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君の体温が好き  作者: ごん
第1章
11/20

二つの距離

ーーーーじゃあな。元気で。

それだけ言い残して、あいつはあっさりとどこかへ行ってしまった。


あいつに下の名前で呼ばれなくなったのは、いつからだっただろう。




駅から北にまっすぐ。ウィン、とそっけない音で開く自動ドアを通り抜けると、冷たい空間が広がり、2、3度乾いた目をパチパチさせた。静寂と冷涼を兼ね備えた図書館は、学生にとって夏休みのオアシスだといつも思う。それなのにまだ朝早いからか、人の姿はまばらだった。いつも使う一番奥のテーブルにつこうと、本棚の隙間を縫っていった。


テーブルには先客がいたので、斜め向かいのイスに手をかけると、ちょうど顔を上げたそいつと目が合った。

「ん」

「…あ」

私服だったのでお互いワンテンポ反応が遅れたが、見覚えのある顔だった。

「…この間みたいにびっくりしないんだ?」

「前は急だったからちょっと驚いただけだ」

葉山は少しむくれたように言ったが、特に気を悪くしてる様子はなさそうだったので、とりあえずそのまま少し離れた席に座った。

「今日はあいつと一緒じゃないの」

「弥太郎のこと?」

おれが頷くと、そんな四六時中一緒にはいないってと少し笑った。

葉山と同じようにおれも問題集を広げて、お互いのものがぎりぎり触れない範囲でテリトリーを作った。


そこからしばらくは沈黙が続いた。図書館らしい心地よい静寂と、集中と、少しの気まずさ。時折ページを捲る音や、ペンの走る音、職員が本を棚に収める音が、どれも遠慮がちに空間に沈む。

おれが数学の問題を一通り終えて顔を上げると、葉山も同じように一段落ついたところだった。ぱち、と目が合うと、自然と言葉が出てきた。

「葉山は家この近くなの?」

葉山はさっきのやりとりで終わったと思っていたのか、意外そうに瞬きを何度かした。

「ああ、ごめん、邪魔じゃない?」

「いや、別にいいけど…」

葉山は気を使ってか、一度問題集を閉じた。

「自転車圏内ではあるよ。えっと、あっちの川越えて少し行ったとこに住んでる」

「全然知らなかったな。おれ反対方向だけど、そんなに遠くないよ。区役所の裏なんだ」

「じゃあもしかして隣の中学か?」

「そうみたい」

葉山とは3年になって初めて同じクラスになったからあまり話したことは無かったが、今日はなかなか話が弾んだ。あそこの本屋によく行くだとか、あそこのラーメン屋はあまりおいしくないだとか、どうでもいい話だったかもしれないが楽しかった。地元の話を誰かと共有するのは久しぶりだった。おれは声のボリュームは落としたまま色々と聞いてみた。

「9組の幼馴染み、名前なんだったっけ」

「藤崎だよ。藤崎弥太郎」

「…改めて聞くと貫禄のある名前だな。藤崎とはいつから知り合いなの?」

葉山は頬を指でかきながら答えた。

「弥太郎は家が隣。親同士が知り合いなんだよ。保育園から一緒だな」

「へぇ、すごい。長いんだね」

本気ですごいと思ったのだが、リアクションが薄くて申し訳ないという思いが頭をかすめた。でもそんなことは気にせず、葉山は話を続けた。

「今は明るいヤツだけど昔は大変だったんだよ。あいつ全然笑わないし喋らないしで…無愛想、っていうよりは何も持ってないって表現の方が近い感じで」

目の前のクラスメイトは、シャープペンをくるくると簡単に回しながら懐かしそうに語る。

「それでおれが毎日外に連れ出したり喋ったりして…どれくらいかかったかは忘れたけど、だんだん笑うようになってきて。おれあいつから『おはよう』って言われるのにめちゃくちゃ時間かかってたなぁ」

思い出が色をのせて蘇ってきたようで、葉山は頬を緩めた。きっと藤崎もこんな風に笑ってたんだろうかと勝手に思った。


ーーーお前も少しは笑えばいいのに。



「大澤?」

は、と我に戻った。

「どうした?」

「あ、ああ、ごめん」

「おれの話聞いててもつまんないだろ?」

冗談っぽく笑って、また机に向き直そうとする葉山を、いや、そうじゃなくて、と止めてしまった。

「そうじゃなくて…えと…」

口ごもるおれの言葉を葉山はじっと待っていた。


「おれも幼馴染みがいたんだ」

突拍子もない言葉と、『いたんだ』という過去形に葉山は疑問符を浮かべていたが、うん、と相槌を打ってくれた。

「葉山の幼馴染みみたいに、おれもあんまり笑わないヤツだったんだよ。でもその幼馴染みだけは、小さい頃からずっと一緒だったんだ」

自分でも何を話してるんだろうと思った。今までほとんど話したことのないただのクラスメイトにこんな事を言われて、葉山もきっと困惑しているだろう。でも言葉が止まらなかった。

「でもある日、おれのことを大澤って呼び出したんだ。ずっと下の名前で呼んでたのに。理由がわからなくて、納得いかなくて、違和感を抱えたまま、今度はあいつ何の説明もなしに引っ越していったんだ」

なんだか胸の辺りが熱くなってきて、でもそんなことにも構わずにおれは葉山の目をじっと見つめて言った。

「おれは何かしたのかな。何か間違ってたのかな」

葉山の相槌も待たずに、自分勝手に言葉を走らせた。葉山はしばらく黙ってしまった。顔には明らかに困惑の色が見えて、そこでやっとおれは我に返り、急に顔がかぁっ、と熱くなった。

「あ、いや……ごめん、こんな話されても困るよな。忘れてくれ」

慌てて取り繕ったが熱は引かなかった。

恥ずかしさに俯くと、顔を上げられなかった。また沈黙が戻ってくる。遠くの方でひそひそと話し声が聞こえる。そういえばおれ、結構大きい声出してたかも、といっそう顔が熱くなった。



「あの」

葉山が先に口を開いた。

「その幼馴染みの話なんだけど」

「いや、本当に気にしないでくれ」

「邪魔になるならやめる。そうじゃないならおれが勝手に喋るから」

意外に強引な奴だと思った。でもおれもさっき勝手に喋ってしまったし、おあいこかもしれない。おれは視線は交えずに首を縦に振った。


「おれもさ、弥太郎と最近まで話してなかったんだよ」

図書館に相応しい声だった。

「高校に入ったくらいで、別に理由もなく距離が開いたんだよな。ケンカとかした訳でもないのに、そうなることが決まってたみたいに自然に話すことが減ったんだ」

葉山は話し続けた。

「おれはあまり気づいてなかったんだけど、弥太郎はずっと気にしてたみたいで、最近またちゃんと話すようになったんだよ。それでえっと、つまりだな…」

葉山は眉間に寄ったシワに指を当ててうーん、と唸り、不慣れそうに言った。

「誰かと離れることは、当たり前にあることで、簡単なことなんだと思う。問題は誰かがそれに気付いて行動できるかで」

そうして誰を思い出したのか、葉山はふっ、と一瞬優しい顔をした。

「もちろんおれは大澤の幼馴染みのことは知らないから、もしかしたらお前と距離を置きたい何かがあったのかもしれないけど」

「…はは、言ってくれるなぁ…」

おれのなにが間違ってたのか。そんなことあいつに聞いてみないと分からないのに。だってずっと考えてたけど今も分からないんだから。

無意識に手はカバンに伸びていた。充電が48%の携帯を取り出す。アドレス帳の中からあいつの名前を探し出すと、心臓がドキドキとうるさくなった。

葉山のほうをチラリと盗み見ると、もう教科書に目を落として、こちらを気にする様子はなかった。いや、こちらに気にするな、と言っているのだろうか。

おれは構わず携帯を握りしめて、足早に図書館の外に出た。


トゥルルルル……

そっと携帯を耳に当てる。人に電話をすること自体久しぶりだった。

あいつが出たらなんて言おう。

久しぶり、とか、元気だったか、とか。それともいきなり本題を突きつけてみようか。どっちに原因があって離れてしまったのか、それともどっちも悪くなかったのか、それさえも分からないけど、確かにおれの胸は高揚していた。

電話はなかなか繋がらず、コール音が続く間、あのクラスメイトのことも考えた。

葉山良晴。ただのクラスメイトだ。

一つ気になったことといえば、これはおれが葉山に話しかけるきっかけにもなったんだが、人を拒絶しているような独特の雰囲気。いつもどこか人と距離を置いていて、一定以上は近付けないようにしているように見えた。それが藤崎の前では、魔法のようにすっと消えるのだ。あまり友人とかクラスとか、そういうものに執着がない奴だと思ってたから不思議だった。だから失礼ながら、今日の葉山の対応は予想外だった。

あの幼馴染みの話をしていたからだろうか、今日の葉山は少し優しい目をしていた気がする。


そんなことを考えていたらコール音が切れた。



「………もしもし?」

何年かぶりに耳に届いた声は、ひどく聞き慣れたものだった。その後の言葉は、喉からするりと溢れ出てきた。




「うわ、もうこんな時間」

時計を見ると閉館時間が迫っていたので、リュックに問題集やら教科書やらを詰め込んだ。

大澤が「用事ができた」と言って帰ってから、もう4時間以上が経過していた。その用事が何なのかは聞かなかったが、悪いことではなさそうだった。


『まもなく閉館時間です』

眠くなりそうな音楽に急かされ出口に向かうと、テーブルに見覚えのある人物が静かに寝ていた。窓からの夕陽を独り占めにしている贅沢な背中に声をかけた。


「弥太郎、もう閉まるぞ」

「ん〜…?」

まだ眠そうな声で答えた弥太郎は、視界を鮮明にしようと目をこすった。

「ここで勉強してるの知らなかった。おれ朝から奥にいたんだけど」

「ああ〜おれ昼過ぎに来たから…ちょっと寝ちゃった…」

弥太郎は寝ぼけ眼のままぼんやりと言った。とりあえず机の上の荷物を適当にまとめておいた。

「閉館時間だから。もう帰ろう」

もう一度促すと、弥太郎はうん、と素直に立ち上がった。


「葉山」

突然弥太郎の口から漏れたその言葉に、大澤のことを思い出して心臓がきゅっとなった。

「な、なんで急に名字…」

「あの本の作者。葉山って名字、いっしょ」

弥太郎はカウンターの上に並べられたベストセラー小説を指差しながらいつもの風に言った。おれはクーラーのきいたこの空間で、首に一筋の冷や汗を感じた。

「どうしたの?」

「いや…」



「怖いよなぁ、と思って」



読んでいただきありがとうございます。

これから更新がゆっくりになると思いますがご了承ください…


今回は大澤くんメインの話にしてみました。今までで一番書き直しました。


大澤くんは7話「何も知らない」に初登場してます。思ったよりだらだらと書いてしまいました…

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