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水の国へ愛をこめて  作者: 亜蒼行
凍土篇
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第三話「王都への道」その1

 始祖暦二五〇〇年のナ=ノラグの月・一日。七斗とレアルトラはコナハト王都カアーナ=マートに向かって移動中だった。始祖暦二五〇〇年はサヴァンの月の一日に始まり、それは七斗がこの世界に召喚された日でもある。召喚による世界間の移動に時間がほとんどかかっていないとするなら、一年の始まりは元の世界とは二ヶ月ずれていた。ナ=ノラグの月は第二月だ。

 七斗はレアルトラの乗る馬車に同乗し、レアルトラから様々な説明を受けている。


「『導く者』の召喚は百年に一度だけ、一回だけ。それ以外の時期に『導く者』が召喚された例はありません。ですが、時期が来れば自然と『導く者』がやってくる、というわけでもありません。優れた魔法の素養を持つ、王家の血を引く者が召喚術者となり、始祖セゼールの時代から伝わる召喚祭具を使用し、召喚に適した霊地で儀式を行うのですが……わたし達は最後の条件を欠いていました。霊地は一つではありませんが、残念ながらその全てがムーマによって併呑された地域にあったのです」


「だから、召喚のために出兵して一時的に霊地を占拠した、と」


 七斗の確認にレアルトラは「はい」と頷いた。


「わたし達は一〇年前からムーマに対して和平を提案してきました。


 ――『モイ=トゥラの一部をコナハトに対して返還し、その代償としてそれ以外のモイ=トゥラ全土をムーマが領有することを認める』


 和平交渉は難航し、何度も暗礁に乗り上げて中断しました。それでもそのたびに再開し、ほんの少しずつですが前進していたのです」


「でも、それって……」


「はい。全てはムーマを油断させるための欺瞞です」


 七斗の確認にレアルトラは晴れやかな笑顔を見せた。


「他にも『今の国土の中にも霊地はある、「導く者」はそこで召喚できる』等と何十年も前から欺瞞情報を流し、ムーマの油断を誘ってきました。そして一月前、満を持してわたし達は出兵。霊地の占拠に成功しました。ですが……」


 だが、ムーマの全てが油断していたわけではないのだろう。レアルトラがあくまでムーマとの対決しか考えていなかったのと同様に、ムーマの中にもコナハトの殲滅しか頭にない派閥があるはずだ。いや、むしろ和平を考えている方がずっと少数派であるに違いない。


「ムーマもこのような事態があり得ると考えていたのでしょう。わたし達は二万の兵を投入して霊地を占拠しましたが、ムーマは即座に五万の兵を招集して霊地の奪還にあたりました。召喚を成功させるまでの時間稼ぎと、わたし達が敵地を脱出するための殿としてまず半数が死力を尽くし、犠牲となりました。さらに一旦脱出に成功した兵のうちの半数をナナト様の脱出支援に送り込みましたがほとんど戻ってこず……」


 レアルトラが続きを告げたのは少し時間を置いてからだった。


「……結局生き残ったのは五千余りです」


 一万五千が戦死――七斗はその数に慄然とした。コナハトの総人口は三百万でしかない。その中で一万五千もの若く健康な男が永遠に喪われたのだ。コナハトの社会や経済に対する打撃が一体どれほどのものか、想像もつかない。


「確かに犠牲はあまりに大きく、軍の再建には気が遠くなるほどの時間を要することでしょう。召喚した『導く者』が行方不明になってしまい、自力でこの国にたどり着くまでの間は生きた心地がしませんでしたが……それでも今、わたし達の下には『導く者』がおられます」


 レアルトラが心臓の前で拳を固く握りしめた。


「戦士マドラをはじめとする彼等の献身は決して無駄ではなかったのです」


 いや、それはまだ判らないだろう……と七斗は言いたかった。言いたかったが、到底言える状況ではないこともまた百も承知だった。


「『導く者』ナナトはコナハトの救世主」


 それは決してレアルトラ一人の確信ではない。コナハト全ての民がそう信じて疑っていないのだから。

 ……その日、七斗とレアルトラはボホラという名の街道沿いの小さな町に宿泊した。一万の兵士のほとんどは天幕を設営しての野営だが、レアルトラと七斗は町中での宿泊だ。領主や代官が常駐している町であれば領主の館(または代官の館)を一夜明け渡してもらい、そこに宿泊する。が、ボホラはそれほど大きい町ではなく、宿泊先は町長の家である。


「何もない、粗末なあばら屋ですがどうぞご遠慮なく一夜をお過ごしくださいませ。姫様と『導く者』の行幸を頂いたことは我が家にとって末代までの栄誉でございます」


 七斗達の前でクリィシェイという名のボホラ町長が平伏し、恐縮し、長口上を述べている。レアルトラは鷹揚に頷いてその挨拶を受けていたが、七斗は所在なげな気分だった。


「こちらは私の愚女でございます。不束者ではありますが精一杯夜伽をさせますので」


 とクリィシェイは横で同じように平伏している自分の娘を紹介した。レアルトラは七斗を見ながら「どうなさいますか?」と言いたげに小首を傾げ、


「お気持ちだけはありがたく」


 と七斗は町長の厚意を謝絶した。

 その夜、七斗とレアルトラは町長クリィシェイの家の居間で向かい合っているところである。クリィシェイの家は普通の民家に毛の生えた程度でしかないが、比較的最近建て直されたたようでそれなりにきれいで快適だった。


「ナナト様、食事を用意させましたが……本当にこれでいいんですか?」


「はい。まだ何にもしてないのに一人だけ贅沢できませんから」


 七斗達の前に用意されたのは、稗のおかゆと蕪の漬け物、それに干し肉と干し魚が一切れずつ。それが二人の食事の全てだった。


「ですが『導く者』にこのような粗末なものを食べさせるなど……確かに我が国は貧しいですが、ナナト様にまともなものを食べていただくくらいの余裕はあります」


「王女様だって同じものを食べているじゃないですか」


「わたしは民や兵の苦難を少しでも分かち合うために……王家を支えてくれている民が普段どのように苦労しているのか、それを忘れないようにするためです」


 七斗は「ご立派な心がけだと思います」と頷いた上で、


「僕もそれを見習います」


 だがレアルトラはどこか不満そうである。


「ナナト様がおられればこそこの国は救われ、民は豊かに暮らせるようになるのに、そのナナト様にこのような貧しい思いを……」


「僕はまだ何もしていません。先々本当にこの国を豊かにできる日が来たなら、そのときは贅沢させてもらおうと思います」


「それなら今、贅沢をしてください。ナナト様がこの国を豊かにするのはもう決まっていることなのですから。今は大したことはして差し上げられませんが、できるだけのことはします」


 レアルトラは頬を膨らませて七斗を睨んだ。七斗は逃げるようにレアルトラから顔を逸らす。


「王都に戻ったならとりあえず、地位と名誉で報いるために大将軍か王国宰相の位を……それと国中から美姫を集めて、ナナト様のために後宮を」


「地位もハーレムも必要ありませんから!」


 とんでもないことを言い出すレアルトラに対し、七斗は思わず大声を上げていた。


「それならわたしはどのようにしてナナト様に報いればいいのですか」


 と不満げなレアルトラ。七斗は彼女をなだめるべく説明した。


「召喚前に条件交渉があったけど、別に地位や名誉やハーレムのために召喚に応じたわけじゃなかったでしょう?」


「条件交渉?」


 とレアルトラが不思議そうな顔をし、七斗もまた「あれ?」と首を傾げた。


「召喚のときに王女様が僕の前に来て色々交渉したでしょう? 何か精霊みたいな格好をして」


「召喚魔法の儀式の最中は、わたしはただ一心に祈っていただけで……それはわたしではなく本当に精霊様がナナト様のお迎えに赴かれたのだと思いますわ」


 レアルトラの説明に七斗は少しの間考え込んだ。


「……王女様が求める人材を精霊のあの子が異世界で探して、最適な人間を見つけたならあの子が代理交渉をしてヘッドハンティング。あの子が交渉したのは僕の無意識とであって、脳のどこかに残ったその記録が後になって夢って形で再構成されて思い出されたのかも……『召喚魔法の精霊的な何か』って、本当に言葉通りの意味だったんだな」


「ナナト様?」


 自分の考えに没頭していた七斗だが、レアルトラの呼びかけに現実へと戻ってきた。


「は、はい。えーっとですね――ともかく今は、研究のために便宜を図ってくれればそれでいいです」


「もちろんナナト様が望むなら我が国にできる全てのことをするつもりですが、それは当然のことであって……」


 とレアルトラは憮然とした様子でため息をつく。


「わたしと結婚していただくのが報い方としては一番手っ取り早いのですが、今の時点でそうするのはさすがに慎重論が強くて」


「王女様と結婚――できるんですか?」


 七斗はさりげなさを装いつつレアルトラに確認する。一方のレアルトラは七斗が下手な演技をしながらもピラニアのように食いついてきたことを決して見逃さなかった。


「はい、もちろん。我が国だけでなく他の国でも、歴代の『導く者』の多くが王家の息女を伴侶としています。『導く者』の身分を保証し、その功績に地位と名誉で報いる、一番簡単で判りやすい方法ですから」


「その上王女様は大陸一の美姫ですからね」


 お上手ですわね、と笑うレアルトラだが七斗の言葉を否定しなかった。レアルトラは胸を張って遣り手のセールスマンのように自分をアピールする。


「自分で言うのもおこがましいですが、わたしは料理も裁縫も得意です。宮廷も窮乏状態が長く続いていますので、どこのお姫さまよりもやりくりには長けていると自負しています。わたし以上に貧乏やひもじさに耐えられる姫など、大陸中探しても一人もいるはずがありませんわ。それにわたし、殿方を立てて尽くす性分です」


「子供は……なるべくたくさんほしいと思うんだけど」


「わたしもそう思いますわ」


 とレアルトラは笑顔を輝かせた。


「血を紡ぐことこそ王家の女の義務ですもの。できるなら十人でも二十人でも赤ちゃんを産みたいと思いますわ」


 レアルトラが艶やかな笑みを七斗へと向け、七斗は思わず唾を飲み込んだ。「それじゃ、お礼はそれで」と言いたくなる七斗だが、辛うじてそれを思い止まった。


「――でも、時期尚早だって周りには止められているんですよね、残念ですよね」


「わたしももう一七歳です。行き遅れにならないよう、一日でも早くナナト様に嫁げるようにお願いいたしますわ」


 とにっこり笑うレアルトラ。七斗は自分で自分の死刑執行命令書にサインをしてしまったような気がした。











 ――その夜、草木も眠る丑三つ時。七斗は自分に割り当てられた部屋で熟睡中である。だが、


「……?」


 七斗は窓の外に気配を感じて目を覚ました。一月近い逃亡生活の中で七斗の感覚器は非常に鍛えられ、それは今も鈍っていなった。特に人や戦いの気配、殺気に対しては戦士マドラに負けないくらいに鋭敏となっている。


「!」


 七斗はベッドから跳ね起きた。家の外の物音や殺気立った人の声、それはまさしく殺し合いの気配だ。部屋を飛び出そうとする七斗だが、逆に七斗の部屋に入ってこようとする侍女と正面衝突しそうになった。


「あ、な、ナナト様!」


「何があった?!」


「は、はい。ムーマの刺客が入り込んだらしく、護衛と戦闘に」


 七斗は考える間もなく行動する。レアルトラと合流するために隣の部屋へと向かう。その部屋に入ると、ちょうどレアルトラが寝間着の上から外套を羽織ったところだった。


「ナナト様」


「王女様、どうしますか? このままこの部屋に籠城するか、それとも外の護衛と合流するか」


 少しだけ考えたレアルトラが選んだのは籠城だった。


「わたし達が外に出ても兵の邪魔になるだけでしょう。このままこの部屋で、兵が刺客を掃討するのを待ちましょう」


 七斗もその判断を是とする。……が、結果としてその選択は間違っていた。


「見つけた! 『導く者』だ!」


 殺気に満ちた鋭い声が空気を切り裂いた。刺客が家の中に入り込んでいる! しかも刺客は一人ではない。姿が見えるだけで三人もの刺客が七斗達のいる部屋に入ろうとしているのだ。


「窓からお逃げください!」


 スカラという侍女の一人が刺客へと突貫する。彼女一人だけではない。三人の侍女が肩を組んで刺客へと立ち向かった。寸鉄も帯びないスカラ達に対し、刺客は長剣を手にしている。


「邪魔だ!」


 刺客はスカラ達を斬り払った。だが、彼女達は倒れない。仁王立ちとなって、刺客の足を留め、七斗達が逃れる時間を一秒でも稼ごうとする。七斗もレアルトラも身を裂くような思いをしたが、だからこそスカラ達の献身を無駄にはできない。二人は身を翻し、窓から外へと抜け出す。


「部屋の中に刺客が! 早くスカラを、あの者達を!」


 窓のすぐ下にいた兵士にレアルトラが命じるが、その兵士はレアルトラと七斗を守ることを優先させた。


「王女と『導く者』がここに! 早く!」


 その兵士の声に周囲の兵士が慌てて集まってくる。何十人もの味方が固まり、身動きも難しいくらいになった。


「ここはもう大丈夫です。早く家の中に」


「姫様、家の中の掃討も終わっております」


 レアルトラにそう声をかけるのはイフラーンという将軍の一人である。レアルトラは一呼吸置き、将軍イフラーンに確認した。


「スカラ達は?」


「あの者達は自分の役目を立派に果たしました」


 レアルトラが「そうですか」と応えを返したのは、かなりの時間が経ってからだった。











「地下に抜け穴が掘ってありました。刺客はそこから家の中に入り込んだのでしょう」


 翌朝……と言うより未明と言うべき時間帯。将軍イフラーンが調査結果をレアルトラに報告する。七斗もまたその場に同席し、調査結果に耳を傾けていた。

 イフラーンは三十代半ば。コナハトの武将はほぼ全員髭を長く伸ばしていて、イフラーンも例外ではない。ただ、他の武将がまるで山賊のような外見となっているのに対し、イフラーンのそれはまるで賢者のようだ。穏やかな人柄と理知的な頭脳を有する男である――ただし、コナハトの基準においてではあるが。


「それでは町長クリィシェイはムーマの手の者だったと……」


「娘の話では一〇年ほど前から急に生活に余裕ができて、出所の不明な金を貯め込んでいた、とのことです。国内の種々の情報をムーマに流し、それを金に換えていたと見て間違いないでしょう」


「でも……」


 と七斗は疑問を呈した。


「単に情報を流すだけならともかく、要人暗殺への協力なんて、小遣い稼ぎなんて気持ちでできることじゃないでしょう。失敗したなら――いや、成功したって極刑は間違いないじゃないですか」


「確かにその通りです。町長クリィシェイは利用されただけだと思います」


 とイフラーンは七斗の見解を肯定した。


「一年前に町長クリィシェイの家は火事となって焼け落ちましたが、すぐに再建しております。その金を出したのはムーマであり、このときにムーマの間諜が密かに地下の抜け穴を作らせたのでしょう。まず間違いなく火事そのものがムーマの仕業です」


「それでは町長クリィシェイは地下の抜け穴のことを知らなかった、と?」


 将軍イフラーンは無言で首肯した。


「その……町長の処罰はどうなるんですか? 確かに責任は重大ですけど、でも利用されただけですし」


「町長クリィシェイは妻と娘と共にすでに自裁しております」


 イフラーンの端的な説明に七斗は長い時間言葉を失った。




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