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君の体温が好き  作者: ごん
第1章
14/20

花火

「弥太郎ー!」


母さんの声がする。外かな。おれは二階で眺めていた日本史の教科書を閉じようとした。

「ハルくん来たわよ!」

心臓がドキン、と跳ねた。二週間、その言葉を待ちわびていたはずなのに、すぐに飛び出していくことは出来なかった。二週間前はケンカ別れみたいになってしまったから、そのせいもあるんだろう。少しだけ、喉が詰まったような感覚がした。


おれが玄関にいくと、もう三人が良晴を出迎えていた。

「久しぶり」

肩に必要最低限の物しか入っていなさそうな薄い黒いカバンを提げた良晴が立っていた。

「良晴、大きくなったなぁ」

「ハルくん疲れたでしょ。早くあがって」

「羊羹あるから食べなさい。お茶煎れるなぁ」

三人で珍しいものでも見つけたように、わあわあと声をかける。あ、良晴髪切ったな、と気づいたがおれは棒立ちのまましばらく眺めているだけだった。

すると、ばち、と良晴と目が合った。あの目だ。久しぶり、と言っていつも通り話をすればいいのに、一瞬どうしたらいいのか迷った。

いつも通り、いつも通り。

「弥太郎、久しぶり」

良晴が少し笑って先に言った。

「久しぶりって二週間でしょう?」

母さんも笑う。

「でも弥太郎と二週間離れることってあんまり無いからさ」

そんなことを言いながら、良晴は脱いだ靴を揃えてギシ、と足を踏み入れた。

おれは何も言わなかった。

そんなおれの様子を、良晴はきっと分かっていた。ぞろぞろと居間の方に移動するみんなの後に、なんとなくついて行った。


黒くツヤツヤと光る羊羹と、緑茶が並べられた。

「じいちゃん腰やっちゃったって聞いたけど」

良晴がズズ、と夏に不似合いな熱い茶をすすりながら聞いた。夏でも熱いお茶が好きらしい。前に年寄りくさいなぁと年寄りのじいちゃんに笑われていた。

じいちゃんは笑って、二週間前おれが聞いた時と同じように大したことはないと答えた。

おれは二口で食べきってしまった空っぽの羊羹の皿を前に、冷たい麦茶をちびちびと飲んだ。そして母さんを除く三人が談笑しているのを見つめていた。良晴がこの家に来るのは中学生の時以来で、話題はなかなか尽きないようだった。

おれは一人、部屋の中に届くぬるい風に紛れてしまいたかった。いつも通り話に混ざればいいだけなんだけど、出来なかった。いつも通りにしていないと。その意識だけがぐるぐると頭を回る。


「おれコッコにご飯やってくる」

聞こえるか聞こえないかの声でそっと、できるだけ目を合わせずふいと後ろを向いて立ち上がった。こんなのは全然いつも通りじゃないんだけど、一度冷静になろうと思った。

外を覗くと今日もよく晴れている。爽やかというより、全てが青に飲み込まれたみたいで少し怖かった。

「おれも行く」

いつの間にか空になった皿と湯のみに視線をやると、後ろに気配を一人分感じた。うん、と一拍置いて答えて、二人でギシギシと廊下を鳴らした。



「うわああ、ちょっとでかくなったなぁ!コッコ」

いつもとは違う、鍵の外れたような上機嫌な声で良晴はコッコと対面した。良晴が羽をもふ、となでると、コッコは自分からその腕に顔をすり寄せた。

まるで猫だ。

お前の鶏としてのプライドはどこへ行ってしまったんだ。コッコ。

まいたエサになんて目もくれず、またもスズメの群れにそのほとんどを横取りされてしまっていた。

良晴と久しぶりに二人になれたのは嬉しいことだったが、(コッコもいるけど)たったさっき一人になろうとしていたおれにとっては複雑な状況だった。おれはサンダルを履いて、隅にある小さなプランターに水をやっていた。何の花かは忘れたけど、小さな紫の花。確か近所の人が種を分けてくれたが、植えるスペースがなかったのでこの場所に落ち着いた。

じょろろろろ。

土の茶色が強くなり、やがて水がしみ出て、溢れてきた。

じょろろろろ。


「弥太郎、やりすぎ」

「…あっ」

慌ててジョウロの傾きを元に戻したが、いっぱいに汲んだ水はほとんどなくなっていた。花は夕立にでもあったようにびしょ濡れだった。

「あちゃー申し訳ない」

花に大げさに手を合わせた。根が腐らないかな、と心配になった。良晴がそう言った事があったからだ。

「まぁ夏だから乾くんじゃない」

思ったよりも呑気なことを言う良晴は、縁側に座って眩しそうに太陽を見た。


「座る?」

ぽんぽんと隣を叩いて、おれの分のスペースを示してくれた。

「…うん」

少しだけ距離をおいて座った。コッコはやはり空腹には勝てなかったのか、それとも空気を読んだのか、スズメの群がるエサの方へてて、と歩いていった。

二人になった。


「この間」

チリン、と風鈴が鳴るのと同時に、良晴が口を開いた。

今日は本当に天気がいい。

「この間って言っても二週間前だけど…」

「…うん」

「ごめん」

真っ直ぐに、真剣に言った。

「ごめんな、あんな風に言って」

お互い図ったように目は合わせなかった。今は遠くを見ているのがいいと思った。

「二週間何してた?」

おれは返事の代わりにそう聞いた。

「何って…」

良晴は少し首を傾けた。

「勉強…しかしてねぇなぁ、二回くらい母さんの買い物にちょっとだけ付き合った」

「えー、なんか楽しそう」

由美さんの荷物持ちをする良晴を思い浮かべてついニヤニヤした。

「弥太郎は何してたんだよ」

「畑手伝って、ちゃんと勉強してたよ」

「…そっか」

気にしていたのか、良晴は安堵の表情を見せた。普段は仏頂面なことが多い分、良晴の表情の変化は読み取りやすい。そんなことを考えていたら、何だか可笑しくなってくる。


「どりゃーーっ」

「うわっ!」

良晴も巻き込んで後ろに倒れ込んだ。上を見ると直接太陽の光が射し込んでくる。隣でも見たら?というように。

「良晴、髪切ったね」

やっと目が合わせられた。

「ん?…ああ、暑かったから少し。よく分かるな。ほとんど変わってないと思うけど」

「分かるよ。いつも見てるから」

ほんの少し短くなった髪をさらりと撫でると、良晴はふいとそっぽを向いた。おれは赤くなった頬に今日も暑いねぇと声をかける。

やっぱりここはいいなぁと思ったちょうどその時。


「二人共、ちょっとおいで」

ばあちゃんがしわくちゃな手で小さく手招きしている。なんだろうと思わず二人で顔を見合わせてから、奥の和室へと入っていった。


「わ、何これ」

タンスの引き出しがいくつか丸ごと出されて、床には浴衣が数枚広げられている。

「これくらいでいいと思うんだけど、サイズがねぇ。やっぱり分からないから一回着てくれないかい」

紺やら黒やら白やら、涼し気な柄が広がる。

「サイズって…これ着るの?」

「せっかく祭りに行くんだから。それにこれ、おじいさんの昔の浴衣なんだよ。たまには着てあげてくれないかねぇ」

ばあちゃんはいくつか浴衣を見繕って、これがいい、と呟いた。おれ達は言われるがままそれに袖を通した。



「わぁ、いいじゃない」

通りがかりの母さんが、両手を合わせて高い声を上げた。

「良晴は背が高いからねぇ、これなんか似合うと思って」

真っ黒な浴衣に巻かれた白い帯は、凛と伸びた良晴の背格好にぴったりに感じた。いつもより大人っぽく見える。

「おれのは?」

「弥太郎のは…中学生か高校生の時のだって言ってたねぇ、確か」

聞かなきゃ良かったと後悔したが、サイズはぴったりだった。紺色に縦の白いラインが走った浴衣。そういえばじいちゃんの実家は呉服店だったんだっけ、と生地の良さそうな浴衣を見て思い出した。

「はい、いいよ」


くるりと姿見の前に並んだ。これでよし、とばあちゃんが背中を軽く叩いた。

「夕方には屋台が出てるから、行っておいで。町内の人達にも挨拶してきんさい」

おれははーい、と子供っぽい挨拶をした。子供の少ないこの町の人達は、たまに遊びに来るおれ達をずいぶんと可愛がってくれた。でも、最後に会ったのは三年よりももっと前だ。

「久しぶりすぎて分かんないんじゃないの」

良晴が襟元を整えながら言うと、ばあちゃんは一層目を細めて答えた。

「そんな訳あるかい。どんだけおっきくなってても孫は孫だって分かるもんよ」


ばあちゃんの言葉に押されながら、騒がしくなっている神社の方へ向かった。




カラコロ、カラン。

神社は愉快な音で溢れていた。

歩きづらい下駄に、窮屈さを覚えながらも不思議と気持ちは高揚していた。祭りで喜ぶなんてまだ子供だなと腹の中で笑うおれの隣には、そんなことを隠そうともしない弥太郎がいた。

「大塚のおじさん集会所にいるかな?林さんもまた屋台出してんのかなぁ。あ、あと寺井さんにスイカもらったお礼言わなきゃ…」

次々に出てくる名前の響きはとても懐かしいもので、最後に会ったのは随分前だが一人ひとりの顔は鮮明に思い出せた。

「屋台回りながら探そうぜ。集会所もここからだと奥の方だし」

回ると言っていいほどの規模はないが、弥太郎は了承したようで左右の屋台をくるくると見比べ始める。神社の境内にずらりと並ぶ出店と、赤い提灯の列。

花火の時間は8時。遠くの空から夜が近づいてきていた。



「おー!久しぶりだなぁ!」

「あらまぁ、良晴ちゃん大きくなったねぇ」

「弥太郎は変わらんなぁ」

「うるさいなぁ!おれも大きくなってるって!」

一通り祭りを楽しみ、奥の集会所に顔を出した。ばあちゃんの言う通り挨拶に来たものの、例によっておれ達二人は年寄り連中に囲まれていた。

「二人共彼女の一人でもおらんのか?ん?ん?」

出た。年寄りの好きな話題。

早くもできあがっているのか、赤い顔のおじさんの言葉に周りも次々と続く。

「あら、いるのぉ?」

「ばっか、今それを聞いてんじゃろ」

「二人共男前なんだから一人くらいねぇ」

口々に無責任なことを言い合う。おれが口下手な事を知ってか、みんなはだんだん弥太郎のほうに詰め寄っている。

「えっ、ちょ、待っ…」

弥太郎が言い淀んでいると、タイミングよくあの音が響く。


どーーんっ。


その音に、ざわざわと騒いでいた祭りは、全て時間が止まってしまったかのように静かになった。そしてみんなが、上を見て口を開ける。

「きれい」

この光の華を見るのはいつぶりだろう。自然と声が出ていた。

すると、浴衣の袖をくい、と引っ張られた。

「良晴、行きたいとこがあるんだけど」

弥太郎はぽかんと口を開けるおれの腕を掴んで、人集りを避けながら屋台の裏へと駆け出した。

「やたろっ、どこに…」

言ったのと同時に、人のいない暗がりにある石の階段を見つけた。木々に囲まれていて、近くまで行かないと分からなかった。


「ね、行こう」

弥太郎が微笑みながら、暗闇の中に手を差し出した。恐る恐るそれを掴むと、景色が昼間のように鮮明に見える錯覚がやってくる。花火がどーん、と音を立てると、足元が数秒明るくなる。それを頼りに石の階段に一段ずつ足をかける。弥太郎のうなじも照らされる。


どーんっ。


おれの鼓動も重なるように、少し大きくなっていた。



「早く早く、花火終わっちゃう」

「階、段多すぎ…」

重くなった足を引きずり、息を整えながら弥太郎の隣に並んだ。音のする方へ振り向くと、色鮮やかな光が広がる。上がっている最中は木が邪魔になっていたが、ここはちょうど開けていてまさに特等席だ。階段の最上段に並んで座った。

「ね、よく見えるでしょ」

得意気に笑う弥太郎の頬に花火の色が映って、赤く染まる。

こっちを見る弥太郎の笑顔を彩る光が、空いっぱいに広がる。

どぉん。どぉん。

「すごい、きれい」

この光に見合った言葉が見つからず、おれは途切れ途切れにそう呟いた。

弥太郎も頷いたが、黙って空を見上げていた。


そっと、おれの右手に、弥太郎の左手が重ねられる。突然のことに思わず弥太郎の方を見ると、花火を見上げる横顔と、赤くなった耳。花火の明かりのせいではないことは分かった。


重ねられた手は温かかった。

しばらくは静かに、ただ花火を見上げ続けた。


どぉんっ。



「あのさ、良晴…」

弥太郎が何か言おうとして、こっちを振り向いた。しかし、その何かはおれには届かず、その視線はおれには向けられていなかった。

「弥太郎?」

おれより後ろ。何かあるのかと振り向いてみる。


どぉぉん。

大きな打ち上げ音が響いた。でも、おれも弥太郎も、花火を見ていなかった。

おれの後ろには、浴衣姿の女が立っていた。



「藤崎くん?」

「…さ、くら?」

読んでいただきありがとうございます。


『お前の鶏としてのプライドはどこに行ってしまったんだ』という一文が気に入っています。

ずっと考えていた話なのでやっと書けて嬉しいです

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