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君の体温が好き  作者: ごん
第1章
18/20

長い秋

彼女はとても夢見がちな人だった。


そもそもおれに告白してくる時点で、色々とずれていたのかもしれない。

クラスの中であまり言葉を発しない、つまらない目をしたおれをクールな男だと思いこんでいたんだろう。最初その印象を聞いた時、ポジティブな奴だなと思った。


彼女の中のクールな男というのはツンデレとかそういうので、普段は冷たくしておいて不意に手をつないだり、抱きしめたり、頭を撫でたりするものだったらしい。

でもおれは違った。彼女の想像通りでも期待通りでもなかった。

おれは彼女の手を握ろうとかそういうことを考えなかった。


別に嫌いだったわけではない。こんな人間に好意を寄せてくるんだから、きっといい人なんだと思っていた。

その好意は、多分、嫌いではなかった。

顔は普通に可愛かった気がするし、性格も問題なかった。

でも、一緒に寝たいとか、キスしたいとか、手を握りたいとか、そういう願望は一切湧いてこなかった。

それが彼女を怒らせたようだ。

半年ほどで二人の関係は終わった。そもそも始まっていたのかも怪しいくらいだった。


でもそれは全部おれのせいか?


彼女が勝手に期待して勝手に失望した。そう感じることは何度もあった。彼女に別れを切り出された時も、当然のことだと思った。

素直に納得したらそれでまた怒られた。



さて、この二人の間に、『好き』はあったんだろうか。





朝から咳が出ていた。

マスクをしてからマフラーを巻くと、息苦しさを感じる。頭もぼんやりしている。


空が高い。よく晴れているが、冷たい空気が針のように体中を刺す。


「…寒い」

この時初めて自分の息が白いことに気づいた。冬がすぐ後ろまで迫っている。


隣の家からは話し声が微かに漏れている。

二階の部屋のカーテンは、まだ閉まったままだ。


11月ももう終わる。

模試のために、土曜日の今日も制服に袖を通した。場所はB校の近くの高校。最寄り駅も同じなのでいつもとほぼ変わらないルートだ。土曜日の朝だけあって、外には誰もいなかった。車の一台も走っていない。そのせいか余計に寒く感じられた。

おれは携帯で電車の時間だけ確認して、早足に駅へ向かった。




昼を挟んで模試は3時頃に終わった。

朝の寒さは一旦退いて、コートを手に帰る人も多く目に付く。

着てしまったそれを脱ぐのも面倒で、そのまま帰ろうと駅の方向に足を向けた時だった。


キーンコーンカーンコーン…


微かにチャイムの音が聞こえる。多分、おれの通う高校から。

歩いて10分くらいのその場所に行く理由なんて何もなかった。そもそも校門が開いていない可能性だってある。迷うおれをよそに、見飽きた学ランとブレザーの生徒が何人も駅へ歩いていく。その流れにのればよかったものを、わざわざおれは逆らった。

見えない糸に引っ張られるように、そのままずるずると歩き出した。




校庭では野球部の練習試合が行われていて、校門に鍵はかかっていなかった。活気のある声と、ボールの飛ぶ音が聞こえてくる。

こんなところに来てどうするつもりなんだと問いかける自分と、もしかしたらと微かな期待を持つ自分がバカみたいに揺れていた。


職員室のある西棟しか中に入れないようだったが、おれは迷わず本棟に回った。校舎裏にある、いつも鍵のかけられていないその扉を開けて、薄暗い階段を上る。砂埃が舞うのでマスクをしようとポケットの中を探るが、内側の布しか掴めない。

(…あ、さっき模試の会場に置いてきたか)

諦めてマフラーで顔を半分覆い、ゆっくりと、静かに上へ向かった。



久しぶりだったので、古い扉はいつもより重く感じた。

体で押すように開くと、ぎぃぃ、と相変わらずの音を立てた。

少しずつ開く隙間から冷たい風が溢れる。

晴れた空と、味気ないコンクリートの床。白い手すりから運動場を見下ろす弥太郎がいた。


紺色のパーカーも、はねた髪も、いつも通りだった。何も変わらない後ろ姿に、はぁ、と白い息をはいた。

心臓が二つに増えたような緊張感。

陶器のように割れそうな足で、一歩ずつ弥太郎のもとへ歩み寄る。



「良晴」

弥太郎が振り返る。白い息が上がる。頬が赤い。そんな薄着でいるからだ。


「寒いだろ、そんな格好…」

「まだ一応秋だよ」

いつもと変わらない、ように努めている。そんな笑顔で答えた。



屋上は夏は暑いが冬は寒い。風を遮るものが何もなくて、吹きっさらし。

お互いを遮るものも何もない。

何もないここで、二人はやっと向き合った。

あの祭りの日から、もう三ヶ月が経つ。



「やっぱりおれが告白なんかしたから混乱したよね。ごめん」

弥太郎が困ったように笑う。心臓がきゅう、と音を立てる。



「…何でいっつもお前が謝るんだよ…」


おれはいつも向き合おうとしていなかった。視線をずらして、躱して、逃げてたんだ。

思ったことは言えばいい。

分からないことは聞けばいい。

それくらいで嫌われたりしないってことを、離れたりしないってことを、知ってるはずなのに。

弥太郎が教えてくれてたはずなのに。


おれはお前に言わせてばかりだ。

おれの気持ちはおれが言うべきなんだ。



「ちゃんと話さなくて」


いや、そうじゃない。それだけじゃなくて。



「逃げて、ごめん」



弥太郎は少しだけ寂しそうな顔をした。そして、うん、と頷いた。



「弥太郎の告白は嬉しかった。おれはちゃんと受け止めたつもりだった。でも」


おれはごちゃごちゃに散らかった気持ちと頭の中から、一つずつ言葉を選ぶ。弥太郎は黙ってそれを聞いた。


「佐倉と話して、自分の『好き』が何なのかわからなくなった」


だって、佐倉はちゃんとお前のこと好きなんだから。別れた今でも好きだって言えるくらいに。

考えてみたらおれは誰かを好きになったことなんて一度もない。高2の春に告白された時だってそうだ。もう下の名前も思い出せない彼女に、恋愛感情はなかった。


でも、弥太郎は違う。そう思ってあの告白を受け入れたはずなのに、今さら迷うなんて。



「中途半端な気持ちで会っても、どうしたらいいか分からなかったから」



だから逃げた。

少しだけ、と思っていた。けれど、一度離れると手を伸ばすことを躊躇してしまう。

離れるのは嫌だ。でも隣にいることもできない。一緒にいられる自信がない。



弥太郎がおれに向けてくれる気持ちと、同じだけのものが返せるのか?



考えたって仕方のないことかもしれない。

弥太郎のことを好きだと言ったことも、そう思ったことも事実だ。そのまま流されていれば誰も傷つかない。それでも。


視界がだんだんと濡れてきた。泣いてる場合じゃないだろ、と堪えた。





ーーーあ、だめ。崩れそう。



おれは良晴の体を受け止めた。

少し身長は足りないけど、腕を回してしっかりと抱きとめた。



「見えないから」



良晴の顔がおれの肩に埋められる。



「泣いてもいいよ」



熱いものがポタリ、と落ちる感触があった。お互い、色んな感情でくしゃくしゃだった。


「良晴は真面目だからなぁ。優しいから悩んじゃうんだよなぁ」

子供をあやすみたいに、ポンポンと良晴の背中を叩いた。

ちゃんと涙が出ますように、と。

黙って身を委ねる良晴は、いつもより少し幼く感じた。


沈黙を埋めるようにひゅう、と冷たい風が鳴る。



「…なぁ」

「んー?」

「弥太郎の『好き』はさ、どういうこと」

鼻声混じりにそう聞かれた。

「難しい質問だなぁ」

おれは思わずふふ、と笑った。

「良晴はさ、おれとキスしたいとかって思う?」

ギシッ、と抱きしめた体が動揺した。

「…それは…微妙……」

「そっか」

またポンポンと背中を優しく叩いた。


微妙。微妙か。おれを傷つけないようにした、微妙に絶妙な言葉だ。


「おれもキスはちょっと実感わかないなぁ」

一回良晴の部屋でしそうになったけど。あれは未遂だったから置いておこう。


「でもね、こうやってぎゅーってしたくなるんだよね。良晴といるとさ、どうしようもなく」


冷たくなっていた良晴のコートは、おれの体温で少しだけ温かくなった。


「おれも自分の『好き』がどういうものか扱い切れてないんだよ、きっと」



扱い方が分からなくて、でも捨てきれなくて。



「良晴と一緒だね」



遠くから野球部の声が聞こえる。バットにボールが当たる音がして、走れ走れ!と仲間が叫ぶ声がする。喜ぶ声と落胆する声が入り混じる。

全部が他人事のようで、この屋上だけが世界から切り離されているようだった。今はこの世界に二人しかいない。



良晴の腕がおれの背中に回って、きゅっと力が入る。


「…おれも」


おれよりも大きい手のひらが、体に触れて温かくなる。


「これは、嫌じゃ、ない…」


ズズ、と鼻をすするとまた顔を沈めた。

髪が首にさらりと触れてくすぐったい。

少し速い鼓動がとくとくと伝わってきて心地いい。


「あのさ、おれも逃げてたことがあるんだ」

話さなきゃと思って、なかなか言い出せなかった。

佐倉と付き合っていたこと。

それでも良晴のことが好きだったこと。

祭りの日に話そうと思っていたこと。


「聞いてくれる?」


涙を止めた良晴が、おれの顔をじっと見た。

うん、という一言が優しく溶ける。

二人の気持ちが近づいたような気がして、おれの目からもぽろりと水が零れた。





帰り道、良晴が自販機でコーヒーをおごってくれた。良晴はいつもブラックを飲むけど、今日は加糖の缶コーヒーを二つ買った。



「…お前に告白された時はさ」

良晴がまたゆっくりと話し始めた。目の端が少し赤い。

「弥太郎はもう幼馴染みじゃないんだと思った。でも恋人って言われてもピンと来なくて」

「おれも。自分で告っておいてなんだけど」

顔を合わせて、目を合わせて、二人共ヘラッと表情が緩んだ。



カシッ。

プルタブを倒す音が重なる。少し苦くて甘い香りが湯気とともに立ちのぼった。

「おれ、文化祭の時に、何かダンボール降ってきて倒れたんだって」

「…サラッと言うなよ。結構大事だろ、それ」

「ちょっとオデコ切っただけで済んだよ。誰かが保健室に運んでくれたらしいんだけどさ」

プルタブを指でなぞりながら良晴は聞く。

「ふーん。同じクラスの奴じゃないの」

「いやぁなんかね、周りの人が運ぶより先に血相変えておれをお姫様抱っこしてった人がいるんだって」

「…誰だろうな」

良晴はそう呟いて熱い湯気がのぼる缶コーヒーを一口啜る。おれはつい笑顔を堪えきれなくなる。

「わかんないねぇ。まぁ今頃すました顔して缶コーヒーでも飲んでるんじゃないかなぁ」

「げっほ、げほ!!」

良晴が思いきりむせた。

想像以上のリアクションに、乾いた空気の中をケラケラとおれの笑い声が響く。


「…気づいてたのかよ」

けほ、と子供のような咳を最後に、良晴が呟いた。図星のようだ。

「保健室連れていったとき起きてたのか?」

「いやぁ、そこは全く。記憶にもない。記憶喪失ってこんな感じなのかぁって関心したくらい」

「じゃあ何で…」

「なんかこうね、勘?」

頬が緩みっぱなしのおれの顔を、良晴は横目でちらりと見るがすぐ目を背けた。駅までの道のりをしばらくは黙って歩いた。他の学生はとっくに帰ったみたいで、土曜日の通学路は過疎化していた。



「でも良晴にだけは見られたくなかったなぁ」

自分でも意外に思うくらい、真面目な声が響いた。良晴は目を真ん丸にしてこっちを見てる。

「何でそんなにメイド服見せたくなかったんだよ」

いや、まぁ普通に見られるのは嫌だろうけど。良晴は寒さに赤くなった頬をかきながらそう付け加えた。

確かに今までおれのキャラだと、意外と似合うでしょ、くらいのことは言ったかもしれない。でも、それは良晴に告白する前のおれの話だ。


「おれは良晴が好きなだけで、女になりたいわけじゃないんだよ」


少し不機嫌そうに声が沈む。


「おれが女だったらよかったのにって思われたら嫌じゃん」


空気がしん、と静まり返る。ざ、ざ、と靴と地面が擦れる音がする。車の通りも少なくなって、また二人だけの世界がやってくる。



「別にそんなの関係ないだろ」

良晴は前を向いたまま、コーヒーをまた一口飲んだ。

「男だろうと女だろうと、弥太郎が告白してきたなら、おれは多分断らないよ」


白い息と共に、そんな甘い言葉を吐いた。




今日はブラックにすればよかったな。おれはそう思った。

このコーヒーは甘すぎる。良晴の舌まで甘くしてしまう。

半分くらい残っていたコーヒーを一気に飲み干して空を見上げた。よく晴れた空を背景にして、葉の落ちた木の長い枝が絵のように視界に映る。吸いこんだ空気は冷たくて、甘くなった喉の奥をすー、と冷やした。



長い秋は、もう終わる。


読んでいただきありがとうございます。


前ふと思いついた「長い秋」という言葉が使えてうれしいです

秋って、残暑が続いて、秋になったと思ったら行事が多くて、気づいたら寒くなってる、みたいな短い季節のイメージなんですけど

良晴と弥太郎にはとても長く感じたんじゃないかなと


二人にとっての長い秋がやっと終わってよかったなぁと思います

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