夕立
「あぢぃ……」
小学生がクレヨンで塗りつぶしたような青い空。汗がじわりじわりと滲んで制服が体にまとわりついてくる。古典の教科書を枕にしていたが、汗で表紙が少ししめってしまった。
なかなか連れがやってこない。
「…何やってんだアイツ…」
青い空が全部を吸い込んでくれるような気がしてつい独り言が多くなる。そうでなくても夏は独り言が増える。主に暑い、くらいだが。
ぎぃ、と錆びた扉が開いて、やっと「アイツ」が来た。
「遅いぞ弥太郎…暑すぎて溶けるわ」
「この間赤点とったから長谷部先生に捕まった!でも指導室で説教されたから涼んじゃった」
ケラケラと無邪気に笑いながらこちらに近づいてくるのは、幼馴染みの弥太郎。こっちが学校で一番太陽に近い場所で焼かれていたというのに、文明の利器によって冷やされた体でのこのこと遅刻してきた。
「ここ人来ないからいいんだけど…夏は暑くてダメだなぁ!もう汗出てきた」
学園ドラマのようにうちの学校は屋上に入れるわけではない。だが入口までの道が複雑で、教師の目も生徒の喧騒も届かないこの場所は、二人で会うにはなかなかいい場所だった。…いや、先に行っておくが、別におれたちはそういう関係ではない。断言しておく。
弥太郎は脳天気な顔で白いシャツの襟をパタパタさせながら寝転ぶおれの傍に歩み寄ってきた。
「待った?」
「待ったわボケ」
「2点。そんな返事じゃ彼女帰っちゃうぞ?」
何で2点オマケしてくれたんだろうか、そもそも彼女いないしできる予定もないわという思いを込めてもう一度ボケと言っておいた。
「ヨシハル」
突然、真剣な顔つきで弥太郎が隣に座った。(ちなみにおれの名前は良晴だ、よろしく。)
「なに?」
起き上がったが、夏の暑さに少しいらついたような生返事をしてしまった。それでも構わず弥太郎は口を開いた。
「あのさ」
「うん」
「おれと付き合わない?」
………。
………………は?
聞き間違いか。聞き間違いだな。
「ごめん、なんて?」
「おれと付き合お?」
「…どこに?」
「いやそういうんじゃなくて、交際のほうな?お付き合いしません?」
汗をきらりと光らせながら、冗談では済まなそうなことを太陽のような笑顔で言われた。
…えーーーっといやいやいやいやちょっと待てーい
暑さのせいでおれの耳がおかしいのかこいつの頭がおかしいのか?幻聴か妄言か?そもそもだってこいつただの幼馴染みで、いや幼馴染みに告白されるなんてありがちだけどめちゃくちゃハッピーなイベントじゃないか…って、んなわけあるか!!!!弥太郎は男!オスだよ馬鹿野郎!!!
暑いということ以外何も考えてなかった頭が言葉でいっぱいになった。
一瞬でも目の前のバカの言葉を飲み込もうとした自分をぶっ飛ばしたくなった。
一呼吸おいて聞いてみた。恐る恐る。さっきまでかいていた汗とは少し違うものが背中に一筋流れた。
「いや、弥太郎、どうした?暑さで壊れた?お前バカだけどそこまでバカではないだろ?」
弥太郎はきょとんとした顔でこちらを見ていた。
「いや、だって彼女できないし。お前も彼女いないし。だったら、おれらずっと一緒でお互いをよく分かってるわけで、ほら、カップルになったらめっちゃよくない?」
とても健全な男子高校生のびっくり発言には見合わない答えだった。
「いや、お前女好きだろ?」
「んー、好きだけど、でもお前のことも好きだよ?」
「…それは男友達としてだろ?」
「好きは好きでよくない?一緒だろ」
全然違うわ!!! もしかしたら学校中に響き渡ってしまうのではないかと思うくらい大声で叫んだ。とにかく、この展開はまずい。色々まずい。だってここはおれら2人しか来ない…
何とか話題を変えようと逡巡していると、急に力が抜けた。床にくっつけていた体をようやく起こしたのに戻された。弥太郎の顔がやたら近くにある。
こ、れって…
今押し倒されてる?
「ちょっ、やた…」
「ん?」
「んじゃねーよ…!お前、冗談なら早くどけ…」
腕を押さえる弥太郎の力が強くなって、心臓の鼓動が早くなった。ドクドクと血が巡っているのがよく分かる。夏の暑さと体の熱さが混ざりあってどうにかなってしまいそうだ。弥太郎は解放してくれる気配がない。かと言って何かしてくるわけでもなかったので、おずおずと目を合わせた。どこまでも真っ黒な2つのビー玉のような目には、おれ以外は何も映っておらず、率直にきれいだと思った。そういえば、この幼馴染みの顔をこんなに近くで見たことがない気がする。呼吸の音まではっきり聞こえるこんな距離で…
「…弥太郎、ほんと冗談だろ?早くどいてくれよ、暑いから…」
うるさいくらいに響く鼓動が聞こえないことを願いながら冷静に促した。だってどう考えたっておかしい。生まれてすぐに出会って、ずっと一緒だった。でもそんなこと聞いたことなかった。彼女ができないからヤケになったか、悪い冗談に決まってる。
弥太郎は何も言わない。逆光で顔が見えづらくなった。
「なぁ、おれの話きいて…」
ポタ。
晴れてるはずなのに、雨が降ってきた。
いや、違う。涙だ。
弥太郎の目が涙でキラキラと光っていて、こんな状況なのにまたきれいだと思った。真珠のような涙が頬に2つ落ちてきたと思ったら、弥太郎はおれの腕を離して顔をぐしぐしと乱暴に拭いた。
「弥太郎…?」
さすがに様子がおかしいと思い、口調を和らげて問いた。
「…へへ、いや、あの、ほんと、何でもないからさ…」
何でもないわけあるか。
そう言ってやりたかったが、声が出なかった。弥太郎はゆっくりと立ち上がっておれを解放し、また目元をこするとぱっと笑顔をつくった。
「…冗談!」
「…は?」
「冗談だよ、ほんとに。いやー悪かったって!お前ちょっと本気で怒りかけるから…」
先刻より明るくなった声にすがるように答えた。
「お前ほんと…冗談キツイって!」
いつもの距離に戻ると、あまり目を合わせずに笑いあった。
冗談にしてしまいたかった。悪ふざけで済ませてしまいたかった。だって、絶対におかしい。弥太郎が……
その先の言葉は考えなかった。考える必要も無い。だってただの冗談だったんだ。夏の暑さが見せた、蜃気楼のようなものだ。
携帯電話が2人の空気を入れ替えるように無機質な音で鳴り響いた。弥太郎のだった。あ、ごめんと一言断ると、ポケットから携帯を取り出しておれに背中を向けた。弥太郎の口調から家族からの電話のようだった。盗み聞きするつもりもなかったし、適当に教科書をパラパラとめくった。そういえば今日はこいつに勉強を教えてやる予定のはずだった。
弥太郎の電話は1分もしないうちに済んだが、何だかぼうっとしているようだった。
「弥太郎、裕子さんから?」
昔からの付き合いなので、弥太郎の母さんのことは裕子さんと呼んでいる。
「あ、ああ。なんか、親戚が亡くなったみたいで。通夜がどうとかって…」
「そうか。じゃあ今日はダメだな。早く帰った方がいいよ」
「ダメ…って?」
弥太郎は妙に弱々しく聞いてきた。
「勉強!教えてやるっていったろ。別に急ぎじゃないし、とにかく早く帰れよ」
「…あぁ、そうか、そうだよな。悪い、待たせてたのに」
歯切れの悪い返事をしながら弥太郎は1度も開けなかった赤いリュックを背負い直して扉に向かった。
「もしかしたら明日とか休むかも。また勉強教えてくれな。」
おれの返事も待たず、そう言って足早に出ていってしまった。
弥太郎が帰ってしまった今この暑いだけの空間に用はない。涼しい部屋を探して勉強していこうかと思ったが、数分前の出来事が頭の端をかすめてそれどころではないと悟った。いま自分はどんな顔をしているんだろう。弥太郎はどんな気持ちだったんだろう。考えだすと勉強どころではない。弥太郎が出ていった扉をそっと開けた。
太陽がさっきより少し遠のいた気がする。
夕立のような弥太郎の涙が頭から離れなかった。
読んでいただきありがとうございます。
ゆるくBLです。
弥太郎と良晴、のんびり書いていきたいと思います。




