいものと思われます。ゲアルヘームが雪イナゴの繁殖技術を保持したままならば、いずれ必ずコナハトに対してそれを使用します。そしてそれが露見したなら」


「怒り狂ったコナハトが東ムーマに侵攻するだけだ。ラギンの勢力圏がコナハトに荒らされるだけだ」


 そう吐き捨てるブライムに対し、沈痛な顔のキアルヴァルが、


「ですが、東ムーマの鉄杖党は今度こそ一人残らず皆殺しとなるでしょう。あるいは全てのムーマ人が」


 ブライムが愕然とした顔をキアルヴァルへと向け、彼は無表情を装った。


「……まさか」


「そこまではやらない、そうお思いですか?」


 そう問われたブライムは長時間沈黙した。何をどう考えても、何度問い直しても、「あいつならやりかねない」――その回答しか得られなかったからだ。

 なお、リームにとっては最初から露見させることが目的であることはゲアルヘームには知らせなかったが、ドローリーンには言い含めている。だから雪イナゴの散布も限定的な、申し訳程度のもので済ませたのだ。全てはリームの計算通り――計算違いはゲアルヘームを、これまで生き残ってきたその才覚を、生存に懸けるその妄執を見誤っていたことだった。

 ブライムは更に頭を抱えた。巨人に抑え込まれるかのごとくに頭が重く、手を放せば頭が机にめり込むに違いなかった。


「あの愚か者が……お袋のように自分の母国が蹂躙されたわけでもないのに」


 愚痴めいた自分の言葉に、ブライムはある着想を得た。――そもそもリームが王位継承権第一位の王女と言ってもその権限はたかが知れている。リームを信用していないがためにその周囲に経験豊富な官僚を配置し、ターバートの統治にしても実際には彼等の合議で行っている。リームの役目は報告を聞いてただサインをするだけ。その形に持っていったのはブライム自身である。

 ゲアルヘームからの協力要請に対してリームだけの判断や権限で応えられるはずがない。ブライムの存在を無視し、その監視の目を封殺し、リームの意志を形にしたものがいる。……いや、その意志自体が元々リームのものではなかったのだ。「鉄杖党を、ムーマ人を皆殺しにする」というその鋼鉄の意志が。


「……王太后ゲアラハ」


 ブライムは自分の母親のことをそう呼んだ。だが、ゲアラハがこのような血迷った判断をし、これほどの暴挙を成すだろうか? その答えもまた同じだった――「あの方ならやりかねない」。

 ブライムの目の前は真っ暗となった。何十年もラギンの守護神として君臨してきたゲアラハが、今度はラギンを破滅に導こうというのだ。ゲアラハがラギンに嫁いで三十余年、その期間は彼女がコナハトの王女だった期間をとっくに、大幅に超えている。それでも彼女はラギン人ではなくコナハト人として……いや、違う。コナハトの王女として祖国を愛するのなら、そこに雪イナゴをばらまいたりするわけがない。

 おそらく彼女は、憎悪を募らせたあまり何も見えなくなっているのだろう。何十年も守ってきた自分の国のことも、生まれ育った愛する祖国のことも。


「王女も誰かの指示を仰ごうとしておりました。まず間違いはないでしょう」


 キアルヴァルのそれは決定的な証言となった。リームに指示を出せる者など、彼女の兄、父、そして母の三人しかいない。そしてそれが自分でも前王オノールでもないことは自明だった。


「王太后殿下に関しては、何か証拠になるものを目にしたわけではありません。ターバートに残った部下に探らせましょう」


「頼む……だが証拠を掴んだところでお袋を排除するのは難しいかもしれん」


「王女殿下を更迭するのは容易いでしょうが、それで問題が解決するわけではありません。最大の問題はゲアルヘームと彼が握っている証拠ですが」


 ブライムはしばらく唸っていたがそれも長い時間ではなかった。いきなり決然と立ち上がった彼は大股で、走るほどの速さで玉座の間へと向かう。大慌てのキアルヴァルがその後に続いた。


「誰かある!!」


 ブライムの胴間声が王城中に轟く。大臣や将軍が四方からおっとり刀で集まってきた。


「お呼びですか、陛下?!」


「何事ですか、陛下」


 玉座の横で屹立するブライムは参集した臣下を見下ろし、重々しく告げる。


「リームがムーマのゲアルヘームと手を組んでいた事実が判明した。ただちにターバートに一軍を送れ。ゲアルヘームを捕縛し、リームを拘束しろ」


「な、なんと……」


 いきなり告げられた驚愕の事実に臣下一同は言葉もない。その中でキアルヴァルが、


「へ、陛下、なんてことを。これでは大陸中にこの事実が」


「知らせるのだ。自らの手で」


 ブライムの断言にキアルヴァルは何も言えなくなった。


「後になって誰かにばらされるよりはまだマシだ」


 さらに吐き捨てるようにそう続けられたなら尚更である。


「リームの首を女王レアルトラに差し出す。それをもってコナハトへの詫びとする」


 沈痛な、だが間違いようのないブライムの断言に臣下一同が深々と首を垂れた。

 ブライムの勅命は即座に実行に移された。近衛を中心とした二千の軍が編成され、ターバートへと向かう艦隊が用意される。が、その出発の前にターバート駐留軍が動いてリームとその側近を拘束。船によって護送されたリームがルスカに到着するのは五日後のことである。

 なおゲアルヘームの捕縛には失敗しており、彼はまたどこかへと行方をくらませてしまっていた。











 ナ=ノラグの月の下旬、召還されたリームが王都ルスカに到着した。拘束はされていないが、前後左右を常に屈強な兵に包囲されており、拘束されているのと何も変わらない状態だ。玉座の間に引きずり出されてようやく少女はその包囲から解放される。

 広大な玉座の間に比して、今そこにいる人間の数は多くはなかった。居並ぶ近衛兵の他は主立った重臣や将軍が合計で一〇名足らず。そして、玉座に座らずにその前に仁王立ちとなる国王ブライム。冷め切った目で見下す兄に小さく身を震わせるが、リームは今なお王女としての姿勢を守っていた。


「……何か申し開きがあるなら聞いておく」


「兄上! わたしはただラギンのために」


「ラギンのために鉄杖党のゲアルヘームと手を組んで、コナハトに雪イナゴをばらまいたわけか」


 怯むリームにブライムが続ける。


「そのためにどれだけのコナハト人が飢えることになるのか、判っているのか?」


「全てはムーマ人を皆殺しにするためです!! 今度こそ!」


 リームはその二言に全ての力を込めた。


「そのために死ぬことだって、コナハト人なら本望というものでしょう!」


 口を歪めたリームの顔は笑っているかのようだった。ブライムは深々とため息をつく。


「お前を廃嫡の上でコナハトに差し出して、詫びのしるしとする。せめて楽に死なせてやるよう俺から頼んでやる」


 リームは笑ったような顔のままだ。まるで表情の動かし方を忘れてしまったかのように。


「実際のコナハト人の考えがどうかを、その身で確かめるといい」


「……ま、待ってください、兄上」


 手を伸ばすリームを近衛兵が制止する。その兵を押し退けて兄の下に向かおうとするリームだが、近衛兵はびくともせず、さらに人数が増えた。暴れるリームを何人もの兵が抑え込み、


「リーム」


 静かに少女を呼ぶ声に、その場の全員が動きを止めた。時間が止まったかのような玉座の間の中でただ一人が動いている。一人の女性がリームへと歩み寄っている。


「母上……」


「王太后……」


 王太后ゲアラハ、それがその女性の名前だった。ゲアラハはリームから何歩分かの距離を置いて立ち止まる。ゲアラハは慈母のような笑みを浮かべ、リームが母親へと手を伸ばした。


「母上、助けてください。わたしは」


「リーム、あなたはラギンの王女であり、わたしの愛する娘です」


 リームが輝くような笑顔を見せ、


「――それに相応しい、恥ずかしくない最期を遂げなさい」


 それがそのまま凍り付いた。


「わたしは……わたしは母上の言われるがままに」


 つぶやくようなその声は誰の耳にも届かなかったが、ゲアラハはそれに答える。


「もちろんあなた一人を死なせて自分だけ生き延びるつもりはありません。この大陸から一人残らずムーマ人を消し去った上であなたに続きます。もって冥しなさい」


 リームが膝から崩れ落ち、その場に座り込んだ。リームは近衛兵に引きずられて玉座の間から退場し、ブライムは痛ましげにそれを見送る。


「本望というものだろう? リーム」


 その痛烈な皮肉を、彼は妹には言わずにただ独り言ちた。そして彼は視線を王太后へと向ける。――この皮肉をゲアラハに向けても彼女は全く意に介さないだろう。何故なら、ムーマ人を皆殺しにするためなら自分の生命を含めたあらゆる全てを犠牲にしても本望だと、彼女は本気で思っているのだから。

 ゲアラハはリームのことを愛している。三十余年守り続けたラギンのことを愛している。祖国コナハトのことを愛している――自分のことのように。ムーマとの戦いに際してわが身を犠牲にすることを厭わないように、彼女はリームを、ラギンを、コナハトを踏みにじることを厭わない。それを当然の権利だと思っているのである。


「王太后殿下にも監督責任を負ってもらう必要があります」


「ええ、判っていますよ。国王陛下」


 ゲアラハが穏やかにそう答えるが、それが本気だとはブライムは信じていなかった。

 この方を排除しなければならない、ラギンのために――その日が来るのはそう遠くはないと、ブライムは確信していた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ