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魔王と呼ばれ聖帝と崇められた男

部屋には警戒の為か、それとも別の理由か窓が無いようだった。明かり取り兼用の空気孔は穿たれてはいたが、厚い壁に空いた穴では充分な明かり取りの意味を為さない薄明かりの中、雑に重ねられた羊皮紙と大量の巻物で散らかったテーブルに座りペンを走らせる男。

見るものが見ればテーブルはとても豪奢で趣深く、大量生産されるその他とは大きく違って高級な木材組み合わせて男の為に媚びる様に造られた逸品だとわかっただろう。


男は名前をユーリエルドと言った。


今とあっては雑多な人種の治めていた国を切り取り超大国に成り上がったブルボンの王その人。


その左顎から首筋に掛けて消えぬ──消そうと彼が躍起になれば消せたのだろうが、傷痕があった。

若き日の教訓として敢えて残すことにした、デノミの田舎で過ごしていた頃の想い出と言えば男も歳を取ったと思い出す傷痕だ。



凡そ王の姿にそぐわぬ鈍色のシンプルな普段着に袖を通し、退屈しのぎに臣下から齎された書類に目を通して指示を必要とするものには、それとなく書き込んだ上で目を通した証しにサインを記し、サインだけでいいものには余計な事を書かずにその通りに記していく。


これが彼の、王の日課だったし全てだった、今の。


ユーリエルドは退屈だった。


一心不乱に剣を技を肉体を研ぎ澄まして、血腥い噎せかえる様な戦場を転々と暮らした日々が懐かしく思える。


『何が悲しいか、書類の山に埋もれる、変わらぬ日々。』


テーブルの傍らにはテーブルと変わらぬ寧ろテーブル以上に豪奢で凝った飾り台が置かれていた。

父の代に先代が名の在る職人に拘りを以て拵えさせた、こちらも逸品。


その飾り台の上には鈍く妖しく輝くユーリエルドの愛剣が飾られていた。


『ベッファモスの刃を磨いたのはもう幾ら程前だったかな───思えば血を見なくなって久しい。叶うなら王の身などに縛られず唯ベッファモスだけを、己の技だけを信じて血の海に踵まで浸かりながらも先の栄光の為と肉体を投げ出していたあの戦場へと立ち戻れはしないものかな。』



コンコンッ。


乾いた木を叩く音で我に返ったユーリエルドが音の主を見定め様とベッファモスから視線を外し、顔の向きを返ると目下、一番の難敵となった臣下があきれた様な、諦めたようなそんな視線を眼鏡の奥からユーリエルドに向かってぶつけつつ、首筋の襟を直しながら立ち尽くしていた。


「又もサボってらっしゃいませんでしたか?陛下は私めが傍に付いて居られねば、満足に書類も目を通しては下さいませんのですか?」


「クッツァエ、形に填まった敬語など君と我の間には不要だ。なに、今の腑抜けて役のたたん魂を失くした我になら、君と一合と出来ずに剣の露と為って果てるだろう、君の。」


老いた。目の前の臣下は若々しい甥だ。


請われて臣下としたが母に似たのだろうユーリエルドには弱点に思える。


甥には、終始ユーリエルドが逆らう事が出来なかった姉の面影があり、彼の中に姉を追ってやはり逆らうのを拒むユーリエルドが居た。


「そんな些末な事などお考えにならずとも良いのです。私が何を持ってここに来たとお考えですか。」


クッツァエと呼ばれた痩身痩躯の青年の手にはテーブルの上で目を通して証しを打った書類の何倍もある書類が。





クッツァエ、名前をクーツァエリルと言う。

彼は王の大叔父が養子に入ったデノミに、王姉が輿入れして生まれた真祖の血が入った吸血鬼と魔人のハーフで、その肌はユーリエルドの様な薄い紫では無くて青白く、蒼髪に白銀の瞳を妖しく輝かせ見るものを内に引き込んでしまう様な───そんな引力を持っていた。

色こそ真祖と思わせ、ユーリエルドの血を感じさせないが容姿についてはユーリエルドが見間違える筈も無いほどに姉そのものである。

市井に出れば知らぬ者は彼の面立ちに神を見て、知る者は魅了され生唾を飲んで見守ると言うから、ユーリエルドにしても鼻が高い甥で、別の面ではユーリエルドも舌を巻くほどの智謀の持ち主で、ユーリエルドにはそれが苦々しくも懐かしい姉を見て頭が上がらないと言う。


「ふんっ、目を通せるものには目を通し終っているよ。そもそもの持ち込まれる書類などが多過ぎよるのでは無いか。クッツァエ、我の目に触れずともお前の所でサインを済ませれば円滑に事が廻って行くのでは無いのか。」


「御言葉ですが陛下。」


クッツァエは不機嫌そうな面立ちで眉尻を下げるユーリエルドから視線を外し、テーブルの前まで進むと自身の抱えてきた嵩張った書類の束を、目を通し終っている分の書類と入れ換え終わると再び視線をユーリエルドに戻す。


「王の目を通す重要な書類ばかりです。その他、雑多な書類は全て王の手間を、掛けさせないように臣下にて目を通して──この執務室には持ち込んではおりませんので。」


「そ、そうか。我が悪かった、しかし。サボっていた訳ではない。」


「口を動かすお暇が御座いましたら、どうぞ書類に目を通すのに御使い下さい。解っております、陛下は書類を見るのに飽きておられるのでしょう?」


彼は眼鏡のフレームをくい、と指先一つで持ち上げ直しながら、涼やかに表情を変える事無く王を追い詰める様にそのままで効率の良い言葉を選んで喋る。

その声まで、姉の声に似て高い。だからユーリエルドは、


「クッツァエ、それを言うか・・・政の大事と思うからこそ毎日こうして書類と睨み合いなどしている。好き好んで老いさらばえるだけの為に誰が日々を費やしたい?この、ベッファモスが哭いておるわ・・・」


逆らいながらも、現状を訴え抗うのだ。


姉にはもう甘える事は出来ないと思っていた。



都合が良いことに甥は姉に酷似している所が多い、良くも悪くもだったが。


子供が駄々を捏ねる様に、拗ねて見せれば効果てきめんだったようだ。

肖像画の様に表情一つ動かさないクーツァエリルの表情が綻び、


「ふぅー・・・ユーリ叔父さんはホントに血の気の多い人だ。」


大きな溜め息を一つして、肩を竦めると苦笑いとも彼なりの作り笑顔では無い、素の彼の微笑みが浮かんだ。


「そのたしなめ方も姉上に教わったか?」


「いいえ?ラデュリエ様より教わりました。」



なんとも言えない顔になり、ユーリエルドが問い掛ける。答えは検討違いだった。大外れだ。なかなか会えなくなった──会う機会もそうは作れない立場になってしまった自分が怨めしい古い親友の名が出た。


「ふんっ、奴め余計な真似を。稽古をつけてやらねばならんようだな。」


そう言いながらも遠い目をしてどこかを見ているユーリエルドは満足気に何度も頷く。


口許が弛む。


最近は目の前の甥にも、敵となってしまったから当然なのだが見せなくなった会心の笑顔というやつだ。

日々を忙殺されるだけだったユーリエルドが笑顔を浮かべる事など滅多と無く、クーツァエリルも心の内では驚いていた。

ラデュリエの名を出せば叔父に戻って笑った顔を見せるのか、と。


「ふふ、叔父さんは何をしても武芸から入るんですね、相変わらず。」


「クッツァエ、お前にも稽古をつけてやろうか?何百年ぶりか、忘れたが。」


言葉にして『しまった』と、思ってクーツァエリルは冷や汗を一滴。頬に浮かべる。武芸など口にすれば王のサボり癖が疼き出す。慌てて修正し、普段の作り笑いに戻っていた。

ユーリエルドはペンを置いた。

早速稽古を付けてやろうと。だが、


「稽古なぞ良いのです。・・・失念しておりました、これを。」


クーツァエリルがそう言ってテーブルの上に置いたばかりだった書類の束からペラペラと選んで掴み出す。

ユーリエルドに見える様にサイン途中の書類の上に重ねる様に乗せた。


「うぅむ・・・書類に逃げてくれるな、字が我を殺しかねんぞ・・・ふぅー。これは面倒事を。非常に面倒だな、クッツァエよ。」


軽口を挟みながら目を新しく置かれたばかりの書類に落とす。と、みるみる内に表情を曇らせるユーリエルドは、大きく溜め息を落とすと甥をちらりと見て又もとの書類に戻す。


「はい──直ぐにも御判断を。」


「ふぅむ、直ぐにも・・・か。我、自ら赴いて良いのならばサインもしようではないか。クッツァエよ、これは判断しかねる。一方的に休戦を反故にせよと言うか?そもそもコンティヌスを寄越したのは、簡単には反故にさせぬ為なのだぞ。」


コンティヌス──元はグロリアーナの要塞であり、コンティンス市国であった、幾万のブルボン軍の壁となって、幾度と無く非情の鉄槌を下して来た。だが今は昔、ブルボンの一大拠点となっていた。

そのコンティヌスで火遊びが起こった、火事に成り兼ねない。その場所がコンティヌスで無ければ見咎める事は無かったかも知れない。教団の司教が布教をした。何て事はない裏通りの路地で、しかし相手が悪かった──サロを信仰して止まないハーフエルフだったからだ。


手管を駆使して改宗を迫る司教に対して、裏通りの住人たちは一字一句を聞き取ろうと耳を欹てさせて。するとみるみる内に怒気を炸裂させたのだ。侮蔑の言葉を有らん限り並べ立てサロを批判し、イーリスを飾り立て褒め称えて如何に真の神が素晴らしいと説き宣う司教に。司教が不躾だったと、謝罪するにしても司教はもう絶命していた。

勘違いをしてはならない、司教は強欲に見間違えていた。ブルボンが勝ったのだと。コンティヌスの全てがブルボンの物になったわけでは無かったのに。住んでいる者にとっては自分達の邪魔さえしなければ、国がどちらになろうと、戦争が一時だとしても終われば歓迎した。


自分達の邪魔さえしなければ、だが。



これは、教皇である彼──ユーリエルドがコンティヌスを併合して以来懸念し続けた、謂わば『ついにこの時が来てしまった』と言うことだった。


サロを侮辱したのだから司教が絶命してしまった事はしょうがない。と、しても教団内にサロに対して強行な憤りを抱く者が、必ず出る。そして、必ずその者が言う事は強戦論だ。『力ずくでサロの首を落として謝罪させねば為らない』などと逆ギレ的な、しかし信徒達を立ち上げるには充分過ぎるプロパガンダ。


「休戦を傘に小競り合いは依然として彼の国とは続いておりましたが?」


「ブルボン王としては反故には出来ぬ。教皇としては、、、悩む所ではある、な。信徒を増やし全てのイーリスの子らを平等へと導かねばならんのだからな。」


クーツァエリルの冷徹かつ事実でもある言葉に逡巡し、ユーリエルドは顔を覆い頭を抱えながら、重い口を開く。本心と建前に挟まれてか言い澱むが。


「では、教皇が『聖戦』を発動為されば良いのです。」


甥の余りにも一方的でいて強戦的な言葉を聞いて、静かに激昂して見せるユーリエルド。聖戦は軽々しく言えない、口にしてはいけない言葉である。一度始まれば、信徒は目標を達成しない限り止まらないからだ。もう──二人で喋っているだけで済む話では無くなってくる。


「むぅ、軍では無く信徒を使って侵攻せよと言うか、クッツァエ。」


「その為の聖戦であり、教団であり信徒なのです。全ての神の子らに平等な世を、これはイーリスの命題で御座いましょう。」


「我には出来ぬ、よ。理性が働くでな。お前の思い通りにはならぬよ。」


「私は書類に目を通して戴いて、サインを貰うだけの書仕官です。それ以上ではありません、よ。」


「聖戦なぞ、イーリスが言うだけの絵空事だぞ。平等な世とは繋がり様もない。」




二人はどちらからと言うことも無く次第に口調が強くなり、身振り手振りも加わり互いの主張が受け入れなくなっていた。いや、元から水と油で交わる事を由とはしなかっただけだったかも知れないが。


「雑多な国を切り取り、己が地としてきた陛下から出る言葉とは思えません。」


怖じ気付いたのかと言いたげにクーツァエリルが口端を吊り上げ挑発めいた言葉でユーリエルドを射ぬく様に見詰める。


「必要に迫られての事と、己れが野望とは重ならぬ。」


圧倒的な力を奮い、しかし弱き者少なき者を助けて戦ったあの日々を、この馬鹿馬鹿しい小事と比べくも無い。それを引き合いに出して、煽ってくるクーツァエリルの内に狂気めいた信仰心を見て話に為らないとそう言うユーリエルド。


「過去とは違うのですよ。今、必要に迫られているのはイーリスの教えなのです。」


「我自ら赴くのが条件とする。その上で今一度聞く・・・解って言っておるのか?聖戦の始まりは暗黒時代の扉を開く事になるのだぞ。」


狂気を孕んだ信者には首を縦に振る以外に受け入れられなくなる、信じた正義がそれ以外はゼロにしてしまう。共存共栄など、彼らには考えられない。

イーリス教を百とすればそれ以外はゼロ、これは都合が頗る良かった。信者にはイーリスの声に耳を傾け、従順にひたすら勢力を拡大し、全てを平らにしなければ為らない。と、教義が教えているのだから。失礼、教義にはそうは書いてないが近からず遠からず。


「教団の者の不幸は些末な事に存じますか?」


彼は悟った。司教の死はきっかけに過ぎない。教団は待っていたのだ。言い逃れの出来ない戦端の火種が飛び散るのを。クーツァエリルの作った様な表情を見ながら、その思いで胸をいっぱいにされる。暗い嫌な気分だった。


「そうではない、もう下がれ。」


彼は諦めた。もうクーツァエリルの言葉に耳を貸す意味は無い。

酷く嫌になって甥を外へと追い出す様に手を振ってそう言うユーリエルド。


「では、失礼致します。教団の為の判断をしていただけると存じております。」


「くどい・・・」


微笑い顔のまま退室するクーツァエリル。ドアを閉める間際に釘を刺すのも忘れない。

それと対照的に苦悩しながら、焦燥し身を引き裂かれる思いで呟いた、そっと。


『教団の為に、か。綺麗な言葉に包んでもどうにも血腥い。』


彼とて素晴らしいとさえ思った事もあるイーリスの教義。《世界を平らに、全てを平等な世に還す。》

シンプルで見映えの良い教義。


「おぉ。」


思案を巡らせていたユーリエルドは何気無しに新しく積まれた書類に目を落とす。

クーツァエリルの内に見た狂気を忘れる為だったかも知れない。それでも、集中すれば楽になれると単純に考えた事は否定できないだろう。

思わず、声をあげる。


『これを利用して先伸ばしにしてしまおうか。』


ユーリエルドのその時手にしていた書類には“円環同盟”の文字が並んでいた。ブルボンに対して囲み込む意味合いを持った同盟である。

話に出ていない訳では無かったので彼も知ってはいた。が、同盟は成功しない様に働きかける事で決定し、我に睨まれるのを由としない者だって同盟に誘われる中には居たから立ち消えしたものとさえユーリエルドは思っていた。思い込みたかったのかも知れない。


『会談場所はマルギッテか。考えたな、賢しいのは女王か宰相か、、、どちらにせよこの同盟為ってしまえばクッツァエに対して、反論は叶わなくなるであろうな。』


参加の意思の有無に関わらず円環同盟に名を連ねたのは──グロリアーナ、サーゲート、マルギッテ、クィンマルス、カルガイン・・・由々しき事である。グロリアーナが旗手を取ったのだろうが、サーゲートにカルガインが加えられている事が彼の心の内を描き乱す。カルガインなど、戦にそもそも為らない。彼の地にブルボンが教団が赴けばそれは虐殺か、一方的な次の大戦への導火線に火を放ったことと同意でしかないだろう。ユーリエルドは踏み潰せない、とは考えないのだ。人口2万有る無しの小規模の国か、市国或いはただの中立地帯でしかない。

カルガインが中立地帯なら良い、もしも──三国のどれの所属になろうと、唯止まない戦場に変わる事が地図を読めるものであれば誰でも理解る話で、国にならない程度の街である内は目溢しもしてきた。

旗手のグロリアーナに唆されたのだろうが・・・もし、この忌々しい同盟が為るようなら。


『時代が聖戦を呼ぶのか。これでは針の筵になりかねん。』


血の雨は降り注ぐだろう。ブルボンの国境、国土、要地、同盟の傍にある領地はどこにも兵を派遣し続けねばならなくなるだろう。王であるユーリエルドがいくら反対しようと、だ。

領地を守る口実で、罪のない人々が泣き叫び、力無く倒れる未来がうっすら見えた気がした。


「これは・・・」


思案を巡らせながらもペンを走らせている。すると、ユーリエルドの目を一層引く書類に目が止まる。思わず、声が洩れる。


『クィンマルス連合が二つに割れているのか、ふふふ。クッツァエよ、時代はまだお前を遠ざけるようだ。』


こうして書類にサインをし、急ぎ側近を集めたユーリエルドは王の正装に身を包み謁見の間にて、


「今こそクィンマルス追討をする時である。」


クィンマルスとの本腰を入れた戦争に突入を宣言するのであった。そして、その二日後、ユーリエルドは甥を呼んで何事か伝えると煙の様に姿を消してしまったのである。愛剣ベッファモスと共に。






ユーリエルド──ブルボン『6代』の王にして初代イーリス教皇。 その些末な物語りの始まりは、そんな陰謀塗みれの退屈しのぎからだった。


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