第四話「王都への道」その2
レアルトラと七斗、それに一万の軍勢は予定より数時間遅れでボホラの町を出発した。三人の侍女と、町長一家、それに兵士が何人か。多数の犠牲を出しながらもレアルトラの歩みが止まることはない――いや、レアルトラがこれまで踏み越えてきた屍山血河を思えばこの程度はものの数にも入らないのかもしれなかった。
それでも、長い間一緒だった侍女を三人も亡くしてレアルトラも気落ちせずにはいられないようだった。馬車の中で、向かい合わせで座るレアルトラに対し、七斗はかけるべき言葉を持たない。
「その……ムーマという国のことですけど」
「――ええ、そうでしたわ。今日はその説明をする予定でした」
七斗にできるのはレアルトラに仕事を、するべきことを与えて気分を紛らせることくらいである。
「まず四〇〇年前、コナハトが召喚した『導く者』マゴロク様は水稲栽培とその技術を伝えてくださいました。次に三〇〇年前、土の国・ウラドが召喚した『導く者』はゴーレムの製造技術を伝えましたわ」
「あれが……」
七斗はこの世界にやってきたばかりの頃を思い出していた。コナハト軍を一方的に打ちのめし、追い散らしたムーマの軍勢の中には確かにゴーレムが混じっていた。
「あれ? ムーマもゴーレムを使っていませんでしたか」
「ええ、そうですわ。『導く者』によってもたらされた新たな技術や知識は、どんなに秘匿しようとしてもいずれ必ず流出します。召喚から二、三〇年後には我が国もゴーレムの製造技術を手に入れましたし、三〇〇年を経た今ではそれは大陸中に広まっています。ですが未だにゴーレムと言えばウラド。ウラド謹製のゴーレムを上回るゴーレムは他のどの国にも造ることができませんわ」
なるほど、と頷く七斗。そして、とレアルトラは説明を続けた。
「それはラギンにも同じことが言えますわ。二〇〇年前に召喚された『導く者』がラギンに伝えたのは、火器や火薬の製造方法です。それまで撃破が非常に困難だったウラドのゴーレムですが、大砲の登場によって普通に破壊し得るものとなったのです」
「ああ、なるほど。そして今では火器や火薬は大陸中の国が当たり前に製造して利用するものになっていると」
「はい。ですがやはりその製造も利用も、ラギンには一日の長がありますわ。ラギンの火砲軍団はあのムーマにも容易に攻略できるものではありません」
それじゃ、と七斗は話の本題へと触れた。
「一〇〇年前の『導く者』がムーマに伝えたものは……?」
「ムーマの『導く者』ブレスは新たな魔法技術の数々を伝えましたが、それまでこの大陸になかった、全く新しい魔法はごく限られた数です。そのほとんどは既存の魔法の改良、あるいは新たな利用方法でしたわ」
はあ、と七斗は戸惑ったような相槌を打った。レアルトラはどう説明するべきか考えあぐねているようである。
「わたし達にとっての本当の脅威は、コナハトがムーマに勝てない理由はただ一つだけです。たった一つの邪悪魔法がわたし達をここまで追い詰めている……それについては口で説明するより、実際にその目で見ていただいた方がいいかもしれません」
レアルトラは将軍イフラーンを呼び出して手配を命令、その準備が整ったのは翌日のことである。翌日、イフラーン率いるコナハト軍は街道から外れた荒れ地に移動。二手に分かれての演習をしようとしていた。
「ここまで大げさなことをしなくても……」
と七斗は恐縮するが、イフラーンは叱責するかのような鋭さで応えを返した。
「お気になさらないように。『導く者』にはムーマの邪悪魔法について、是が非でも理解していただく必要がありますから」
さらに恐縮して思わず首をすくめる七斗。一方のレアルトラは、
「この演習で行軍が一日伸びて、その分かかる兵糧と経費は……」
と算盤をはじきながら涙目になっている。七斗は消え入りそうに身を縮めて「すみません」と謝る他ない。イフラーンはこっそりとため息をつきながら二人をたしなめた。
「邪悪魔法に対抗するための演習は全軍で定期的に行っていることです。邪悪魔法を打ち破る手段を見つけていただけるのであれば、一月でも二月でもここでこのまま演習を続けましょう」
イフラーンの言葉に七斗は背筋を伸ばした。費やされた兵糧と経費と、流されたレアルトラの涙に報いるためには、今日の演習で一つでも多くのことを知り、理解するしかないのだ。七斗は大きく目を見開いて眼下の光景を見つめた。
七斗やレアルトラ達がいるのは小高い丘の上で、その丘の下では一万の軍勢が二手に分かれている。一方は一千足らず、もう一方は残りの九千だ。兵数の差は圧倒的だが、少ない方の軍勢にはもう一方にはない兵種が加わっていた。剣や槍ではなく、杖を手にした集団――魔道兵の一団だ。
「術式展開!」
魔道兵のリーダーが号令を発し、数十人のその一団が全員同じ姿勢で杖を構える。さらに一団は全員で声を揃えて呪文を唱えた。
「うわ……!」
七斗は思わず驚きの声を漏らしていた。魔道兵を中心に大きな光の文様が浮かび上がっている。大きな円の中に光の線で描き込まれた、複雑な文様と図形。魔道兵を中心に広がる、直径数十メートルの光の文様――それはまさしく魔法陣だった。しかもそれは地面に描かれたものではない。立体映像のように、地面から一メートルほどの空中に光の線で描かれているのだ。
感嘆の想いとともにただその光景を見つめている七斗だが、突然恐怖の感情に襲われた。
「このままここにいては何か恐ろしいことになる。早く逃げないと」
全く理由もなくそんな思いが心を埋め尽くす。何故、と思う間もなく七斗は逃げ出そうとし、レアルトラに腕を掴まれた。
「ナナト様、どうか耐えてください。それはただの錯覚です」
「で、でも王女様!」
「わたし達が受けているのはただの余波。兵はもっと恐ろしい思いに直面しているのです」
そう言われて七斗はようやく思い当たった、この恐怖の感情の正体を。
「もしかしてこれがあの魔法の……」
「はい。これがムーマの邪悪魔法の正体です。幻惑魔法――敵に恐怖の感情を与える魔法を、あの魔法陣で増幅しているのです」
レアルトラは平静を装って解説する。レアルトラはわずかに冷や汗を流しているがそれだけだし、イフラーンは冷や汗すら流さず平然としている。七斗も、今すぐここを逃げ出したいことには変わりないが、魔法の効果だと判っていれば耐えられないものでもない。七斗はやせ我慢をしてその場に立ち続け、両軍の様子を見つめ続けた。
邪悪魔法の直撃を受けても九千の軍勢は崩れることなくその場に踏み止まっている。だが、それだけだ。一千の軍勢が攻撃を仕掛けても防戦一方となっている。彼我の差は一対九にも達している。本来なら一方的に蹴散らして当然の戦力差のはずなのに……。
「九分の一の敵と互角に……いや、こちらが不利か?」
一千の仮想ムーマ軍は九千のコナハト軍を蹴散らし、その陣地奥深くまで食い込み、入り込んでいる。逆に言えばコナハト軍は九倍の軍勢で敵を包囲しているということだ。圧倒的に有利で一方的に殲滅できてもおかしくはない状況なのに、対等に戦うのが精一杯。敵に中央突破されないようにするのに必死である。
……それから程なくして演習は終了した。仮想ムーマ軍はコナハト軍に対して中央突破を仕掛けるが結局突破できず、コナハト軍は仮想ムーマ軍を包囲殲滅しようとするが、結局殲滅には程遠いままだった。だが、九対一という戦力差を考慮するならコナハト軍の体たらくはあまりにひどい。
「何と言うか……その」
言葉を飾らず言ってしまえば「悲惨」としか言いようがないが、そこまで直裁的な物言いは七斗にはできなかった。だが七斗に言われずとも、レアルトラもイフラーンも自軍の惨状を誰よりもよく理解している。それが故にその懊悩は誰よりも深刻だった。
「……我々はムーマの邪悪魔法に対抗するため、その調査分析を百年近くずっと続けてきました。見ての通り我が軍にも邪悪魔法を使える部隊はあります。……ですが、我が軍の魔法などムーマから見れば児戯に等しいでしょう。ムーマ軍が行使する邪悪魔法の威力はこんなものではない」
七斗はこの世界に召喚された直後のことを思い出していた。船の上で突然錯乱し、川に飛び込む羽目になったあのときのことを。あれこそが邪悪魔法の本当の威力なのだ。
――精神に影響を与える魔法を総称し幻惑魔法と呼んでいるが、幻惑魔法は始祖の時代から知られている珍しくもない魔法である。ただ、その使い道は乏しかった。幻惑魔法の中でも威力があってよく使われるのは「恐怖」の魔法で、それの直撃を受けた人間はパニックに陥り、武器も防具も放り出して逃げ出してしまう……ただし、魔法の発動には時間がかかり、一人の魔道士が攻撃を仕掛けられるのはせいぜい一〇人が限度。それ以上攻撃対象を増やしても魔法の威力が薄まるだけとなる。そしてどんなに強力な「恐怖」の魔法であろうとも、それに耐え得る人間はいる。相手が少人数で雑魚ならそれなりに使う機会はあるかもしれないが、相手が多数なら、一定以上の猛者ならもう通用しないのだ。
そんな使い勝手の悪い、あまり役に立たない対人攻撃魔法でしかなかった「恐怖」の幻惑魔法を、時代を画する決戦兵器にしてしまったのがブレスである。威力が弱く攻撃範囲が狭いという問題は増幅魔法で解決。増幅の儀式魔法がおそろしく手間と時間のかかる代物だという問題は「魔法陣を映像で空中に投影する」等の新機軸で解決した。
こうして誕生したのが「広域戦術幻惑魔法」――ムーマが言うところの「神威魔法」、コナハトが言うところの「邪悪魔法」である。よく訓練された魔道兵が一〇〇人いれば攻撃範囲は数キロメートル四方に及び、数万に達する敵兵を壊乱させることが可能となる。もちろん数万の敵兵、その全員を完全に恐慌状態にできるわけではない。イフラーンのような優れた将軍、マドラのような勇敢な戦士は意志の力で邪悪魔法に抵抗することもできるが……そんな人間は千に一人だ。九九九人がパニックに陥っている中でたった一人が邪悪魔法に抵抗できたところで、何になるだろうか? 混乱する人波に呑み込まれて終わりなのは目に見えているし、実際にそうなっている。
ついでに言っておくと、ブレスがもたらした魔法の増幅技術は火炎や烈風といった攻撃魔法の増幅にも使用可能である。一人の魔道兵が使う攻撃魔法の威力を一としよう。百人の魔道兵が杖を揃え、魔力を束ね、最大限増幅して放った攻撃魔法は百の威力に留まらず、三〇〇にも達し、四〇〇も超えるだろう。その攻撃魔法なら一撃で城壁に大穴を開けることもできるだろう。
だが……それはこの大陸に普通にある大砲とどれだけの差があるだろうか? 一方幻惑魔法という形のないものを増幅する場合、その増幅率は三倍や四倍では留まらない。威力一・範囲百の幻惑魔法が、威力は一〇にも二〇にもなり、攻撃範囲は面積で万をも優に超えるのだ。増幅する魔法に幻惑魔法を選んだこと、その慧眼こそがブレスのブレスたる所以であると言えるだろう。
「……要するにムーマ軍は状態異常の魔法でコナハト軍に精神攻撃を仕掛けてくるってことですか。魔法で防御したり打ち消したりはできないんですか?」
七斗の確認にレアルトラが嘆息しながら首を振った。
「確かに、幻惑魔法を防御する魔法もあります。同じ幻惑魔法の一種である『高揚』の魔法で『恐怖』の魔法に対抗する方法もあります。……ですがそれは、鉄の盾で鉄砲を防ごうとするようなものです。確かにそれなりの厚さの鉄の盾があれば鉄砲の弾は防ぐことができるでしょう。ですが、大砲の砲弾は?」
七斗は少し想像した。城塞の城壁であっても大砲の砲弾を防ぐには相当の厚さが必要だ。それを鉄の盾で再現するには、どれだけの厚さが必要となるだろうか?
「……そんなものを仮に作れたとしても、戦争の役には立たないでしょうね」
七斗の回答にイフラーンは「その通りです」と深々と頷いた。
「ムーマの邪悪魔法は複数の魔法の精密な組み合わせです。魔法技術で劣った我が国が魔法でそれに対抗するなど、望むべくもありません。もちろん魔法以外でもありとあらゆる対抗手段を探し、試みました。運が良ければ、状況が整っていれば勝ちを拾うこともありますが……結局、根本的には邪悪魔法がある限りコナハトはムーマには勝てないのです」
「その上コナハトは破綻同然の貧乏国で滅亡寸前の弱小国。この状況で大陸最大最強のムーマに対抗するには、これまでとは全く違う魔法体系や技術体系を導入し、これまでとは全く違う新たな考えで戦いに挑むしかありません」
レアルトラが、イフラーンが七斗を凝視する。二人が七斗に、「導く者」に何を求めているのかは問うまでもない。「これまでとは全く違う技術体系」「これまでとは全く違う新たな考え」――七斗はそれを求められているのだ。
……その夜、コナハト軍は演習を実施したその荒野で野営した。七斗は用意された天幕を一人で使用しているが、それはレアルトラが使っているのと同じ、王族用の特製天幕である。
天幕の床には分厚い絨毯が敷かれ、綿を入れた絹の布団が用意されていた。外はやや冷え込んでいるが、天幕の中は非常に暖かく心地よい。
ただし、七斗の心は外の荒野よりもずっと寒々しかったが。
「……どうしよう」
魔法で光っているらしいランプに照らされているのは、七斗が元の世界から持ち込んだ機材の数々――トランジスタ、銅線、基盤、PIC、抵抗、電池、発光ダイオード、等々。趣味の電子工作機器であり……要するに玩具だ。
七斗は昼間の光景を思い返していた。魔道兵が展開していた魔法陣の輝きを。一千の軍勢が九倍の敵と互角以上に戦っていた、その姿を。
七斗はあれに対抗する手段を見つけなければならない。あの邪悪魔法を上回る奇蹟をコナハトにもたらさなければならない――今手元にある、この玩具を使って。
「本当にこれで何とかできるのか? 先生と作っていたときは確か……」
七斗は記憶の奥底をひっくり返しながら、覚束ない手つきでそれらの部品を組み合わせていた。