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水の国へ愛をこめて  作者: 亜蒼行
烈風篇
35/69

第三四話「『導く者』は我等と共にあり」その2

 そしてメアン=フォーワルの月の下旬、ラギンが支援として送り出した四〇〇人の職人、その第一陣がカアーナ=マートに到着した。


「ラギン国王オノールの下命を受け参りました。ルスカ火砲工廠のガルタフトです」


 ガルタフトはやや背が低く太り気味で、眼鏡をかけた男である。服装はいかにも魔道士な黒いローブで、年齢は四〇代の手前と見られる。ラギン人らしい赤い髪には白髪が目立ち、肌の色は薄めと、いまいち冴えない中年男だった。ただ、ぎらぎらと輝く大きなその目はかなり特徴的である。

 六〇人の職人を率いるガルタフトが膝を突いてレアルトラに頭を下げる。目に涙を浮かべるレアルトラはガルタフトの手を取らんばかりだった。


「ラギンの志をコナハトが忘れることは永遠にありません」


 ジェイラナッハは例によって号泣しているし、その場にいる他の面々もまた涙に濡れていた。ムーマに勝てる見込みがいよいよ具体化してきたこと、コナハトは決して孤立無援でないと行動をもって示されたことがその理由だった。


「ささやかですが歓迎の宴席を用意しております。どうぞこちらに」


 歓待の意を示すレアルトラに対し、ガルタフトは首を振った。


「お言葉ですが王女殿下、戦場で援軍に馳走をする将はおりますまい。まずは我等の戦線にご案内いただけませんか」


 その要求に面食らうレアルトラだがそれも一瞬だ。レアルトラはガルタフトを連れて王城へと向かった。

 ――ガルタフトの言葉通り、王城は、工廠はまさしく戦場だった。職人が怒声を上げ、小間使いが走り回る。炊き出しのおにぎりは見る間に消費されていき、過労で倒れた職人が救護室へと搬送されていった。


「うむ! うむ! うむ!」


 ガルタフトはその様子に何やら大きく頷いている。今にも職人に混じって作業を始めそうだ。


「おおっ、これが……!」


 ガルタフトは作りかけのオルゴールを見つけていきなり飛びついた。こぼれ落ちんばかりに目を見開き、その内部構造をじっくりとっくり眺め回している。


「複数の魔晶石を銅線でつないでいるのか……?! 一体どういう理屈なのだそれは? それでどうして魔力が流れる? こっちの箱は何だ?」


「あー、道士ガルタフト」


 アルデイリムが声をかけるとガルタフトは名残惜しげにオルゴールから離れた。


「私がこの工廠の責任者をしているアルデイリムです。こちらが『導く者』ナナト」


 七斗を紹介されたガルタフトは、


「ほう!!」


 と大声を上げた。びっくりした周囲の人間の視線を集めるがそれはガルタフトの意識の外である。今彼の眼中には七斗の姿しか入っていなかった。


「君がこの機械を発明したという『導く者』か! 教えてくれ、これは何をどうするものなのだ。一体どのようにして邪悪魔法を封じ込めている?」


「ええと、それは一応機密に属することですので……どうぞこちらに」


 七斗はガルタフトを連れてその殿舎の応接室となっている部屋に移動した。それにアルデイリムやレアルトラも同行し、部屋の前には衛兵が立って聞き耳を立てられるのを防いでいる。


「――この機械、オルゴールは先進波を受信する機械です。先進波は未来からやってくる波で、時間の順方向で見るならオルゴールは波を発信しているように見えます」


「うむ?」


 七斗はガルタフトが理解しているかどうかを無視し、一通りの説明をした。


「……特定の先進波を受信し続けることにより他の先進波の発信を禁止し、それによって魔法を使えなくするのがこのオルゴールです」


「うむ、なるほど!」


 ガルタフトはにこやかに頷いた。


「全く判らん!!」


「そうでしょうね」


 と同意するのはアルデイリムだ。七斗の説明は何度も聞いて、もう七斗に代わって説明できるくらいなのに、その意味はほとんど理解できていない。


「だがまあ、要するにだ。雷が極めて極めて極めて弱くなった、人間が全く感知できないくらいに弱くなった雷の波があり、それをこの機械が発することであらゆる魔法の行使を防ぐわけだな?」


「はい。それだけ判ってもらえれば今は充分かと」


「まさかそんなことで魔法を封じ込めることができるとは……全く驚くべきことだ!」


 アルデイリムは「ええ」と頷き、


「ブレスが知ったら憤死するかもしれませんね」


 その冗談に一同は明るく笑った。こんなに屈託なく笑えるのは一体いつ以来だろう――レアルトラは自分の記憶を検索するが、どうやってもそれは思い出せなかった。


「ラギンに支援をお願いしたのはこのオルゴールを作るための職人です。一番不足しているのが魔晶石職人なんですが」


「今日到着した六〇人は全員が魔晶石の職人だ」


 とガルタフトは胸を張った。


「残り三四〇人のうち二四〇人が魔晶石職人、一〇〇人がそれ以外となる」


 まさしく、ラギンが有していた魔晶石職人が根こそぎコナハトに送られたようなものだった。万一この職人達が帰国しない、という事態になれば、ラギンの魔法関連技術はいずれ衰弱死する。それはラギンという国の命数をも尽きさせることだろう。


「国王オノールと王妃ゲアラハには何と感謝をすればいいのか……」


 とレアルトラは有難い思いを新たにしていた。


「それでは調整の仕方についてですが、まず全員に対して私から概要を説明し、その後一人一人にこちらの職人を付けて……」


 アルデイリムとガルタフトは職人への教育と作業の割り振りについて打ち合わせをする。


「我々は支援でここに来たのだ。原則としてそちらの指示には全て従おう」


 とガルタフトが言い、打ち合わせは思いの外簡単に終了した。ラギンの職人に対する教育はその日の内に実施され、翌日からは教育と実作業を同時平行でしていくこととなる。元々分業やマニュアル化を推し進めていたこともあり、ラギンの職人もごく短い時間で即戦力として活躍するようになった。


「なるほど、一人の職人に得意とする作業だけやらせるのか! 確かにその方が効率的だ!」


「ええ。職人さんにとっては面白くないでしょうけど、今だけは我慢してもらっています」


「だが考え方は興味深い! これは是非うちの工廠にも導入せねば!」


 七斗は元いた日本では工場の工員だった人間だ。分業やマニュアル化は七斗にとってはごく当たり前の生産方法――そのやり方しか知らないくらいだが、この世界では画期的で革新的だった。

 オルゴールの量産は、対ムーマの戦争準備は加速度を上げて進んでいく。











 月は変わって、始祖暦二五〇一年ジェイルー=フォーワルの月(第一二月)。対ムーマの戦争準備は最終段階となっていた。

 魔晶石を始めとする必要な資材は全て揃い、不足分も順次届けられるようになっている。ラギンの職人達も全員カアーナ=マートに到着し、オルゴール量産の戦列に加わっている。職人と一緒にジェイラナッハもラギンから帰ってきている。

 完成したオルゴールは倉庫に積み上げられ、また一部は軍の演習に使用された。機密保持のため、この時点では演習に参加できるのは最低でも百人隊長以上の士官・幹部に限られている。


「どうだ、これでムーマの邪悪魔法はもう使えない!」


 将軍の一人フェアラグがオルゴールを披露したとき、涙を流さなかった者は一人もいなかったと伝えられている。


「これさえあればムーマに……!」


「父と兄の敵を討つ日が来ようとは……!」


 ある者はひざまずき、滂沱の涙で地面を濡らした。ある者は肩を組み合い、互いに顔を隠して号泣した。ある者は泣きながら「見ていろ、ムーマよ!」と雄叫びを上げていた。フェアラグ自身も一同から背を向けてそっと涙を拭っている。


「お前達、泣いてばかりでは始まらんぞ」


 一同の感激が一段落付くのにかなりの時間が必要だった。涙を拭った百人隊長が、千人隊長がフェアラグの一挙手一投足に注目する。フェアラグの一言も聞き逃すまいと耳を傾けている。


「これさえあれば邪悪魔法は封じ込めることができる、『導く者』の賜物だ。だが、その上でムーマに対してどのように戦い如何にして勝つか、それを考えて実行するのは我等の役目」


 一同が力強く頷く。邪悪魔法さえなければムーマなど恐るるに足らずと、誰もが心から信じている。


「まずはこれの使い方を習得してもらう。これはお前達以外には使わせるな。数は限られているし――何より、ムーマに奪われるわけにはいかん」


 確かにそうだ、と一同の目が同意を示した。


「ムーマの間諜はどこから入り込むか判らん、決して油断するな。戦場で敵の奇襲を受けることもあるだろうが、それでもこれだけは敵に渡すな。それくらいなら破壊しろ。痛手ではあるが、ムーマの手にこれが渡ることを思えばいくらでも取り返しは利く」


 一同は無言のまま頷く。自らの生命を捨てようと、これだけは敵に渡さない――彼等の目が決意の光を放っていた。


 オルゴールがムーマの手に渡ったなら――それはコナハトの誰もが抱く不安である。


「もしオルゴールがムーマの手に渡り、彼等がそれを分析して何らかの対策を講じたなら……オルゴールがあっても行使できる邪悪魔法を作り出したなら」


 それはレアルトラが想像し得る最悪の事態だった。これまでは戦争準備で頭がいっぱいだったが、準備が終わって本当の戦争が始まるのも間もなくだ。


「本当にオルゴールがムーマに通用するのか。何か対策を講じてくるのではないか」


 そんな懸念が頭をもたげてくるのも当然の心理だった。だがそれはおおっぴらにできることではない。民や兵士、臣下の前では「勝ったも同然」という顔を作っておかなければならない。


「対策を講じられることはないのでしょうか?」


 レアルトラはジェイラナッハ一人を伴い七斗の研究所を訪問。人払いをした上で自らの疑問を、不安をぶつけた。七斗は少し考え、


「大丈夫だと思いますよ?」


 その非常に軽い口調にレアルトラは不満を覚えた。「真剣に考えてください」と頬を膨らますレアルトラに七斗は少し困ったような笑みを見せる。


「……ぶっちゃけ言ってですね。原理上オルゴールの影響下で魔法を使うことは何をどう考えてもできっこないんですよ」


 特定の先進波を受信し続けることにより未来を固定し、他の先進波の発信を不可能とし、魔法の発動を禁じる――この禁戒をかい潜って魔法を発動する方法を、どのように考えようといくら頭をひねろうと、七斗は全く思いつかなかった。


「それでは仮に敵の手にオルゴールが渡っても心配無用、杞憂に過ぎぬと?」


「多分、何がどうなって魔法が使えなくなっているのか、誰にも判らないと思います」


 七斗の回答にジェイラナッハは腕を組んで「うーむ」と唸った。レアルトラもそうだが、容易には信じられないようである。


「……ただ、これは僕が知る理屈の上での話です」


 と七斗は肩をすくめる。


「僕が知らない魔法の理屈で僕の知る理屈を超えられることが、もしかしたらあるかもしれない」


「それではムーマがオルゴールへの対策を講じる可能性も……」


 不安に顔色を悪くするレアルトラに対し、


「絶対にないとは言いませんけどね」


 と七斗は言いつつも悪戯っぽく笑った。


「そんなに心配ならアルデイリムさんに命令してみたらどうですか? 『オルゴールが使用された状態で魔法を使って見せろ』って」


 アルデイリムは七斗がこの世界に召喚されてからずっと二人三脚でオルゴールの研究開発をしてきた人物だ。魔法の行使は不得意だが、理論についての造詣の深さならコナハト随一である。今の時点でオルゴール対策を作り出せる人間がいるとするならそれはアルデイリム以外に存在しようがない。

 確かにその通りだ、と判断したレアルトラはアルデイリムを呼び出してその勅命を下し、下されたアルデイリムは頭を抱えた。


「王女殿下も何という無茶を……恨みますよ、ナナトさん」


 だが勅命である以上拒否などできるはずもない。アルデイリムはその夜自分の研究室に籠もり、オルゴールへの対抗手段を見つけるべく頭をひねり続けた。唸り、腕を組み、天井を仰ぎ、頭を抱え、思いつく限りのアイディアをメモ用の板に書いて、横線を引いてそれを消し、板がインクで真っ黒になり、不意に「があーっ!」と吠え、机に突っ伏し、やがてまた起き出し……

 翌日、徹夜したアルデイリムは寝不足の顔をレアルトラに見せに行った。


「恐れ入りますが、お時間をいただかなければ勅命を果たすことができません」


「時間とはどの程度?」


「どんなに楽観的に考えても一年……ある程度現実的に見るなら二、三年……あるいは一生かけても『結局できませんでした』という結論になるかもしれませんが」


 その答えにレアルトラは「そうですか」と満面の笑みを見せた。


「残念ですが今のあなたにそれだけの時間を与えることはできません。あの勅命は一旦棚上げといたしましょう」


 アルデイリムは「恐縮です」と深々と頭を下げ、レアルトラの前を退出した。残されたレアルトラはジェイラナッハと笑顔を交わし合う。


「アルデイリムですら対策に二、三年が必要と言うのなら、ムーマならもっと時間がかかりましょう。四、五年の時間はあると見ていいでしょう」


「モイ=トゥラ奪還にそこまでの時間は要しませぬ」


「ええ、そしてムーマの滅亡にも」


 二人は笑顔を見せ合っていた。牙を剥いた、壮絶な笑みを。











「どう考えても無理だと言っていたのはナナトさん自身でしょう。何て仕事を私に振るんですか」


「いや、済みません」


 アルデイリムは七斗の研究室にやってきて愚痴をこぼし、七斗はひたすら謝った。かなりの時間七斗相手に嫌味を言い、ようやくアルデイリムも気が済んだようだった。


「……まあ、これで王女殿下がご安心できたのなら臣下としては本望というところです」


「だが、王女殿下のご心配ももっともだ」


 と話が一段落付いたと見て口を挟むのは、七斗の研究所を訪れていたガルタフトである。ガルタフトは七斗が有している異世界の技術を一つでも多く覚えて祖国に持って帰る使命を有しており、この日の訪問はそのためである……というのはほぼ口実で、実際のところはガルタフト自身の知的好奇心を満たすためだった(結果としてはそれで使命を果たすことになるのだが)。


「対策を講じるのがどれだけ困難だろうと、オルゴールが敵の手に渡らないよう何らかの工夫は必要だろう」


 七斗はそれに「そうですね」と頷き、


「自爆装置を付けることも考えたんですけど」


「自爆装置?!!」


 ガルタフトは予想外の食いつき方をする。キスせんばかりに、押し倒さんばかりに顔を急接近させるガルタフトに対して七斗は仰け反って逃げるが、その分ガルタフトは前に出た。七斗は壁まで追い詰められ、ガルタフトは壁ドン体勢だ。


「自爆装置! 自爆装置とは何なのだ! さあ説明を!」


 七斗は「いやあの」としどろもどろになりながらも、


「オルゴールにある程度の火薬を積んでおくんです。オルゴールが敵の手に渡ったら、遠隔操作で起爆して爆発させるってこと……」


「何と……何と……何という!!」


 ガルタフトは余人には全く理解不能な理由で感動に打ち震えていた。七斗もアルデイリムも唖然とするばかりである。


「それは是が非でも搭載しなければならないっ!! いや待て、遠隔操作による起爆はどうする、通信魔法の魔晶石を改良すればいけるか? だがそれでは魔法の妨害下では」


「僕が考えていたのは電波による通信で自爆の指令を……それなら元の基盤をちょっと改良すればいけますから」


「そうなのか?! それは素晴らしい!」


「他のアイディアとしては、例えば一定時間ごとにゼンマイを巻く必要があって、それをやらないでバネが伸び切ると起爆するとか」


「何も知らないまま敵がオルゴールを奪ったなら一定時間で必ず自爆するのか! その発想はなかった!」


 と大喜びのガルタフトに対し、躊躇いながらも水を差すのはアルデイリムだ。


「ラギンはどうか知りませんが、コナハトにはそんなに大量の火薬はありません」


 むう、と唸るガルタフトにさらに続けて、


「それに職人の皆さんが昼夜を問わず作り続けて、ラギンから応援まで呼んで、それで何とか年内に必要台数揃うかどうかというところなんです。余分な機能を付けるような時間は一日だってありません」


「むう、確かに」


 とガルタフトも冷静になったようで、アルデイリムの正しさを認めた。


「コストと時間と、あとは安全性ですね。ちょっと雑に扱っただけで爆発していたんじゃ危なくて使えない」


「確かにそうだ。完璧は無理でも、ある程度の安全性を確保する必要はある。……だがそうなるとコストと時間が跳ね上がるわけだな、確かにそれは断念せざるを得ないか」


 七斗の指摘にガルタフトは残念そうにため息をついた。どうやら自爆装置は諦めてくれたようで、七斗達は安堵する。


「だが自爆装置という発想は素晴らしい! これを知っただけでも大陸の反対側までやってきた甲斐があったというものだ!」


 ガルタフトは両腕を振り上げてその感動を表現し――七斗は「それでいいのか」と内心で突っ込んでいた。


「ラギンでオルゴールを製造するときには必ずや自爆装置搭載型を正式とし、量産してみせようぞ!」


「いや、それはどうかと」


 とアルデイリムは言うがガルタフトは高らかに笑うだけである。


「コナハトが百年待ってようやく手に入れた異世界の知識――それを惜しみなく我等に伝えてくれたのだ。その友誼と誠意に応えるためにもラギンは誓ってこれをムーマには渡さん! そのための自爆装置だ!」


 と拳を握りしめるガルタフト。彼が、ラギンがコナハトから供与された異世界の技術の機密保持に真摯に取り組んでくれることに、アルデイリムは心を打たれていた――それと同時に「あなたは単に自爆装置が作りたいだけなんじゃないのか」とも思わずにはいられなかったが。











 コナハトが国境を封鎖し、突破しようとする者は問答無用で斬り捨て、ラギンは一〇〇万リブラもの信用保証をコナハトに与え、それを使ってコナハトはウラドで食料や様々な資材を買いあさり、ウラドの王太子が大陸中から魔晶石を買い集め、このため魔晶石相場が高騰し、その魔晶石はどうやら全てコナハトに流れ込んでいて……

 ちょっと気の利いた者ならこれらの情報を集めるのは難しくはなく、それが何を意味しているのかは分析するまでもなく明白だった。


「コナハトが今までにない大規模な戦争準備を進めている」


 もちろんムーマもそれを把握している。諜報機関が提出するレポートを見るまでもない。コナハトが戦争準備をしていることは鉄杖党幹部だけでなく平党員も、モイ=トゥラの庶民も、ムーマ本国の庶民だって、誰でも知っていることだった。

 そしてコナハトの戦争準備に対し、ムーマはただ手をこまねいて見ていたわけではない――と普通だったら述べるところである。だが今はこう書かなければならない――「ムーマはただ手をこまねいて見ていただけだった」と。


「水ネズミ共が何の悪あがきをしているかは判らんが、奴等が戦争準備を終えるまで我々が待ってやる義理も理由もあるはずがない。今すぐにカアーナ=マートに攻め込んで奴等の希望を丸ごと粉砕するに如くは無し!」


 と主張する者は決して少数ではなく、特に本国ではそのような意見で溢れていた。王太子バイル=エアガルなどはその急先鋒である。だが、この主張はモイ=トゥラ駐留のムーマ軍においては主流とならなかったのだ。


「今すぐにカアーナ=マートへと攻め込むべきだ!」


 モイ=トゥラ駐留軍の将軍の一人、トロムリーがそう唱えたとき、総司令官のゲアルヘームとの間にこのような会話が交わされたと伝えられている。


「確かにその通りだ」


 ゲアルヘームは深々と頷き、


「五万の兵を与える。作戦指揮は将軍トロムリー、君に執ってもらおう」


 大命を受けたトロムリーは感激し、発奮し、「私にお任せを! 水ネズミ共を残らず皆殺しにしてやりましょう!」と力強く請け負う……ということにはならなかった。


「いや、あの……」


 と気まずそうに口を濁し、目を逸らすばかりである。


「私の幕下は冬季作戦に従事する準備ができておりませんで……それに兵の方も防寒装備は充分でなく、無用な損害が出かねません。もう少し季節が良くなってから……」


 その物言いにゲアルヘームは失笑し、鼻で嗤うばかりだった。だが冬に作戦をやる用意がないのはトロムリーやその麾下だけの話ではない。モイ=トゥラ駐留ムーマ軍全体に共通したことである。

 ムーマ軍の末端の兵は全てコナハト系の農民で、彼等がどれだけ犠牲になろうとトロムリーが心を痛めるはずもない。だが、ムーマ人の士官・幹部に多大な犠牲が出る、または出かねない事態は避けなければならなかった。

 冬に戦争をやる用意がない――それは冬に戦争をやる理由がないことの裏返しだった。コナハトに対する作戦行動は季節のいい時期にやればよく、わざわざ危険を冒して冬に行動する理由が何かあるだろうか? 強いて挙げるならコナハトの油断を突くことくらいだが、弱体化が著しいコナハト軍と戦うのにそんな無理をする理由こそ何もない。

 コナハト軍はやむにやまれぬ理由で冬季作戦を強行したことが度々ある。だが、無理をし、多大な犠牲を出して、それで多少なりとも領土を取り返したところで、季節が春になればその反動がやってくる。消耗したコナハト軍は満を持したムーマ軍によって蹴散らされ、せっかく取り返した領土も簡単に奪い返されてしまうのだ。

 かくして、ムーマ軍に「戦争は季節のいいときにやるもの」という常識が蔓延した。ムーマの軍人にとってコナハトとの戦争は「短い夏の間のちょっとした冒険」でしかないのである。


「何をしている、今すぐカアーナ=マートへと攻め込め!」


 本国から、王太子から矢のような督促があってもゲアルヘームの腰が重かったのは、彼が無能で怠惰だったから、というわけではない。ムーマ軍の現状を思えばゲアルヘームでなくても冬の作戦行動を避けようとしただろう。


「コナハト軍の狙いは我が軍を冬山に誘い込むことなのだろう。大軍の展開できない、狭い冬山ではまともな会戦は望めない。敵は移動中や野営中の我が軍に対して奇襲を仕掛け、我が軍の消耗を計るのは疑いない。……だが、敵の罠にわざわざはまりに行く理由があるだろうか? 我が軍は春になるのを待てばいい。コナハト軍が我が国に侵入してくるのを待ち、いつものようにそれを迎え撃てばいい。奴等はいずれ必ず進軍してくる。そうしなければ飢えて死ぬだけなのだから」


 ゲアルヘームは自らの理を説き、攻撃を主張する者達を沈黙させた。また、普段は沈黙を守っている国王ディーンハルジャスも、


「ムーマ人の士官だけでなく無辜の兵卒にも無用の犠牲が出ぬよう、無謀な作戦は控えるように」


 とわざわざ釘を刺している。国王のお墨付きをもらったゲアルヘームは大手を振って作戦開始の照準を春へと合わせた。


「くそっ、父上も余計なことを……」


 バイル=エアガルは切歯扼腕したが、それ以上打つ手はない。


「……まあ、いい。来年中にはコナハトは地上から消えているだろう」


 と自らに言い聞かせ、心を落ち着かせた。春になり、戦端が開くのを心静かに待つこととする。

 そしてジェイルー=フォーワルの月が終わり、年も改まって始祖暦二五〇二年サヴァンの月(第一月)。カアーナ=マートのコナハト軍全軍が北上を開始した、という知らせが大陸全土へともたらされた。

 モイ=トゥラのクルアハンに、ムーマ王都カティル=コン=ロイに、ラギン王都ルスカに、ウラド王都エヴィン=マハに。ムーマ国王ディーンハルジャスに、王太子バイル=エアガルに、第二王子エイリ=アマフに、穏健派重鎮のインティーヴァスに、モイ=トゥラ駐留軍総司令官ゲアルヘームに。ラギン国王オノールに、王妃ゲアラハに、王太子ブライムに。ウラド王太子シュクリスに、宰相ドウーラガルに。

 その知らせと同時に、レアルトラが摂政の名において発した短い宣言もまた大陸全土へと知らされ――大陸を席巻する。


「コナハト軍はモイ=トゥラ奪還の進軍を開始しました。前歴は一切問いません、我が旗下に集結することを大陸全てのコナハト人に命じます」


 それは冬の前にレアルトラが発した声明と概ね同じだった……そこまでは。その短い二つの文章の後に、さらに短い一文が新たに追加されている。すなわち、






「――『導く者』は我等と共にあり」






 始祖暦二五〇二年サヴァンの月(第一月)一日、レアルトラが率いるコナハト軍の全軍が王都カアーナ=マートを出発した。

 一〇万を超える軍勢がカアーナ=マートから北へと移動している。兵は一二歳の子供から六〇過ぎの年寄りの姿が目立ち、女も少なからず混じっている。二〇代の青年の姿が一番少ないように思われた。壮年の男もその体格は貧弱、装備は貧相。コナハトが最後の力を振り絞って国中から集めた、弱兵の集団である――だがその目には確固たる意志の灯火が宿っていた。彼等の全員の胸の内で覚悟の炎が燃え上がっていた。まるで、今のこの町のように。

 彼等の背後には聳えるカアーナ=マートの王城――今、王城は炎上していた。巨大な炎が天をも焦がすほどに燃え上がり、紅蓮の光が王都全体を覆っている。だが兵士達は振り返らなかった。彼等は前しか見ていない。


「王城とこの町、全てを焼き払いなさい」


 そう命令を下したのはレアルトラだった。


「わたし達はもう二度とこの町に戻ってこない。ここはわたし達の帰る場所ではないのですから。わたし達はわたし達の本当の家に、真の故郷に今こそ帰るのです。――北の大地、モイ=トゥラに」


 そしてその決意を形とし、全軍に示すために王城を含む町の全ての焼き払いを命じ、兵士達は忠実にそれを実行したのだ。コナハト軍全軍、町の住民全員が町を出る頃には、王城を包んでいた炎がカアーナ=マート全体に燃え広がろうとしていた。

 レアルトラは振り返らない。ジェイラナッハも、他の将軍達も、末端の兵士から庶民貧民に至るまで、振り返る者は皆無である。彼等はただ前を見て、前へと進み続けた。北へと向かって、彼等の本当の故郷へと向かって。




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[一言] 鳥肌が立つほどに面白いです 何かがきっかけで一気に知名度が高くなりそう
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