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君の体温が好き  作者: ごん
第1章
15/20

佐倉

「それではこれで体育委員会を終わります。最後に少し急なのですが…」


9月。

新学期早々行われた昼休みの委員会の集まりでも、おれはずっとぼんやりしていた。副委員長が最後に何か言っているようだが、少しも頭には入ってきていなかった。

どぉん、と遠くでまた花火の音が蘇ってくる。




「…さくら」

「藤崎くん?」

視線を合わせる二人を、おれは呆然と見ていることしか出来なかった。いつの間にか重なっていた手も離れている。

弥太郎は動揺しているようだった。この女にか、この状況にか。

一際大きく響いた花火の余韻も止むと、辺りは静まり返った。今のが最後の一発だったようだ。

さくら、と呼ばれた女は、おれの方を一瞥すると、さっさと階段を下りていった。

カラコロ、カラ、コロカラ。

小さくなっていくその背中を目で追っていたが、すぐに暗闇に紛れていってしまった。下からは花火が終わってざわざわと人の動き出す気配がする。


「弥太郎」

放心したように固まっていて、呼びかけには応じなかった。

「弥太郎!」

もう一度強く呼ぶと、びくっと肩を震わせた。暗かったけど、こちらを向いた顔からは困惑が拾えた。

困ってるのはこっちのほうだ。

弱気な弥太郎の顔は、ますますおれを不安にさせた。

おれはどうしたらいいのか分からず、帰ろう、と言った。弥太郎も黙って首を小さく縦に振った。

いつまでも最後の花火の音が耳にこびりついて離れなかった。




「…くん。葉山くん」

「…ん」

「もう終わったわ、委員会。鍵閉めるから出てくれる?」

教室の中を見回すと、もう誰もいなくなっていた。おれと副委員長の二人だけだ。

「ああ、はい。悪い」

祭りの時のことを考えていて全然気付かなかった。おれは椅子を引いてさっと立ち上がったが、その足はまだ地面についている感じがしなかった。

顔は暗くてよく見えなかったが、浴衣姿で髪は長かった。年も同じくらいだろう。

「さくら」なんて呼ぶんだから、弥太郎の友達かもしれない。おれと違って交友関係広いし。…いやいやでも下の名前で呼ぶって距離近くないか?

そもそも本当に友達か?あの空気はそんなんじゃなくて、もっと深刻な…


探偵のように推理を始めてみたが、一回会っただけの人物のことなんて分かるわけがない。

それにあの祭りの日以来、弥太郎とはほとんど口をきいていない。

とにかくあの「さくら」という女が一体誰なのか弥太郎に聞いてーーー



「…え」

「? 何?」

「…佐、倉?」

「佐倉だけど」

おれは息を飲んだ。

目の前にいる、体育委員会副委員長。髪型は違うが、あの時見た顔だった。そうだ、なんで忘れてたんだ。

学年首位の佐倉。名字だ。

「やっと気付いたの。この間会ったわね」

「なんで祭りに…」

「親戚の家があっちなの」

淡々と説明する彼女の眼鏡が、窓からの光できらりと光った。二つ結びで肩から垂らした髪も、蛍光灯の明かりでつやつやと光っている。誰かさんを思い起こさせるような、黒くて、さらさらな髪。

「あんた、弥太郎とどういう…」

一番聞きたいことはそれだった。

でも、なんて馬鹿な質問だろうと次の言葉を飲み込んだ。どういう関係なんだって、同じ学校の同級生なんだから、知り合いである可能性なんて十分にある。

だけど。

「…それは後で。放課後にしましょう」

「放課後?」

「聞いてなかった?放課後、わたしと葉山くんでプール掃除だから。葉山くん、体育祭の仕事何も選ばなかったでしょ?」


ーーーえ、嘘。


「急だけどいい?って聞いたら、さっき返事したじゃない。曖昧だったけど」

「全く記憶にないんだが」

おれはキッパリと言ったが、決定は覆らないようで諦めた。


佐倉はおれを教室の外へ押し出すと、カチャンと慣れた手つきで鍵をかけた。

「じゃあ、サボらないでね」

それだけ言うと、こちらの反応も確認せずに、黒い髪を揺らしながら職員室の方へ歩いていった。おれは黙って凛とした背中を見送りながら、自分の足取りの重さにため息をついた。この重い足でプールサイドへ向かう以外に、選択肢はないようだ。




「よかった、ちゃんと来てくれて」

「…そりゃあまあ」

自分だって女子一人に広いプールの掃除を押し付けるほど馬鹿ではない。

佐倉はすでに裸足で、ブラシやホースを準備してくれていた。おれもズボンの裾をまくり上げて覚悟を決めた。傍から見たらどうでもいい小さな覚悟だ。

「というか何でプール掃除を体育委員がやるんだよ?水泳部がいるだろ?」

「沢村くんが引き受けちゃったのよ」

「なんで引き受けた本人がやらないかな…」

おれの苦手な熱血キャラの沢村の顔が浮かぶ。面倒事はごめんだが、多分沢村は委員長としておれの倍以上は働いていると思われるので、あまり文句は言えなかった。

体育委員の主な仕事は体育祭の記録係や進行など色々とあるが、おれは人前に出るような仕事を自分から買ってでなかった。その結果、余りものとしてプール掃除の仕事が回ってきたみたいだ。


「早く終わらせて帰りましょ。お互い受験生だし」

道具をプールに下ろして、佐倉も中に入った。おれも後に続いて、ブラシを握った。


シャア、シャア、シャア。

夏の間は水泳部が使っているとはいえ、プールの隅では藻が徐々に勢力を拡大していた。浅く水を張り、ひたすらブラシで擦ってそれらを落としていく。排水溝に溜まった落ち葉も集める。地味な仕事だ。

とにかく動いていないと沈黙を埋められない。そう思って真面目に作業を進めたが、やはりこの気まずい空気には耐えられない。フィクションの世界では、男女のプール掃除はいかにも青春という感じに撮られているが、現実は難しい。

まだ少し夏を引きずった風が爽やかに吹き抜けるが、そんないい気分ではなかった。


「そういえば」

飛び込み台の前で佐倉が呟いた。おれは一度ブラシを擦る手を止めて耳を傾ける。

「私と藤崎くんの関係、だっけ?」

佐倉は顔色一つ変えず、落ち葉をゴミ袋に詰めた。

「…そう、だけど」

聞きたかったことではあるが、いざ本題をふられると躊躇ってしまう。

「付き合ってたの」

おれよりも佐倉の方がよほど男らしいのではないかと思えるほど、簡潔で潔い答えだった。そして、それはおれの予想通りの言葉ではあったが、予想以上に大きなダメージを与えた。

「佐倉、1、2年の時クラスどこだった?」

言ってから言葉が少なすぎたか、と思ったが、佐倉はおれの言葉の意味を正しくすくいとってくれた。

「1年4組。2年で藤崎くんと同じクラスになったの」

排水口に引っかかっていたお菓子の袋を分別しながら、佐倉は話し続けた。

「1年の時、クラスの人にちょっと絡まれてて。藤崎くんが助けてくれたのよ」

弥太郎らしいと、そう思った。佐倉は委員会の連絡でもするかのようにテキパキと説明した。

「それで2年の時に、私から告白したの」


告白。その言葉だけが世界の中でぽっかりと浮かんだような気がした。

客観的なイメージだが、彼女がいる場所とは少し遠いところにある言葉だと思った。


うちの高校では、テストの結果が上位30名まで貼り出される。成績上位をとった者の方が見せしめにされているようでおれは嫌な制度だと思っている。

そこで佐倉の名前はいつも一番上にある。

つまり、極論ではあるが佐倉はおれ達の学年で一番頭がいい。

もちろんそれは成績での話だが、実際に話していても頭のいい人なんだと分かる。言葉遣いとか、立ち振る舞いとか。委員会でも効率よく作業を進めている姿をよく見た。

しかし、クールな表情や隙のない強さは一部の人間には生意気にも見えるらしい。絡まれたというのは多分それらが原因だろう。

それでも、中間テストでも、期末テストでも、実力テストでも、佐倉の名前が1位の座から下りたところは見た事がない。


「半年くらい付き合ってて、彼から別れようって言われたの。理由は聞かなかったけど」

ブラシを立てて、佐倉はおれの方を見た。

「私の話をしたから、あなたの話も聞きたいのだけれど」

「…はあ?」

予想外の提案に嫌悪感のある返事をしてしまった。それでも佐倉は怯まない。

「藤崎くんはよくあなたの話をしてたの。幼馴染みが、私に似てるって」

まさかその幼馴染みが好きな相手だとは思わなかったけど、と佐倉らしくなく付け足した。

もちろん、彼女のらしさなんておれにはまだ分からないのだけど。


「二人は今どういう関係なの?」


それはおれを黙らせるのに最適な言葉だった。そしてその威力を遺憾無く発揮した。

「ただの幼馴染み?それとも、今は違うの?」

さっきまでと違い、佐倉はじっとこちらを見ていた。彼女の背にはなかなか低くならない太陽がいて、何か言ってみろとばかりにぎらぎら照らす。


関係?おれと弥太郎の関係?

そんなの、告白されて、付き合ってるって、そう言えばいいだけなのに。おれの言葉を詰まらせたのは、男同士だからという理由だけではなかった。

自信がなかったからだ。

おれと弥太郎は本当に付き合ってるのか?

今この状態を、幼馴染みではない何かだと言えるのか?

佐倉の質問はおれにとって難しいものだった。人は何の為に生きてるのか、とか、そういう物事の根本に迫るような。

恋人?幼馴染み?どれもしっくり来ずに、おれの舌の上で転がる。

言葉が引っかかってしまってうまく出てこない。代わりにモヤのかかった思考が巡る。


おれは、弥太郎が好きなのか?

好きだとして、この好きは、何だ?


「もういいわ」

沈黙は何よりの答えだったのかもしれない。佐倉は早く終わらせようと言ってまたブラシを動かした。二つに結んだ髪が揺れる。

シャア、シャア、という音が空白を埋めようと鳴り続けた。



キーンコーンカーンコーン…


部活終了のチャイムが鳴る。運動場の方からは、野球部やサッカー部の野太い声が聞こえた。空は少しずつ暗くなっている。夏休みも終わって、日が落ちるのも早くなった気がする。


「何でわざわざおれにあんな話したんだ?」

プールサイドから階段を降りたところにある倉庫の扉はやたらと固かった。

「…なんでかしらね」

佐倉は口元に手を当てて考える。こういう仕草とか、髪の香りとか、やっぱり女子だな、と当たり前のことを思った。

「うん…悔しいのかな。自分より好きな人がいたっていう事実が」

言葉とは裏腹に、悔しそうな顔なんて一切していなかった。

「…やっぱり変だと思うだろ」

ブラシを倉庫の中に適当にしまった。

ガララン、とバケツとぶつかる音がしたが、どうせめったに使われるものでもないし気にしなかった。

「人の恋に意見できるほど偉くないのよ、私」

佐倉は倒れたバケツをさりげなく起こした。

「って、前までの私なら言ったと思うんだけど」

佐倉の言う『前までの私』がいつのことか、すぐに彼女の言葉で分かった。

「変だとは思わない。好きになるとどうしようもないのね、本当」

その時、佐倉の目は確かに輝いていた。ずっとメガネに反射した光のせいだと思っていたが、違った。

いつかテレビで聞いた、恋をした人の目は綺麗、という言葉がすとんと腑に落ちた。

佐倉にこんな目をさせるのは、きっと弥太郎なんだろう。



「私はあなた達の邪魔をする気はないの。藤崎くんが決めたことなら、別にいいの」

佐倉は昼間と同じように、鍵を閉めるからとおれを押し出した。

プールの扉の鍵はガチャン、と教室のものよりも重厚な音を立てる。


おれは上履きに履き替える彼女を見下ろす形で、最後にこう聞いた。

「…弥太郎のことはまだ好きなのか?」

「…ええ」



「そんなこと、彼には言わないでね」

佐倉は照れくさそうに笑った。

彼女が笑うところを初めて見た。


読んでいただきありがとうございます。

実は佐倉さんは7話にちらりと出てます。

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