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水の国へ愛をこめて  作者: 亜蒼行
烈風篇
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第二八話「王都への帰還」その2

 カアーナ=マート王城、レアルトラの執務室。今、そこで七斗はソファに座り、レアルトラと向かい合っていた。執務室にいるのは他に、七斗の側にはアン=アロールとアルデイリム。レアルトラの背後で仁王立ちしているのはジェイラナッハだ。

 再会の喜びの余韻に浸る時間もなく、七斗達は過酷な現実に立ち向かうことを余儀なくされている――レアルトラはマグマのように暗く熱い怒りを湛えていた。


「……その、王女様」


 アン=アロールは七斗の横に座っていて、怯えた彼女は七斗にすがりついている。それがさらにレアルトラの怒りの炎に油を注いでいるかのようだった。


「あの、王女様……ミデに対して怒るのは当然ですけど、この子は家族も故郷も捨てて僕達の脱出に協力してくれたんです。だからこの子のことは……」


 屠殺場の豚を見るよりも冷たい目でアン=アロールを睥睨していたレアルトラだが、やがて彼女から視線を外して深々とため息をつく。そのときにはもう先ほどまでの殺気が嘘のように霧散していた。


「……『導く者』には死んだふりをしてもらい、ムーマの目の届かないミデで戦争準備を進める――兄と公爵グラースタの策略には確かに大きな効果がありました。……ですが、一言の断りもなく勝手に進めておいてわたしには事後承諾を迫るだけ。わたしに割り振られたのはムーマに媚びを売って油断を誘う役……わたしは少しくらい怒ってもいいと思いませんか? ナナト様」


 拗ねたようにそう言うレアルトラに、七斗は「もちろんです」と大きく頷いて見せる。だがその上で、


「でもその怒りは公爵グラースタに向けるべきなんじゃ……」


 と諫めることは忘れなかった。


「わたしがナナト様を奪還したことを知った公爵はすぐに和解を申し入れに来ました。『ミデはムーマとの戦争準備に全面協力する』と」


 公爵グラースタが通信魔法により七斗の脱走を知らされたとき、どのように反応したかは伝えられていない。おそらくはアン=アロールやクレーフトのことを散々に罵ったのだろう。そして、その後は政治的損失を最小限に留めるべく知恵を絞ったはずであり、その結論が「レアルトラに和解を申し入れる」というものだったのだ。


「今の王女にミデと敵対する余裕があるはずもない。こちらが低姿勢を見せさえすれば王女は私を許す他あるまい」


「ムーマとの戦争は避けられないが、オルゴールがあろうと今のままでは勝つのは至難だ。指揮や責任は王女に押し付けるのが得策だ」


 もしかしたらグラースタは「アン=アロールが『導く者』を逃したのは結果として悪くない判断だった」とも思ったかもしれない。

 グラースタがどのような思惑で和解を申し入れてきたのか、レアルトラが推測するのは大して難しくはなかった。今はその思惑にそのまま乗るしかない、と理解することも。


「今は戦争準備を進めることが最優先であり、和解の条件はわたし達にとっては願ってもないものです。公爵に対する怒りは棚上げにするしかありません。……わたしはこれでもミデに対する怒りを精一杯抑えているのですよ?」


 そう言うレアルトラに対して「判ります」と頷いたのはアン=アロールである。


「王女殿下のご寛恕には感謝の言葉もありません。ぼくはミデの未来に関して父とは違う思いを抱いていて、それがぼくがナナト君と一緒にここにいる理由です。……ですがそれも、コナハトがこの危機を脱しないことには画餅でしかありません。ミデを離れたぼくには大したことはできませんができるだけのことはしますし、少なくとも殿下の邪魔は絶対にしません」


 アン=アロールは告げるべきことを告げ、レアルトラと正面から対峙する。レアルトラは槍のように鋭い視線をアン=アロールへと向け、アン=アロールはきつく口をつぐんでそれに対抗した。


「……当面、あなたやミデに対して何をするつもりもありません。とりあえず今、あなたに求めるのはわたしの精神衛生に対する配慮くらいのものです」


 アン=アロールは「判りました」と言って立ち上がる。レアルトラの呼んだ侍女と衛兵がアン=アロールを連れてその執務室から去っていく。七斗はそれを心配そうに見送った。


「ご心配なさらず、『導く者』。王位継承権も有している王子グロールをこの城の者が粗略にするはずもありますまい。ただ、少しばかりの不自由は許容してもらわねばなりませぬが」


 とジェイラナッハが言い、七斗は、


「それは判りますし、あの子も判っていると思います」


 と頷いた。その二人に、


「今はあのような者にかまけている時間はありません」


 とレアルトラが厳しく言う。七斗は鞭打たれたように背筋を伸ばした。


「ナナト様の発明したオルゴールがあれば邪悪魔法を封じ込めることができる、コナハトはムーマと対等以上に戦うことができます。モイ=トゥラの奪還も決して絵空事ではありません。――ですがそれも、全軍、全部隊にオルゴールを行き渡らせることが前提です」


 レアルトラの確認にアルデイリムが、ジェイラナッハが頷く。


「この標準型のオルゴール一台で数マイル四方のあらゆる魔法を封じることができます。故障したときのことを考えても一つの戦場にオルゴールが二、三台あれば充分ではないかと」


 アルデイリムの説明にレアルトラは「素晴らしい発明です」と目を輝かせた。


「オルゴールを何台用意する必要が?」


「最低でも一〇〇〇台」


 七斗の問いにジェイラナッハが端的に答え、七斗は「それは……」と言ったきり絶句した。


「オルゴールが一台あれば一つの戦場を支配できます。本当にそれだけの数が必要なんですか?」


「お主とてモイ=トゥラの広さを知らぬわけではあるまい」


 横で聞いている七斗が頭の中でこの大陸の地図を広げる。モイ=トゥラと呼ばれる範囲には日本列島のうち青森から鹿児島までをそのまま収めることが可能だった。面積で言えば日本全体の四倍にも五倍にもなるだろう。


「我々の侵攻が進めばモイ=トゥラ全土のコナハト人が一斉蜂起することになろう。本当なら一〇〇〇台どころでなく、二〇〇〇でも三〇〇〇でもほしいところなのだ」


 ジェイラナッハの説明にアルデイリムも反論の余地がない。そのまま沈黙が執務室を包み込んだ。少しの間を置いてレアルトラがそれを破る。


「……一〇〇〇台のオルゴールを作製するのに必要な職人の数は? 期間は?」


「必要な資材は全て揃っているとして……おおざっぱに言って職人一人で一ヶ月」


 アルデイリムは苦渋に満ちた様子で返答する。しかもそれは、可能な限りの分業や部品の共通化を進めた上で、最も理想的な条件で作製する場合の話なのだ。本当なら「職人一人で二ヶ月」の時間はほしいくらいである。


「コナハトとミデが力を合わせて、国中から職人を集めるとして、何人の職人を用意できますか?」


「すでに集められるだけの職人を王都に集めております」


 七斗の問いに答えるのはジェイラナッハだった。


「職人だけでなく、魔道兵のうち手先の器用な者を集めて魔晶石加工の技術を叩き込んでおります。魔道兵の半数をこの任務に当たらせる予定です。さらには『手先が器用』と評判の者を国中からかき集めて、職人を指導に当たらせております。半人前でもそれ以下でも、三、四人集まれば一人分の仕事ができるのであれば、と」


「それで、何人の職人を用意できそうですか?」


「三〇〇……いや、四〇〇人は」


 ジェイラナッハはまるで絞り出すように言う。それが無理に無理を重ねた数字であることは確認するまでもないことだった。


「職人が四〇〇人いるなら二ヶ月半で一〇〇〇台。一応は冬の間に一〇〇〇台を用意できますが、それも必要な資材が全部揃っての話です。銅線や磁石はミデに用意させるとしても、最低でも必要な魔晶石が一万三千個。品質不良や調整の失敗もあるでしょうからその分余裕を見るなら、できれば二万は……」


「少しずつ買い集めておったのですが……」


 アルデイリムの指摘にジェイラナッハはそう言ったきり沈痛な顔で口を閉ざす。今レアルトラの手元にある魔晶石の数は百にも届いていなかった。魔晶石が決して安価なものではないことは七斗も知っているが、二万もの魔晶石を買い集めることがコナハトの財政にとってどれだけ無理難題なのかは判らない。だが判らないことは判るので七斗にできるのは口を挟まないことだけだった。

 執務室が静けさで閉ざされた。聞こえるのは誰のものか判らない、重苦しいため息だけである。あるいはそれは全員のものかもしれなかった。


「オルゴールがあればムーマに勝てる」


 それは間違いのない事実である。だが乗り越えるべき壁はあまりに高く、厚すぎる。しかも壁は一枚だけではないのだ。まるで前後左右を分厚い壁に閉ざされているかのように息苦しい。四方の壁は少しずつ動き、狭まり、七斗達へと、コナハトへとのしかかり――遠からず押し潰すことだろう。


「大将軍ジェイラナッハ」


 ――不意に、レアルトラが老将の名を呼ぶ。ジェイラナッハは「は」と短く応え、背筋を伸ばした。


「王命を下します。全権特使としてラギンに赴き、ラギン国王と交渉しなさい。ラギンから支援を引き出すのです」


 レアルトラが交渉に当たっての条件を列挙し、ジェイラナッハは「そ、それは」とだけ言って絶句する。それは七斗やアルデイリムも同様だった。











 王命を拝したジェイラナッハはその日のうちに準備を終えて、翌日にはラギンへ向けて出立した。レアルトラは王都に残り、オルゴール量産のためのあらゆる手配を進めている。


「銅線や磁石の集まり具合はどうなっていますか? 公爵グラースタに連絡を」


「木材が足りません。商人を王城に招集しなさい。他に必要な材料は……」


「職人も……頭数だけは揃ってきましたね。材料が揃うまで今しばらくは後進の指導に当たらせなさい」


「オルゴールが必要数用意できたなら即座に全軍を北上させます。春までに全軍を王都に集結させるのです」


「国境の封鎖状況はどうなっていますか? ……それでよろしいです。ムーマの間諜をコナハト国内に入れないためです。国境を越えようとする者は何人であっても斬りなさい」


 レアルトラは寝る間もないくらいの忙しさであり、それはアルデイリムも同様だった。アルデイリムの仕事は春までに一〇〇〇台のオルゴールを揃えること、そのために必要な全てである。各種資材、機材の手配、職人の手配や指導に至るまで、全てにアルデイリムの采配が必要だった。七斗はアルデイリムの補佐として主に職人の指導に当たっている。七斗もまた忙しい毎日ではあるのだが、アルデイリムの仕事ぶりを思えば口が裂けても「忙しい」等とは言えなかった。


「……ともかく、魔晶石が集まらないことには話になりません」


 アルデイリムは寝不足で充血した眼をレアルトラへと向ける。レアルトラは頭痛を和らげようとするかのように眉間を揉んだ。


「判っています。魔晶石についてはウラドに協力を仰ぐために特使を派遣したところです」


「ウラドに?」


 とアルデイリムが驚く。コナハトとラギンが同盟関係にあるのと同様に、ムーマとウラドは協力関係にある。レアルトラはそのウラドに助力を求めようというのだ。


「ウラドの王族には伝手があります。あの者のあの性格なら面白がって協力してくれると思うのですが……」


 頼りなげな口調と独白の内容にアルデイリムは一筋の冷や汗を流した。


「それで、誰を特使として?」


 アルデイリムの問いにレアルトラは目を逸らして、


「……本人が、自分がやると言ってきたのですから」


 とやや気まずそうに言い訳した。

 ――そんなわけで、特使を拝命したその人物はウラド王都に向かって移動中だった。ミデの誇る高速船が最大速度で波を切り裂き海を進んでいる。


「全くあいつは……だから軍以外でも人材を育てておけと言っていたのに」


 そううそぶくグリーカスの口調には、妹に対する愛情が隠しようもなくにじんでいた。だが今それを耳にする者は一人もいない。

 コナハトという国は数多くの問題点や弱点を抱えているが――むしろ強みと言える箇所が一つか二つしかない状態なのだが――「人材の乏しさ」はその中でも最たる弱点の一つだった。人材という資源が慢性的に不足しているコナハトはその大部分を軍事面に投入していて、このため指揮官や将軍についてはそれなりの駒が揃っている。その一方で割を食っているのが内政・外交といった方面だった。

 もちろんレアルトラも人材不足には常々悩んでいて、ジェイラナッハも後進を育てるべく努力はしていたのだが、どうしてもそれは後回しになりがちだった。それでも中堅クラスにはそれなりの人材を何とか揃えてはいるのだが……問題は能力よりも「格」である。内政はひとまず置いておいて、他国との外交・交渉においては能力だけがあればいいと言うものではない。

 例えば今回の交渉において、ウラド側が王族の誰かを交渉に当たらせるとして、それに対するコナハトの外交官がその他大勢の中の、無名の官僚の一人――果たしてそれが許されるだろうか? その官僚が能力的には何も問題ないとしても、果たしてまともな交渉になるだろうか? ウラド側がコナハト側を軽侮し、適当にあしらわれて終わる……そうなるのが目に見えている。

 交渉相手に侮られないだけの格、肩書き、実績――そう言ったものが絶対に必要となってくる。コナハトはその面で特に人材が払底しているのだ。ウラドには何十人もの王族がいてそれぞれ国王を補佐しているし、千年を超える歴史を持つ大貴族が掃いて捨てるほどいる。たとえ本人がボンクラであったとしてもその肩書きは無視していいものではない。

 一方のコナハトは元々平民と貴族の距離が近い上に、その貴族階級がほぼ壊滅している。貴族という意味で充分な格を有しているのは公爵グラースタくらい。これまで積み上げてきた実績でそれに勝るとも劣らない格を手にしているのは大将軍ジェイラナッハくらいのものである。そして王位継承権第二位を持ち、実績はたかが知れていても二〇代半ばの年齢に達しているグリーカスは、ウラドが誰を出してこようと見劣りしないだけの格を(一応は)有していた。

 ウラドとの交渉に誰を当たらせるか頭を痛めていたレアルトラに、グリーカスが自ら「自分がやる」と言い出してきたとき、レアルトラはグリーカスの思惑を邪推してさらに頭を悩ますこととなった。だが結局は、


「……今、この期に及んで、コナハトが不利になるような真似を兄上がするはずもありません。兄上は単に実績をほしがっているだけなのでしょう」


 その理由が「レアルトラに対抗するため」であったとしても、そのくらいは許容範囲内だし、何より他に適当な人間がいない。こうしてレアルトラはウラドとの交渉をグリーカスに委ねたのだ。

 グリーカスのいたミデからウラド領まではわずか数マイルだが、そこから王都エヴィン=マハに至るまでは一〇日以上の時間が必要だった。始祖暦二五〇一年ルーナサの月(第一〇月)の上旬、グリーカスはウラド王都エヴィン=マハに到着する。

 王城に案内されたグリーカスは儀礼的な挨拶や歓迎の晩餐会やパーティにその日一日を費やした。祖国の現状を思えば可及的速やかに交渉に入りたいところだが、足下を見透かされるわけにはいかない。内心の焦りや苛立ちに蓋をし、グリーカスはゲストとしての立場に徹し切る。無意味無駄無為の極みのようなパーティをグリーカスは笑顔で楽しんで見せた。

 そしてその夜。

 迎賓館の一室で一人となったグリーカスはようやく一息ついている。冷水を飲み、テラスで夜風に当たって酔いを覚ましていた。

 そこに「グリーカス様」と名を呼ぶ声。グリーカスの秘書兼護衛兼腹心兼愛妾のメアルタハの声である。


「なんだ?」


「はい。ウラド王太子シュクリス様がお見えになっていて……グリーカス様にご挨拶がしたいと」


 こんな時間に、と思わないでもなかったが、王太子シュクリスと言えばレアルトラから指示を受けた交渉相手そのものだ。交渉には一日でも早く入るに越したことはなく、グリーカスは喜んでシュクリスの申し出を受けることとした。

 ……それからしばらくの後、迎賓館のテラス。テラスには小さなテーブルと椅子が二脚置いてあり、その席には二人の男性が着いていた。冬の満天の星空の下、グリーカスは冷水で酔い覚ましをし、シュクリスは小さなボトルに入った酒をそのまま呑んでいる。

 両者が無言のまま、短くない時間が流れ去った。シュクリスが何を考えているのか、何のためにここにやってきたのか、グリーカスには想像もつかない。何をどのようにして交渉の糸口にするか、ずっと思い悩んでいる。グリーカスの脳裏で木霊のようにくり返されているのは、レアルトラのアドバイスだ。レアルトラは王太子シュクリスを交渉相手とすることと、交渉に当たっての忠告をグリーカスに伝えていた。


「あの者相手に下手な小細工をするべきではありません。率直にこちらの要求をぶつけた方がいいでしょう」


 それで失敗したらどうするんだ、とグリーカスは内心で妹を罵った。だがグリーカスは妹のその忠告以外に交渉の指針など持っていない。散々迷い、躊躇い、時間を費やしながらも、グリーカスはついに意を決した。


「――魔晶石を二万個、ご用意いただきたいっ……!」


 ついに言った、とグリーカスの全員から冷や汗が吹き出る。言った後になって「同じ要求をするにしてももっとマシな言い方があったのに」と後悔が脳内で渦を巻いた。グリーカスの心が高速回転する後悔の渦に巻き込まれ、絶望の底に沈み込もうとしていたそのとき、


「期間は?」


「……え?」


「いつまでに用意したらいいのかと訊いている」


 何を問われたのかグリーカスの意識は理解していない。だがその身体は反射的に「一ヶ月」と用意された回答を伝えていた。それを聞いたシュクリスが面白そうににやりと笑う。


「いいだろう、用意してやろう」


「……え」


 自分が要求を提示し、相手がそれを呑んだ――言葉のやりとりだけを取り上げれば他に理解のしようがないが、グリーカスの理性はそれを受け入れられなかった。


「あまりに都合がよすぎる。夢でも見ているのではないか。あるいはこれは王太子シュクリスの質の悪い冗談ではないのか」


 とグリーカスは真剣に疑っている。そのグリーカスを、その疑念を放置したままシュクリスが立ち上がった。


「邪魔をしたな」


 それだけを言い残したシュクリスがテラスから立ち去っていく。グリーカスはその背中を惚けたようになって見送ることしかできなかった。




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