非常識なかわいいもの
「お、……お腹、空いた…………へたっ!」
それまで何があろうと際限なく荒ぶってどす黒くてジメッとした殺気をわたしに向かって撒き散らし、しつこいくらいに斬りつけて来るたびに、獰猛で凄絶な、言葉に表すのが難しいくらいな微笑みを張り付けた眼差しを向けてきていた少女がぷつりと糸が切れた操り人形みたいに突然、その場に力なくへなへなとしゃがみ込む。
と、同時に、普通の人なら向けられるだけで怖じ気づいてしまってもおかしくないくらいの殺気も、部屋中を支配するんじゃないってくらいの目に映るようになるまで実体化した凄まじい覇気のオーラも消え失せて。
凄みのある笑顔が張り付けたようだった顔は一転して、突然の激しいゲリラ豪雨に曝されたみたいに二つあるダムが決壊。
大泣きも大泣き。
ぎゃんついて耳障り。
やってる間は何があっても手放す風になかったじゃない……。
視線を床に落とした。
金属音がして目線で追うと、握っていた武器を少女は床に取り落としていた。
助かった、助かったけど……。
いったいなぜどうしてこうなったかってゆーと。
それには予想が出来てる人も中にはいるかも知れないけど、そうなるまでにはわたしの別の姿・黒翼と目の前で座り込んでる少女との間で色々あってね。
まずは少ーし時間を戻して、ベーレッタハイムとわたしの前にこの少女が現れたその時に戻して説明する事にしましょう。
「がぅるるるるう……」
「何だ?コイツわっ」
突如のことに渋い低音ボイスで上擦る。
今立ってる場所からは門まで見た感じ目測10メートルか。
それを一瞬で距離を詰めて目の前の少女が姿を現したって事を思うに、推測すると一息に跳んだのかしら。
この距離を。
可愛らしい人形さんみたいな細い足のどこにそんな脚力が……、まあ、なんてゆっていいものかしら。
流石、異世界。
ファンタジーならでは。
なんだって魔法で出来てしまうもの。
きっちり代償は払わされるんだろうけど?
斬り掛かってきた少女は、少女が狙い絞った渾身の一撃を、わたしがベーレッタハイムよりに跳んで距離を取って避けたので、今は少し離れた所で獣じみた唸り声を上げている。
威嚇のつもりなのかしら、獣化はしてないみたいにわたしの瞳には映るのに、こーいう中途半端な獣化もあるって事でぉk?
「あ、あ、あ。あーっ!ったく、来ちまったってのかよ。……つってもさっきまでイノヤの妙に気合の入った気が、ここにまでビンビンっ届いててた訳で、そうなっちゃうよなあ。
ぴりぴり刺すような殺気にあてられて釣りあげられたっつーか、この先の守り番してるはずの奴。こいつの名前は、アアシャ。
いつもっ、そーなんだって。こーなった時のアアシャは、止まるまで面倒なんだわー。実に、実に面倒なんだわ……」
まだ幼さの残る、幼女のような顔付きの少女が飛び掛かって来たのを見たら即、本能がそうさせてるのか狼狽えてその場を逃げ出すと、安全な距離感を保ちながら聞いても居ないのに詳しく飛び入りしてきた幼い少女の説明を始めたベーレッタハイムの言葉を要約すると。
アアシャと言うらしい、目の前の変わった薙刀っぽい武器を手に獰猛な笑みを浮かべている。
両側で綺麗にツインテールに纏めた上に、金属で出来たシュシュのような留め具で留めても床に届きそうなトリートメントが行き届いた長い黒髪に。
孔雀のような飾り羽根つきの小さな冠をちょこんと頭の中心に乗せ。
獣人って事を象徴づけている丸いケモ耳が、カチューシャタイプの白い髪留の影から存在感をアピールするみたいにぴくぴく小刻みに動いている。
気圧されするくらいの殺気を周囲に撒き散らす程ばら撒いている、義務教育を終えているようにはとても見えない『この』小さくて可愛いアアシャがわたしの次の獲物なんだってこと。
しかも、見た目以上の実力者で『キレたイノヤよか強い』といった具合に、わたしを思って忠告してくれているのか、ベーレッタハイムの言葉は滑り出した。
それだけじゃなく、この状態になった場合のアアシャは、こっちの言っている事の意味を理解出来ない半覚醒状態ってことみたいで。
その上、本来こうなってしまったアアシャを押し止め翻弄し時間稼ぎをする事を得意としているのは、さっきわたしといい勝負をしてぼろきれにならないまでも、しばらくはまともに動けそうもないイノヤの役割だとか。
アアシャから距離を取るように、部屋中を逃げ回りながら不安そうな表情でベーレッタハイムは話してくれる。
そうなると、だ。
侮らないで貰いたいんですけど!
まあ、ベーレッタハイムとわたしは手合わせしてないとは言えだよ?
わたしが後れを取る訳がないっ!
イノヤに翻弄できるくらいのだったら、わたしに出来ない訳が無いじゃないのっ!
「たちの悪い夢遊病とでも言えそうだな。頭のネジが飛んだか」
左腰に収めていた長剣を鞘から抜き放つ。
青い刀身がヒカリゴケの薄ぼんやりとした灯りの下で、その弱々しい光を受けて反射し輝いた。
アアシャの瞳は狂気を帯びている。
そこだけは幼女とか、これくらいの小さな少女には似つかわしくない。
そう言えば。
少女の雰囲気は何かに似ている。
ああ、そうだ。
呂布。
三國志のあのスーパー悪役に姿形はどうみても違うのに、どこかそう思わせる気がする。
獰猛そうな笑みだとか、狂気が乗り移ったようにギラリと輝く瞳だとかもそう思うとスーパー悪役っぽい。
そんな気もしないでもない。
「そう言うことっ。てわけで、だ。俺はパス」
ちらりとベーレッタハイムは、わたしとアアシャを交互に見比べて肩を竦めた。
その上で、もとから青かった表情を更に一段階も二段階も青く染めてその場に凍り付くように固まる。
視線の先には、薄灯りの向こうで爛々と輝く赤い双眸。
地の底から聞こえてくるみたいな低い唸り。
ベーレッタハイムからしたら、アアシャなんて一回りどころか二回りは年下じゃないかしら。
ベーレッタハイムは、そのアアシャにここまでビビッている。
ベーレッタハイムをそうまで震え上がらせるアアシャってどんなに強いと言うの?
まさか、イライザ並みって……それは無いわよ。無い。
多分、きっと。
「面倒とはっきり言われるのも解る壊れっぷり。なるほどな……、それならば。楽しませて貰うとしよう」
口を突いて思わず、想いが声に出る。
強いコ……好きよ。
ホントにたのしませてよねぇえっ!!!
そんな事を頭に過らせながら、弾き出される弾丸のように駆けた。
濃い殺気が待ち受ける方へ。
「ふん、見ているがいいっ。我の実力のほどを見せてやる。たぁっぷりとなあっ!!!」
これは威嚇のつもりじゃない。
わたしを過小評価してるっぽいので。
ベーレッタハイムに聞こえるように、部屋中に響くよう吠える。
眼前には手の届く距離に、アアシャの大きくカァッと開かれた輝く赤い瞳がある。
アアシャに駆け寄ると、長剣の刃をかえすように持ち代えて胴を払いにいく。
両手で握った剣を寝かして横薙ぎに払う。
とは、……そう上手くはいかなくて、吸い込まれるようにアアシャの脇目掛けて切りつけたその一撃が薙刀の柄で上に弾かれた。
長剣が勢い斜め上に跳ねあげられ自然、ととっと後ずさる事になる。
つまり、狙い通りにアアシャの胴を斬り裂くには至らなかった。
柄は何かの金属で出来ているのか、弾き返されるときに金属が擦れ合うあの鈍い音が響いたのが耳に届いて。
再び踏み込んで間合いを詰めようとした、それと同時に。
ぐるるるっ!
吠えるような声を聞いて後ろに跳ぶのを見た。
すると、そのすぐ後で今立っていた場所をアアシャの振り下ろした薙刀の白刃が白銀の軌跡を描いて走る。
その渾身の一撃が足元の床を瓦礫に変える。
大きな破壊音と鈍い衝撃、それと瓦礫によるものか、僅かに土煙が立つ。
るぉおおおぉおおおっ!
災害速報みたいにけたたましい声量で、苛立っているっぽくしゃがんだ体勢そのままで吠えるアアシャ。
どういうわけか、こちらのターンはまだ来てくれないみたい。
少女は中腰のままわたしの姿を捉えようとした。
ぐりんと首だけを動かして振り返る。
その時、自然とぶつかった。
わたしたちの視線が。
わたしは沸き上がってくるものを感じて、視線を反らさずに震えてしまった。
なんて瞳をしてるの……、ぞわぞわしてしまう。
まるで、巨大なボスキャラに品定めをされ見下ろされているそんな気分になってどうしたっていうのか体が自由にならない。一層、震えも強くなった。
なんなの?
この子からはどこか明確にそれまでの誰より、あのイノヤの凄味だって霞んでしまう、そんな風格というかオーラと言うか覇気というか。
そんな空気を纏っていた。
簡単に言うと………………勝てない。
勝ち目があるイメージが出来ない。
対抗しても無意味と判らさせられるくらいの、分厚い壁のような空気を認識出来てしまう。
その上、隙を見せてしまったらガブっと一噛みにされちゃって命を簡単に散らしてしまうんじゃないかって肌で感じるヤバさが伝わってくるみたいだ。
とか思っていたら、鼓膜を激しく振るわせるほどの痛いくらいの咆哮と同時に。
グッと急に強く合わせた剣の刃面を押し込むアアシャ。
その勢いでジャラララっと金属同士が擦れる音を立てて薙刀を振り切る。
ヤバっ。
刃同士を押し合ってにらみ合う、地味なつばぜり合いから逃げられた。
振り切る薙刀はびゅんと風を取り込んでスピードを増して、勢いでアアシャの体が腰を中心にくるりと回転した。
わたしを目掛けて垂直に落ちてくる剣閃。
続いて繰り出される、薙ぎ払うような風を巻いて水平に寝かせたぶん回し。
間近に迫ったそれを、横に半身ずらして避けるのに成功。
押されっぱなしとか、胸くそ悪い!
この、今、生まれた隙がちゃんすっ!
「この一太刀、外さんっ!」
今度はこっちから。
踏み込んで袈裟斬りにがら空きになったアアシャの左腕を捉える。
野生の勘なのかも知れない。
それを逆手にもった石突きに近い、薙刀の柄で打ち合わせて反射的にアアシャは弾いた。
そこから剣戟の打ち合いになる。
お互いの武器へこれでもか、と打ち付け、金属同士が擦れる鈍い金属音が部屋中に響いていた。
激しくぶつかり合う金属音。鋭く走る銀線。目の前では何度も何度も。何度も、何度も。
こちらから仕掛けても当たり前に弾かれて、防ぐのがやっと。防御にひたすら撤する。
コイツ、めちゃくちゃだ。
なのに。
恐ろしくつよい。
隙が無いと何も出来ない。
今、何かやろうとしても隙を晒すだけにしか思えない。
狙って斬りつけてる訳じゃないのわかるけど、…………少しでもガードを崩したり不用意に距離を取ろうとしてもサックリ斬られるか、ブスリと刺されるイメージしか頭に浮かばないのをどうにかして欲しい。
いいアイディアが無いのに、この状況を引っくり返せる自信ないって。
なんとかこの状態から安全に抜け出せるイメージが出てこないかと思案してみる。
完全に考え込んではいけないという制限つきで。
じつは今、お互いの刃と刃面を擦り合わせていたりで、とてもぼおっとしていていい場面でもなかったりして。
くおの、その小さな体のどこからこんなパワーを。
押し合いだと絶対勝てるわけないじゃない!
つばぜり合いのまま押しきられないように、その体勢で持ちこたえるのでせいいっぱいだった。
地面に足が根付いて動くはずが無いし、って体を騙すように乗りきる。
そう、例えば回り込む。
ダメダメ、あの子……アアシャの薙刀は全包囲にすぐ反射的に反応して薙ぎ払われてしまう。
じゃぁ、飛び越えたら?
ううん、まずい。
背を取ろうと飛んだ瞬間の無防備な時を狙い撃ちされたら鎧兜があってもフッ飛ぶだろうし、まともに喰らっちゃえば暫くはダメージを引き摺って今のように躱し続けるなんてことは出来なくなる。
非常にまずいよ、今の状態は。
間合いを詰めたら?
少しもマシになるかは解らないけど。
スピードだってうすのろじゃあ無い、アアシャとゼロ距離でぶつかり合うのはちょっと。
逆に後ろに退いて距離を取る。
……うっ、一瞬で距離詰められてさっきのまともに喰らいそう。
ぬぉああっ
アアシャは気合いとも吠えただけって可能性も無いことも無い叫び声を上げる。
右に左に白銀の軌跡が走らせると。
飾り羽根を振るわせ、長いツインテールの黒髪をはためかせながら跳躍すると、その勢いのまま間合いを殺し、突撃を繰り返す。
上段から叩きつけるように斬りつけ。
そのまま、風を巻くようにびゅうんと逆袈裟に上段まで斬り上げる。
かと思うと、追うのがやっとの速い突きを繰り出し。
法則性の無い、ただひたすらの急所を狙ったムチャクチャな斬撃の繰り返しにもなる。
躱し切れない壮絶なラッシュが始まる。
いい装備じゃなかったらあっさり命を刈り取られてたのかもと思えるくらいの壮絶な。
──と、突然。
それまで繰り出していた突撃がピタと止まる。
避け続けるのがやっとの状態が続き、こちらからは何の手出しが出来ないほど、圧倒されていたのにどうして。
一瞬、空気すら固まった。
そんな気がした。
ほんの瞬きするくらいの時間。
ぎゅうるるるるるぅっ!
それは部屋中に響き渡る重低音、豪快なお腹の虫の鳴き声。
アアシャの獰猛に気張った表情がつるっと能面のように無表情に変わって。
瞬きする間もなく眉が八の字を描く。
そこにはさっきまでの、わたしがやっとで凌いでいられた猛獣のようなアアシャは居なくなって、変わりに情けなく床にへたりこんで涙ぐむ、少女の姿をしたアアシャが居た。
思わず、口を突いて出た言葉に自分自身なにやってんだろうなって思う。
さっきまでの空気をあっさりさっぱりと二人とも抜ぎ捨てていた。
「特に食べるものとかもってないしなあ……ごめんな」