第三三話「『導く者』は我等と共にあり」その1
場所は土の国ウラドの王都エヴィン=マハ、その王城。王宮のすぐ隣りに建っている宮殿へと向かう人影が二つ。一人は王太子シュクリスであり、もう一人はその腹心カールジャスである。
その宮殿に入ったシュクリス達は衛兵により中央の大広間へと案内された。吹き抜けの天井は一〇メートルくらいあり、発光魔法を使ったシャンデリアが宝石のように輝いている。二〇メートル以上の奥行きの大広間の一番奥にベッドみたいに巨大な椅子が置かれていて、そこに座っているのは巨体を有する一人の男だった。
「王太子シュクリスがお越しです」
「うむ」
鷹揚に頷く巨体の男――座っている状態なので判りにくいが身長はかなり高い。逆に非常に判りやすいのはその横幅だった。体重はそれなりに体格の良いシュクリスの倍以上にもなるだろう。「そんな身体でまともに動けるのか」と誰もが疑問に思うだろうが、シュクリスはこの男が自分の足で歩いているところを一度も見たことがない。常に輿に乗って移動している。面相は……福々しいと言えなくもない。目は極端に細く、いつも笑っているかのようだが、単に脂肪に埋もれているだけである。皮膚が伸ばされて皺が少なくなっているため年齢は計りがたいが、この男はもう七〇代の半ばに達する老人だった。
「こんな身体ですからな。座ったままで御意を得ますぞ、シュクリス様」
「ええ、構いませんよ」
大広間の一番奥で、上座で座ったままの老人と、その前で立ったままでいるシュクリスまるで国王とその臣下のような立ち位置だが、実際には逆である。巨体の老人はウラド宰相ドウーラガルその人だった。
「何でもシュクリス様は大量の魔晶石を集めておられるとか。何に使うつもりかは存じませんが……財務やゴーレム工廠からは猛抗議が寄せられておりましてな。この老いぼれも困り果てるばかりですわ」
ドウーラガルは息切れしているかのような笑い声を立てるが、その目は笑っていなかった。カールジャスの背中に嫌な汗が流れるが、シュクリスは平然としたままである。
「ええ、先日コナハトから支援要請がありまして、『魔晶石二万個を寄越せ』と。それに応えるために動いているところです」
悪びれもしないシュクリスにドウーラガルは笑みを消す。
「二万もの魔晶石……それが一体何万リブラになるのか、シュクリス様は判っておられるのですかな?」
シュクリスは「いえ、細かい計算は苦手でして」と肩をすくめる。ドウーラガルは深々とため息をついた。
「この老いぼれは国王シュクリスに仕える日が来ることを楽しみにしておったのですが……それも見果てぬ夢となりましたかな」
カールジャスは思わず吐き出しそうになる罵声を、歯を食いしばって塞き止めた。ドウーラガルはもう半世紀以上も王国宰相としてウラドに君臨しているが、その間に八人もの国王が交替している。真相は永遠に闇の中だろうが、少なくとも八人のうち二人はドウーラガルによって強制的に退位させられ、二人は毒殺された、というのが衆目の一致するところである。何十年も前から今日に至るまで、ウラド国王という存在はドウーラガルの傀儡でしかなかった。
(貴様にとって国王はその日の気分で変更できる帽子なのか!)
カールジャスにできるのは声にはできない罵りを口の中で唱えることくらいだった。
義憤に燃えるカールジャスの一方、シュクリスは平然としたままである。
「それは早計では? まだ賽の目がどちらに出たか、判ったわけではないでしょう」
「コナハトがムーマに勝って、モイ=トゥラを奪還できたなら充分に元は取れるでしょうな。だが『導く者』のいないコナハトにそんなことができるはずも……」
「ええ、そうでしょうな」
シュクリスは深々と頷いてドウーラガルに同意し、その上で、
「――『導く者』がいなければ」
と付け加えた。
宰相ドウーラガルが沈黙する。まるでドウーラガルが眠ってしまったかのような時間が流れたが、ドウーラガルは思い出したように時折、
「なるほど……なるほど」
と呟いている。長い時間をかけてドウーラガルは六、七回「なるほど」をくり返した。
「……『導く者』をむざむざと殺された、と聞いたときにはコナハトの王女はどれだけ間抜けなのか、と思ったものだが……なるほど、そういうことか。コナハトの『導く者』が何かを作ろうとしていて、そのために大量の魔晶石を必要としていると……」
「俺がコナハトに赴いたとき、『導く者』と直接会ったわけでも、王女から生存について聞かされたわけでもありません。『導く者』が生きている、というのは俺の心証でしかありませんが……」
「だが、つじつまは合う。コナハトとてその程度の小細工は使えよう」
ドウーラガルの言葉にシュクリスも強く頷いた。ドウーラガルは身体が縮むかと思うほどに長く深いため息をついた。
「……長かった……この半世紀、実に長かったが、ようやくムーマの勢力を削ることができるか」
大陸に四ヶ国が成立した当初から長く伝統的にコナハトとラギンが同盟関係にあるように、ムーマとウラドも協力関係にあった――だがブレスの登場を経てムーマの国力が突出してからは、ムーマとウラドの関係も以前とは変質している。
「コナハトが潰れてしまわぬようミデの奪還を控え、ラギンとも事を構えず、ムーマの圧力に舌先で言い逃れを続け……本当に長く苦しい日々であった」
ムーマがコナハトを完全併呑してしまえば次の標的はラギン、ラギンまで呑まれてしまえばその次の標的がウラドとなることは目に見えている。だからウラドはムーマと表面上は友好関係・協力関係を維持しながら、コナハトが存続できるよう尽力してきたのだ。
「東西からコナハトを挟撃するべきだ。それでウラドはミデを奪還できる」
ムーマはくり返しくり返しウラドにそう提案してきたが、ウラドはのらりくらりとそれを躱し続けてきた。ミデの奪還は決して難しいことではなかったし、その機会はこれまで無数にあったのだ。その機会を敢えて見逃してきたのはコナハトのためであり、ひいてはウラド自身のためであった。
「安心するのはまだ早いですよ、宰相殿。ラギンがコナハトに与えた信用保証枠一〇〇万リブラ。これを使ってコナハトの商人が我が国で食料やら木材やらを買いあさっています。そろそろこれを知ったムーマから何らかの対応を要求されるのでは?」
ジェイラナッハが交渉で獲得した一〇〇万リブラの支援は現金でコナハトに送られるわけではない。コナハトがウラドやラギンの商人から付けで買い物をしたときに「もしコナハトが支払わない場合はラギンが支払う」という保証を与える――それが支援の中身であり、その上限が一〇〇万リブラなのである。
シュクリスの指摘にドウーラガルが笑う。
「下賎な商人同士がどのような取引をしようとウラドの王が関わり合うことではない……というところか。よかろう、半世紀続けてきた言い逃れをもう半年続けるくらいどうと言うこともあるまい」
「ああ、それと二万の魔晶石についてはラギンの信用保証を使いません。代金は国庫からお願いします」
ドウーラガルは笑いを止め、剣呑な目をシュクリスへと向けた。だがシュクリスは薄笑いを浮かべたままである。
「……もしコナハトがムーマに勝てずに滅んでしまえば、その損失はシュクリス様が背負うことになりますぞ。果たして約束された王位を失うだけで済むかどうか……」
「ラギンの信用保証を使ってしまえばコナハトは我が国に何の借りもないことになります。貸しを作るのなら半端な真似はするべきではないのでは?」
結局ドウーラガルはシュクリスの言を是とした。コナハトが勝てばウラドにとっての国益となる、コナハトが負けてもシュクリス一人に責を負わせればいい、という判断である。
ドウーラガルはやれやれ、とばかりに背もたれに体重を預けた。頑丈な椅子が軋みを上げている。
「この半世紀長かったが……これでムーマの勢力を削ることができたなら、そのときはこの老いぼれも後進に席を譲り、田舎の荘園で余生を過ごすとしましょうか」
と楽しそうに笑うドウーラガル。カールジャスは「十年遅いんだよ!」と言いたい衝動を必死に抑えていた。
「いえいえ、閣下には俺が国王となっても引き続き宰相を務めていただかなくては」
「この老いぼれをどこまで働かせるおつもりですかな?」
シュクリスが大仰に追従し、ドウーラガルがわざとらしく韜晦する。王子と宰相、二人の空々しい笑いがその大広間に響いていた。
――ウラド王太子シュクリスが企画し、宰相ドウーラガルが承認したコナハトへの支援は着実・迅速に実行された。その第一陣がコナハトへと向けて出発したのは始祖暦二五〇一年ルーナサの月(第一〇月)の中旬。その後も魔晶石は集まり次第送られる。ウラド国内だけでは足りずムーマからも買い集められた魔晶石は、最終的に二万と四二個に登ったという。
始祖暦二五〇一年メアン=フォーワルの月(第一一月)に入り、オルゴール量産に必要な材料が王都カアーナ=マートに集まり出していた。ラギンの信用保証を得てウラドで購入された資材がコナハトへと輸入されていく。ウラドの商人は船でそれらをコナハトへと輸送していた。大陸南の氷の海を踏破してグーン=ナ=ンガルに入港し、そこから陸路で王都カアーナ=マートへとやってくるのだ。
最初のうちは資材の輸入量もたかが知れていたが、徐々にその量が増えていく。輸入量は指数関数的な加速度を付けて増加する一方で、留まるところを知らなかった。カアーナ=マートの王城は運び込まれる資材に埋もれ、足の踏み場もないくらいである。
「ともかくこれで製造にかかれる……早く製造していかないと身動きが取れなくなってしまう」
アルデイリムは資材を消費するためにもすぐさまオルゴールの製造に取りかかった。いや、アルデイリムが号令をかける前に職人が勝手に資材を集めてオルゴールを作り始めている。現場は大混乱に陥るかと思われたが、ここで本領を発揮したのが七斗の用意した「部品・工程管理表」である。職人達は管理表を見、
「ここで止まっているのか。応援に行ってやるか」
「この工程が始まったらこの在庫がすぐに払底するぞ。今のうちに厚くしておかないと」
と独自に最善を判断し、最適の行動を選ぶのである。管理表に数量を書き込む負担は決して小さくなかったが、得られた利益はそれを帳消しにして余りあるものだった。
工廠となったのは王城である。王城は王宮を除く全ての建物が職人のために開放され、王城全体が巨大な工場となった。侍女が炊き出しをし、たまにレアルトラもその中に混じっている。感激し発奮した職人達は昼も夜もなく製造を続け、次々とオルゴールの完成品一歩手前を作り続けていった。――ほぼ完成品である。だがただ一つ、基盤に組み込まれるはずの魔晶石が抜けている。魔晶石を調整して組み込まないことにはそれは何の役にも立たない、ただのガラクタでしかない。
その魔晶石がようやくコナハトに到着したのはメアン=フォーワルの月の中旬である。第一陣の魔晶石一千個はあっと言う間に消費されてしまったが、それからは連日グーン=ナ=ンガルから魔晶石が運び込まれてくる。職人達は喜び勇んで魔晶石の調整をし、次々とオルゴールに組み込んでいった。
完成したオルゴールは魔道兵の部隊に引き渡され、規定通りに動くかどうかを検査する。検査結果が良好なら軍の倉庫に運び込まれ、納品となるのだ。倉庫に積み上がった何十台ものオルゴールを見上げ、レアルトラは感無量の様子だった。
「……ようやくここまで来たのですね」
「姫様、必要とするオルゴールは少なくとも千台。まだまだこれからですぞ」
とジェイラナッハは言いつつも、溢れる涙にハンカチを濡らしていた。
なお、魔晶石は東から来るばかりではない。西からも届けられていた。
「はい、こちらがウラド王太子シュクリス殿下にお届けするようにご依頼のありました魔晶石です。どうぞご確認の上で受け取りにご署名を」
と納品書をレアルトラに差し出すのはサンタッハという商人である――彼はモイ=トゥラに拠点を置くムーマ人の商人だった。
ムーマ人を前にして条件反射で殺意に満ちるレアルトラだが、それに蓋をして抑え込む。レアルトラは無言のまま羊皮紙の納品書を受け取り、それにサインをした。
「はい、ありがとうございます」
レアルトラから納品書を受け取ったサンタッハがにこやかに応える。レアルトラは訝らずにはいられなかった。
「王太子シュクリスを信用しないわけではありませんが……この後、あなたがモイ=トゥラの総督府に駆け込まないという保証は?」
「保証は何もありませんが」
サンタッハは堂々と胸を張り、
「信用していただく他はありませんな、王太子シュクリスを。そしてこの私めを」
レアルトラが全てを見抜かんとする目をサンタッハへと向け、サンタッハは笑顔でそれを受け止める。しばしの時間が流れ、レアルトラは小さなため息をついた。
「……よろしいでしょう。ムーマ人は到底信用なりませんが、王太子シュクリスは別です」
「ありがとうございます」
サンタッハは深々と頭を下げた。サンタッハは実は内心大量の冷や汗を流しているのだが、彼は意志の力でそれを抑え込んでいる。
「我が商会は今後とも王女殿下と良好な関係を保っていきたいと思っております――春以降も」
サンタッハはそう言い残して北へと去っていった。……この後、シュクリスやサンタッハの紹介で他にもいくつものムーマ人商会が王都を訪れ、魔晶石を置いていった。また同時に彼等はレアルトラの下を出入りするようになる。




