第二三話「ラハーダンの戦闘」その1
モイ=トゥラ内、コナハトの旧王都クルアハン。その中の鉄杖党や総督府高官が集まって住んでいる地区。建ち並ぶ邸宅はどれも広い庭と敷地を有する、豪奢なものばかりである。その中の、敷地の広さは中程度、上品ではあるが豪華さは控えめなその邸宅がインティーヴァスが家族と住む家だった。
「お父様」
帰宅したインティーヴァスをスィールシャが待ち構えていたが、インティーヴァスの目には最愛の娘の姿が入っていないようだった。スィールシャがインティーヴァスの前に立ちふさがって、ようやく娘のことに気がついたような様子である。
「お兄様が、総督エイリ=アマフが解任されて本国に召還されたとは、どういうことでしょう? お兄様に何があったのでしょうか?」
婚約者の身を案じるスィールシャだが、インティーヴァスは煩わしげにスィールシャを振り払うだけである。
「心配するな、仮にも第二王子だ。しばらくは冷遇されるだろうが、それだけのことだ」
それだけを説明し、インティーヴァスは再び自分の思考に没頭した。
「王子が私に後事を託したのだ、何とかして使節船団を止めなければ……だがどうやって」
インティーヴァスは巡らせる思考を口に出していることにも気付いていない。それをスィールシャがすぐ近くで全部聞いていることも視界の外だった。
「使節船団を止めなければ大変なことになる。コナハトと戦争になる」
スィールシャが把握できたのはそこまでである。使節船団が何をしようとしているのか、何がどう大変なことになるのか、そこまでは判らない。だが、婚約者と父親のことを愛している、善良で温厚な少女が行動を起こすにはそれで充分だった。
「……ですが、何をすればいいのでしょう?」
スィールシャよりずっと広い権限を持ち、多くのコネを有しているインティーヴァスですら手をこまねいているのだ。ただのお嬢様のスィールシャにできることなど、ほとんど何もないだろう。少女にできるのは、
『……お父様とお兄様のために、わたしに何ができるのでしょう?』
信頼できる人間に相談をすることくらいのものだった。
『そうね、ここまで来て使節船団を直接止めるのは難しいかもしれない』
『ですが、何とか止めないとムーマとコナハトがまた戦争になってしまいます。多くのコナハトの民が無為に生命を落とすことになるでしょう』
スィールシャが通信魔法により相談をしているのは、クラバイラという名のウラド貴族の令嬢だった。ウラド貴族やムーマの鉄杖党幹部等、社会的地位の高い家は様々な必要に迫られて通信魔法の使える魔道士を雇っている。逆に言えば「通信魔法を使える魔道士を独自に所有している」ことがステータスの一つでもあるのだ。そしてそのような良家の令嬢同士が通信魔法でおしゃべりに興じるようになるのもある意味必然である。
「高い金を出して魔道士を雇っているのは流行のドレスについてしゃべらせるためではない」
とインティーヴァスのような各家の当主は苦い顔をするのだが「おしゃべりに加わらなければ社交界で爪弾きにされる」と愛する娘に涙ながらに訴えられれば通信魔法の私的利用も黙認するしかないのだった。
『止められるかどうかは判らないけど、こうしたらどうかしら』
とクラバイラは前置きし、このような提案をした。
『「ムーマが何か企んでいる、使節船団を止めないと大変なことになる」――それを貴女の知り合い全てに言い広めなさい。その知り合いは自分の知り合いにこの話を広げるでしょうから、そのうち大陸中にこの話が広がることになる。そうなったら、ムーマにやましいところがあるのならその陰謀を取り止めにするんじゃないかしら』
なるほど、と頷くスィールシャ。だが、
『でも、その話を言い広めたのがわたしだと判ったなら、今度はわたしや父が処罰されるかも』
『大丈夫、「これはここだけの話だけど」と付け加えておけばいいから。「ここだけの話」をどこまで広げるかは聞いた人達の責任でしょう?』
『そういうものなのでしょうか?』
『そういうものなのよ』
クラバイラが力強く断言したこともあり、結局スィールシャはそのやり方を採用することにする。
『ありがとうございます』
『いえ、構わないわ。わたしも「ここだけの話」を信頼できる知り合いだけにしておくわね』
スィールシャはクラバイラとの通信を切断するが、その直後に他所からの通信が入ったことを知らされた。スィールシャに通信しようとしているのは知り合いの、ゴシップ好きな某令嬢だ。
『王子エイリ=アマフがモイ=トゥラ総督から解任されたそうですわね? 一体何があったんですの?』
普段のスィールシャな、眉を顰めて早々にその通信を打ち切るところだが、今日ばかりは違っていた。
『これはここだけの話にしてほしいのですが』
と前置きし、自分の知っていることを全て彼女に話してしまう。スィールシャの期待通り、彼女はスピーカーとなってモイ=トゥラ中に、ムーマ中にこの「ここだけの話」を言い広めた。貴族の令嬢の内緒話から市井にまでこの話が広がるのに、それほどの時間は要しなかった。
一方、
「それで結局、ムーマは何を企んでいるんだ?」
「さあ、そこまではあの子も知らないみたいだけど」
問われたクラバイラは肩をすくめるだけだが、問うた男は「まあいい」と納得した。
「貴重な情報を入手することができた。エイリ=アマフの婚約者に網を張った甲斐があったというものだ」
男はクラバイラの兄であるが、同時にウラドの諜報機関に所属する人間でもあった。兄の要請でクラバイラは伝手をたどってスィールシャと接点を持ち、仲を深め、頻繁におしゃべりをするまでになったのだ。
クラバイラがスィールシャから入手したその情報を、ウラドの諜報機関は決して軽視しなかった。
「これをどうする? コナハトに知らせて恩に着せるのか?」
「そこまでする義理があるか?」
「だが、王太子シュクリスはコナハトとの関係を深めようとしている。今このときも王太子の使者がコナハトを訪問しているところだろう」
「それなら王太子に報告して判断と対応を任せたらどうだ?」
それが結論となり、コナハトを訪問中のウラドの使者にその報告がもたらされる。そしてそれは即座にコナハト側に、レアルトラへと伝えられた。
「ムーマの使節船団に疑義あり。コナハトへの入国を阻止されたし」
その報告を受けたレアルトラが逡巡したのはほんの数秒のことだった。
「使節船団は国境で留め置きなさい。わたしが国境まで出迎えます」
レアルトラは征旅の用意をし、次の日には王都カアーナ=マートを出立した。同行するのは騎兵ばかりが百足らず。生まれたばかりの息子は乳母に預けている。レアルトラ自身も騎馬に乗り、最速で国境目指してひた走っている。
「大丈夫ですか? 王子グラン」
「ああ、問題ない」
一日の行程が終わる頃にようやくレアルトラはグランに声をかけた。グランは今にも倒れそうになっていたが、見栄と気力だけで平静を装っている。グランは遠征騒ぎを聞きつけて強引に出迎えの旅に加わっていた。
「ムーマの使節に疑義とは何のことだ?! 僕と王女レアルトラの婚姻によりムーマとコナハトは永遠の友誼を結んだのだ、それに何の疑いを差し挟むのか!」
猛抗議をするグランに対し、彼を構う時間も惜しんだレアルトラが「自分の目で確かめればいい」と同行を許したのだ。出迎えの遠征は行軍速度の限界に挑戦する強行軍であり、グランにとっては付いていくので精一杯だった。休憩時間は死んだようにぶっ倒れていて、レアルトラに対して話しかける体力も残ってない。
「静かで結構なことですわ。このままで旅が続けばいいのですけれど」
とレアルトラは思っていたのだが、あいにくその期待は叶えられなかった。
「あははは! なかなかの騎士ぶりではないか、王女よ!」
レアルトラにやたらと話しかけてくるのはカールジャスと名乗っているウラドの使節である。同行を許した覚えもないのに彼は護衛と共に勝手に付いてきて、なし崩し的にレアルトラの一行に加わっていた。
「ムーマの使節に疑義と知らせたのは俺だろう? それが真実にしろ嘘にしろ、俺にはそれを見届ける義務があるというものだ」
「確かに、万一何かの間違いだった場合はあなたの首をムーマに差し出しましょう」
レアルトラの物言いにカールジャスと名乗った男は爆笑した。こうしてその男の同行を許したレアルトラだが、やがてそれを後悔したくなった。
「これほど凛々しく美しい姫騎士は大陸中探しても二人といないだろうな!」
「ありがとうございます」
と言いつつもレアルトラはカールジャスと名乗るその男に辟易する。その男がまるでレアルトラを口説くような口を利くのを見とがめ、グランが間に割って入った。
「どうやらウラドの人間は他者の妻に対する口の利き方を知らないらしい」
だがグラン程度に怯むようなその男ではない。男はひとしきり笑って、
「ものを知らんな、坊主。人妻だからこそ美しいのだ、人妻だからこそ口説くのだ!」
と拳を握って力説した。グランは呆れてものも言えないような様子ではあるが、それでも黙っているわけにはいかなかった。
「僕の妻と判っていながらこのような態度を……ウラドはムーマと戦争をするつもりがあるとでも?」
「父親に泣きつくつもりか? 『自分の女が寝取られました』と」
男がにやにやと笑ってそう言い、グランは「貴様!」と一瞬で激高した。
「寝取った寝取られたなんぞウラドの貴族社会では日常茶飯事だ。男なら自分自身の魅力で女をつなぎ止めてみせるがいい」
剣を抜きかけるグランだがぎりぎりでそれを自制する。その後もカールジャスと名乗った男がレアルトラを口説くような素振りをし、グランがそれを邪魔し、男にやり込められることが続いた。気がつけばレアルトラはほったらかしとなり、グランはその男とばかり口論をしている。
「おかげで心安らかに過ごせますが、あの者はまさかこれを意図して……」
レアルトラがその男へちらりと視線を送る。
「人妻であれば自分の立場をわきまえて一夜の遊びと割り切る者が多いのだがな、中にはそうでない者もいるし、旦那の方にも浮気を許さん者がいる。こっちは別れ話がこじれたときに斬りつけられた傷。こっちは旦那の方に決闘を申し込まれて受けた傷だ」
戦場帰りの兵士のように、男はそれらの「名誉の負傷」をグランに誇示。グランも「それは自慢になるのか?」と呆れている。
少し考えたレアルトラは「気のせいだろう」と結論づけた。




