面会謝絶
お正月の絵が描かれたカレンダーをべりりとめくる。切り離されていく紙の振動が安っぽい玩具のようで少し心地いい。
下から現れたのは甘ったるい色のバレンタインデーのイラスト。もう2月になったかと思うと、実感がわかない。
「…うわあ、本当にもう終わったのか…」
入試は3日前に終わったばかり。
おれはとりあえず手に入れた合格発表までの自由を手持ち無沙汰に転がしていた。
勉強しようにもやはり落ち着かないし、かといって他にやることも思いつかない。
こういう時、暇を持て余さないスペシャリストを、おれは一人だけ知っていた。
「良晴、海行こう!」
携帯が鳴り、窓を開けるように告げられ、向かいの家から顔を出したのは隣の家に住む幼馴染み。いや、幼馴染み、兼、恋人…に限りなく近い関係…?
性別は男。
「海って夏に行くもんじゃねぇの…?」
「夏は行けなかったから、今行こう!受験も終わったし!」
思いつきなのか計画なのかは分からなかったが、弥太郎は行く気満々だった。海の似合う笑顔に、一瞬季節を忘れてしまいそうになるが、顔に触れる外気が今は冬だと思い出させてくれる。
「海…海かぁ…」
自分の吐く息の白さに、首はなかなか肯定の意を示さない。
寒いのは苦手だ。嫌いだ。
家の外に出るのだってはばかられる冬に、さらに寒い場所に行くなんて勘弁してほしい。幻想の潮風が頬に当たるのを感じて、おれの背中がふるりと震えた。
しかし文句を言いながらも、頭の中には電車の路線図が広げられていた。一番近い海岸だとどれに乗ればいいんだろうと真面目に考え出してしまう。
乗り換え一回、1時間くらいで行けるかも、とルート検索を終わろうとすると、おれの返事を待ちきれなかったようで、弥太郎が目を輝かせながら口を開いた。
「ほら、自転車なら40分くらいで着くでしょ?」
「……え、自転車で行くのか?」
この寒い時期に海に行く?しかも自転車で?考えただけで寒気が走る。今も窓からの冷気が袖口から入り込んできていて、おれは衣類の隙間という隙間を縫いつけてしまいたいくらいなのに。
「いや、それはダメだろ…」
「良晴後ろに乗ればいいからさ、ね」
「そういう問題じゃなくて」
この寒さの中、自転車をこいでまで海に行く意味があるのだろうか。
「海なんてしばらく行ってないしさ、見るだけでも!」
「いや、当たり前だ、間違っても泳いだりするなよ? 死ぬから」
「泳がなきゃいいってこと!?」
「う…… うーん……」
考える素振りを見せてはいるが、これはもうほとんど決定事項だ。おれは弥太郎との根比べに勝てない。恋人云々を置いておいても、多分おれは弥太郎に甘いんだろう。
しばらく粘ってみたが弥太郎の意思は変わらず、結局、おれ達は冬の海に繰り出すこととなった。
*
風は確かに冷たいが、外は冬晴れ。
抜けるような青空の下、自転車はぐんぐんと海に向かっていた。
段差を通る度にガタン、ガタンと自転車が揺れる。荷台にまたがっているのでいつもと違う振動が伝わってきて、何かのアトラクションのようだ。
左右を林に囲まれた道路を、ひたすらに真っ直ぐ走る。舗装された道を、タイヤは滑るように加速していく。しゃーっ、と乾いた空気にゴムとアスファルトの触れ合う音が響き、時々カタカタと音を立てながら、自転車は順調に進んでいった。
「なあ」
すぐ目の前の弥太郎の背中に声をかけた。
「なにー?」
「交代しなくていいか?」
もう結構長く漕いでる。いくら弥太郎でも二人乗りでは疲れるはずだ。
「大丈夫! ああ、交代はいいから掴まっててくれると嬉しいなぁー」
後ろにも届くようにか、その声は間延びしていた。
おれは自分の座る荷台に手をかけていた。確かにこれだと、揺れた時に少し背筋がひやりとする。結構スピードも出してるし、落ちたら擦り傷では済まないだろうなぁなどとぼんやり思った。
ただ、弥太郎との距離を近づけることに、少しためらいがあった。
例えば、つい半年前までなら、きっと普通に弥太郎の服に掴まっていただろう。でも、それはただの幼馴染みだったから。今はどんな顔で、どんな気持ちで近づいたらいいのか、大した意味もなく考えてしまう。
「良晴、なぁんか難しいこと考えてるでしょー」
「はあ? 何がだよ…」
弥太郎が人の心を見透かしたように得意気に笑って、少しだけ後ろを向いて言った。
「それ、きっと恥ずかしいんだよ」
「……」
ややあって、おれは弥太郎の背中にぎゅうと抱きついた。そしてその背中にぶつけるように囁いた。
「…んなわけあるか」
夏に比べるとまだまだだが、太陽は高い位置にある。弥太郎の体もペダルを踏むたびに熱を生み出していて、くっついていると暖かい。おれの中で凝り固まっている色んなものが溶かされていく。
「よーしっ、もう一踏ん張りーー!」
弥太郎が嬉しそうにグンッと強くペダルを踏んだ。
微かにだが、磯の香りが近づいていた。
「冷たい!!」
弥太郎が当たり前のことを絶叫した。
そりゃそうだ。今何月だと思ってるんだ。
「お前絶対風邪ひくぞー?」
おれは道路から砂浜に降りる階段に座って声をかけた。そこも例外ではなく寒かったけど、太陽の光を集めてほんのりと温かくて、他の場所よりはいくらかマシだった。
クリーム色の砂浜が続く海岸には、流木や、貝や、子供の靴が転がっていた。看板の下ろされた海の家。夏には地元の人が海水浴に集まるはずだが、こんな真冬には当然誰もいない。
家からそう遠くないこともあって、小さい頃は弥太郎の家族とおれの家族、総出で遊びに来ていたっけ。
「良晴も入るーー?」
ザブザブと足首まで水に浸していて、見ているだけで寒そうだ。波がジャブンと弥太郎の足にぶつかる。
「入らない!」
大声を出さないと、波の音で邪魔されて弥太郎のもとまで届かない。こんな大声を出したのも、海に来たのも、久しぶりだ。
ザザァ、と波が往復する音と、弥太郎が一人ではしゃぐ声だけが聞こえる。車も通らなくて静かだ。
おれの視線を感じたのか、弥太郎がこちらを振り返り、手をブンブンと振った。おれも片手を上げて応じる。それだけでまた嬉しそうに笑って水を蹴り上げる。たまに走ってみたりなんかして、弥太郎の後ろにはバシャバシャと水しぶきが飛んだ。冬の光を浴びてそれらがキラキラと光る。
単純に、きれいだなと思った。
白い波が遠くまで続いて、空は青くて、弥太郎がいて。平和をテーマにした写真みたいな。もしおれがカメラマンだったら、この一瞬を切り取らずにはいられないだろうにーーーそんなことを思いながら。
ザブ、ザブ…
「あはは、寒いんじゃなかったの?」
冬の海なんて自殺の時くらいしか入らないんだろうなぁ。冗談にもならないことを考えながら、冷えて感覚のなくなっていく足で弥太郎に近づいていった。冷たくてたまらなかったが、足に水の当たる感触は悪くなかった。
「寒いに決まってんだろっ」
足を蹴りあげると白い波が宙を舞う。弥太郎の顔にも水滴がヒットし、うひゃあと声を上げた。
すぐにおれの限界がきたので長くはいられなかったが、確かに冬の海はよかった。
帰りも弥太郎がとばす自転車で、思い切り風をきって走った。
*
「ごめんねぇ、良晴風邪ひいたのよ」
葉山家の玄関で、おれは石のように固まった。由美さんのその言葉はしっかりと研いだ矢のようにおれの胸の辺りにぐさりと刺さった。
「ずっと風邪っぽかったけど、受験勉強の疲れが出たんでしょうね。良晴、肩に力が入りすぎちゃうでしょ?」
本当にそれだけだろうか?身に覚えがありすぎて、おれは何と返事をしたら良いのかわからなかった。
「なかなか休まないから、丁度よかったかもしれないけど… やたちゃんは大丈夫?」
その質問にだけほんやりと頷いた。由美さんも心配そうな目でおれの様子を伺っている。
「お見舞い… って言っても何もできないけど…」
なんとか絞り出した言葉を半分口の中で転がしながら、おれはモゴモゴと話した。
「部屋上がってもいい?」
迷惑なことは分かってるけど、おれも無関係ってわけではない。顔だけ見て、一言ごめんと言いたかったのだけど。
良晴は鉄壁の要塞を作るのが得意だ。だから先手を打っておこうと考えたおれは、まだまだ甘かった。
「ごめんねぇ、良晴にやたちゃんを絶対入れるなって言われちゃって…感染るといけないから」
良晴のガードはやっぱり堅い。
閉められた窓はいつもよりも強固なものに見えた。魔法でもかかってて、びくともしないような。城に立てこもるお姫様みたいだなんて、言ったら殴られそうだなぁ。
しんと静まり返った向かいの部屋。寝てるんだろうか。近いから、いつも多少の生活音は耳に入るのだけど、今日は全くだった。
今、寒いのかなぁ。熱いのかなぁ。
どうせやることもない。おれは部屋の窓際で携帯をいじりながら、良晴のことが頭から離れずにそわそわしていた。
時々窓を開けると、真冬の風が部屋を通り抜けてカーテンを揺らす。
今日も寒い。体の外だけじゃなくて、中もずっと寒い。
「…馬鹿だなぁ良晴、おれに感染せばいいのに」
*
「ん…」
カーテンの隙間から、薄く朝日が射し込む。部屋の中へ一直線に走る光を招き入れると、少し視界が眩んだ。今日も天気がいいようだ。
身体の熱はいくらかひいたようで、怠さもなくなっていた。今日一日安静にしていれば、明日は問題なく学校に行けるだろう。
ベッドから出ようとすると、何かで布団が押さえつけられていて動かない。頭にクエスチョンマークを浮かべて、視線を下に移すと、弥太郎が眠っていた。
「お前… 来るなって言っただろ…」
夜中にでも来たのか、のんきに人の布団によだれを垂らしながら、すーすーと寝息を立てている。あんまりマヌケな顔だから、写真でも撮っといてやろうとおれが携帯に手を伸ばしかけた時。
「良晴〜 起きたぁ?」
下から階段を上がる音と、母さんの声。おれはいつも通り返事をしようとした口を、はっとして自分の手で乱暴に塞いだ。
ーーーまずいまずいまずい!!!
こんなところで弥太郎が寝てるのがバレたらまずい。朝起きて幼馴染みが知らぬ間に侵入して寝てるって、どんなシチュエーションだ。説明のしようがないだろ。
「お、おいっ、弥太郎起きろよっ」
「んん〜…?」
ごしごしと目を擦りながら弥太郎はのんびりと覚醒する。だがまだ意識の半分は夢の中に引っぱられている。
ああもう、そんな風に目擦ったら赤くなるから…ってそうじゃなくて…!
ガチャッ
「おはよう、良晴。 体調どう?」
「……おは、よ…」
おれは自分の顔の熱がサァッと引くのを感じた。冷めていく額とは裏腹に、頭は全く冷静ではなかった。やっぱり風邪なんかひくんじゃなかった。この状況をどうにか打開しようと言い訳を探すが、言葉がもつれて出てこない。
そんなおれの混乱を、母さんは別の形で受け取ったようだった。
「ああ、やたちゃん昨日の夜に来たのよ。熱もだいぶ下がったし、心配そうにしてたからあがってもらったんだけど、そのまま寝ちゃったから」
やたちゃん、起きて、と小さい子供に聞かせるような声。弥太郎はなおもうーん…と唸っている。相変わらず寝起きが悪い。
「朝ごはん、やたちゃんの分も下にあるから。良晴食欲ある?」
かろうじて縦に動いた首を確認して、母さんはさっさと階下に戻っていった。
何はともあれ、バレてはいない。おれは体中の緊張が一気にほぐれるのを感じて、一人盛大なため息をつく。弥太郎の耳をグイグイと引っぱると、ようやく意識がはっきりとしてきたようだ。
「…来るなって言ったんだけど」
「…ごめんなさい、来てしまいました」
「…朝ごはん食べてく?」
「いただきます」
よく見たら弥太郎の体には冬用の厚い布団がかけてある。それに窓も閉まってるんだし、正面から入ってきていたのは少し考えればわかることだった。
「お前なぁ、本当にうつったらどうすんだよ」
「良晴の風邪菌ならまとめて受け入れる所存です」
「本当に風邪ひいたら怒るからな」
「その時は良晴が看病してくれるんじゃないの?」
弥太郎が、雪解けのようにふんわりと顔を綻ばせた。
そういえば、今年の風邪はしつこいとニュースで言っていた気がする。
熱はまだまだひかない。
読んでいただきありがとうございます。
ずっと書こうとしていた話なのでやっと書けて嬉しいです。
自転車の二人乗りはしないでくださいね。




