表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水の国へ愛をこめて  作者: 亜蒼行
凍土篇
13/69

第一二話「囚われの七斗」その1

 場所は王都カアーナ=マート、その一角のミデ公爵邸。さらにその中の客間である一室――七斗にはそこまでは判らないが、自分の身柄を握っているのが公爵グラースタであることは自明だった。


「一体どういうつもりで……ムーマの魔道兵に味方を襲わせたのもあなたなんですか」


「いや、まさか。そこまではしない」


 七斗の詰問に対し、グラースタは薄笑いを浮かべつつ返答する。実はグラースタは非常に上機嫌でかなり浮かれているのだが、七斗がそれを知る由もなかった。


「私は掴んでいた情報を最大限利用しただけだよ」


 とグラースタは言うが、七斗にはそれは疑わしく思われた。ムーマの魔道兵がコナハトの奥深くに侵入するのを、直接の関与はせずとも間接的には手助けした、くらいのことはしていそうだ。


「僕をどうするつもりです? 王女様は今……」


「君は今死んだことになっている。王女レアルトラはそれを公式に発表した」


 ムーマの襲撃により「導く者」ナナトが暗殺される――その知らせは速やかにコナハト全土に、モイ=トゥラに、そして大陸中に広がった。コナハトとモイ=トゥラの民の絶望がいかばかりか、想像するに余りある。


「そんな……」


 七斗は顔を青ざめさせた。レアルトラがどれほどの苦難と絶望を背負ってこの一〇年を生きてきたのか、どれだけの切望と重圧を一身に受けて「導く者」を召喚したのか、七斗はその片鱗を知っている。その唯一の希望を喪ってしまったと思い込んだなら自殺をしても不思議はないだろう。七斗がレアルトラの立場ならまず確実に自殺する。


「早く王女様のところに戻らないと」


「あいにくだがそれを認めることはできないな」


 七斗は殺意を込めてグラースタを睨むが、グラースタはその程度でほんのわずかでも怯むような人物ではない。薄笑いを浮かべるだけのグラースタに七斗は苛立ちを深め、舌打ちした。


「このまま放っておいたら王女様が……王女様を死なせて、自分の息子をその代わりにするつもりですか」


「確かに王女レアルトラが自死するのは私にとっても不都合だが、大丈夫。彼女の下には最愛の兄を向かわせた」


 あの男を?と七斗は言葉にはせず、口の形だけでそれを問うた。


「王子グリーカスの説得に応じて王女レアルトラも自死は止めたそうだ。彼女にはこの国のために果たすべき役割があるからね」


 七斗は視線で続きを促し、グラースタは得々とそれを語った。


「私は王子グリーカスからムーマとの和平交渉の再開についてすでに命令を受けている。『導く者』が死んでしまってはコナハトがムーマと戦う力など持ちようがない。これでムーマがそれなりに寛大な条件を出してくれるなら和平は成立するだろう。だがムーマとしても無償でそんな条件を出すわけにはいかない……だが王族同士が婚姻するならば、どうだ?」


 七斗は「まさか……」と目を見開いた。


「今のムーマには適当な王子が何人もいる。それと王女が婚姻を結べばコナハト王家とムーマ王家は縁戚だ。寛大な条件で和平を結ぶ理由になる」


 ではムーマ側にはこの婚姻にメリットがあるのか? もちろんある。もし王配となる者がとびきり有能であるなら、彼はコナハト内で王配としての政治力と影響力を最大限駆使し、コナハトをムーマに従順な属国に変えてしまうだろう。仮にどうしようもない無能であっても、優秀な部下を付けておけばコナハトの内情を筒抜けで知ることができるのだ。

 七斗の中で怒りが燃え上がった。レアルトラを、彼女が死ぬほど憎むムーマに身売りさせようというのだ。何ヶ月もレアルトラの身近にいて、少なからず好意を抱いていた七斗はレアルトラのために怒った。


「あの人になんて真似を……あの人がムーマをどれだけ憎んでいるか知らないはずがないのに」


「当然知っている。だがその程度の個人的好悪を制御できずにいてどうして王族を名乗れるかね? 国のためなら身売りをするのも王女の役目の一つだよ」


「国のため?!」


 七斗はついに激発した。


「ムーマに媚びを売って、ムーマに身売りして、ムーマの王子をコナハトに引き入れて! それのどこが国のためなんですか! コナハトを永遠にムーマの奴隷にするつもりですか?!」


「もちろんそんなつもりはないさ。ムーマはいくら何でもやり過ぎたし、コナハトは今のままでは支配する価値もない。最低限、モイ=トゥラは奪還させるつもりでいる」


「どうやってですか」


 という七斗の問いにグラースタは当たり前のように答えた。


「そんなの、君がやるに決まっているだろう」


 七斗は少しの間唖然とする。それに構わずグラースタは続けた。


「君の研究は大分形になっているのだろう? 君は我がミデで研究を続けてムーマに対抗する方策を実現する。それが確立したなら公爵家が総力を挙げて対ムーマの戦争準備をしよう。そして準備が整ったなら、我が娘が『導く者』を召喚する」


「『導く者』を?」


「ああ。――王女レアルトラが召喚した『導く者』は偽者だった。三、四年後に王女エイリー=グレーネが召喚する『導く者』こそが本物だ――そんな噂を流している。君がその本物の『導く者』となるのだよ」


 七斗は怒りを爆発させそうになるが、歯を食いしばってそれを塞き止めた。


「王女レアルトラをムーマの王子に縛り付けて影響力を削ぐ一方で、自分の娘に『導く者』を召喚させて救国の英雄に仕立てて……そのままあなた達の主導でモイ=トゥラを奪還してしまえばその功績は無二のものだ。王女レアルトラだろうと誰だろうとあなた達には誰にも逆らえない。そうやってこの国を自分のものにするつもりですか」


 七斗の問いにグラースタは何も答えず、ただ微笑むだけだ。だがその態度は「そうだ」と答えているのと何一つ変わらなかった。











 始祖暦二五〇〇年モールタの月(第五月)、その月末。レアルトラが「導く者」の死を公式に認めて数日が経過した。事態はレアルトラの想像した通りに推移している――つまりは限りなく最悪に近いということだ。

 コナハトとモイ=トゥラには悲嘆と慟哭と怨嗟が広がった。軍はジェイラナッハが抑えているのでグリーカスが心配したような「自殺まがいの突貫」という事態は避けられそうである。だが自殺者の数は急速に増えていた。コナハトという国やその宮廷に見切りを付けて去っていく者も。

 執務室でジェイラナッハから報告を受けたレアルトラは陰鬱なため息をついた。


「この国を見捨てるだけなら別に構いません。いつか戻ってきてくれればいいのですから。ですが自殺されては戻ってきようがないではありませんか」


 はい、と頷くジェイラナッハ。


「王女エイリー=グレーネが本物の『導く者』を召喚する――あの噂は広がっているのでしょう?」


「はい。ですがあまりに突飛で、信じられないのでしょう」


「わたしが何らかの形でその噂の後押しをするべきでしょうか……」


 と考え込むレアルトラ。そんなレアルトラのことをジェイラナッハはじっと見つめた。


「――何か」


「姫様、その……よろしいのでしょうか。このままグラースタの思い通りに……」


「業腹ですが、ムーマの油断を誘うには確かにこれが最善です」


 とレアルトラは感情を圧し殺して答える。


「それに、ムーマとの戦争準備でどれだけの予算が必要となるか、頭が痛かったところです。ミデがそれを全てやってくれるというのなら喜んで任せようでありませんか」


 レアルトラは黒い笑みを見せ、ジェイラナッハは王女の成長に冷や汗を流した。


「……『導く者』はいつでも奪還できるのでしょう?」


 その確認にジェイラナッハは力強く「は」と頷く。


「グラースタの周囲には我々の協力者を何人も潜り込ませております。必要とあらば今すぐにでも『導く者』を奪還して見せましょうぞ」


「今はまだそのときではありません」


 レアルトラは血が出るかと思うほどに拳を握り締めた。


「公爵グラースタ。今しばらくはお望みの通り、ムーマに媚びでも身体でも売って見せましょう。それがコナハトの勝利につながるのなら、身体を売るぐらいが何だというのです。戦争準備が整った、そのときこそ……!」


 レアルトラの黒い瞳が輝く。その瞳の奥では漆黒の劫火が何もかもを焼き尽くさんとしていた。











 月は変わって、始祖暦二五〇〇年エーブレアンの月(第六月)、その下旬。七斗の身柄が公爵グラースタにより確保されてからすでに一月が経過している。崖から転落したときに作った怪我はもうほとんど治癒していた。――ただ一つ、


「どうして……どうして」


 七斗の両足は全く動かない。背中の、ちょうど鳩尾の反対側に当たる場所。そこにできた傷は表面上は治っている。だが脊椎の中の傷はまだ治っていない――そしてもう治らない。

 崖から落ちたときか水に流されているときかは判らない。何にぶつけたのかも判らない。だが何かにその場所を強くぶつけ、脊椎を損傷したのだろう。下半身の機能全てが喪われたわけでなく、両脚の皮膚感覚は残っている。だが、それだけだった。一メートルだって自分一人では移動できず、介助者がいなければトイレに行くこともままならない。以前のように尿を我慢することも難しくなり、つい以前の感覚でいると小便でベッドを汚すことになるのである。

 今また七斗はベッド脇の溲瓶に手を伸ばすが間に合わず、ベッドを汚してしまったところだった。上半身を起こして痴呆になったかのように呆然とする七斗。そこに、


「失礼します」


 と侍女が――ファルがやってくる。ファルは無言のまま、七斗の手の溲瓶とベッドの状況に視線を等分した。


「遠慮せずに粗相をする前に呼んでくだされば……」


 ため息とともに言われた文句に(七斗がそう感じただけで、実際のファルはもっとフラットなのだが)七斗は一瞬で激高する。


「うるさい!!」


 七斗が溲瓶をファルに投げつけ、陶器製の溲瓶はファルの胸に当たって砕けた。ある程度入っていた中身がファルの顔や服を汚す。


「誰の……誰のせいで」


 七斗は折れんばかりに歯を軋ませた。ただ佇むだけのファルだがそれも長い時間ではない。


「失礼します」


 ファルはまずシーツを新しいものに交換し、ついでに自分の顔と服を拭う。次に七斗の服を脱がせてタオルで汚れた下腹部を拭いた。


「……」


 七斗は普通程度に性欲がある一方童貞で、これまで女性と付き合った経験はなかった。そんな七斗が若く可愛い女性に密着され、下腹部を触られているのだ。本来なら男性器が目覚ましい反応をするところだが……


「くそ……くそ……」


 男性器に何らの変化もない。脊椎の損傷は男性機能の喪失をも伴っていたのである。


「くそっ、なんで……!」


 七斗はファルを突き飛ばした。ベッドに倒れるファルの上に七斗が覆い被さる。七斗がファルの服を脱がそうとし……ファルは一切抵抗せず、むしろ進んで自ら服を脱いだ。


「……え」


 七斗はファルの素肌を見、息を呑んだ。七斗はファルに背中を向かせる。背中に袈裟懸けに走る大きな傷、刀剣に斬られて創られた傷だ。


「その傷は何だ?」


 偉そうに問う七斗にファルが素直に答える。


「……一〇年前の大飢饉のときに。両親がわたしを食べるために」


「食べる?」


 七斗のオウム返しにファルは「言葉通りです」と返答した。


「大飢饉のときは本当に食べるものがなくて、食人行為も珍しいものではありませんでした。わたしの両親も自分が生きるためにわたしを食べることを選んだんです」

 七斗が受けた衝撃は小さいものではなかった。ファルの言っていることを咀嚼できず、ただ呆然としているように見える。


「……それで、どうして助かったんだ?」


「同じ集落の大人がわたしの肉を分けてもらいに押しかけてきたんです。それを拒んだ両親と集落の大人が殺し合いをはじめて、その隙に姉がわたしを連れて隠れて……結局生き残ったのはわたしと姉の二人だけでした」


 そこにたまたま通りかかった武家の人間に二人は拾われる。幸運なことにその武家は王家の信頼の厚い人間で、レアルトラの遊び相手を兼ねる侍女が必要とされたときにそこに一人くらいは押し込める立場を有していたのだ。


「姉は昔から闊達で利発な子供でしたから、王女の遊び相手として姉が選ばれたのは当然でした。わたしは今でもこうですが昔はもっとひどかったですから……」


 心を閉ざしたファルのことをその武家も正直言って持て余していたらしい。そこに登場するのが公爵グラースタである。公爵家から借金をしているのは王家だけでない。コナハトの武家で公爵家に借金をしていない家は一つもないくらいだった。その武家でファルのことを見かけたグラースタは、


「売ればなにがしかの金になるだろう」


 と利子の代わりとしてファルを掠っていってしまう。だがグラースタの狙いはファルを売って手に入るわずかばかりの小銭ではなかったのだろう。ファルと同じ顔の娘がレアルトラの側にいること、それこそが重要だったはずだ。確実に有効な札となるかは判らないが、あるいは何らかの切り札となるかもしれない――そう判断して。


「……はあ」


 七斗は深く重いため息をついた。元々男性機能が損傷している以上何をすることもできないが、気分的にも完全に萎えている。八つ当たりをする気も失せてしまっていた。


「もういい。一人にしてくれ」


「はい。ですがこれが終わってから」


 ファルは七斗に服を着せ、自分の身支度も調える。そして一礼して七斗の部屋から去っていった。残された七斗はうつ伏せとなり、大きな枕に顔を埋める。七斗の口から漏れているのが泣き声か、罵声か、あるいは恨み節かは判らない。それは大きな枕に吸収され、誰の耳にも届かなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ