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君の体温が好き  作者: ごん
第1章
17/20

すれ違い

曇りガラスから太陽の光がぼんやりと滲んで、廊下を照らす。教会のステンドグラスを思わせるその光景に目を細め、黙って階段を上がる。三階にはまだ誰もおらず、廊下は朝の光と静けさに包まれていた。周りはまだ少し散らかっているが、この後すぐに片付けられるだろう。ダンボールや椅子を避けながら教室に向かうと、手に持っていたビニール袋だけが足どりに合わせて乾いた音を立てる。おれは軽いリュックを床に下ろして、ビニール袋の中身を取り出していた。


すると、パタ、パタと誰かの登校を告げる音がして、少しだけ体が強ばった。自然と視線は階段の方へ向く。体に力が入る。


「葉山、おはよう」

「ああ、おはよ」

二番乗りは大澤だった。他の誰かと二人きりになることは避けたかったのでおれは胸をなで下ろした。

「何してるんだ?」

「景品の飴を箱に入れに来ただけ。昨日買ってきてくれって頼まれたから」

「それにしては早いな」

「あー、時間余ったら自習室行こうかと思って。それに体育祭何もしてないし、文化祭の裏方くらい何かやらないとな」

言葉を切ってから、あれ、そんな事思ってたんだっけ、と考えてしまった。クラスに貢献しようとか、そんな気持ちあったっけ。


でも大澤はそんなこと気にしていないようで、話題を変えた。


「そういえば葉山、体育祭の時どっか行ってただろ?おれ探してたのに」

「だって綱引き出たらもう出番ないし」

人に紛れられる、無難な競技。おれは中学の頃から綱引きかムカデリレーあたりを積極的に志望していた。

「まぁ一昨日暑かったから外いたくないのは分かるけど」

責めたりするわけでもなく共感を含めた笑いをこぼした大澤は、はたとおれの顔を見て言った。

「葉山、なんか疲れてる?」

「え?」

ドキリ、と心臓の鼓動が聞こえた。

「なんか…顔が?」

「そうかぁ?」

初めて話しかけられた時のように顔をぐにぐにと触る。

「寝不足かもなぁ。行事とテスト一気にやろうとするから休む暇ない」

「だから体育祭はほとんど休んでただろー?」

大澤はカバンを廊下に並べられた椅子の上に置くと、笑いながらおれの作業を手伝ってくれた。一人でも十分できたのだが、そんなことは言わなかった。


大澤は図書館で会った時以来、学校でもよく話しかけてくれるようになった。大澤自身も派手な性格ではないし、近すぎない距離感で付き合ってくれるからありがたい。押しつけがましさがない。

いい奴、だと、思う。


ピンクや水色で包装された飴玉で、箱の中が埋まっていく。それぞれ最後の袋を破り、中身をざらざらと注ぐ。ゴミはまとめて持ってきたビニール袋につっこんだ。


「葉山、やることはこれで終わり?」

「ん、ああ、うん」

歯切れの悪い返事に大澤は愛想よく笑いかけた。

「じゃあ自習室行こう。できたら日本史教えてほしいとこがあるんだけど」

またカバンを手に取ると大澤は自習室の方を指で示した。でも、動き出さないおれを見て手を引っ込めた。


「…葉山?」

「悪い、先いってて」


大澤は心配そうな顔をしながらも、わかった、と一言だけ残して階段を降りていった。

その姿を見送ると、おれは並んだ椅子の一つに足を投げ出して座る。

そして、まだ眠ったままの蛍光灯をぼんやりと眺めた。

制服も長袖に替わってしまうような、その時間の重さにため息が出る。


「もうすぐ二ヶ月、かぁ…」



初めてのことじゃない。高校に入ったばかりの頃も同じだった。でも、今はあの時と違う感情が渦巻いている。

これは、おれの中のあいつが、何か変わった証拠なんだろうか。





「それではっ!第62回、B校祭の始まりです!皆さん青春を謳歌してくださいねー!!」

文化委員長が短いスカートをはためかせ壇上で高らかに叫ぶと、体育館はさらに熱気に包まれた。開会式を終えて、全校生徒は嬉々として教室に向かう。期待や不安の詰まった制服はいつもよりふわふわとその身を包んでいるようだった。

午前10時からそれぞれの模擬店がオープンして文化祭が始まる。おれも準備の為に人の流れに乗って教室へと帰っていった。


「葉山は何時まで受付やってるんだ?」

人の流れに乗りながらも大澤はおれの後ろを歩いてきていた。

「おれはスタートから昼まで」

「…長くないか?」

1、2と指を折ったまま大澤がおれのほうを見た。受付係は人数がいるし、多分ほかの人は30分くらいなんだろう。

「いいんだよ、別に行きたいとこないし」

受付はほとんど座ってるだけ。それで仕事をしたことになるなら安いもんだ。

「うーん、おれは色々回りたいんだよね。よかったら一緒に行かないか?」

高校最後だしさ、とはにかみながらそう言った。体育祭のこともそうだが、学校行事好きなタイプなんだ、と思った。

こういう気遣いができる大澤をおれは素直に尊敬していた。そして友人であることを本当にありがたいと思った。


それと同時に、何でこいつはおれに優しいんだろうと考えてしまう自分がいて嫌になる。



「じゃあ12時に教室前に集合で」

「うん、分かった。じゃあおれ準備してくるから」

おれは平静を装って大澤を見送った。

12時か、と意味もなく時計を確認してから教室の中を覗いた。いつもはシステマチックに机が並ぶ教室は見る影もなく暗幕で覆われて、足元にある小さな光だけが頼りだ。入っただけで涼しくなりそうな、独特の暗い雰囲気が漂っていた。

5組の出し物はお化け屋敷。

他のクラスとも被って揉めたらしいが、文化委員がじゃんけんで勝ち取ってきたらしい。かなり気合の入った出来になっていて、試しに入ったクラスの女子が泣いて出てきたくらいだ。

大澤はお化け担当。といっても壁から手を出しておどかすだけらしいが、変に張り切っていた。最近のあいつは機嫌がいい気がする。


入口には受付、待ち時間用の椅子が並べられ、出口には今朝おれが用意した飴の入った箱が置いてある。しょぼいけどゴールできた人への景品ということらしい。


(箱の中身がちゃんと減るといいけど…)

他人事に思っていると、10時を告げるチャイムが鳴った。それを合図に、各教室から気合の入った声が聞こえる。

また学校の温度が少し上がったような気がして、おれは袖をまくりながらのろのろと受付の椅子に座った。




10時を少し過ぎると、早くも5組の前には列ができていた。やっぱり文化祭といえばお化け屋敷なんだろうか。怖そうとはしゃぎながらも列から抜けて行く人は少なく、中からは時々悲鳴が聞こえた。


しかし昼前にもなってくると、食べ物を求めて人の動きが変わってくる。


「葉山くん、忙しくないから早めに交代してもいいよ?」

同じ受付の女子(名前は忘れた)が暇そうに呟いた。後から入ったもう一人の受付係もうんうんと頷いていたが、大澤と約束した時間まではまだ少しあった。

「宣伝の看板なかったっけ。それ持ってそこら辺歩いてくるよ」

少し悩んだが、一人で模擬店を回るのも気が進まなかったので珍しくそんなことを申し出た。

受付の一人が机の下からは持ち手のついた看板を出して渡してきた。『3年5組 お化け屋敷』と血文字のように書かれていて、なかなかリアルな出来だった。

「そのまま遊びに行っても大丈夫だと思うけど、よろしくねー」

退屈そうな受付に見送られながら、真っ先に人の少ない西棟へ移動した。



どこに行っても喧騒は耳に張り付いたままで、最初はうるさく感じたがだんだんと慣れてきた。どのクラスも客引きの為に声を張り、様々な衣装でうろついている。


同じクラスのお化け役が宣伝として歩いてるのも見た。

白いレースをたっぷりと含んだメイド姿の生徒もいた。メイド喫茶とかだろうか。すれ違う人達はかわいいな、とか小声で話していた。

海パンにサングラス姿の明らかに浮かれた団体とすれ違ったりもした。多分水泳部。

いつもと同じ学校のはずなのに、異空間にでも紛れ込んだ気分だ。今日は保護者や他の学校の生徒も混じっているから、ますます自分がどこにいるのか分からなくなる。

3年5組でお化け屋敷やってまーす、と張りのない声で宣伝しながらおれは非日常の中を歩いていた。



「危ない!」


ドサドサッと何かが崩れる音がして振り向くと、茶色い山が出来上がっていた。

誰かがダンボールを運んでいて、それが崩れたらしい。ついでに廊下に作られたどこかのクラスのアーチも巻き込まれて倒れてしまっていた。トウモロコシと黄色い文字で書かれたダンボールが散乱する廊下を、行き交う人がなんだなんだと覗いては去っていく。

誰かが巻き込まれたということは認識できたのだが、周りに人は大勢いるし、おれが行動するほどの理由は見つからなかった。



「おーい、大丈夫か?」

「頭ぶったりしたんじゃ…」

担架とか保健室とか、あまり平和でない単語が耳に届く。おれは気になってもう一度後ろの騒ぎを視界に捉えた。

ちょうど二人がかりで倒れこんだ人を運ぼうとしているところだった。



(…あ)


そう思った時には足が勝手に動いていた。


「あ、ちょっとあんた!」

何人かに声をかけられたがほとんど聞こえていなかった。


偶然なのか必然なのか、形のないものに背中を押されて、おれは廊下を走った。

腕の中の重みを離さないようにしながら。





「…なにこれ」


一昨日の体育祭、昨日の文化祭準備でも良晴との再会を果たせないまま文化祭当日を迎えたおれは、思いがけない窮地に立たされていた。

9組の出し物は男装・女装喫茶。

そう話すと若干ひく人や大笑いする人がいたけど、おれはドリンクを作る担当だったので、いつも通りの制服に、黒いエプロンをかけているだけだった。


はずなのに。



「ね、お願い!藤崎くん絶対似合うと思うの!サイズは合うはずだし、ちょーっと校舎内歩いてきてくれればいいから!」

普段、頼みごとは断らないタチなのだが、今回ばかりは違った。『無理』の言葉が頭にズン、と居座る。顔の筋肉がヒクヒク動くのを感じて、今おれの顔はわかりやすく引きつってるんだろうなぁと思った。

「だっておれが着る必要ないでしょ、こんな……!」


クラスの女子三人が持ってきたのは、まさかのメイド服。

胸元にはリボン、スカートはフリルをたっぷりとあしらって夢のように膨らんでいる。黒を基調としたシックなデザイン。しかし細工の一つ一つは女の子が好きそうなもので、リボンのついた髪飾りまで揃っている。

もちろん、そんなの男のおれには全部必要のないものだ。


「いーじゃん弥太郎、着てみろよー」

セーラースカートからごつい足を覗かせた受付の一人がはやし立てるが、冗談じゃない。

「おれ接客じゃないし!お客さん来てるんだから宣伝も行かなくたって…」

「もうゴチャゴチャ言わない!男でしょ!」

「男だからだよ!!」

「ええい、実力行使よ!ミクちゃん、サキちゃん、手伝って!」

「おーやれやれー」

「ちょっとーー!!!」


抗議も虚しく、おれはメイド服一式を抱えたクラスメイトに空き教室まで連行されていった。




なるべく人目につかないようにと教室の少ない西棟に来たが、逆に目立ってしまっているような気もする。すれ違う人の視線が痛い。服の裏の縫い目が気になるみたいに、好奇の目がチクチクと刺さる。当たり前だ、男がこんな格好してるんだから。


「何でこんなことに…」

丁寧にロングヘアーのウィッグまで付けられて、(おかげでこのメイドがおれだということはバレてないようだけど)結局はみんな面白そうなことに弱いんだなぁとため息をついた。宣伝用の看板で顔を隠しつつ適当に校内を歩く。今すぐにでも逃げ出したいところだが、昼までは帰ってくるなと言われた。もうめちゃくちゃだ。


「…こんな格好で会ったら死ぬ……」



しかし神様も面白いことが好きなようだ。

よりにもよってこの逃げ場のない廊下で。


(……勘弁してください…)


今日は厄日なんだろうか。

前から姿勢よく歩いてきたのは、今一番会いたくない人物。

会いたい時に会えなくて、会いたくない時に会えてしまう。


回れ右をして逃げ出すこともできるが、それではおれだとバレてしまうかもしれない。意を決して看板で顔を隠しながらすれ違う道を選んだ。

でも不自然にならない程度に、あくまでも普段とは違う格好を恥ずかしがってる女子を装って…なんて考えてコソコソと動いてる自分が恥ずかしくて死にたくなった。


(き、気づかれませんように…!)


壁際をソロソロと歩く。ドキン、ドキンと耳のすぐ側で心臓が打っているようだ。


ふわっとスカートが揺れる。そのまま風といっしょに気配は後ろに流れていく。

(助かった……)

命拾いした、なんて大げさなことを思って胸を撫で下ろした。

その時は完全に気が抜けてしまって、目の前から来た何かに気づかなかった。



「あっ、わ、ちょっと!」

「え?」


ドンッ





クーラーの音。消毒液の匂い。


気が付くと白い天井を見上げていた。


「あら、目が覚めた?」

ちょうど脇には白衣を着た先生が立っていて、おっとりとした口調で尋ねた。

「どこか痛いとかない?」

「ない、ですけど…」

どうしてそんなことを聞かれるのか、すぐには理解できなかった。まだ回転の悪い頭で記憶をたどる。


「だ、ダンボール……?」

一番最後の記憶がそれだった。おれは眉をひそめて先生の方に呟いた。

「そう、ダンボール。外の模擬店やってるクラスが、台車でいっぱい運んでたみたいでね。それとぶつかっちゃったそうよ。近くの作品も巻き込んで大騒ぎ」

確かに頭に何かぶつかって、そのまま意識が遠のいていたような。

目にかかった前髪をはらうと、額にはガーゼが貼られていた。

「ダンボールの角で切ったんだと思うわ」

「そう、ですか」

初めて来る保健室と、初めてまともに話す先生に戸惑った。

時計を見るとおれが教室を出てから一時間くらいしか経っていなかったけど、昔のことを話されているようで浮遊感があった。


先生はトポトポ、とお湯を注いで温かいお茶を差し出してきた。

「飲める?」

「ありがとうございます」

保健室の中はほどよくクーラーが効いていて、温かいお茶がおいしかった。

「いやぁ、でもびっくりしたわ。血相変えて突然ここに飛び込んでくるんだもの。しかもドレス姿の女の子抱えて、ドラマか何かかと思っちゃった」

目尻にシワを寄せて和やかに話す先生はどこか楽しそうな様子だった。ドレス姿という言葉で自分がメイド服を着ていることを思い出してしまい、顔から火が出そうだった。

「しかも女の子かと思ったら男の子でさらにびっくり」

「もうやめてください……」

とびきりの笑顔でそんなこと言わないで。

自分の状況を聞いていられなくて両手で顔を覆った。手にじんわりと顔の熱が移ってくる。よく見たら机の上には黒髪のウィッグが置かれていて、また体温が上がる。


「ふふ、冗談よ。9組ってことは女装喫茶でしょう?永田先生が楽しみにしてたものだから、ちょっとね」

「永田先生が?」

模擬店のテーマが決定した時、他のものがいいんじゃないかと反対していた担任の名前が出てきたので驚いた。

「先生と仲いいんですね」

「そうねぇ、同い年だからかしらね」

白髪頭の担任と目の前の先生が同い年ということに少し驚いた。

「先生もっと若いと思ってました。ちょっと意外」

お世辞とかではなかったのだが、そう言うと笑顔で飴玉を渡された。ピンクや水色で包装されたそれをありがたく受け取った。



そこでおれはやっと気づいた。


「9組って…」

「ん?9組の藤崎くんじゃなかった?」

「いや、そうじゃなくて…何で知ってるのかなって」

保健室を利用したことはほとんどない。保健医とはいえ、全校生徒の顔や名前を覚えているというのも難しいだろう。

ある期待が胸の中でじりじりと大きくなった。



「あなたを連れてきてくれた子が教えてくれたのよ」



先生はカチャンと空になった湯飲みを流しに置いた。

おれは茶葉の揺蕩う様子を見ていたが、ぬるくなってきたので一気に飲み干した。


「さて、元気そうならどうする?私はまだいてくれても構わないんだけど」

白衣のシワが伸びるのと同じように、先生は体を後ろに逸らした。ぽきぽきと音がする。

「大丈夫です。クラスに戻らないと」

「そう。お大事にね」


失礼しました、と扉を閉めた。

冷気がピシャリ、と途絶えて、廊下のぬるい空気に迎えられる。

保健室から職員室へと続く廊下は人が少ない。メイド服のままだけど、三階まで上がって隣の棟に渡れば人目につかず教室に戻れるだろう。ケガを理由にこの服からも解放してもらおう。頭はぼんやりしていたが、そう考えると気分は悪くなかった。


ウィッグと看板を抱えたおかしな格好のまま、階段をゆっくりと上がる。そのたびにスカートがふわん、ふわん、と揺れた。


「…ほんと何やってんだろ」


額に貼りついたガーゼは、まだ少し冷たかった。

フリルのついた袖には、誰かの体温が残ってる気がした。






読んでいただきありがとうございます。

二人が通ってる学校、適当にB高校にしました。

本棟は生徒の教室が、西棟は職員室や保健室なんかがある建物、ということになってます。

二人がいつもいるのは本棟の屋上です。

学校内の設定は、自分の通ってた高校を参考に考えてます。

あと弥太郎のメイド服はロングスカートです!さすがにミニは可哀想なので!私の趣味もありますが!

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